82.この離宮でできることを
「……レティーシア様のお考えとは、何なのですか?」
ナタリー様との仲を取り持ってくれと、そう頼み込んできたケイト様。
私がそれを受け入れると、ケイト様は不思議そうな顔をしていた。
彼女は疑問を隠さず、直接私へ問いかけることにしたようだ。
「レティーシア様は今まで、この離宮で静かにされていたはずです。私達、次期王妃候補に対しても、一歩引いた立場を貫かれてましたよね?」
「はい。ですがそろそろ、私も動こうかと思うのです」
「……何故、今になって? レティーシア様はあと2年、お飾りの王妃として離宮で過ごしていれば、それで問題無いはずでしょう?」
ケイト様の言葉は直球だ。
会話の駆け引きを仕掛けることも無く、私の考えを見定めようとしてくる。
その行動はきっと、国を案じる彼女本来のまっすぐな気性によるもので。
同時に、私のことをただの政治上の関係者ではなく、友人のように扱ってくれているからかもしれない。
……そんなケイト様になら、私の考えを話しても大丈夫だと思えた。
「ケイト様。私は今まで、お客様気分だったと思うのです」
「お客様?」
「私は、この国で生まれた人間ではありません。王妃として嫁いできたのだって期間限定で、だからこそケイト様達も、次期王妃の座を巡って動いていらっしゃったでしょう?」
「えぇ、そうね」
頷きつつも、ケイト様は複雑そうな顔をしている。
今はもう、次期王妃の座を望んでいないからだ。
自分自身に、王妃たる資質が無いと判断したケイト様。
この国を案じる彼女と同じ思いが、私の中にも宿り始めていた。
「私はこの国のいわば客人として、のんびりと引きこもって過ごそうと思いましたが……。少しだけ、考えを変えようと思うのです」
そう、ほんの少しだけ。
まったりと過ごす基本方針は変わらなくても。
この国の未来のために、動いていこうと思うのだ。
「エドガーにジルバートさん、いっちゃんにぐー様にフォン。ナタリー様や、もちろんケイト様も。……私はこの国に来て、たくさんの大切な存在ができました。
王妃の座を退いた後、私がこの国に留まるかはまだわかりませんが……。王妃を辞めてそれで全てお終い、という訳にはいかなくなったんです」
私が去ろうと去るまいと。
エドガー達の人生は、この国で続いていくのだ。
「この国の行く先が、実り多く安らかであるように、と。私もそう願うようになりました」
思いを口にする私の脳内にはなぜか、グレンリード陛下の姿が思い浮かんだ。
……どうしてだろうか?
私の作ったトーストとクリームスープを、美味しいと食べてくれたグレンリード陛下。
料理の熱でほんのりと緩んだ目元を、やけに鮮明に思い出す。
胸が騒いで、とくりと鼓動が波打った。
「レティーシア様?」
いけないいけない。
今はケイト様の前だ。
「いえ、なんでもありません。……王妃になって以来、陛下には色々とお世話になっています。
陛下のためにも、私は私なりに、この国の役に立てたらと思ったのです」
言葉にすることで、自分の心の内がわかった気がする。
グレンリード陛下とは、料理を介して少しだけ距離が縮まったはずだ。
勝手ながら、親しみのようなものも覚え始めている。
……陛下が私のことを、どう考えているかはわからなくても。
この国の未来のためにも、陛下には健やかでいて欲しいのだ。
「私はよそ者ですが、だからこそできることもあると思います。
この国の人間同士では、過去のしがらみが邪魔して、手を取り合いにくいことも多いでしょう?
そんな時、私はその方々の交友を、手助け出来たらと思うのです」
「……だから、私とナタリー様の仲を取り持つ気になったのね?」
「えぇ、その通りです。私にできることは、そう多くはありませんから」
王妃の立場を振りかざし、政治に口を挟むつもりは無かった。
私は私にできることを、この離宮でやるだけ。
料理を振る舞い、ケイト様達の話し相手になり、ちょっとした交流の場を取り持つ。
それが私の役割だ。
「ケイト様達が仲を深められるよう、私も微力ながらお力添えをさせてもらうつもりです。
ケイト様にも、ご協力をお願いできますか?」
「もちろんよ! ……でも、不思議ね? 私の方が頼み込んだ立場なのに、なんでレティーシア様がお願いしてるんですの?」
「それが、私の願いでもあるからです」
ナタリー様とケイト様。
相性は未知数だけど、二人とも優しく、責任感の強い性格だ。
互いを尊重する思いがあれば、上手くいく可能性は十分あるはずだった。
「……わかったわ。せっかく頼まれたんだもの。力いっぱい、ナタリー様と仲良くなってみせるわ!」
宣言するケイト様のかぎ尻尾が、天を向くようにぴんと立ったのだった。
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「力いっぱい仲良くなってみせる、かぁ……」
狼のジェナを撫でながら、私は一人呟いた。
ナタリー様の人柄を知り仲を深めようとする、ケイト様の決意は立派だ。
応援したいのだが……少し力が入りすぎな気もした。
明るくはきはきとしゃべる、感情豊かなケイト様。
控えめで思慮深い、内気な性格のナタリー様。
表面上の性格は真逆だ。
だからこそ、互いに無い部分に惹かれあって仲良くなれるかもしれないけど……。
「こじれたら大変よね……」
うーむ、と首を捻った。
ケイト様はやる気万全だが、その勢いにナタリー様が気圧されて、空回りになってしまうかもしれない。
ケイト様は18歳、ナタリー様は16歳だ。
年齢は近く、共にこの国を代表する名門公爵家出身のご令嬢。
似た立場の二人だからこそ、互いに通じるものはありそうだけど、反面上手くいかなかった時がやっかいだ。
「だからと言って、私が強引に仲を取り持つわけにもいかないし……」
どうしよう?
わしゃわしゃと、ジェナの毛並みを撫でまわしながら考える。
「わふぅ?」
ジェナも首を傾げる。
ぱちくりと瞬く、琥珀色の瞳が愛らしい。
「何かきっかけがあればいいのかしら……?」
きっかけ、仲良くなる機会。
会話が弾んで、お互いのことを良く知れて……。
「……そうだ。だったら――――わっ!?」
ぺろぺろ、と。
ジェナの温かい舌が、手の甲をなめまわしくすぐったい。
これはジェナの催促だ。
先ほどからからずっと、私はジェナの背中を撫でまわしていた。
そろそろ、別の場所も撫でてもらいたいようだ。
「よしよし、今そっちも撫でるわね?」
胴体の横に手を当てると、ジェナがごろりと横になる。
こちらを見上げる瞳は、「なでなでしてー」と期待を込めて光っていた。
「あぁもうっ!! かわいいなもう~~~」
期待に応えるべく、両手で毛並みをすいてやる。
人懐っこいジェナは、人の手で撫でてもらうのが大好きだ。
スリッカーブラシもお気に入りのジェナだが、今日は手で撫でてもらいたい気分らしい。
もふもふな毛皮に指を埋め、優しく押すように指の腹でかいてやる。
ジェナが腹を見せ、喉を鳴らして甘えてきた。
「くぅぅ~~~~んっ」
「どうですかお客さん? 力加減大丈夫ですか~? かゆいところはありませんか~?」
気分はあれだ。
客に頭皮マッサージをする美容師さん?
ジェナが喜ぶよう、指の力に気を付けて撫でてやる。
ノリノリでマッサージをしていると、うっとりとしたジェナが胴体をくねらせる。
体をすり寄せられ、もふさらとした毛並みが心地よい。
もふもふと引き換えに、ドレスに大量の毛がつくが問題無い。
ケイト様とのお茶会の後、私はシンプルなドレスに着替えていた。
装飾は控えめで、王妃には見えない素朴なデザインだけど、おかげで手入れも楽ちんだ。
狼たちと、思う存分戯れるためのドレスだった。
「ぐぅ?」
くねくねとしていたジェナが、ふいに耳をそばだてる。
気づくと、周りの他の狼たちも、一点をじっと見つめていた。
狼たちをまとめるエドガーも、その様子に気づいたようである。
今私たちがいるのは、離宮の横の、開けた芝生の上だ。
前庭や離宮の正面部分は、植えられた木が目隠しになって見えなかった。
狼たちの見つめる方向、離宮の前庭から、黒髪の少女が現れた。
「狼………?」
少女の髪の上で、三角の耳が揺れたのだった。




