80.王と画家
「さてと、それじゃいったん、お暇しますかね、っと」
「ぎゃうっ‼」
ヘイルートを乗せた鱗馬が、鳴き声をあげ歩き出す。
レティーシアの離宮から、森の中の道を少し行ったところで、ヘイルートはすいと瞳を眇めた。
「あれは………」
見つめるのは進行方向の脇、木々の生い茂った空間だ。
濃淡の緑が木陰に沈む、人の目では見通せない暗がり。
ヘイルートはしばらく観察すると、鱗馬を制止させ降り立った。
「少しだけ、ここで待っててくれよ?」
「ぎゃぎゃっ‼」
『了解です!!』とばかりに鳴く鱗馬。
つぶらな黒い瞳が、主を親し気に見ている。
ヘイルートがひんやりとした滑らかな首を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めていた。
「うーん、やはり懐いてくれる獣は、かわいいものなんですね」
ヘイルートはしみじみと述懐し、森の薄闇を進んだ。
とある事情により、ヘイルートは犬猫などに嫌われやすかった。
馬も同じで、振り落とされることこそないものの、心を開いてくれたことは無い。
だからこそ、鱗馬の存在は新鮮だったのだ。
ヘイルートの生まれ故郷、ライオルベルン王国では、乗騎用の獣は馬がほとんど。
ヴォルフヴァルト王国に足を伸ばした理由はいくつかあるが、偶然とはいえ鱗馬と出会えたのは収穫だった。
「………他のことも、鱗馬との関係みたいに上手くいけばいいんですがね~」
ヘイルートは呟いた。
今度の言葉は独り言ではない。
進む先、木立が作る暗がりに人影があった。
「久しぶりだな、ヘイルート」
薄闇の中のわずかな光にさえ、美しく煌めく銀の髪の持ち主だ。
供の一人も連れないグレンリードが、冷ややかな視線で立っていた。
狼の姿で森の中を進み、人の姿に戻り待ち構えていたようだ。
「グレンリード陛下、お久しぶりです。それとも、さっきぶりとでも言いましょうか?ピザ、美味しかったですか?」
「…………先ほど見たことは忘れろ」
グレンリードが忌々しそうに命じた。
ヘイルートは、グレンリードが狼の姿に変じることを知る数少ない人物だ。
今更、狼の姿を見られても問題はないのだが、レティーシアの離宮でピザに夢中になっていたのを指摘されるのは、好ましくないようだった。
「へいへい、わかりましたよっと。陛下がその気になったら、オレなんてひとたまりもないですからね」
「そうしてくれ。私の方だって、おまえの主人と険悪になりたくはないからな」
肩をすくめるヘイルートへと、グレンリードは淡々と返した。
「それにしてもおまえ、私の前に顔を出すより前に、なぜレティーシアの元を訪ねたのだ?」
無表情なグレンリードだが、声にはどこか不機嫌そうな響きがあった。
ヘイルートは興味を覚えつつも、へらりとした笑みを浮かべる。
「陛下、どうしたんですか? そんなにオレが、レティーシア様に接触したのがお嫌なんですか?」
「…………別に、そういったわけではない。少し疑問に思っただけだ」
「たいした理由はありませんよ。レティーシア様、色々と噂は聞いてましたし、あのクロード様の妹でしょう? これはぜひ一度ご尊顔を拝まねばと、はりきっちゃったわけですよ」
茶化しつつ、ヘイルートはレティーシアの兄、クロードの言葉を思い出した。
『うちの妹は可愛いよ。強かだし父上似の笑顔が怖いことはあるけど、話してみれば可愛さがわかるはずさ』
と言う、褒めているのかけなしているのか微妙な、それでいて妹への愛情にあふれた紹介だ。
確かにクロードの言った通り、とても美しく可愛らしい少女だった。
笑顔が怖い、と聞いていたがそんなことも無く、明るく親しみやすそうな雰囲気の持ち主だ。
「ま、でも。公爵令嬢で王妃のレティーシア様が、自ら料理を振る舞う姿は、少し驚きましたけどね。本当は今日は、離宮の使用人に言伝でも頼んで、後日お会い出来たらいいな、程度の予定だったんで、離宮の前庭に出ていたレティーシア様とお話しできたのは、ただの偶然みたいなもんですよ」
だからそんなに警戒しなくても大丈夫だと。
無言で伝えるように、ヘイルートはグレンリードを見た。
「陛下はずいぶん、レティーシア様のことを気にかけてるんですね? わざわざオレを追いかけて話をしようなんて、少し意外でしたよ」
「元々、王都に帰ってきたおまえと、一度話がしたいと思っていたところだ。表向きは画家のおまえと、私が正面から会おうと思うとそれなりに厄介だろう? ちょうどいい機会だから、追いかけて話を聞こうとしただけだ」
「そうっすか。ありがたい話です」
ヘイルートは答えると、グレンリードの言葉に応えるべく、王都を離れていた間の話を手短に語った。
グレンリードはヘイルートの目的のため、それなりに協力をしてくれている。
完全に信頼しあっているわけでは無いが、便宜を図ってもらっている以上、それなりの返礼は必要だった。
「…………なるほど。いくつか興味深い話もあったことだし、書面にまとめ改めて私へと届けてくれ」
「もちろん、そうさせてもらうつもりです。他に何か、オレへの用件はありますか?」
「そうだな………。一つ忠告しておこう」
グレンリードの青みがかった碧の瞳が、ヘイルートを射た。
「レティーシアに近づき、様子を探りたいのもわかるが、軽い気持ちならやめておけ。あいつは時に、軽々と予想の上をいく相手だ。何が起こるか保証は出来かねるし、それにわかっているだろうが、形だけとはいえ彼女は私の王妃だ。あまり近づきすぎ、誤解を招かないようしておけ」
「…………そこはご心配なく。オレはもてませんからね」
かさぶたを引っ掻くようなむずがゆさと共に、ヘイルートは答えた。
すると、グレンリードは少しだけ目を細めた後、狼へと姿を変え去っていった。
森の中へと消えていく銀狼を見送ると、ヘイルートはレティーシアの離宮の方角を見つめる。
「…………あのクロード様の妹で、しかも陛下がご執心ときましたか」
これは本格的に、レティーシア様について情報を集めるべきですかね、と。
胸の中で呟いたヘイルートなのだった。
お読みいただきありがとうございます!
今回出てきたヘイルートは、私のもう一つの作品
『妹に婚約者を取られたら、獣な王子に気に入られました(※またたびとして)』にも脇役として出てたりします。
『妹に~』はこちらの『もふもふお料理』と同じ世界の、2年ほど前を舞台にした別の国の話になっています。
タイトルからでも察せられる通り、あっちのヒーローも獣に化けもふもふした姿を持っていますので、楽しんでいただけたら嬉しいです。




