76.彼女を欲しがる理由
「…………! これは……………」
トーストを一口食べた瞬間、グレンリードは目を見張った。
「美味いな…………」
自然と、言葉が口から零れ落ちる。
料理に対して意識せず賛辞を贈るとは、グレンリードには久しくないことだった。
さくり、さくりと歯を立てる。
香ばしく焼き上げられた表面と、ふんわりとした内部の甘さ。
蕩けたバターの香りが広がり、パンの味わいを引き立てていた。
温められ良い匂いがしていたとはいえ、パン自体はサンドイッチの時と同じものだ。
味の予想も、おおよそついていたはずだったのだが………
「温かいパンは、これほど美味いものなのだな…………」
「はい! 焼きたてのトーストは、それだけでとても美味しいと思います」
レティーシアの表情が輝いた。
嬉しそうな笑いに、グレンリードは少し驚いた。
(狼の前でなくても、このような表情ができるのだな)
驚いたせいか、少し鼓動が早くなった気がした。
レティーシアの笑いは、先ほどまで食えない話をしていたとは思えない、裏表を感じさせないものだ。 グレンリードがトーストを美味しいと言ったことに ただ喜んでいるようだった。
屈託のない笑みを浮かべたレティーシア。
なぜ彼女がグレンリードの一言に、そこまで浮かれているかわからない。
わからないが、決して悪い気はしないことに、グレンリードは気づいてしまった。
(調子が狂うな…………)
ほの熱くなった目元を誤魔化すよう、トーストを咀嚼し、味に意識を集中していく。
するとたちまち、温かなパンの香りに夢中になる。
さくさくと小気味良い音を立てるパンは、いくらでも食べられそうだった。
「うむ。……………これもいけるな。スープが絡んで、口の中で染み出してくるようだ」
「でしょう? 気に入っていただけ良かったです」
レティーシアに勧められるまま、パンをクリームスープに浸けたりもしてみる。
スープを吸い柔らかくなったパンが口の中でほどけるようだ。
具材の鶏肉も食べやすく一口大に煮込まれていて、中まで旨味が染み込んでいた。
「温かいな…………」
満足のため息をつくグレンリードを、レティーシアが嬉しそうに見守っている。
胃の中だけではなく、体のもっと深い場所まで、ぬくもりを帯びたようだった。
温かい、と。
そう感じて初めて、今まで寒かったのだと気づいたのかもしれない。
料理を食べ終えるのが惜しくて、レティーシアを帰すのも名残惜しい。
だが無情にも、料理はグレンリードの胃袋へと消え、時間は過ぎ去っていく。
自制心を発揮し、レティーシアを離宮へと見送った後、グレンリードは自室の椅子へと深く腰掛けた。
「あいつは軽々と、私の予想を超えていくな………」
グレンリードは目を細めた。
塩釜焼きを献上された時、その斬新な食べ方に、ずいぶんと驚かされたものだった。
だからこそ今日の料理は、塩釜焼きほどの驚きはないだろうと思っていたが、見事に覆されたのだ。
グレンリードの想定を、軽々と超えていくレティーシア。
それは何も、料理に限っての話では無かった。
ケイトの離宮でのマニラの日を巡る騒動。
シャンデリアを壊した犯人を、グレンリードが掴んでいながら動かなかった理由はいくつかある。
たとえシャンデリアが失われ内装の質が落ちようと、斬新な塩釜焼きがあればマニラの日を乗り切れるかも、という考えがあったのは確かだ。
ある意味、レティーシアの塩釜焼きに期待していたのはあるが、期待はあくまで料理の腕に対してだけだった。
(あの操り人形だったナタリーとくせ者のイ・リエナを動かし、王妃候補全員をマニラの日に集めて見せるとは、予想外だったな)
レティーシアがこの頃、ナタリーと親交を深めているのは知っていた。
だがそれは、ナタリー陣営との不仲説を払しょくするための行動だと思っていたのだ。
まさか、あの短期間でナタリーの心を掴み、ナタリーの父親の操り糸を切るまでの影響力を発揮するとは、なかなかに予想できない事態だった。
イ・リエナの方も、彼女がマニラの日に参加していたのはケイトと、そしておそらくは本命であるレティーシアの様子をうかがうためだ。
レティーシアとイ・リエナは、マニラの日以前にまともに顔を合わせたことは一度しかないはず。
だがその一度で、イ・リエナにとってのレティーシアは無視できない存在だと見定められているようだった。
イ・リエナとナタリーがマニラの日に招待されたところで、参加する可能性は低いはずだった。
二人が欠けていた場合、招待客の格が落ち、マニラの日は失敗に終わっていたのかもしれない。
その場合はケイトとレティーシアにとっては残念な結果だが、シャンデリア破壊の件でシエナの弱みを握ったグレンリードには無問題だ。
だからこそ、シャンデリアを破壊した犯人を泳がせていたわけだが、レティーシアはまたもや、塩のシャンデリアという予想外の発想で、マニラの日を成功に導いていたのだった。
「欲しいな…………」
ぽつりと、グレンリードは呟いた。
今はまだお飾りの王妃でしかないレティーシアを、名実ともに妃として迎え入れ、彼女の才を生かし国を統治していく。
自分の傍らに彼女が寄り添う風景を思い浮かべ、思わず胸が高鳴った。
あの明るい笑みを、ずっと近くで見ていることができたなら。
そこまで考えたところで、グレンリードはゆるく頭を振った。
(無理のある未来予想図だな…………)
自分の予想を軽々と超えていく、レティーシアの有能さはよくわかっている。
ナタリーや、そしてどうやらケイトの心も掴みはじめているのも確かだ。
だがそれは、あくまでレティーシアが仮初の、お飾りの王妃だからこそかもしれなかった。
レティーシアを正式なお妃に据えようとした場合、ナタリー達が納得しても、その実家である公爵家が受け入れる可能性は決して高くない。
グレンリードの座すこの国は、5つの小国が集まってできた、複雑で繊細な経緯の上に成立している。
本人がいくら有能とはいえ、異国出身の公爵令嬢であるレティーシアを正式なお妃にしては、波乱が訪れるのは必至なのだった。
「そんなこと、少し考えればわかるはずなのにな………」
グレンリードは苦い笑みを浮かべた。
あり得ない未来図を夢想してしまったのは、それだけレティーシアの、彼女の料理を気に入ったせいかもしれなかった。
レティーシアがグレンリードのために料理を作り、グレンリードが美味しいと告げるとレティーシアが笑みを浮かべる。
ただそれだけの、夫婦の男女ならば当たり前かもしれないやりとりが、グレンリードには妙にこそばゆかった。
男は胃袋を掴まれると弱いと聞いたことはあったが、まさか食に興味の薄い自分自身がそうなるとは、グレンリードも予想できないことだった。
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おかげさまでこのたび、『もふもふお料理』がラジオで朗読劇になりました!!
声優の寺島惇太様と三澤紗千香様のお二人により、キャラに命が吹き込まれています。
ラジオ番組内での朗読劇化となりますが、ネット上でも楽しんでいただくことが可能です。
第一回の朗読劇はyoutubeにて、7月8日17時ごろに公開される予定です。
ページ下のリンク先にてアップロードされるそうです。
朗読劇化についての詳細は、本日の活動報告に掲載していますので、よかったらそちらもご覧いただけると嬉しいです!!




