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75.当たり前の美味しさを


 覆いの被せられた大きな盆を見る陛下へと、私は口を開いた。


「今日、陛下には鶏肉のクリームスープと、トーストというパンを焼いたものを献上したいと思います」

「トースト………。聞きなれない名前だが、それは大きなパンなのか?」

「薄切りにしたパンで、持ってきたのは一人前くらいの量です」

「では、その大きな盆はなんなのだ?」

「調理器具です」


 答えると、陛下がいぶかしんだようだった。


「まさかここで、一から料理を作り始めるつもりか?」

「いえ、さすがにそこまではいたしませんわ」


 ルシアンに合図を送り、覆いを取らせて盆の上の品を机上に広げていく。

 薄い布をしき、皿にのせられた二枚の食パンと小鍋に入ったスープなどを置いていく。

 食材の横には、取っ手付きの金網が置かれていた。


「…………もしやその金網で、食材を炙るつもりか?」

「はい。こちらのスープも食パンも、そのままでもいただけますが、火を入れるとより美味しくなります」


 まずはスープからだ。

 ルシアンが鍋掴みで小鍋を水平に構え、準備は万端だった。


 火を熾すのは炭でも薪でも無く、魔術でもって行った。


 魔術による火は、魔力の調整さえできれば、道具も無く安定した火力を発揮できる優れもの。

 一般的な燃料を使った時に比べ、煙は少ないし燃えカスもでないと良いことづくめだ。

 火を燃やし続けるにつれ、じりじりと魔力が減っていくが、私の魔力は潤沢なので無問題だった。


 焦がさないよう弱火に調整しつつ、鍋の中身をかき混ぜる。

 刻んだ鶏肉と玉ねぎ、それに後入れでじゃがいもを炒め、水と牛乳で煮立たせたものだ。

 出来上がり後に冷めてしまっていたが、具材が細かくしてあるため、熱は通りやすくなっていた。


「いい匂いだな」


 陛下が呟いた。


 ふわり、と。

 温められた香りが漂いだす。

 まろやかで優しい、食欲をそそるクリームの匂いが、鼻先をくすぐっていく。

 

「こんなところですね…………」


 かき混ぜてもぐつぐつとした表面が消えなくなったあたりで、加熱は十分と判断した。

 鍋敷きの上へと小鍋を下ろしたルシアンに、今度は金網を構えてもらう。


 そのまま食べても美味しい食パンに、更にひと手間かけていく。

 温めた金網にのせ両面に焼き色をつけ、皿の上へと載せていった。

 トーストの横に、小鍋からよそったスープを添えれば完成だ。


「陛下、どうぞ。冷めないうちにお召し上がりください」

「このトーストは、手づかみで食べるものか?」

「はい。こちらのバターをお好みの量塗って、がぶっといっちゃってくださいませ」


 少し砕けた言葉で勧めると、陛下が慣れない手つきでバターを塗っていく。

 表面にまんべんなく塗れたのを確認し、陛下が口をあけ歯を立てた。

 

「…………! これは……………」


 美味いな、と。

 陛下が少し驚いたように呟いた。

 お世辞ではないようで、見る見るうちにトーストが消えていく。


 良かった。

 満足していただけたようだ。

 美味しそうに頬張る陛下に、こちらも嬉しくなってくる。


 献上したのは、この世界では珍しいとはいえ、調理自体はごくシンプルなトーストだ。

 手軽に作れる、かなり単純な料理だが、きっと陛下にとっては貴重に違いない。


「温かいパンは、これほど美味いものなのだな…………」

「はい! 焼きたてのトーストは、それだけでとても美味しいと思います」


 ―――――――――――料理は基本的に、出来立てが一番おいしくいただけるものだ。

 

 当たり前の事実だが、陛下にはそれが難しい。

 私が持ってきた料理も含め、陛下が口にするものは、毒見を行い一定時間をおいたものがほとんどだ。

 

 安全のためには仕方ないが、どうしても料理は冷め、本来の味や香りは弱まってしまっている。

 陛下が望めば、温かく食べられるよう工夫させたり、温め直すこともできるだろうけど、陛下の食への無関心っぷりから察するに、そこまで手を加えているとは思えなかったのだ。


 それともあるいは、冷めた料理しか食べられなかったため、陛下は食への興味を失っていたのかもしれない。

 卵が先か、鶏が先なのか。

 私にはわからなかったけれど、少なくとも陛下にとって、温かい食事は久しぶりのようだった。


 温められ、ぬくもりと香りを取り戻したクリームスープを、陛下が口へと運んでいる。

 鶏肉と野菜のうま味が溶け込んだ、優しい味わいのスープだ。

 陛下の好物の鶏肉を使っていることもあり、スプーンが進んでいるようだった。


 スプーンへと開かれた唇と、上下する喉ぼとけに、思わずどきりとしてしまう。

 ただ食事しているだけで人目を惹く。

 それが陛下のカリスマ(?)なのかもしれなかった。


 陛下の目元がわずかに上気しているのは、スープの熱量を取り入れたせいだ。

 そう理解しているが、突き抜けた顔の良さのせいか、少し心臓に悪いのだった。


「陛下、よかったらトーストを、スープに浸してみてください。柔らかくなったパンが楽しめますわ」


 心臓を誤魔化すように、陛下へと声をかける。


「うむ。……………これもいけるな。スープが絡んで、口の中でしみだしてくるようだ」

「でしょう? 気に入っていただけ良かったです」 

 

 満足げな陛下へとほほ笑んだ。


 陛下に献上する料理について、結構迷っていたのだ。

 食に無関心な陛下の興味を惹くため、最初は目新しくインパクトがあり、なおかつ美味しい、そんな料理を作ろうかと思っていた。

 だからこそ、塩釜焼きにも挑戦してみたわけだけど、試行錯誤している途中に気づいたのだ。


 食材や調理法にこだわっても、毒見があるため、陛下の口に届く時には冷めてしまうことになる。

 もちろん、冷えてしまっても美味しい料理も多いけど、今回は発想を変えることにした。


 その場で手早く焼けるトースト。

 具材を細かく刻んだスープをその場で温め直し、すぐに召し上がっていただく。

 メルヴィン様に確認したところ幸いにも、金網くらいなら持ち込んでも大丈夫で、毒見した後の食材をそのまま加熱する程度なら問題ないようだった。


 そうして選ばれた、トーストとクリームスープの二品。

 どちらも特別凝った料理ではなく、教えられれば誰でも作れる、いわばありふれた料理だが、温かい状態で陛下に召し上がっていただけるのだ。

 それだけで、作ってみる価値はあるはずだった。


「温かいな……………」


 陛下の言葉に、私の心も温かくなる。

 陛下の呟きこそが、何よりの報酬なのかもしれないのだった。


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