73.ケイト様の尻尾
「お父様………」
おずおずと、父親であるガロン様へと声をかけるケイト様。
「私が小さい頃、お父様は私を可愛がってくださいました。なのに、私がお妃候補になってから接触が少なくなっていったのは、私に王妃たり得る資質があるか、測るためだったのですか?」
「……その通りだ。私がおまえに寄り添い、段取りを立ててやることは容易いが、いつまでも私に頼るようでは、王妃としては失格だからな」
「………つまり、私を思い、鍛えるためだったのですね。てっきり私、お父様に見限られていたのかと思いました………」
ケイト様が息をつく。
張りつめていた気が緩んだような、泣き笑いのような表情だった。
きっとケイト様は、そっけない態度のガロン様に、見捨てられたかもと思っていたのだ。
接触が減ったのが無関心ゆえではなく、愛情も含んだものだったため、安心したようだった。
「………おまえには、悪かったと思っている。おまえから離れたのは、おまえ自身の成長を促すためだが、おまえが成長せず王妃の資質無しと判断した時には、容赦なく王妃候補を退かせるつもりだったからな」
厳しい本音を、だが隠すことなく告げるガロン様。
娘のことは可愛いが、同時に公爵家の当主として国を思う、不器用だが誠実な方なのかもしれない。
もう少し、娘であるケイト様とシエナ様に上手く接しようがあったのでは………と思わなくはないけれど、私も私のお父様と長年すれ違っていたので、あまり人のことは言えない身だった。
「お父様のお考えを教えていただき、ありがとうございます。………お父様の目から見て、今の私は、王妃候補たり得ていますか?」
「………断言することは出来ないが」
ガロン様が、私へと視線をよこした。
「今までのおまえなら他人に、ましてや人間に頭を下げ助力を請うことは出来なかったはずだ。今回のマニラの日の会食でも、以前よりはずっと、感情が制御できていたように見えた。まだまだ未熟さも目立つが、ひとまずは及第点といったところだ」
「ありがとうございます‼」
表情を輝かせるケイト様。
嬉しくてたまらないと言った様子だが、徐々に落ち着き、真面目な顔になっていく。
「お父様の言葉は、とても嬉しいです。でも、だからこそ私は………次期王妃の座を諦めたいと思います」
「…………どういうことだ?」
ガロン様の眉間の皺が深くなる。
険しくなった雰囲気に震えながらも、ケイト様が言葉を続けた。
「私は今まで、自分の近くとシエナしか見えていませんでした。国への思いを口にし王妃の座を望んでも、視野がとても狭かったと、レティーシア様と過ごすうちに思い知らされたのです」
ケイト様がこちらを、そしてはるか遠くを見るようにして語り続ける。
「レティーシア様だけではありません。お人形のようだったナタリー様だって、実家との板挟みに悩みながらも自己を律していらっしゃるようですし、あの得体のしれないイ・リエナ様だって、その底の知れなさこそが一つの武器であると、今になってようやく、芯から理解することができたんです」
「ケイト様………」
声をかけると、どこか吹っ切れた様子のケイト様が唇を吊り上げた。
「もちろん‼ 私だってまだまだ成長途上、伸びしろの塊なんだもの!! 自分が誰より王妃に相応しいと自信が持てるようになったら、必ず王妃の座を掴んで見せるわ。今の私は、自分が王妃になるべきだとは思えませんから、一時的に他の方に譲るだけですから」
言い切ったケイト様が、父であるガロン様へと向き直る。
「ですからお父様、親不孝なお願いですが、わが一族から、次期王妃を出すことは諦めて欲しいのです。私にもシエナにも、王妃の肩書は重すぎると…………認めていただけますか?」
「……………」
黙り込むガロン様。
ケイト様が不安そうに、だが退くことなく答えを待っていた。
「ケイト…………本当に、見違えるほど成長してくれたのだな」
「‼ お父様、では―――――」
「あぁ、認めよう。何も、娘を王妃に付けることだけが、一族を守る道では無いからな。我ら一族の繁栄も、この国が健在であればこその望みだ。相応しき者が王妃になるよう、以後おまえは尽力するようにしろ」
「はい!! 精一杯頑張りたいと思います!!」
そう答え笑ったケイト様は、確かにガロン様の言葉通り、成長を遂げたようだった。
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ガロン様はその後、私を姉妹喧嘩に巻き込んでしまったことを改めて詫びた後、シエナ様を連れ去っていった。
シエナ様は呆然としながらも、『私があんな短気で、尾曲りのお姉さまに負けるなんて……』と呟いていたが、悪事が父親本人の前で暴かれた以上、抵抗する気力も残されていないようだった。
領地へと帰ったガロン様は、一族の者と今後の方針をすり合わせつつ、シエナ様の再教育に励むつもりだ。
ガロン様曰く『シエナは姉への対抗心で捻くれてしまったが、姉と同じように、元の気性はまっすぐな娘だ。一から叩き直し、今度こそ公爵家の娘としての矜持を身に着けさせるつもりだ』………らしい。
これにて姉妹喧嘩は一旦終幕となったわけで、一安心していると、ケイト様が声をかけてきた。
「レティーシア様、今回はたくさんのご協力をいただき、ありがとうございました。おかげで私も、…………そしてきっとシエナも、あるべき道に向かえるはずです。これからは感情を律し、たとえ罵られ尾曲りと馬鹿にされようと、冷静でありたいと思います」
冷静でありたい、とわざわざ口にするあたり、やはりシエナ様へのわだかまりは消えないようだ。
二人の関係については、肉親であるだけに複雑なのかもしれない。
…………それに一つ、少し気になったことがあった。
「ケイト様…………。尾曲りというのは、山猫族の方にとっては、言われたくない言葉なんですよね?」
以前から、気になっていたところだ。
初めて会った時のケイト様は、尻尾を隠すようにしていた。
その後、感情に反応して尻尾が見え隠れするようになったが、ケイト様が落ち着いている時の尻尾は、いつも体の後ろへと隠されていたのだった。
「…………えぇ、そうよ。だって、みっともないじゃない? すらりと伸びた尻尾に比べたら優雅さに欠けるし、まるで尻尾の途中で、骨折してしまったみたいでしょう?」
憎々しげに悔しそうに、ケイト様が呟いた。
獣人も人間も、顔に対する美醜の感覚に大きな違いはないが、尻尾と言う獣人に特有なパーツに対しては、獣人の間で独特な美的感覚があるようだ。
「馬鹿にしてくるのはシエナだけじゃないわ。公爵令嬢のくせに貧相な尻尾だって、陰で笑ってる奴も多かったわ。だから私、そんな奴らに負けないよう、堂々と強気でいようと思ったわけだけど………」
ケイト様が言葉を濁し、唇を噛んだ。
それで空回りして、刺々しい雰囲気を見せることが増えてしまったということかもしれない。
そう考えると常に強気で、それでいて不安定なケイト様の様子も納得だった。
「私だって、できたらシエナやお父様のように、真っすぐな尻尾に生まれたかったわ………」
「真っすぐな尻尾、ですか」
「えぇ、そうよ。レティーシア様だって、私の尻尾、見苦しいとお思いでしょう?」
「いえ、思いませんわよ? だって私、人間ですもの」
「えっ?」
ぽかんとするケイト様。
「…………どういうことよ?」
「言葉のままの意味ですわ。ケイト様は、今まで人間の方と接したことが少ないから、気づけなかったのかもしれませんが、人間の感覚ですと、尻尾の先端部が曲がっていても、そういうものなんだな、くらいにしか思わない人が多いと思います」
「そういうもの…………。私が今まで悩んでたのが、そういうもの程度の扱いで、すまされると言うの………?」
力が抜けた様に、あるいは解放されたように、ケイト様が肩を落としていた。
彼女の苦悩を私は共有できないけど、獣人以外の視点を教えることは出来るはずだ。
「……………見る相手が変われば、扱いも変わってくるものです。ものの見方が異なるせいで争うこともありますが、決してそれだけじゃないと思うんです。山猫族の方の価値観を否定するつもりはありませんが、それが絶対で無いと思えれば、世界が広がるはずですから」
ケイト様は自身でもおっしゃっていた通り、前へ前へと進もうとするあまり、視野が狭くなりがちな性質のようだった。
そんな彼女が、少しだけ息がしやすくなればいいと、そう思ったのだった。
「少なくとも私は、ケイト様の尻尾、揺れるたびに先端の表情が変わって魅力的だと思いますよ?」
「………………本当に?」
「本当です」
断言すると、ケイト様が顔を背けた。
「人間なのに、尻尾を褒めるなんて、変な方ですわね」
言いつつも、ケイト様の先の曲がった尻尾は、嬉しそうに揺れていたのだった。




