68.マニラの日
マニラの日までは、あっという間に過ぎていった。
私もそれなりに忙しかったが、ケイト様と配下の料理人は、それはもう殺人的な忙しさだったに違いない。
「でも、そのおかげでどうにか間にあったようね」
ルシアンに手を取られ、馬車からケイト様の離宮前へと降り立つ。
今日私は、打ち合わせ通りケイト様に招かれていた。
マニラの日が上手くいくか、見届けたかったのもあるけれど――――――――
「あら、レティーシア様じゃないですの」
どこか不機嫌そうな声が背後からかかる。
美しく着飾った、だが本性までは隠せていないシエナ様だ。
ケイト様の異母妹である彼女もまた、招待客なのだった。
「意外ですわ。レティーシア様は、聡明な方だと思っていましたから」
「おほめ頂きありがとうございます」
「…………何を考えていますの?」
私の横に立ったシエナ様が、声を潜め問いかける。
「レティーシア様がこのところ、異母姉とやり取りをしていたのは掴んでいます。何か企んでらっしゃるようですけど、無駄だと思いますわよ? マニラの日は、わが領地の特産品である、塩を用いた料理を食べるのが習わしです。よそ者であるレティーシア様が新しい塩料理を入れ知恵したところで、我が領地の料理人の域に迫ることは不可能ですもの」
「よそ者だからこそ、思いつくこともあると思いませんか?」
「付け焼刃にしかならないのでは?」
「さぁ? 結果は、もう間もなくわかるはずですわ」
食堂へとたどり着く。
扉が開かれると、そこには―――――――
「レティーシア様、ごきげんよう。本日はようこそいらっしゃいました」
「ごきげんよう。お互いの離宮以外でお会いするのは、久しぶりですね」
「あらぁ、今日も可愛らしいわね。子猫ちゃんと二人でくるなんて、仲良しなのかしら?」
順番にケイト様、ナタリー様、そしてイ・リエナ様に挨拶を向けられる。
「え……? どうして他のお妃候補が、こんなところにいるんですか……?」
シエナ様が固まっている。
「あらシエナ、いらっしゃい。今日はよく来てくれたわね」
「‼ お姉さま‼ どういうことなんですの!? マニラの日に、他のお妃候補を招くなんて、聞いてません!!」
「何か問題があるかしら? マニラの日は、大切な相手を招きもてなす日。ナタリー様やイ・リエナ様は私と同じ公爵令嬢で、ともにこの国の未来を担う仲間でしょう?」
しれっと言い放つケイト様。
打ち合わせ通りだった。
マニラの日は、この手の客人をもてなす行事の例にもれず、招待する客人の顔ぶれが、招待主の格に直結する。
よって、私やナタリー様達を招待できたケイト様の格も、自ずと上がるはずだった。
私としても、あくまでケイト様側からの招待に応じる形になるので、対外的にはケイト様の陣営と見なされることも無いはずだ。
そしてナタリー様にとっても、ケイト様の招待を受ける利点がある。
次期お妃になる目がほぼ無いナタリー様にとって、現在の最有力候補であるケイト様と親交を深められるのは大きい。
人間と獣人ということで溝があったが、今日この場では二人の利害が一致し、歩み寄ることになったのである。
この話を私がナタリー様に持ち掛けた時、ナタリー様は少し考え、頷いてくれた。
シエナ様とその支持者の獣人は、ケイト様以上に人間と距離が遠い。
そんなシエナ様が次期お妃になる可能性を、下げたいからに違いなかった。
ナタリー様の同意を得た後、次に私とケイト様は、イ・リエナ様に招待状を送った。
イ・リエナ様の腹の内は読めないが、表立って波風を起こすことは望んでいないはず。
私とナタリー様が出席を決めたと伝えたこともあり、私たちの様子をうかがうためにか、出席の返事をもらうことができた。
そして目立たないが、もう一人。
南の離宮に住まうお妃候補、黒髪のフィリア様の姿もここにある。
彼女は基本、来るもの拒まず、去る者追わずの姿勢らしいので、招待に応じてくれていた。
これでケイト様は、お妃候補3人を招けたことになる。
マニラの日の客人としては、申し分ない顔ぶれだ。
これで直前のごたごたも帳消しにし、シエナ様の思惑をくじく一助になると思いたかった。
間近で顔を合わすのは初めてのフィリア様と挨拶しあっていると、食堂の扉が開く。
ケイト様とシエナ様に緊張が走る。
二人の父親であり、二人の運命を握る公爵家当主、ガロン様だった。
山猫、いや、大山猫といった風格の中年男性だ。
髪の色はシエナ様に似た薄茶、釣り気味の瞳は、ケイト様に似ている気がした。
ガロン様を迎え、その後数人の招待客を迎えたら、いよいよ会食が始まる。
席につく私たちの前へ、いっせいに料理が運ばれてくる。
ナタリー様ら3人が招待客に加わり、より厨房は忙しくなったものの、ぎりぎりキャパシティは足りると聞いていたから、大丈夫なはずだった。
まず並べられたのが、葉野菜に大粒の塩がふられたサラダだ。
シンプルな品だが、口を休める料理としてはちょうどいい。
そしてその隣に、ふっくらと焼き上げられた表面に、塩がまぶされた丸いパンが置かれる。
生地にも塩が練り込まれ、バターの甘さを塩気が引き立てるが、こちらもサラダと同じく、ケイト様の故郷ではよく食べられている料理だ。
今日の本命、私の提案した新作料理は最後の一つだ。
運ばれてきたそれを見て、誰かがぼそりと呟いた。
「大きな、塩の塊…………?」




