64.いっちゃんもナタリー様もかわいいです
「うーん…………」
まぶたを透かす陽の光に、私はもぞもぞと体を動かした。
目をこすりつつ、寝台から身を起こそうとしたところで、
「…………重たくない…………?」
寝ぼけ眼で周りを見渡す。
ここのところずっと、目覚めは胸の上にのっかるいっちゃんの重さと共に訪れていた。
珍しいなと思っていると、こちらに背を向けるいっちゃんの姿が目に入る。
苺の鉢植えを前に、いっちゃんの背中が哀愁を漂わせている…………ような気がした。
「いっちゃん…………」
「………うにゃぅにゃ…………」
鳴き声にも力がなく、どこか切なそうだった。
いっちゃんの前の苺の鉢植えは、全て果実が収穫されてしまっている。
春の女神が過ぎ去り、季節は初夏へと差し掛かっている。
鉢植えの苺は旬の終わりを告げ、それは離宮の外の苺畑も同じだった。
庭師猫のいっちゃんの魔力があれば、春以外でも苺を育て食べることは出来るとはいえ、一日に使える魔力に限りがある以上、収穫できる量はぐっと減る。
苺に人生ならぬ猫生をかけているいっちゃんにとっては、受難(?)の季節なのだった。
「いっちゃん、落ち込まないで。ジャムにしたものがあるから、しばらくもつはずよ」
しゃがみこみ、いっちゃんの頭を撫でてやる。
掌におさまるほどの、小さく丸っこい頭だ。
「それに、厨房には昨日収穫した、最後の旬の苺があるわ。旬の締めくくりに、今日はたくさん苺料理を作る予定よ」
慰めるも、いっちゃんの表情は晴れなかった………ような気がする。
大丈夫だろうかと心配しつつ、身支度をして厨房へと向かったところ―――――――――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「にゃっにゃにゃにゃにゃにゃっ‼」
訳:ここが楽園にゃんですね!!
…………といった感じだろうか?
並べられた苺料理の数々に、いっちゃんのテンションは鰻登りだった。
ショートケーキに苺シフォン、シンプルに練乳をかけたものに苺クッキー、苺ジャムのサンドイッチに、クッキー生地の香ばしい苺タルト。
今年の苺料理の集大成ともいえる、私とジルバートさん達が作ったお菓子たち。
苺料理を取り分けいっちゃん専用の皿に置いてやると、瞳を輝かせマイフォークを動かしていた。
ひげにクリームがつくのも気にせず、小さな口でショートケーキへとかぶりついている。
「かわいいっ…………!!」
ナタリー様が身もだえている。
口元が緩んでいて、それは私も同じだった。
いっちゃんはいつも可愛らしいけど、苺料理を頬張る姿は更に破壊力が増している。
幸せそうな見事な食べっぷりは、料理したこちらまで嬉しくなってくる。
によによしつつ、私用の苺タルトにフォークを入れた。
爽やかな苺の甘酸っぱさと、もったりとしたカスタードクリームが、クッキー生地に染み込んでいる。
ナタリー様も、いっちゃんの姿に目を細めつつ着々とタルトを食べていた。
以前出した苺クッキーが好評だったから、今日招待してみたのだ。
口にあったようで、頬を緩めてフォークを進めている。
「甘酸っぱくて、とても美味しいです! いっちゃんが夢中になるのもわかります………!」
「ふふ、ありがとうございます。気に入っていただけてよかったですわ」
「レティーシア様のおかげですね。魔物の宝石と形が似ているからと、食わず嫌いをしていたのがもったいないです。レティーシア様はどこで、苺料理に目覚められたんですか?」
「昔、本で苺のおいしさを記した文章を読んだことがあったの。それで気になっていて、偶然口にしたら甘酸っぱくて美味しかったから、料理してみたいと思ったのよ」
「確かにこの甘酸っぱさは、一口食べたら虜になりそうですね」
頷くナタリー様に、私はふとした疑問を覚えた。
私、なんで苺が好きになったんだっけ?
今ここにいる『私』ではなく、前世の「わたし」であった時の話だ。
果物の中では、苺が一番好きなわたしだったけど、どんなきっかけで好物になったのだろうか?
気になり、少し思い出そうとしたが、何も記憶が浮かんでこなかった。
日本で生まれ育ち、気づいた時にはもう、苺を気に入っていたということだろうか?
よくある話だろうけど、何かすっきりしなかった。
その日寝台に潜り込んだ後も前世の記憶をさらってみたが、やはり思い当たることがない。
おかしなことではないとはいえ、なんとなく引っかかる気がした。
「それに前世の「わたし」の名前も、なんだったのかしら………?」
うとうととしながら、あてどなく思考を巡らせた。
前世の記憶に目覚めて以来、いくどか前世のわたしの名前を思い出そうとしてみたが、やはり浮かんでこなかった。
漢字で2文字、読みで3文字の名前だった気はなんとなくするが、確証は全くなかった。
「カピ子…………いや、そうじゃなくて……………なくて…………ジロー………」
眠りに落ちる寸前に思い浮かんだのは、もう会えない愛犬の姿なのだった。
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「ジロー………」
もっふりとした毛皮を撫でながら呟いた。
昨晩、前世の記憶を掘り起こしたせいかジローを思い出し、唇から名前がこぼれ落ちた。
ジロー、元気でやってるかな?
お爺さん犬だったから、日本の夏が体にこたえていないといいのだけど――――――――
「ぐうぅっ…………?」
どことなく不機嫌そうに、ぐー様が手元で鳴き声をあげる。
その声に、私ははっとしぐー様の顔を見た。
「ごめんごめん。つい、上の空になっていたわね」
お詫びの印に、指の腹で柔らかく首をかいてやる。
ぐー様の温かい体温にジローを思い出し、無意識に名前を呼んでいたようだった。
せっかく最近、きまぐれにだがぐー様が撫でさせてくれるようになったのだ。
貴重な機会を逃すまいと撫で心地を堪能していると、一つ思い出すことがある。
……………柴犬って、犬の中で一番狼に近い種類だって説もあるんだっけ。
言われてみればピンと立った耳も、愛らしさの中に凛々しさがある顔立ちも、柴犬は狼に似ているのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えつつ、ぐー様とのもふもふタイムを楽しんでいたわけだけど―――――――
「レティーシア様!」
離宮の方から慌てて私を呼ぶ声に、ぐー様が耳をぴくりと動かしたのだった。




