63.祝福であり呪いであり
陛下の忠告を受けた後、私はメルヴィン様に見送られ馬車へと向かった。
「メルヴィン様、本日はありがとうございました」
「…………私は特に、感謝されるようなことはしていないはずですが?」
メルヴィン様が首を傾げていた。
演技だろうか?
とりあえず、理由を説明し感謝を伝えておくことにする。
「今日、陛下にサンドイッチを献上するよう提案してくださったのは、メルヴィン様でしょう? おかげで、陛下の食の好みを知ることが出来たのです」
最初からこうなることを見越して、サンドイッチの献上を勧めてくれたように思えた。
メルヴィン様がサンドイッチを見たのは、昨日が初めてのはずだ。
なのに何故サンドイッチを推していたのか、少し不思議だったが、陛下の好みを私に知らせるためと考えれば納得だ。
メルヴィン様は初見で様々な具を挟めるサンドイッチの性質を把握し、すぐさま活用している。
尊敬と感謝の気持ちを伝えると、メルヴィン様が微笑んだ。
「そういう捉え方も、あるかもしれませんね。ですが、その好機をつかみ取ったのは、レティーシア様のお人柄と工夫があってのことです。感謝の言葉は、私にはもったいないと思います」
はぐらかすように、流暢に言葉を続けるメルヴィン様。
美しいが、捉えどころのない微笑みだった。
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執務室の椅子に腰かけたグレンリードは、虚空へと瞳を向けた。
『陛下はとても勘の鋭い、観察力に優れたお方なのですね』
尊敬のまなざしを向けてきたレティーシアの姿を思い出す。
聡明な彼女に褒められ、悪い気はしない。
悪い気はしないが、だからこそ少し、居心地が悪い気がした。
「私は、そんな大層な人間ではないからな………」
グレンリードは呟いた。
卑下でも謙遜でも無く、グレンリードにとってはただの事実だ。
シエナの本性を僅かな接触で見抜いたこと。
﨟長けたイ・リエナの吐いた『嘘』に気づいたこと。
称賛されるべき事柄かもしれないが、グレンリードの場合は事情が異なった。
グレンリードだけが感じられる、『匂い』のおかげで気づいたからだった。
「観察力や洞察力の賜物ではなく、ただ鼻がいいだけだからな………」
グレンリードは、王家の祖である狼の精霊に変じることのできる先祖返りだ。
狼への変化能力など、只人にはないいくつかの能力を有しており、特殊な嗅覚もその1つだ。
その感覚を確かめる様に、グレンリードは息を吸い込んだ。
嗅ぎなれた自室の匂いに、異質な匂いが混じっている。
発生源は、レティーシアが土産にと置いていった、サンドイッチの詰められたバスケットだった。
「あいかわらず、妙な匂いがするな…………」
他では嗅いだことの無いその香り。
それはレティーシアの香水や、あるいは体臭といったものではなかった。
詳しくはグレンリード自身もわかっていなかったが、どうも物質的なものではないらしい。
形なきもの。
人の心や精神―――――――――あるいは魂といった何かを、グレンリードの鼻は嗅ぎ分ける。
不可思議なその感覚は、あえて言うなら嗅覚に近いので、『匂い』と表現しているだけだった。
グレンリードの生まれた王家には、稀に先祖返りが生まれていた。
先祖返りの多くは国王となり、おおむねその治世は栄えていたようだった。
「もっとも、それも当然なのかもしれないがな………」
相対した人物が、どれほど言葉や表情に気を配っていようと関係ない。
『匂い』によってその嘘や本性を見抜く、理不尽ともいえる能力を持っているのだ。
『匂い』の察知能力が万能ではなく、嘘を見破ることもできないことも多かった。
だが逆に、『匂い』が相手の嘘や裏切りを伝えてきた時、予想が外れたことは決してない。
それだけで王族にとっては、途轍もなく有用な能力のはずだった。
グレンリードだって、若くして玉座に上って以来、その能力の恩恵を大いに受けていた。
一国の命運をあずかる以上、『匂い』を活用することに躊躇はなかったが――――――――
「ある意味、ズルをしているようなものだからな………」
この特殊な嗅覚は、グレンリードが生まれつき備えていたものだった。
生来の才能を使うのは当然だという考えと同時に、心の隅に少しだけ。
後ろめたさと、かさぶたとなった過去の傷があるのも事実だった。
「先祖返りは恩恵であり祝福であり、同時に呪いなのかもしれないな…………」
もし、自分が先祖返りでは無かったとしたら、どんな人生を歩んでいたのだろう?
父母との関係や、父亡き後の王冠の行方だって、変わっていたのかもしれない。
優秀で自分を可愛がってくれていた異母兄の運命だって、別物になっていたはずだ。
後悔と悲しみと感傷。
とうの昔に封をしたはずの感情が、腹の底で蠢き出す。
グレンリードが過去に囚われかけた時、鼻先をかすめる『匂い』がある。
匂いに刺激されるように、金の髪とアメジストの瞳が思い浮かび、グレンリードの思考を現在へと連れ戻した。
彼女は既に去ってしまったが、その残り香ともいうべきものは、サンドイッチに存在していた。
どうも彼女は、配下の料理人に任せるのではなく、自分自身でサンドイッチを作ってくれたらしい。
そのせいか、本人がいなくても残り香が漂うほど、サンドイッチにも匂いがついていたようだった。
「私のために、自ら作ってくれたのか………」
言葉にすると、不思議と心が安らいだ。
何故だろうと思っていると、嗅ぎなれた匂いが近づいてくる。
レティーシアを見送りにいっていたメルヴィンが、帰ってきたようだった。
メルヴィンは執務室へと入ると、サンドイッチに目を付ける。
「レティーシア様のお土産ですね。私も一切れ――――――」
「却下だ」
腹心の手が伸びる前に、サンドイッチの入ったバスケットを引き寄せる。
「これは私の夜食だ」
「………陛下、食欲に目覚めすぎでは? 歓迎いたしますけどね」
「人聞きの悪いことを言うな。おまえの方こそ、毒見と称して何切れも食べていただろう?」
レティーシアの立場的に、それに人格的にも、毒を盛るとは考えにくい。
だが万が一ということもあるため、グレンリードの元に来る前に、簡単な毒見がされていた。
メルヴィンは本来、そのような役割は担当していないが、今日は自ら立候補していた。
レティーシアにはあらかじめ、料理を一種類につき2つずつ用意するよう伝えている。
グレンリードと顔を合わせる前に、無作為にサンドイッチを一つずつ選び、メルヴィンが簡易的な毒見を行っていた。
「レティーシアにサンドイッチを持ってくるよう伝えたのは、毒見と称しておまえが食べたかったからではないだろうな?」
「まさか、そんなわけないじゃないですか?」
曖昧な笑みを浮かべるメルヴィンだが、グレンリードの鼻は誤魔化せない。
嘘をついているようだった。
「本当ですよ。それだけではない、というのが正しいでしょうかね?」
…………嘘ではないようだが、その真意までは読めなかった。
便利なようで制限のある、グレンリードの鼻の限界だ。
「…………まぁいい。このサンドイッチは私のものだからな」
長年の付き合いながら心の内をとらえきれない腹心に宣言し、グレンリードはサンドイッチを独占したのだった。




