60.穴があったら埋まりたい。むしろ掘りたい。
ハンスさんの手にしたサンドイッチに鼻先を寄せるぐー様。
食べたいのだろうか?
ぐー様が食べ物に興味を示すのは珍しいことだ。
以前、狼番のエドガーさんが狼たちに、ご褒美代わりの干し肉を与えていることは何度かあった。
だが、その場に居合わせたぐー様は特に反応することも無く、
『私は肉で釣られる安い狼ではないのだ』
と言わんばかりに落ち着いた態度のままだった。
今のように、積極的に食べ物に近づいていく姿は初めて見る。
「あっ、食べた」
ぐー様がテーブルの上へと首を伸ばす。
狙いは、大工たちのお代わりようにと取り分けておいた、誰のものでもないサンドイッチだ。
理解して選んだのなら、相当頭がいいようだ。
ぐー様が口にした、香草入りの薄焼き卵とチーズを挟んだサンドイッチ。
玉ねぎなど、狼や犬に毒性のある具材は入っていないはずだ。
忙しい料理人たちを手伝い、私自ら作ったものだから間違いない。
くわえたサンドイッチを、器用にかみ砕くぐー様。
咀嚼しながら碧色の瞳を細める姿は、まるで料理を味わう人間のようだ。
大きな口にみるみるパンと具材が消え、あっという間に食べつくしてしまったようだった。
「ぐうぅっ」
「…………足りないの?」
お代わりをよこせとばかりに、私とテーブルの上を交互に見るぐー様。
………どうしよう?
ついぐー様の勢いに負け、サンドイッチを一切れ食べられてしまったけど、追加であげるのはやめた方がいい気がする。
狼番の人たちに許可を得ず、これ以上食べ物をあげるのはためらわれる。
ぐー様からの圧力を感じつつ迷っていると、背後から足音が聞こえた。
「ぷ、くくっ…………まったく、何をやってるんですか………」
グレンリード陛下の腹心のメルヴィン様だ。
甘い空色の瞳を細め、愉快そうに笑っていた。
ぐー様相手に戸惑っている私の姿が、おかしかったのかもしれない。
「違いますよレティーシア様。あなたのことを笑ったわけではありません」
内心を言い当てられ、一瞬ぎくりとする。
陛下に重用されているだけあり、鋭い青年のようだった。
「私が笑みを浮かべたのは、そちらの狼、ぐー様に対してです。いつも人前では凛々しいのに、今のその姿はなかなかに見ものですね、っと」
言葉を切り、メルヴィン様がひらりと半歩後ずさる。
不機嫌そうに唸るぐー様から、距離を取ったようである。
どことなく慣れた様子、一人と一匹の距離感だった。
「メルヴィン様は、ぐー様のことをよくご存知なのですね」
「付き合いが長いですからね」
「長い付き合い、ですか…………」
ならばと、一つ疑問をぶつけてみることにする。
「では、ぐー様の両親や兄弟がどこにいるのか、ご存知でしょうか?」
エドガーは幼い頃、ぐー様によく似た碧色の瞳の銀狼に助けられたらしかった。
その狼の手がかりになるかもと、聞いてみたのだったけど。
「その点に関しては、私からはお答えできませんね」
「………そうですか」
ぐー様、やはり何かわけありなのだろうか?
過去や家族のことが気になったけど、これ以上情報を引き出すのは難しそうだ。
穏やかな笑みを浮かべるメルヴィン様だけど、イ・リエナ様や私のお兄様と同じ匂いがする。
笑顔は鎧であり刃。
一筋縄ではいかない相手のようだった。
「メルヴィン様は、今日はどのようなご用向きでこちらへ?」
「陛下が明日の夜には時間が作れるとの事でしたので、お誘いの手紙をお持ちしました」
「まぁ、ありがとうございます。メルヴィン様自ら、このような辺鄙な離宮に足を運んでいただき、申し訳ありません」
「お気になさらず。この離宮を与えたのは陛下ですし、目的はそれだけではありません。ちょうど狼番から、ぐー様がこちらの離宮に来ていると聞いたので、久しぶりに顔を見に来たんですよ」
「そうだったんですか………」
メルヴィン様の視線を追うようにして、ぐー様を見る。
バツの悪そうな、どこかいじけたような様子で、こちらに背を向けて座っていた。
ぴくぴくと耳が動いているので、こちらの会話が気になっているのかもしれない。
「ぐー様、少し意地悪なところもあるけど、優しく可愛らしい子ですよね」
「…………可愛らしい」
復唱するメルヴィン様が、笑いをかみ殺すような表情をしているのは気のせいだろうか?
「はい。私の気持ちに寄り添い、豊かなその毛皮を撫でさせてく―――――――――――きゃっ?」
『それ以上言うな!!言うなったら言うな!!』
頭突きをするように、ぐー様が私に突進してきた。
手加減してくれているのか痛くはなく、体に当たるもふもふの毛皮が気持ちいい。
「ふふ、ずいぶん懐かれてるようですね」
「そうでしょうか?」
「ぐー様は気に入らない相手には、近づくことさえ許しませんからね」
メルヴィン様の言葉に、思わず頬がにやけそうになる。
気難しいぐー様に、少しでも心を許してもらえたなら嬉しかった。
そんな私の思いが伝わったのか、ぐー様も頭突きを止めこちらの顔を見ている。
「メルヴィン様、ぐー様たち狼にこの料理、サンドイッチをあげても大丈夫か、狼番のモールさんや、責任者の方に聞いていただけないでしょうか?」
「承知いたしました。………そのサンドイッチですが、明日陛下の元にも持参してもらえないでしょうか?」
「陛下に?」
少し意外な依頼だ。
サンドイッチの味にはそれなりに自信があるけれど、大工たちに出した料理と同じものを、国王である陛下にお出ししても大丈夫なのだろうか?
そんな私の疑問に、聡いメルヴィン様はすぐ気づいたようだった。
「大丈夫です。陛下はそのようなことは、気になさらないお方です。もし不興を買ったら、サンドイッチを勧めた私の名前を出していただければ大丈夫です」
「…………陛下にお楽しみいただけるよう、腕を揮いたいと思います」
これは気合いを入れて作らないとね。
手を抜くつもりはなかったけれど、メルヴィン様に駄目押しをされてしまった。
メルヴィン様の言葉は誠実で親切だが、同時に私にプレッシャーをかけるものでもある。
どこまで狙っているかはわからないけど、やはり食えない相手なのかもしれなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………穴があったら埋まりたい…………」
国王の自室にて、グレンリードは額に手を当て呟いた。
レティーシアの離宮で晒した醜態を思い出すと、うなだれずにはいられない。
今日は昼前の仕事が、予定より早く終わっていた。
なので昼食までの暇つぶしにと、レティーシアの監視へと向かったのだったが、
「まさか陛下がああも食べ物に興味を示すとは、意外でしたよ」
「……………」
愉快そうなメルヴィンに、反論することは出来なかった。
昼食前で空腹を覚えていたのは事実だ。
だが自分はそもそも、食全般への欲求が薄かった。
狼の姿に変じ本能の勢いが増そうと、今までは食欲に負けたことは無いはずである。
今日だって最初は、何やら若く見目の良い男と話すレティーシアの姿が気になったのが発端だ。
会話内容が気になり、気づいた時には二人の間に割り込むようにして距離を詰めてしまっていた。
そうして近づいた時、サンドイッチに急に心惹かれたのだ。
グレンリードの特殊な嗅覚により、そのサンドイッチはレティーシアの作ったものだとわかった。
………彼女の作る料理に、心惹かれている自分がいるのは認めよう。
だがだからといって、ああも行儀悪く食らいつくとは、人間の自分のプライドが許容できないのだった。
「…………やはりここは、自ら穴を掘り埋まるべきか?」
「狼の姿に化ければ、穴掘りも楽かもしれませんね。私も手伝いましょうか?」
「…………自らが埋まる穴を掘りたいとは、奇特なやつだな」
「え、陛下、私も埋めるおつもりなんですか?」
「先ほどの私の姿を見ていただろう?」
「横暴です。証拠隠滅のために道連れなんて暴君ですよ」
半ば本気でメルヴィンと会話を交わしつつ、グレンリードは遠い目をしたのだった。
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