57.猫と狐
けたたましい音を立て、皿に叩きつけられたカトラリー。
その残響も消えないうちに、ケイト様は勢いよく席を立った。
「あいつっ!! ふざけないでっ!!」
「ケイト様」
「待ってなさい!! すぐに本物の料理を――――――」
「ケイト様!! お待ちください!!」
今にも食堂から出ていこうとするケイト様の腕を掴んだ。
「何するの⁉ 離しなさいよ!!」
「落ち着いてください。まずは座って――――――」
「そんな場合じゃないわ!! どいてちょうだい!!」
「きゃっ⁉」
力任せに振りほどかれ、よろめく。
ケイト様と私に大きな体格差は無いが、獣人は人間より身体能力が高かった。
種族による筋力の差は大きく、思わず私は体勢を崩してしまう―――――――――――フリをした。
振り払われたのは本当だが、こうも派手によろめき、悲鳴を上げたのは演技だ。
いっそわざとらしい程だったが、ケイト様がはっとし、慌てて私の腕をとり支えた。
強く掴まれた腕が痛かったけど、ケイト様の思いは伝わった。
相手が初対面で人間の私であっても、目の前で怪我をしそうにしていたら助けようとしてくれたのだ。
咄嗟の親切に打算は感じられず、おかげで私は、ケイト様を引きとどめることに成功した。
「ケイト様、ありがとうございます」
「…………無理に振りほどこうとして、悪かったわね」
ばつが悪そうに、でもきちんと謝れるケイト様は、いい子だと思う。
先ほどから口調がやや崩れており、慌てたせいで地が出ているようだった。
「こちらこそ、強引に引きとどめようとしてすみません。でも、少し待ってもらいたいのです」
「…………どうしてよ? レティーシア様だってあの、塩辛すぎるお肉は口になさったんでしょう?」
「はい。とても美味しかったです」
「え?」
ケイト様がぽかんとした顔を晒す。
「あなた、正気? 普段、塩を豊富に使った料理を食べている私だって、とても食べれた代物じゃなかったわよ?」
「でも、美味しかったです。イ・リエナ様も、そう思われたでしょう?」
「ふふっ、塩がふんだんに使われていて、美味しかったですわね」
私の言葉に、イ・リエナ様も乗ってきた。
どうやら彼女も、私と同じ方針のようである。
「あなたたち二人とも、舌は大丈夫? まさか、どこか体が悪くて、味が感じられないの…………?」
困惑し気遣いだすケイト様に、こちらの意図を説明することにした。
「美味しかった…………ということにしませんか? 思わずえずいてしまいそうな、塩辛い料理など無かった。ケイト様とイ・リエナ様が招いてくれたこの場に、そんな料理は相応しくありませんもの」
「それは………………そうね」
ケイト様もこちらの意図を察し、納得したようだ。
客人をもてなす場で、とても食べられたものではない料理が出されたとしたら、それは酷い侮辱だ。
そこにどんな裏事情があろうと、招待主であるケイト様とイ・リエナ様の評判は落ちるに違いない。
だからこそ、全てを無かったことに、塩辛すぎる料理など無かったことにしようというのが、私の提案だった。
食堂を出ていこうとするケイト様を引きとどめたのも、騒ぎをこれ以上大きくさせないためだ。
下手人には腹が立つが、ケイト様の乱心ぶりを見るに、彼女も巻き込まれた側なのは察せられた。
これでもし、ケイト様の行動が全て演技だとしたらたいした女優だ。
彼女に塩辛い料理を出す動機は無さそうだし、その可能性は除外することにする。
「…………レティーシア様、ありがとうございます。ついカッとなり、傷口を広げてしまうところでした」
猫耳を倒し、しゅんとするケイト様。
彼女は彼女なりに、自分の感情的になってしまう性格を恥じているようだった。
「おかげで助かりました。犯人は………少なくとも直接の下手人は、必ず捕まえ締めあげますわ」
「ケイト様、その点ですが一つ、頼みごとをできますか?」
「………何でしょうか?」
「シエナ様――――――ケイト様の妹君に、一度お会いさせてもらえませんか?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「失礼いたします。シエナですわ」
部屋に入ってきたのは、薄茶の尻尾を揺らした猫耳の令嬢だ。
楚々とした足取りで、柔らかな笑みを浮かべている。
あまりケイト様には似ていない、彼女の異母妹だった。
「本日はレティーシア様にお目通り叶い、ありがたいことですわ」
異母姉であり本日の食事会の主であるケイト様の紹介を待つことなく、私へと向き合うシエナ様。
その態度はそのまま、自分こそがこの離宮の真の主だとでも言わんばかりの振る舞いだった。
「私も嬉しいわ。急な呼び出しにも関わらず、よくいらっしゃいました」
「レティーシア様たってのお望みと聞きましたもの。私は姉を助けるため、この離宮に滞在していましたから、幸運です」
「姉を助けるため? ふざけないでくれるかしら?」
怒りをあらわにするケイト様。
しかしシエナ様は狼狽えることも無く、穏やかに微笑むだけだった。
「シエナ様、お近づきの印に一つ、贈りたいものがあるのですが、よろしいですか?」
「えぇ、もちろん‼ 光栄なことで――――――――――」
シエナ様の表情が引きつった。
尻尾もぶわりと膨らんでいる。
彼女の視線の先にあるのは、私が口をつけた部分を綺麗に取り除いた、塩気の強すぎる肉料理の皿だ。
「レティーシア様? それはなんの冗談でしょうか? そちらの一品は、本日の食事会のため、用意されたもののはずでしょう?」
「えぇ、その通りです。とても美味しかったので、シエナ様も一口どうですか?」
「………遠慮しておきます。今日は少し、胃がもたれていますので」
緩やかに首を振るシエナ様。
いきなり呼び出され、客人用の料理を差し出されたのだ。
拒否しても無理はない状況だったが…………どうもそれだけでは無さそうだ。
私の差し示した肉料理を見た一瞬、シエナ様によぎったのは困惑ではなく、『こんなマズイもの食べられるわけないじゃない』と言わんばかりの嫌悪感も露な表情だった。
料理を薦められただけにしては、不自然なその反応。
十中八九、シエナ様はあの料理が塩辛すぎることを知っている。
つまり彼女こそが、あの料理の狂った味付けを指示した一人に違いない。
ケイト様もそれに気づいたようで、毛を逆立てるようにして異母妹に食い掛った。
「シエナ‼ やっぱり犯人はあなただったのね!!」
「お姉さま、急に叫ばないでください。何を仰っているのですか?」
「この塩辛すぎる料理を作らせた犯人よ!! 私の足を引っ張るつもりだったんでしょう!?」
「いきなり何を言うのですか? 人を犯人扱いするなら、証拠はあるのですよね?」
「今あなた、料理を食べようとしなかったじゃない!!」
「それだけですか? そんな言いがかり、成立するとお思いですの?」
「…………っ!!」
ケイト様が黙り込む。
この辺り、ケイト様達の陣営の事情が察せられるようだった。
次期王妃候補として選ばれたケイト様だが、身内は決して一枚岩ではないらしい。
配下の掌握も不十分で、どの料理人が誰の指示で、塩辛すぎる料理を作ったか、断定するだけの自信は無いようだった。
「お姉さま、私に罪をなすりつけるのはおよしください。今日の食事会の主はお姉さまとイ・リエナ様です。何が起ころうとも、責任を被るべきはお二人だと、そうレティーシア様もお思いになるでしょう?」
「えぇ、その通りね」
腹の黒い――――――――だが、底の浅いシエナ様へと笑いかける。
「今日の料理は、とても美味しかったです。全ては招待主である、ケイト様とイ・リエナ様のおかげですわね」
「…………何を仰っているのですか?」
「何かおかしなことでも言ったかしら? ケイト様にとってはやや塩気の多いように感じた料理も、私やイ・リエナ様の口にはあいましたもの」
だから、ケイト様の落ち度を問うつもりは無いと、言外に言ってのける。
私の意図が伝わったのか、シエナ様が一瞬顔を歪めた。
………あぁ本当に、底が浅い。
シエナ様は品良く振る舞っているつもりのようだが、半分だけとはいえケイト様と血が繋がっているせいか、ところどころ隠し切れない感情をのぞかせていた。
先ほど私が差しだした一皿だって、シエナ様は拒否せず食べるべきだった。
そうすれば、自分こそが塩辛い料理を指示した犯人であるという疑いを跳ねのけることができたはずだし、同時に『こんな塩辛い料理を出すなんて』とケイト様を直接非難することもできたはずだった。
だがシエナ様は、塩辛すぎる料理を口にすることを厭い、不自然な態度で拒絶した。
自らが犯人であるという決定的な証拠を掴ませない自信があるからだろうが、底の浅さは明らかだ。
私とイ・リエナ様が口裏を合わせる以上、『今日この場で出された料理が常軌を逸した塩辛い一品だった』と、シエナ様が今から指摘するのも難しい。
異母姉であるケイト様に恥をかかせ足を引っ張るつもりだったらしいが、やり口があまりに稚拙だ。
…………もっとも、感情的なケイト様相手なら、その程度の企みでも十分だったのかもしれないけれど。彼女たちの姉妹喧嘩に、私が付き合ってやる義理も無い。
確たる証拠が出なさそうな以上、シエナ様を犯人扱いするのも難しいが、要警戒人物として脳裏に書き留めておくことにする。
ディアーズさんといい、料理を使って嫌がらせをしてくる人間は嫌いだ。
異母姉であるケイト様を卑怯なやり口で陥れようとしていた点と言い、到底仲良くできそうにない相手だった。
「シエナ様のお名前、しっかりと記憶させてもらいましたわ」
たかが料理の味付け、されど料理の味付けだ。
自分自身さえ口にできないような料理をシエナ様が出してきた以上、それは私に対しても立派な嫌がらせに当たる。
今回は証拠が掴めないのと、騒ぎを大きくしたくないので引き下がるが、もし次があったら容赦しないと、釘を刺しておくことにする。
「…………ありがとうございます。胃がもたれ、体調が優れないので、退出させていただきますわ」
私の機嫌を損ねたのを察したのか、シエナ様が逃げるように去っていく。
その後は、怒り冷めやらないといった様子のケイト様をなだめつつ、どうにか大事にすることなく、食事会を終えたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「レティーシア様、お見事でしたわね」
帰りの馬車に乗り込もうとしたところで、イ・リエナ様に呼びかけられた。
ケイト様はさっそく塩辛すぎる料理の実行犯を探し出さんと、その場を離れたところだった。
「劇物同然の味に怯むことも無く平静を保ち、騒ぎを起こさんとしたシエナ様の出鼻をくじかれた。咄嗟にあそこまで上手く立ち回れるとは、おみそれいたしましたわぁ」
「…………ありがとうございます。でも、騒ぎだそうとしなかったのは、イ・リエナ様も同じでしょう?」
指摘すると、イ・リエナ様が笑みを深めた。
思わせぶりで蠱惑的な表情に、私は推測を確かめることにする。
「イ・リエナ様は、あの塩辛い料理のこと、予測していたんじゃないですか?」
「どういうことかしらぁ?」
「私があの料理を口にする直前、イ・リエナ様の視線を感じました」
「気のせい…………と言いたいところですけど、鋭いですわね」
誤魔化すことも無く、あっさりと認めるイ・リエナ様。
おそらく彼女は、シエナ様の不審な動きを察知していたはずだ。
共犯とまでは思わないけど、積極的に妨害する気も無かったに違いない。
今日の食事会は、ケイト様とイ・リエナ様の連名だ。
本来は仲のよろしくない二人が協力して準備にあたっていた以上、摩擦やすれ違いも多いはずだった。
おそらくは、その隙をつかれるようにして、ケイト様もシエナ様の嫌がらせを見逃してしまったのだ。
ただしシエナ様が欺けたのは、迂闊なところのあるケイト様だけで、イ・リエナ様には勘づかれていたようである。
「レティーシア様、どうなさいます? 子猫ちゃんの、シエナ様の悪だくみに気づいていながら放置していた妾のこと、お怒りになりますか?」
「…………いいえ、そのつもりはありませんわ。イ・リエナ様の立場を考えれば、無理のない対応だと思いますもの」
イ・リエナ様がそれでもシエナ様を泳がせていた理由。
一つ目は、ケイト様とイ・リエナ様の連名の食事会とはいえ、主に会場と料理を用意したのはケイト様だ。
その場で出された料理に不備があったとしても、イ・リエナ様の落ち度は少ないと捉えられ、さしたるダメージは無いはずだった。
それにそもそもの話、イ・リエナ様とケイト様は次期お妃の座を争う、いわば政敵だった。
ケイト様が自らの身内であるシエナ様に足を引っ張られようとしていたら、傍観するのが当然だ。
シエナ様の企みを事前にくじき、わざわざ彼女の恨みを買う義理も無いのである。
そしてもう一つ、私がどうシエナ様の嫌がらせに対処するか、見極めたかったからに違いない。
シエナ様から恨みを買うのを避け、ついでに私の反応を観察する。
そんな思惑の結果が、今日のイ・リエナ様の態度のようだった。
「それにイ・リエナ様だって、私に対してはそれなりに悪いと思ってくださったんでしょう? だからこそ、自分だけ塩辛すぎる料理を避けることも無く、手をつけていたんじゃないのですか?」
今と同じ、ゆるゆるとした笑みを浮かべたままだったけれど。
確かにイ・リエナ様は、あの刺激的すぎる料理を口にしていた。
さすがに私一人に、あの味覚にも健康にも悪そうな料理を食べさせるのは、申し訳ないと思っていたのかもしれない。
「あらぁ、そこまでばっちり推測されていたのは、少々予想外ですわね。レティーシア様、ご慧眼です」
褒められたが、素直に喜べないところだ。
イ・リエナ様は狐だ。
その姿形だけではなく、比喩的な意味でも、賢く人を欺く狐という表現がぴったりだ。
山猫族でありながら、全く猫が被れていないケイト様姉妹とは、色々な意味で正反対のようである。




