56.海水を飲み込んだ時のように
「レティーシア様は今日、私の招きに応じてくださいました。即ちそれは私どもの陣営と、歩みを同じにしてくれるということでしょう?」
…………デジャヴだなぁ。
ナタリー様の離宮を初めて訪れた時の、ディアーズさんを思い出す。
ディアーズさんは同じ人間同士、私がナタリー様を支持するものと決めつけていた。
そしてナタリー様の勢いが弱まり、相対的にケイト様の影響力が劇的に強化された今、ケイト様は私がケイト様の陣営につくものと思い込んでいるらしい。
確かに、このまま大きな波乱なく時が過ぎれば、次期お妃にはケイト様がなる可能性が高かった。
加えて、お飾りとはいえ現王妃である私がケイト様を支持すれば、更にケイト様の勝利は盤石となるはず。
勝ち馬に乗りたいならケイト様の陣営につき、彼女が王妃になった後の私の祖国との関係が良好になるよう動くべきなのかもしれない。
そうわかっているが、いくつか懸念している事があり、素直に頷くことはできなかった。
「…………私は、ケイト様と仲良くしていきたいと思っていますし、それに―――――」
「! いい返事ね!!」
ぴくりと猫耳を動かし、表情を輝かせるケイト様。
彼女には悪いけれど、私の言葉には続きがある。
「――――イ・リエナ様とも、私は仲良くしていきたいと思います」
「…………どういうことかしら?」
喜びの顔から一転、目を吊り上げるケイト様。
その反応に、彼女を素直に次期王妃として推すのは難しいと再確認する。
ケイト様、今日の短い会話だけでも、感情をそのまま表情に出してしまう性質なのは察せられた。
感情豊かな人は嫌いでは無いけれど、王妃を志すにはどうなのだろう?
ある程度、自分の振る舞いを制御できる人では無いと、王族の一員になったところで問題は山積みだ。
「レティーシア様、なぜそこで、イ・リエナ様の名前が出てくるんですの?」
「今日私が招かれたのは、ケイト様とイ・リエナ様との連名でした。ならばお二人と、仲良くしていきたいと思うのは自然でしょう?」
「光栄ですわぁ。妾もレティーシア様と、末永くよろしくやっていきたいところですもの」
イ・リエナ様が口を開くも、ケイト様は無視することにしたようだ。
私を見るケイト様の瞳には、警戒心と不満が隠しきれていなかった。
「レティーシア様、率直に申し上げまして、私の陣営に加わるのが、最も賢く利の多い選択になりますわ。そこのめぎつ………いえ、イ・リエナ様は口こそ達者ですが、出身の領地の規模や諸々を鑑みるに、私を差し置いて次期王妃に選ばれる目はまずありえませんもの」
「…………そうかもしれませんわね」
「ならば何故、素直に首を振ってくれないのですか? 私が獣人だからと、蔑んでいらっしゃるのですか?」
ケイト様の的外れな非難には、内心苦笑するしかなかった。
私に獣人を見下す趣味は無いし、例えもし獣人を嫌っていたとしても、獣人であるケイト様を前にして、そんな個人的な感情を見せるつもりは無かった。
むしろケイト様の方こそ、人間である私への隔意を隠しきれていないのだ。
獣人と人間の確執を思えば仕方ないことかもしれないが、そんなケイト様を次期王妃にと、支持するのはためらわれるのが本音だ。
私の祖国の住民は、そのほとんどが人間だ。
ケイト様のような人間への偏見が強い方がヴォルフヴァルト王国の次期王妃になっては、国同士の関係も怪しくなるかもしれない。
………といった本音をぶちまけるわけにもいかないため、ケイト様の矛先をずらすことにした。
「私は自身の離宮で、獣人の方たちとも仲良くさせていただいています。相手が獣人だから見下し、人間だから優遇する。私にそんなつもりがないことは、生誕祭でのディアーズさん達への対応を見れば、お分かりになるかと思います」
「…………それはそうね、でも…………。なら、ナタリー様への対応はどうなっているのかしら? つい先日も、彼女を離宮に招いたそうじゃないの? ディアーズの主であった彼女と、懇意にする意図を説明してくれませんか?」
「ナタリー様は配下の手綱を握れなかった咎はありますが、本人に悪意はありませんでしたわ」
「悪気が無かったら、問題ないと言うの? そんなの、同じ人間同士、贔屓しているだけじゃ―――――」
「ふふっ、ケイト様、本当におわかりにならないのかしらぁ?」
「…………いきなりなんですの?」
話に割り込んできたイ・リエナ様を、ケイト様が横目でにらみつける。
一方のイ・リエナ様は怯むことも無く、幼子を見るような目をケイト様に向けていた。
「ディアーズを告発したレティーシア様が、ナタリー様の陣営の人間から、恨みを買ってしまったのは理解できまして?」
「そんなの逆恨みでしょう?」
「逆恨みでも、恨みは恨みですもの。そんな状態で更に、レティーシア様がナタリー様に冷たくあたれば、どうなると思います?」
「それは…………」
ケイト様の語尾が小さくなる。
彼女も気づいたようだった。
私が、ナタリー様を離宮に招いた理由。
ナタリー様とお話し、個人的に彼女の支えになれれば、という思いはあるが、決してそれだけではなかった。
私はディアーズさんを告発したが、それはそれ。
嫌っていたのは直接罪を犯したディアーズさん一派だけであり、ナタリー様に悪感情は無いと表明するためにも、私はナタリー様をお茶会に招いていた。
そうしておけば、ナタリー様の配下の人間も、少なくとも表立っては、私に敵意を向けないはずである。
「ケイト様、私はナタリー様と、そしてケイト様やイ・リエナ様とも敵対する気はございませんが、ご納得いただけたでしょうか?」
「…………敵対する気が無いのなら、私の陣営に加われば良いのではなくて?」
「いずれそうなるかもしれませんが、まだ早すぎると思いません? 私たちが本格的に顔を合わせたのは、今日が初めてでしょう?」
「それはそうですけど…………」
「私たち二人は、生まれた国も種族も異なっています。分かり合うのに時間がかかるのも、自然なことだと思います」
「……………わかったわ。今日のところは難しい話はやめて、残りの料理を楽しみましょう」
ケイト様が引き下がってくれ、ほっとする。
かつてのディアーズさんのように、この場で味方にならないなら敵同然と、そこまで高圧的ではないようだ。
ケイト様、感情制御は出来ていないし、駆け引きも苦手そうだけど、個人としては悪い人ではないのかもしれない。
私への当たりが強いのも、種族の違いを考えればおおよそ許容範囲だ。
ゆっくり交友を重ねていけばケイト様の態度も軟化し、人間への偏見も薄れるかもしれなかった。
今日のところはとりあえず、悪くない初接触だと思うことにする。
少し気を楽にして食事を再開しようとすると、視線を感じた。
それとなくうかがうと、イ・リエナ様がこちらを見ていた………ような気がする。
ケイト様とは反対に、表情が読みにくい方なので、気のせいかもしれない。
フォークを手にし、ソースのかけられた牛肉を口に運んだところで――――――――
「⁉」
一瞬、硬直。
すぐさま何もなかったように、喉の奥へと肉切れを飲み下す。
辛い。辛すぎる。
口にした瞬間、痛みにも似た強烈な塩味が舌を襲う。
喉が渇く。
口の中の水分が干上がり、海水を飲まされたようだった。
いくら塩気の強い料理が主体とはいえ、この塩分濃度は異常だ。
他の料理と比べても、あきらかに味付けがおかしかった。
だが、客人の立場にある以上、無暗に指摘することも出来ず、何食わぬ顔でフォークを進める。
イ・リエナ様も同じように、変わらない笑みのまま同じ料理を食べているのが見えた。
私の料理の味付けだけがおかしいのか、それともイ・リエナ様もまた、この場で騒ぐのを良しとせず、平静を保っているのだろうか?
どう対応するべきか考えていると、ケイト様もまた、牛肉にフォークを伸ばした。
「っ⁉ 何よこの味⁉ 私を馬鹿にしているの⁉」
耳障りな音を立てフォークを皿に叩きつけ、立ち上がるケイト様。
騒ぎにならないよう耐えていた私の努力も空しく、感情的な彼女は我慢できなかったようだった。




