51.ナタリー様の初もふ
「まぁ! ずいぶんすっきりなさったんですね!!」
すっかり見晴らしの良くなった離宮の裏手を見て、ナタリー様が目を丸くしていた。
ナタリー様が驚くのも当然だ。
魔術を駆使し、木こり代行を始めて5日目。
既に100本以上の木が切り倒され、広々とした空間に日差しが降り注いでいた。
これでドッグラン予定地の大半は確保できたはずだ。
あとは少しずつ木を切り倒し整え、大工達に任せ柵などを作ってもらうつもりだった。
ちょうど今日から大工達が離宮にやってきており、切り拓かれた森に唖然としつつ、作業に取り掛かっているのが見えた。
「この場所には、犬たちが自由に走り回れる運動場を作るつもりです。完成したら一度、ナタリー様も見に来てくださいませ」
「喜んで‼」
ナタリー様の顔が輝いた。
素直にはしゃぐ様子は、16歳の少女らしく可愛らしかった。
彼女が今日離宮に来た目的の一つがもふもふだ。
一昨日この離宮に、使用人の伴獣が一体やってきていた。
人懐っこいわんこで、噛んだりしない様よく躾けられているらしい。
飼い主の同意も得られたため、ナタリー様に少し撫でさせてもらうことになったのだ。
「ナタリー様、こっちです。大きな音を立てないようにしてついてきてくださいね」
こくこくと、無言かつ高速でうなずくナタリー様。
彼女を引き連れ、離宮の裏手、伴獣の待機場へと誘導していく。
「こんにちは、ダイナスさん。伴獣のグルルの様子はどうですか?」
「元気そうにしてます。まだ二日目ですが、この離宮にもほぼ慣れたようですね」
裏手につながれていたのは小柄な垂れ耳の犬、伴獣のグルルだ。
耳が大きく、顎の下あたりまで垂れ下がっている。
耳だけで、顔と同じ大きさがありそうな存在感である。
体毛は腹側が白、背中が黒と茶色で、地球のビーグル犬を一回り小さくしたような外見だ。
くるくると動く瞳は焦げ茶色で、短い体毛はすべすべと艶が良く手入れされているようだった。
グルルは初対面のナタリー様にも物怖じすることなく、尻尾を振り近寄ってくる。
ダイナスさんの言っていた通り、人間が大好きな陽気な性格をしているようだった。
「……………!!」
ナタリー様が、無言で身もだえているようだった。
ダイナスさんの前だからか、顔はお人形モードの無表情だったが、私には興奮がよくわかる。
長らく飢えていたもふもふとの直接接触に、静かに浮かれているようである。
「ダイナスさん、グルルを撫でさせてもらってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。こいつは構ってもらうのが大好きですからね。撫でてもらえれば、こいつも喜ぶかと思います」
「ありがとうございます。ではナタリー様、私の真似をして撫でてみてください」
その場に静かにかがみこみ、刺激しない様注意しつつ、手の甲をグルルの前へと近づける。
グルルはふんふんと匂いを嗅ぐと、感触を確かめるように手の甲に頭をすり寄せる。
短い毛が手の甲を滑り、大きな垂れ耳が当たった。
そのまましばらくグルルのやりたいようにさせた後、今度はこちらから頭を撫でてやる。
掌で柔らかく、グルルの頭頂部から首筋へと撫でてやると、もっともっととばかりに、掌に頭が押し付けられてきた。
「おー、グルルのやつ、レティーシア様にさっそく甘えていますね」
「優しく人懐っこい子です。ナタリー様もほら、こっちにきて撫でてみてください」
「はい!! 私頑張りますね!!」
緊張した様子でグルルに挨拶らしきものをすると、ナタリー様が腰を落とした。
そのまま手をグルルへと伸ばすが、イヤイヤをされるように避けられてしまった。
「え…………? 私、嫌われたのですか………?」
「ナタリー様、ちょっと待ってください。今、手をグルルの上から近づけましたよね? 上から手が迫ってくると、警戒してしまう子も多いんです」
しょんぼりしたナタリー様に助け舟を出す。
手を上から近づけるか、下から近づけるか。
小さな違いのようだが、これだけで警戒心が働く犬も多かった。
体の小さな犬からしたら、私たち人間は巨人だ。
いきなり頭上から巨人の手が迫って来たら、逃げてしまうのも自然なのかもしれない。
そう思い注意したつもりだったが、ナタリー様は慌てて手を引っ込めてしまう。
急なその動きに驚き、グルルが後ずさり距離を取る。
「あ……………」
「…………ナタリー様、そんな落ち込まなくても大丈夫ですよ」
あいかわらずの無表情だが、雰囲気というかなんというか、意外とナタリー様はわかりやすい。
もふもふの前ということで、普段より開放的になっているのかもしれなかった。
「急に手を動かしたから、びっくりされただけで、嫌われたわけじゃありません。ほら、さっそく、またグルルが近寄ってきたでしょう? 今度は驚かせない様、ゆっくりと下から撫でてみれば大丈夫です」
「は、はい!」
今度はおっかなびっくりと言った様子で、グルルへと手を伸ばすナタリー様。
少しずつ距離が縮まり、白い掌がグルルの体毛へと触れた。
「あったかい……………」
思わずと言った様子で呟き、グルルを撫でるナタリー様。
直接触れるもふもふの魅力に、虜になっているようだった。
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ひとしきりグルルを撫でさせてもらった後、私たちはお茶会をすることにした。
良く晴れた空の下、離宮の前庭にテーブルを運ばせ、茶菓子を並べさせている。
茶菓子はクッキーといった一般的なものに加え、改良を重ねたシフォンケーキの皿もある。
シフォンケーキ、ナタリー様からしたら色々思うところのあるお菓子だから、本当は出すつもりは無かったのだけど。
本人であるナタリー様から、是非一度食べてみたいと言われたため、提供することになったのだった。
「美味しいです。柔らかいのにしっとりしていて、とても不思議な食感ですね………」
ナタリー様はシフォンケーキを上品にフォークで切り分け、小さな口へと運んでいた。
一切れを食べ終えると、紅茶で喉を潤し口を開いた。
「料理について素人の私にもわかります。このシフォンケーキは、ギラン料理長が作ったケーキとは、味も完成度も明らかに異なっていると思います。…………もし、レティーシア様が泣き寝入りなさっていたら、あのシフォンケーキもどきとしか言えない品が、シフォンケーキとして定着してしまっていたのかもしれないのです。……………謝るしかございません」
自らの配下の行った盗作を、わがことのように謝るナタリー様。
その姿は、先ほどグルル相手に戸惑っていた様子とは別人だ。
ナタリー様にとっては、こちらは精一杯の強がりなのかもしれないが、たとえ強がりでも、これだけ立派に振る舞えるなら将来有望ではないだろうか?
「…………謝罪代わりというわけではありませんが、一つ情報があります。グレンリード陛下のお妃候補の一人、東の離宮のお妃候補が、レティーシア様を今度離宮に招待するつもりだと聞いています」
そう告げたナタリー様は、油断なくこちらの様子をうかがう、貴族の瞳をしていたのだ。




