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4.夕飯が憂鬱です


「お嬢様、お疲れさまでした。本日は予定よりお帰りが遅れたようですが、学院で何かありましたか?」


 学院の正面玄関を出て、しばらくの場所にある馬車止まり。

 そこで待っていた当家の馬車の前で、黒髪を綺麗に整えた従者が私を出迎えた。


 私付き従者の筆頭であるルシアンだ。

 すらりと伸びた長身。端正に整った顔立ち。控えめながらも優雅な佇まい。

 第一印象を一言で表すなら、『できる執事』そのものである。

 今現在は執事の役職には無いが、まだ二十二歳という若さながら優秀であり、ゆくゆくは公爵家の執事になるかもしれない青年である。


「………色々めんどうなことになってしまったわ。詳しくは、馬車の中で話すわ」


 差し出されたルシアンの手を取り、箱型の馬車の中へと導かれる。

 ザ・お嬢様と使用人といったやりとりで、前世の頃の私だったら、「リアルお嬢様!眼福!役得!」とテンションを上げる状況かもしれなかった。


 柔らかな椅子に背をあずけると、対面の椅子にルシアンが腰かける。

 御者が鞭をくれ、車輪がゆっくりと動き出す。

 私は少しだけ脳内を整理し、今日の出来事を伝えることにした。


「フリッツ殿下に、婚約破棄を宣告されてしまいました」

「はい?」


 ルシアンの青い瞳が驚きに見開かれ、ついで剣呑に眇められた。


「どういうことですか? 婚約破棄だなんて、そんなご冗談を………」

「残念ながら嘘じゃないわ。学院の玄関で、衆人環視の中で婚約破棄を告げられ、更に国外追放をつきつけられたの」


 説明していくうち、どんどんルシアンの瞳が鋭くなっていった。


「………あの大バカ王子め。お嬢様に恥をかかせるなんて、万死に値しますね」


 仮にも王太子であるフリッツを、ルシアンは容赦なく罵っていた。


 あのうつけボンボンめ、と。

 そう悪態をつくルシアンは、なかなかに口が悪かった。

 ………もっとも、私もフリッツのことを内心散々うつけ王太子呼ばわりしていたから、あまり人のことを言えない身ではあるのだけど…………。

 

 ……………まぁ、そんな私の心の中の独り言事情は置いておくとして。


 いつもは完璧な執事のごとき振る舞いで、根っからの上流階級のように品行方正なルシアンだが、生まれは下町の平民である。

 長年仕えている私の前では、下町時代を思い出させる口調になることがたまにあった。


「あのアホ王子、いつかやらかすかもとは思ってはいましたが………。国外追放などという理不尽な要求を、お嬢様は受け入れるおつもりなのですか?」

「潔く国を出るつもりよ。我が公爵家と王家の対立を深めて、国を割るわけにはいかないもの」 


 『貴族たるもの、民と国のため身を捧げるべきである』

 それが、私がお父様からもらった、数少ない言葉の一つだった。


 この世界の文明水準はおおざっぱに、地球で言う中世から近代くらいにあたるはずだ。

 身分による差異が厳然として存在し、とくにわが国では、平民と貴族の身分差が大きいのが現状である。


 平民を人とも思わず、横暴に振る舞う貴族も多いのだ。

 そんな中、お父様は貴族としての誇りを胸に職務に励む、私の憧れの存在だった。

 …………ただし娘として、あまり可愛がられた記憶が無いのも事実だ。

 両親から愛された前世の記憶を思い出した今、少し思うところはあったが、今は置いておくことにする。


「………国外追放の行き先はまだ決まっていないけど、帝国や、とんでもない国に飛ばされる可能性もあるわ。もしそうなったらルシアン、あなたは私と離れてこの国に残って―――――――――」

「たとえ地の果てであろうと、お嬢様についていかせていただきます」


 断言されてしまった。


「両親を亡くし孤児院にいた私を見出してくれたのは、レティーシアお嬢様ですから」

「ルシアン…………」


 七年前、私が十歳の時のことだ。

 自分付きの従者を数人選べと父に命じられた私は、人選に思い悩んでいた。

 そんな時、慈善事業の一環で訪れた孤児院で、当時十五歳のルシアンに出会ったのだった。


 ルシアンはまともな教育を受けていないにも関わらず、見よう見まねで読み書きを習得し、孤児院の経営を助けていたのだ。

 彼の優秀さに感銘を受けた私は、ルシアンを自分付きの従者にとお父様に強く推したのだった。


 お父様は最初渋っていたが、まずは一年という期限付きで、ルシアンの登用を認めてくれたのである。

 結果ルシアンは一年で礼儀作法と従者としての能力を完璧に身に付け、お父様にも認められることになった。

 

 ……………結果オーライであるが、我ながら大胆なことをしたものだと思う。

 一般的に公爵家の令嬢ともなれば、自ら進んで下町出身の人間を近くに置こうとはしないはずである。

 私が前世の記憶を取り戻したのはつい先ほどのことだが、多かれ少なかれ、前世の経験や価値観が、今世の私に影響を与えていたのかもしれなかった。


「ルシアン、ありがとう。でもそんなに、私への恩義を感じなくても大丈夫よ。あなたを私の傍に置いたのは、優秀な従者が欲しいという、私の打算がきっかけなんだもの」

「存じております。お嬢様のご事情も、……………そして打算だけではない私へのお心配りも、公爵家の令嬢として誇り高く優しく、国を案じる尊いお心根も………。私はよく存じ上げていますから」


 胸に手を当て、敬礼をするルシアン。

 本心からの敬意を向けられ、嬉しさと少しの恥ずかしさと、そして心が温まるのを感じた。


 …………思えば今日は、散々な一日だった。

 婚約破棄を告げられ、噴水に突き落とされ、元婚約者に罵倒され、筋肉男子にすごまれ………。

 敵意と憎悪に晒されっぱなしで、気の休まることが無い出来事の連続だったのだ。

 そんな中、ルシアンの捧げてくれた忠誠が身に染み、ほっと息を付けた気がした。


「あなたのような忠義者を得ることができた私は、とても幸運なのでしょうね………」

「私にはもったいない、ありがたいお言葉です」


 折り目正しい敬意と、だがそれだけではない親愛を込め、ルシアンが微笑んだ。


 ―――――――――心和む一時は、減速していく車輪の勢いと共に終わりを告げた。

 王都の東地区にある、公爵邸が近づいてきたのである。


「お嬢様、そう気落ちなさらないでください。何があろうと、私はお嬢様の味方です」


 沈み込む気持ちを、ルシアンに労わられてしまった。

 表情には出していないはずだが、長年の付き合いの彼には、伝わってしまったのかもしれない。


「お父様である公爵様に、婚約破棄を伝えるのは気が重いでしょうが………。公爵様ならきっと、理不尽にお嬢様をお責めになることはないはずです」

「…………えぇ、きっとそうね」


 やんわりと、曖昧な笑みを浮かべルシアンから視線をそらした。


 お父様に婚約破棄と国外追放の件を告げなくてはと思うと、気分が重くなるのは本当だ。

 …………だが、今最も差し迫った憂鬱は別のもの。

 人によってはくだらない悩みだろうが、前世の記憶が蘇った私には、一つ恐れていることがある。


 馬車から出ると、陽は傾き始めている。

 ―――――――――もう間もなく、夕飯の時間だった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 公爵邸の自室で、自宅用のドレスへと着替え、しばらくしたところ。

 扉がノックされ、侍女が夕食の準備が整ったことを告げに来た。


 いつも通りの、公爵令嬢の名に恥じない上品な無表情で。

 でもその実、内心は悲壮感たっぷりに、侍女に先導され食堂へと向かった。

 ………脳内に流れるBGMはドナドナである。 


 公爵邸は広大だ。

 ドナドナの歌詞が二番の半ばに差し掛かったところで、食堂へとたどり着いてしまった。


 優に十人は座れる食卓へと、侍女が引いてくれた椅子に腰かける。

 腰を下ろし少しすると、給仕用の裏口が開かれた。


「っ…………!」


 鼻腔を刺激する強烈な匂い。


 まだ距離のある今でさえ届く匂いの正体は、料理にこれでもかと使われている香辛料だ。


 ………どう見ても駄目な奴ですありがとうございます。

 現実逃避を試み脳内一人ツッコミを始めるが、そうしている間にも料理の皿が運ばれてくる。


 この国の給仕方法は、主菜から汁物まで全てを、一度に卓上に並べる形式だ。

 立ち上る強烈な匂いに逃げ場を無くされた私は、恐る恐るフォークへと手を付けた。


 まずは前菜。

 王都近郊で収穫された葉野菜のサラダだったが…………。

 問題は、野菜の上でてかてかした光を放つソースである。


 どろりとした表面のそれは、前世のブラウンソースに似ているが、あくまで見た目だけである。

 一口含めば、違いは一目瞭然。

 辛すぎ酸っぱすぎねちっこすぎとしか言いようのない、とても濃い味わいだ。

 あまりにソースの風味が強すぎ、新鮮なはずの野菜の美味しさが、全く感じられない代物だった。


 正直、全くおいしいと感じられなかったが、涼しい顔をして飲み下す。

 公爵令嬢として、そして社畜として培われた表情制御スキルが、最大限発揮された瞬間である。


 そして残念なお知らせとして、サラダと同じようなソースが、主菜である肉料理にもかけられているのである。


 もちろん、野菜と肉の違いはあるから、ソースの配合は異なっているのだが………。

 どちらにしろ香辛料が効きすぎており、素材の味がわからないのは同じだった。

 もはや味付けされた肉を食べているのではなく、肉っぽい感触の香辛料の塊でしかなかった。

 素材の肉はおそらく、日本で言えば五等級の高級品。

 なのにその良さが全く活かされていない、残念極まりない一品だった。


 ………………いやね、食べられないほどまずいわけじゃないんだよ?

 使われている肉も野菜も、そしておそらく香辛料も、公爵家の食卓にのぼるだけあり、この国で手に入る素材としては間違いなく一級品である。


 にもかかわらず、美味しくない。

 これでもかとまぶされ練り込まれた香辛料が台無しの、もったいなさあふれる料理たちだった。


 香辛料自体は好きだよ?

 前世でよく作っていた野菜のコショウ炒めは、私の好物である。


 …………けどね、さすがに今目の前にある料理は、やりすぎだと思うんだ………。

 過ぎたるは及ばざるがごとしという格言を、今ほど実感したことは無かった。


 眼前に並ぶ料理に、これほどまでに大量の香辛料が使われている理由。

 その大本の原因は、四十年ほど前に見つかった、南方大陸との新海路にある。

 船にのせられ、この大陸へと持ち込まれた新種の香辛料に、人々は舌鼓を打ったらしい。


 元よりこの世界、前世の地球ほど食糧事情が良くなく、野菜も品種改良されていないものが多かった。

 そんなところへ風味豊かで、そして保存性を向上させる香辛料が、大量に持ち込まれてきたのだ。


 人々は香辛料に夢中になり、王侯貴族たちもまた香辛料を収集しはじめた。

 ふんだんに香辛料を使った料理は一種のステータスとなり、富を示すための競争の一部となり………過熱していった。


 その結果が、素材の味をまるっと無視したかのような、食卓に並ぶ料理たちである。

 もちろん平民や、それに貴族であっても貧乏な家では、こうも濃い味付けの料理では無いはずだ。

 

 しかしわが家は公爵家。

 毎日食卓にあがる料理は、香辛料塗れのものがほとんどなのである。

 趣味が料理と食べ歩きだった前世の記憶が蘇った今、なかなかに辛い状況だった。


 ………ちなみに、この世界の人間の味覚だって、地球と大きくは変わらないはずである。

 昔、ちょっとしたきっかけで食べた下町の料理は、素朴ながらも美味しかった。

 それに、現在貴族の晩餐で供されるワインは、さっぱりとした味わいのものが主流だ。

 ワインの他に、レモンで味付けしただけの水が添えられていることも多いのである。

 …………味の濃すぎる料理を、緩和するためとしか思えなかった。

 

 なのに、こんな香辛料塗れの料理をありがたがっているのは、貴族の面子というもの。

 そしてそもそも、調理技術が未発達であり、素材の味を引き出す技術が普及していなかったからだと、今の私はそう推測している。

 

 香辛料は美味しい。

 その香辛料をたくさん使えば、料理はもっとおいしくなるに違いない。

 ……………そんな考えの元、少しずつ料理に使われる香辛料が増えていき繊細な感覚が麻痺し、今の状態へと至っているのだと思う。


 この香辛料塗れの現状はわが国だけの傾向ではなく、程度の差はあれ西方大陸全般に見られることだ。

 多くの国で貴族の食卓は香辛料が過剰であり、例外は数少ないいくつかの国しかない。


 貴重な例外として、ぱっと思い浮かぶのがお隣さんのライオルベルン王国である。

 広大な農地を持ち、自国産の食料に大きな愛着を持った国柄だったためか、あちらでは貴族の食卓も、香辛料塗れでは無いようだった。


 ライオルベルンは二年ほど前に一波乱あり、王太子が交代しているが、新たな王太子はとても優秀らしい。

 おかげで国内の治安状態が改善されるなど、最近のあの国への評判は良いものがほとんどだ。


 香辛料が控えめで、王太子が優秀、国内情勢も上々。

 …………大量の香辛料に口内を蹂躙され、王太子のうつけさに振り回される私からしたら、羨ましい限りの国である。


 ……………どうせ国外追放されるならライオルベルンや、ご飯の美味しい国がいいなぁ、と。


 無表情で香辛料塗れの料理を咀嚼しながら、思わず真剣に願ってしまったのだった。





 

お読みいただきありがとうございます。

評価やブクマなどしていただけたらありがたいです。

続きは明日更新予定なので、よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 栽培化されている時点で、品種改良「されていない」ということは、まずないとは思いますが……香辛料がステータスになる状況はには、何とも遠い目を浮かべてしまうというか……なんか、うん、そうなんだろ…
[一言] 甘い・しょっぱい・酸っぱい程度しか分からないために例えばタイの五味やインドの香辛料の奥深さを理解できず、上から目線でまずいもの扱いしたり、出汁文化は日本にしかないと信じている田舎のジジババを…
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