45.お人形の告白
猫へと語りかけるナタリー様に、偶然遭遇してしまった私たち。
硬直するナタリー様。
なんと声をかけていいかわからず立ち尽くす私。
「なぁ~~~~~~おぅっ」
猫の鳴き声が、沈黙の場に響いた。
茶トラ猫は、人間たちの事情にはお構いなしだ。
マイペースに前後の足を順番に伸ばすと、木立の陰へと歩み去っていってしまった。
「あ…………」
緑へと消える茶色い尻尾に、残念そうにつぶやくナタリー様。
しかしすぐさま、私たちの存在を思い出したようだった。
「私の独り言を、聞いてしまいましたか…………?」
「……………聞いてにゃいですよ?」
「ばっちり聞いてるじゃないですかっ⁉」
顔を真っ赤にするナタリー様。
ぷるぷると小刻みに震えだし、耳たぶまで赤くなっていた。
…………その気持ちはとてもわかる。
周りに誰もいないからと油断して、にゃんにゃんと猫に話しかけていたところだ。
デレッデレに緩んだその姿を、もし他人に見られてしまったら?
…………答えは今、目の前のナタリー様が実演していた。
動物への独り言を聞かれるほど、恥ずかしいことってなかなかないからなぁ、と。
わが身の事情は高い棚に放り上げ、同情する他ない状況だった。
「ナタリー様、落ち着いてください。冷静になって、少しお話を―――――――――」
「ナタリー様~~~~~~~~~?」
聞こえてきた女性の声に、ナタリー様がびくりと身をすくませる。
近づいてくる声の主は、侍女のお仕着せを着た女性だった。
「ナタリー様!! こんなところにいらしたんですね!!」
「……………心配をかけましたわ」
おおっ、すごいな。
ナタリー様、既にいつものお人形さん顔面を取り戻していた。
よく見ると少し頬が赤いけど、素早い見事な切り替えだ。
内心そっと、拍手を送っておくことにする。
「ナタリー様、早くご準備を…………レティーシア様?」
「ごきげんよう」
こちらの顔を見て固まった侍女へと挨拶し、ナタリー様に助け舟を出すことにした。
「さきほどナタリー様と出会ったので、一緒にお話しながら歩かせてもらってたんです。ですよね、ナタリー様?」
「………えぇ、その通りです。レティーシア様はとても優しくお話も上手で、楽しかったですわ」
ナタリー様も即座に話を合わせてくれる。
無表情ながら、どこかほっとした様子のナタリー様と共に、私は離宮へと向かったのだった。
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室内に入り、改めて形式的な挨拶をすると、ナタリー様は人払いを行った。
ナタリー様の侍女達は最初渋っていたけど、主であるナタリー様の命令だ。
私も一時的にルシアンを下がらせることを受け入れたから、渋々納得してくれたようだった。
ルシアンと侍女たちがすぐ外に控える部屋で、ナタリー様と二人っきりで相対する。
「レティーシア様、ありがとうございます!! さきほどは助かりました…………!!」
深々と腰を折るナタリー様。
その姿勢は、最上級の感謝と敬意を表すものだ。
「顔を上げてください。ナタリー様のお気持ちは、よく伝わっておりますから」
「本当にありがとうございます!! そしてお願いです!! どうかどうか、先ほどの私の姿はご内密にっ…………!!」
「心配しないで。私に言いふらすつもりは微塵もないわ」
さっきのナタリー様、顔を真っ赤にして泣きだす寸前に見えたからなぁ。
そこに追い打ちをかけるのは、むごい。あまりにもむごすぎだった。
動物に独り言をつぶやく癖は私にもあるので、他人事とも思えないナタリー様の姿だ。
誓って口外しないと繰り返すと、ナタリー様も少し落ち着いたようだった。
「ありがとうございます…………! …………私は不安になった時や心細い時、つい猫や動物に話しかけてしまう悪癖があるんです。情けない話ですが、見逃していただけるとありがたいです」
「情けないなんて思いませんわ。人に見られ恥ずかしくなるのはわかりますが、そんなに卑下する必要も無いと思います」
ナタリー様の言葉を否定しておく。
落ち込む彼女を励ますためであり、我が身の過去を振り返っての言葉でもある。
動物に話しかけるの、もふもふ好きなら身に覚えがある人が多いと思うのだ。
「そ、そうでしょうか………? 動物相手に弱音を吐くのはとても情けないことだと、周りの人間は口を揃え非難していました………」
力なく呟くナタリー様は、お人形姫様の仮面が剥がれ、16歳の年相応の少女だ。
不安そうな様子も、彼女の故郷や生育環境を考えると当然かもしれない。
ナタリー様の出身地では、獣人への偏見が根深かった。
そのせいか、猫や犬といった小動物を可愛がる文化も無いらしい。
人間が至上であり、それ以外の存在は下等な存在という考え。
公爵令嬢であるナタリー様が動物に弱音を漏らすなど、周囲の人間が許すはずがなかった。
「確かに、ナタリー様の故郷では、動物と親密に接するのは歓迎されていなかったと思います。ですが世の中には、動物を大切に思い、心の一部を預ける人間もたくさんおります。私だって気分が落ち込んだ時、動物に寄り添ってもらった思い出はありますもの」
「レティーシア様が……? 本当ですか?」
「信じられない? 誰だって、他人には見せない表情の一つや二つあるものでしょう?」
「す、すみません!! 疑っているわけじゃないんです。ただレティーシア様は、いつもとてもご立派でした。私と一歳しか違わず、異国から嫁いできた身なのに、堂々として優雅でいらっしゃいましたから……」
憧れと尊敬の視線が突き刺さり、少し気まずかった。
………私が異国であるこの地で落ち着いていられる理由。
前世の記憶と経験もあるが、一番大きいのはお兄様その1の教育だ。
お兄様の愛の鞭…………もといスパルタ貴族教育がなかったとしたら、前世は根っからの小市民だった私が、異国に王妃として嫁ぐなんて絶対無理だったと断言できる。
麗しい笑顔のお兄様から飛び出す駄目だしの嵐を経験してしまえば、たいていの貴族相手との社交は気負うことなく行うことができた。
今はそのお兄様とも遠く離れているけれど、傍らにはいつもルシアンがいてくれた。
付き人がディアーズさんだったナタリー様より、色々な面で恵まれているのは自覚している。
「ナタリー様だって、故郷から離れたこの王城で気丈に振る舞われていたと思いますわ。生誕祭でディアーズさんが主導したシフォンケーキ盗作の罪を引き受けようとした姿は、十分ご立派だったと思いますもの」
「………ありがとうございます。でもあれは、そもそも私がディアーズを止められなかったせいで起こってしまったことですから……………」
そう言ってナタリー様が、もう一度深く頭を下げる。
「レティーシア様、改めて謝罪させていただきますわ。先日は私がディアーズ達の進める盗作に気づけなかったせいで、多大なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。全て全て、私の不甲斐なさのせいで引き起こされてしまった事態ですわ」
「ナタリー様…………」
「軽蔑なさるでしょう? 私が王妃候補に相応しくないことは、私自身が一番知っていますもの」
「…………それは、どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味です。さきほど、レティーシア様もご覧になったでしょう? 私は、猫や獣相手にしか本音を晒せない情けない人間です。昔から内気でどん臭く、両親からも叱責されてばかりの毎日でした。王妃候補として王城にあがるのも、本来は3つ年上で活発な姉の役割のはずだったんです…………」
唇を噛むナタリー様。
彼女の姉は確か、病に伏せり治癒の見通しがついていないと聞いている。
「私の公爵家の血筋で、グレンリード陛下の王妃候補となりうるのは、私だけになってしまったのです。ですが私は、とてもそんな大役をこなせる人間ではありませんでした…………。両親の期待を裏切らないためにも、私は臆病な本性を隠し無表情の仮面を被り、叔母であるディアーズに実権を預け、王妃候補としてたつことになったのです」




