44.もふもふの前で人は変わるものです
レティーシアが去った後。
残されたグレンリードの背後から、小さな笑い声が聞こえた。
「驚きました。陛下も存外、食い意地が張っておられたのですね」
愉快そうにしているのは、グレンリードの腹心であり、お茶会の間背後で控えていたメルヴィンだ。
細身の長身だが肩幅はあり、甘く整った顔立ちは年代を問わず女性からの受けがいい。
メルヴィンは明るい金茶の髪を揺らし、空色の瞳をからかうように細めていた。
「食いしん坊な陛下、私は悪くないと思いますよ?」
「馬鹿なことを言うな。目的は料理などでは無いと、おまえだってわかっているだろう?」
腹心の冗談に返答しつつも、グレンリードの中で甘酸っぱい味と香りが蘇る。
ふわふわとしたシフォンケーキから、ほんのりと香る苺の果実。
思い出すと今も、優しい甘さが口の中に広がるようだった。
「目的は料理『だけ』では無いの間違いじゃないですか? 料理を前にあのように表情を緩める陛下は、なかなか見られるものでは無いと思いますよ」
「………美味しかったのは認める」
どこか憮然とした様子で、グレンリードは呟いた。
もう何年も、料理を美味しいと思ったことが無かったのは事実だ。
誰かと食事をする時は相手との会話や、周辺の状況に集中していて、料理には気を配っていなかった。
一人で食べる時も、毒が混入されていないかを気にする程度。
料理自体に興味はなく、食事はただの栄養補給の行為でしかない。
毎日三食食べるのも面倒で、その時間を少しでも他事に回したいと思っていたのが本音だ。
その結果、一人での食事は国王としては信じられない程簡素で、味は二の次になっている。
安全性が高くすぐに食べられる料理がメインの、味気ないことこの上ない食卓だ。
だからこそ、レティーシアの捧げた料理を、美味しいと思ったのはグレンリード自身にも予想外だった。苺という食材、当然初めて口にしたのだが、好みにぴったりと合っていたのかもしれない。
「苺がたまたま、私の味覚にあう好物だった。それだけの話だ」
「…………好きなのは本当に、苺だけでしょうか?」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
メルヴィンは柔らかく甘く、グレンリードからすると胡散臭さを感じる笑みを浮かべていた。
「それにしてもレティーシア様、お話には聞いていましたが面白いお方ですね。陛下がご執着なさり、足しげく離宮にお通いになるのも納得です」
「誤解を招くような言い方をするな。人の姿で頻繁に訪ねては支障が出るから、銀狼の姿でそれとなく監視しているだけだ」
「ですが陛下、スリッカーブラシは随分とお気に入りのようじゃないですか?」
「…………あれは獣の本能によるものだ」
銀狼に化けている時も、グレンリードの意識や記憶が途切れることはない。
だが獣の姿に引っ張られるせいか、理性の手綱が緩み、快不快の感覚に流されやすくなるのである。
グレンリードの場合、普段は私情を排し王として振る舞っているせいか、銀狼の姿の時は感情を抑制するのが難しかった。
知り合いの獅子と人の二つの姿を持つ金髪の王太子にも同じ傾向があるようで、いくら中身が人間でも、全てが人間の姿の時と同じとはいかないようである。
「『整錬』の名手である件といい、生誕祭でディアーズ達を鮮やかにやり込めていた点と言い、レティーシアは他の公爵令嬢と一線を画しているのは明確だ。お飾りとはいえ王妃として迎え入れた以上、その能力と動向を把握する義務があるからな」
「同意いたします。今までは次期王妃候補たちから注目を受けぬよう、陛下からは対外的に不干渉を貫いておられましたが、これからは陛下が人のお姿の時も、定期的な接触を持たれた方がよろしいかと思います」
グレンリードは無言で頷き、レティーシアの姿を思い浮かべた。
脳裏に蘇るのは、ブラシ片手に銀狼姿の自分に語り掛ける能天気な姿。ではなくて、
『はい。私も、この甘酸っぱい香りが大好きです』
嬉しそうに小さくはにかんだ微笑みが、なぜか真っ先に思い浮かぶ。
銀狼に化け接触した時はいつも、レティーシアはにこにこと楽しそうに狼たちと戯れていた。
彼女の笑顔など、その時何度も目にした、見慣れたもののはずだったけれど。
人間の姿の自分の前で、零れ落ちるように咲いた笑顔に、つかの間惹きつけられたのが不思議だった。
不思議で不可解で、だからこそレティーシアがこの場を辞そうとした時、少し名残惜しくなってしまったのだ。
そのせいで、うっかり苺料理のお代わりを要求したと誤解されてしまったわけだったが。
結果的に、今後も人の姿で接触し観察する機会が得られそうなので、問題では無いはずだった。
グレンリードはそう自分を納得させると、次回のレティーシアと会う時間を見繕うため、メルヴィンに予定を確認させるのだった。
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陛下に苺料理を献上した翌々日。
今度は、ナタリー様のもとへと招かれていた。
ナタリー様には昨日、正式に罰が下された。
彼女本人への内容は、陛下の仰っていた通りとても軽微なものだ。
いくらかの罰金と、2か月ほどの華やかな活動の取りやめ。
当然、自らの離宮に他人を招き派手にもてなすのは論外だが、今日の私への招待は例外だ。
シフォンケーキの盗作について正式に謝罪し、一度直接話がしたいらしい。
なので今日は、苺料理の研究は一旦停止中。
苺ジャム作りだけを料理人たちに頼み、離宮の外へと赴くことになった。
「フォン、行ってくるわ。留守番よろしくお願いね?」
「きゅあっ‼」
任せてください!
と言わんばかりに、グリフォンのフォンが鳴き声をあげる。
私のことを主と認め、騎士として振る舞うかのようである。
そんなフォンがいるのは、離宮の前庭の一角に据えられた木箱の近くだ。
陛下に手配された大工がやってきて専用の小屋が出来るまでの仮住まい。
不自由させて申し訳ないなと思いつつ、首筋から肩へと撫でてやる。
少し力をいれ、指の腹でかくようにして撫でると、気持ちよさそうにしている。
鋭い猛禽の瞳が閉じられ、糸のようにうにーっと細くなっているのが可愛らしい。
「うらやま………いえ、主であるレティーシア様の前で緩み切った表情を晒すなんて不敬ですね」
「フォンは人間じゃないんだから、気にしないわよ」
「私が気にします。フォンはレティーシア様に忠誠を誓っているつもりです。ならば相応の振る舞いがあると、鳥頭に叩き込まなければいけませんね」
「鳥頭…………」
確かにフォンの頭部は猛禽型なんだけど………。
その発想は無かったというか、ルシアンも意外と口が悪い。
下町出身であるルシアンは、私と二人っきりの時には時折、下町時代の悪態が飛び出すことがある。
だが人前では言葉使いも振る舞いも完璧で、上品なたたずまいを崩すことが無かったはずだ。
そんなルシアンも、人間ではないフォンの前では、つい地が出てしまうようだった。
言葉を持たず、代わりに柔らかな毛皮を持つ獣の前では、人間は普段隠している顔を見せてしまいがちだ。
私だって、狼たちやぐー様の前では、とても他人には見せられない姿を晒している。
もふもふの前で人は、普段の姿から変わるものなので仕方ない。
異世界だろうと変わらない事実を確認しつつ、フォンと別れ馬車へと乗り込んだ。
しばらく馬車に揺られ、ナタリー様の離宮の近くへと到着。
呼ばれている時間まで、まだ十分余裕がある。
せっかく森の離宮から出てきたのだから、ついでに少しナタリー様の離宮の周りを見てみるつもりだ。
ナタリー様の離宮の前庭は幾何学模様状に低木が配置され、よく手入れがされていた。
美しい花壇を楽しみつつ歩いていると、かすかな鳴き声が聞こえてくる。
猫だろうか?
どこにいるのだろうと、猫を驚かせないよう静かに、声が聞こえてきた方角へと足を進める。
低木が多く植えられた、庭の見通しの悪い一角にたどり着く。
「…………人の声?」
にゃぁにゃぁという猫の鳴き声に混じって、小さな人間の声が聞こえた気がした。
どんな人だろうと、低木の陰を覗き込んでみたところ。
「ねぇにゃんちゃん、私は今日、どんな風に振る舞えばいいか教えてくれにゃいですか?」
文字通り猫なで声で、茶トラの猫へと話しかける少女。
「あぁもう心配で心配で、どうすればいいかわからにゃいです……………え?」
視線があった。言葉が止まった。時間も凍ったようだった。
可愛らしい声と口調で、猫へと話しかけていた少女は。
いつものお人形さんのような様子とはかけ離れた、ナタリー様なのだった。
――――――――――――確かに、もふもふの前で人は変わると言ったけれど。
だからといってこれは、少し変わりすぎではないだろうかと、そう思うのを止められないのだった。
誤字報告や感想、いつもありがとうございます!
明日明後日は時間が取れそうなので、庭師猫のいちごのあだ名修正や感想返しを行っていきたいと思います。




