41.陛下は人間です
ルシアンが持ち込んだ、真っ赤な苺の実った鉢植え。
『魔物の宝石』という毒植物と形が似ている苺を見てなお、玉座のグレンリード陛下は冷静だった。
「その植物が、『魔物の宝石』ではないということはわかった。だがなぜ私の前に、そんな紛らわしい植物を持ってきたのだ?」
「紛らわしいからこそ、です。私は現在、離宮でこの植物を何株も育てていますから」
「………なるほど。誤解と中傷を恐れてのことか」
陛下の青みがかった碧の瞳が、苺へと向けられていた。
こちらの事情を理解してくれたようだ。
話が早く、ありがたいことだった。
私が苺を育てていると、離宮の使用人たちは知っている。
だがもしそれ以外の人物、たとえば王妃である私に敵意を抱く相手に知られてしまったら?
『あの王妃は離宮で魔物の宝石を育てている』と誤解され、悪い噂を流されてしまう可能性だってあった。
前世の地球では、家庭菜園で大麻と似た植物を育てていたら警察がやってきた、なんて話もあるのだ。
お飾りとはいえ王妃という立場にある以上、用心してしすぎるということは無いと思う。
振り返ってみればシフォンケーキの盗作騒動だって、私が離宮で引きこもり油断していたのが一因だ。
この国のトップである陛下には、誤解されがちな苺について一度話を通しておくべきだった。
「この植物、私は『苺』と呼んでいます。実の形こそ魔物の宝石に似ていますが、こちらに毒性はありません。食べると甘く美味しいので離宮で栽培し、食材として研究していました」
「…………近頃、妙に浮かれていたのはそのせいか」
「陛下? 何か仰いましたか?」
ボソリと呟いた陛下は、誤魔化すように長い足を組み替えた。
「いや、何でもない。他に何か、私に伝えておきたいことや頼み事はあるのか?」
「では陛下、よろしければこれから、お茶をご一緒できますか?」
「茶を?」
「はい。お茶菓子として、献上したい品がございます」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
謁見の間から小部屋をいくつか隔てた場所にある、食卓の設えられた一室。
応接室でもあるその部屋の壁には、ヴォルフヴァルト王家の紋章入りのタペストリーが飾られている。
銀糸で織り出された狼に見守られながら、陛下と向かい合わせで席に着く。
紅茶が運ばれてきたのを合図に、私の背後に控えるジルバートさんが、捧げ持つ盆の覆いを取り去る。
「陛下、失礼いたします。レティーシア様が離宮で育てた苺を使った、新作の菓子にございます」
並べられたのは、食べやすいようヘタを取った苺、ガラス瓶入りの苺ジャム、ほんのり赤い苺シフォン、そしてクリームで飾り付けられたショートケーキだ。
ケーキの上で艶々と赤く輝く苺に、陛下は瞳を細めているようだった。
「こうして間近で見ると、やはり形は魔物の宝石に似ているな」
「えぇ。でも決して、毒などはございませんわ」
安心させるよう微笑み、そっとヘタを取った大粒の苺を手に取った。
汁を飛び散らせないよう気をつけつつ、口の中へとおさめ嚥下する。
「この通り、食べても何ら支障はございません」
甘酸っぱい味を楽しみつつ、身をもって毒ではないと証明する。
言葉で『魔物の宝石』との違いを説明するより、この方が何倍も伝わりやすいはずだ。
「こちらのジャムは苺を煮て作ったもので、シフォンケーキの生地には潰した苺が混ぜ込んであります。ジャムの方は日持ちしますので、お気が向いたら召し上がってください」
「あぁ、そうさせてもらおう。ケーキの方は、今ここで食べてもよいのだな?」
「…………はい。陛下に召し上がっていただけるなら光栄ですわ」
頷きつつも、正直予想外な展開だ。
元々今日は、陛下の前で苺を食べ、毒が無いとアピールできれば十分なつもりだった。
以前、陛下に差し上げたシフォンケーキについては、ごく形式的な感想しかいただけていないのだ。
だからてっきり、陛下はシフォンケーキや私に対し、あまりいい印象を抱いていないのだと思っていた。
今日献上した苺シフォンケーキも、この場で形式的な礼を述べられるだけで、後で陛下の従者たちが食べるだろうと予想していたから、少し意外なのだった。
陛下は銀のフォークを手に、一口大に切ったシフォンケーキを口に運ぶ。
美味しく食べてもらえるだろうか? 味は気に入ってもらえるのだろうか?
内心ソワソワしながら、陛下のお食事を見守った。
思えば夫婦となって一月以上が経っているけど、食事の場に同席したのは初めてだ。
目の前でケーキを食べる陛下の姿に、どこか安心するような気がした。
氷の美貌の持ち主であり、滅多に感情の色をのぞかせないグレンリード陛下。
そんな氷の彫像のような陛下も、私と同じ飲み食いをする人間だと、そう実感することができたのだ。
その事実がおかしくて、冗談めかして口にしてみることにする。
「私、安心いたしました。陛下もやはり人間なんですね」
「………っ⁉」
ごほごほと、陛下が急にむせ込んだ。
ケーキの欠片が、喉の奥にでも張り付いたのだろうか?
「陛下、大丈夫ですか? 紅茶を飲まれますか?」
「………っ、おまえはっ、いきなり何を言い出すのだ? 私が人間であるなど、当たり前のことではないか。まさか私のことを、狼か何かだとでも思っていたのか?」
「いえ、そんなことはございません。ただ、陛下はいつも凛々しくていらっしゃいますから、こうやって只人と同じように、お食事をなさる姿が新鮮でして…………」
「…………そういう意味か」
紛らわしいな、と。
どこか焦ったようにグレンリード陛下が呟いた。
「すみません、陛下。わかりにくい冗談でしたわ」
「……………まぁいい。この苺シフォンに免じ許してやる」
「‼ 気に入っていただけたのですか?」
「あぁ。美味しかったぞ」
感想を口にする陛下の目元が、少しだけ緩んでいる気がした。
いつもは冷ややかな碧の瞳が、冬の陽だまりのようなわずかな温かさを灯しているようで。
注意していなかったら見逃してしまいそうな、ほんの些細な変化だったけれど。
初めて見る陛下の笑顔は、だからこそとても印象的なのだった。




