3.国外追放の宣告
「レティーシア、おまえはいつもそうだった。一見それらしい言葉を振りかざし澄ました顔をして………裏ではいつだって、僕のことを笑っていたんだろう?」
歪んだ笑みが、フリッツの顔に張り付いていた。
「殿下、そんなことはありません。私は婚約者として、殿下をお慕いしていて――――――――」
「婚約したのだってどうせ僕自身ではなく、王太子の妃の座が目当てだったんだろう?」
……………何をふざけたことを言っているのだろうか?
政略結婚である以上、始まりに愛があるはずは無いのだ。
今は愛はなくとも、共に育んでいくことは出来ると。
そう信じ努力した私の思いは、少しもフリッツへと届いていなかったのかもしれなかった。
「おまえは王太子妃の座を強欲に欲し、それはもうがむしゃらに勉強していたんだ。進みの遅い僕のことは、どうせ馬鹿にしていたんだろう?」
「誤解です。私は殿下のことを、見下してなどいませんわ」
反論しつつ、内心これは駄目かもなと、乾いた諦めがよぎっていた。
フリッツは正直なところ、決して出来のいい王太子では無かった。
生まれ持った特別な才はなく、努力家でも無かったのだ。
人並み以上なのは顔だけで、勉学も魔術も剣術も、どれも凡庸の域を出ないものだった。
次代の王として不安だったが、だからといって馬鹿にした態度をとったことは無いはずだ。
………フリッツに欠けているものがあるのなら、妃となる自分が補わなくてはと妃修行に必死で、見下す暇も無かったというのが正解かもしれない。
しかしこちらが見下さずとも、フリッツと勉学に励む私の間に、差が開いていったのは事実だ。
彼はそれに耐えきれず、内心劣等感を募らせていたのかもしれなかった。
「レティーシア、おまえの言葉は上っ面だけだ。多くの宮廷雀と同じように、聞こえはいいがその実空々しい響きでしかない。…………僕のことを案じてくれる、スミアとは大違いだった。僕は最初、スミアのことを平民育ちと馬鹿にしていたのにも関わらず、スミアはその温かい心で僕を受け入れてくれたんだ」
「殿下…………」
恥ずかしそうに、だが同時に嬉しそうに、スミアがフリッツへとよりかかった。
王太子という肩書の重責に苦しむ青年が、平民育ちの令嬢に癒され恋をする。
……………前世に触れた創作物で、何度見たかもわからない王道のパターンだ。
問題は、自分が彼らの恋路を邪魔する、悪役として仕立て上げられてしまったことだった。
「僕は、心優しいスミアを王太子妃にするつもりだ。彼女との幸せな未来に、おまえは目障りだ。スミアを虐めていたおまえに、この国の土を踏む資格は無い」
フリッツの宣告が、静まり返った場に響いた。
「レティーシア、おまえのような悪辣な令嬢は、この国から出て行ってもらおう」
…………国外追放? 正気ですか?
思わずツッコミを入れたくなってしまった。
婚約破棄が避けられないのは察知していたが、更にその上をいくとは驚きだ。
私は仮にも、国政中枢の一角を占める公爵家の令嬢だ。
そんな私を、一方的に断罪し国から追い出すなんて………この王太子、うつけすぎません?
百歩譲って、婚約破棄までは仕方ないとしても、追い出すってどこに追い出すつもりだ?
平民一人を追放するのとは話が違うのだ。
公爵令嬢である私を追い出す以上、しかるべき追放先と手続きが必要になるはずなのだが………。
………うつけ王太子だからきっとそこらへん、全くノープランなんだろうな………。
私の推測を裏付ける様に、陰険眼鏡ことイリウスがどこか慌てた様子で、眼鏡のつるをいじっていた。
そんな彼の姿に、私にも今回の一連の流れがわかった気がした。
陰険眼鏡は陰険だからして性格は悪いが、頭は悪くなく、むしろ頭の回転は速い人間のはずである。
婚約破棄の動揺で忘れていたが、彼は私と、座学のトップ争いをしていた仲だ。
競い合ううちに友情が生まれ………たりはしなかったが、お互いライバルとして、それなりに交流はあった。
『頭でっかち女、この古書の翻訳を教えろ』『陰険眼鏡さん、参考図書を貸してくれません?』と、時として被っていた猫を引っぺがし、和やかに罵りあう生暖かい関係だったのである。
そんな彼はうつけ王太子ことフリッツと違い、常識を弁えないスミアに肩入れするような人間では無かった。
彼がスミアを擁護していたのは、全て打算によるものに違いない。
スミアの男爵家は、イリウスの公爵家の遠縁だ。
そしてイリウスの公爵家は、私の公爵家とゆるやかな敵対関係にあった。
イリウスはスミアを王太子に近づけ、私から王太子妃の座を奪うつもりだったのだ。
………そこら辺の事情は以前から推測できていたし、今回はしてやられた形になるのだが。
おそらくはイリウスにとっても、ここまで大事になるのは予想外だったのだ。
きっと彼の公爵家の計画では、もっとゆるやかな流れで、私の婚約破棄を狙っていたに違いない。
今回の王太子フリッツの宣告は、考えうる限り最悪の手と言ってよかった。
私だって、王太子の心がこちらから離れていたのは知っていたが、だからといって、彼がここまで馬鹿な行いをするとは、さすがに予想していなかったのである。
公衆の目の前で一方的に婚約を破棄し、国外追放を言い渡す。
それは私への、ひいては公爵家への宣戦布告と受け取られて当然の愚行だ。
我が公爵家は王国西部の海路を押さえており、広大な領地と富を誇っているのだ。
そんな公爵家が、私の国外追放を王家の総意と見なし国王陛下と仲たがいをしたら………最悪国を割る内戦状態に陥る。
当然、その可能性にイリウスも気づいているはずで、助けを求めるようこちらをチラ見していた。
………陰険眼鏡よ、そんな情けない目でこちらを見るんじゃない。
いつもの腹立たしいまでに自信満々だった眼鏡男子っぷりはどこにいったんだ?
いくら王太子のうつけっぷりが予想外だったとはいえ、元はと言えばそちらの企みが原因でしょ?
しっかり責任を取れと言いたいが……………残念なことに、今この場を治められるのは、私しかいないようだった。
仕方ない。
不本意この上ないが、国のことを思えば私が貧乏くじを引くしかないようだった。
「………殿下のご意思、確かに聞かせていただきましたが…………。私の国外追放の件は、国王陛下もご承知なさっているのですか?」
「父上たちには、後々了承を得るつもりだ」
どうやらやはり国外追放の宣告は、うつけ王太子の単独プレーだったらしい。
しかし問題はこんなうつけでも、彼が国王夫妻の唯一の男児だということだ。
一人息子とはいえ、あぁもうつけなんだから廃太子すればいいのにと思うが、そうは問屋が卸さなかった。
フリッツが廃太子になった場合、次期国王候補として残るのは、聡明と知られる王弟殿下だ。
国王陛下は王弟殿下を良く思っておらず、王位を渡すなどもっての他だと考えているのだった。
ゆえに国王陛下に、フリッツの廃太子という選択肢は無い。
フリッツが私の国外追放を強く主張した場合、国王陛下は悩み板挟みとなり、国政も混乱状態になるはずだ。
私の国外追放が愚行だと国王陛下は理解できるはずだが、だからといって王太子であるフリッツの宣告を取り消させ、私への対応を二転三転させるようでは、王家の威厳が保てないという一面もあるのだ。
「………わかりましたわ、殿下。それでは陛下にお伝えしてくださいませ。私レティーシアは、フリッツ殿下に嫌われたようですので、殿下のお気持ちを慮り、しばらく国の外に出ることにいたします」
『フリッツに嫌われたから』というのが肝だ。
やってもいないスミアへの虐めを断罪されてはたまらないし、こう言っておけば、悪いのは個人の好悪で公爵令嬢を追放したフリッツだと印象付けることができるはずだ。
公爵家と王家の対立なのではなく、フリッツ個人のわがままを、私が聞き入れたという形にする必要があった。
私の意思がちゃんと陛下に伝わるように王太子を監視しろ、と。
イリウスを見つめ、圧力をかけておく。
彼のメガネが輝き、頷くのを確認した私は、こんな馬鹿げた場を去ることにした。
踵を返し学院の出口へと向かうと、哀れみと嘲笑の声が追ってくる。
『王太子に棄てられた女』
『栄えある祖国を追われたかわいそうな令嬢』
そんな声が、小さく鼓膜をひっかき耳に残る。
………我が国は歴史だけは古く、貴族たちの多くは他国のことを新参者と見下していた。
ゆえに、国外追放すなわち死罪と同等と言った価値観が、貴族たちに共有されているのだ。
もっとも私はそこらへん、前世の記憶のおかげかそこまで悲観していなかったのだが―――――――
―――――――――――ともあれ私はその日、婚約破棄のとばっちりを受け、国を追い出されることになったのである。




