34.生誕祭当日
生誕祭までの5日間は、瞬く間に過ぎていった。
やるべき事、確認するべき事柄は多い。
目まぐるしく動き回っているうちに、あっという間に当日だ。
会場の大広間へと入ると、いっせいに視線が集まった。
基本私は離宮に引きこもりだ。
今日初めて、王妃である私の姿を直接目にする人間も多かった。
好奇、警戒、値踏み、観察。
向けられる視線に臆すことなく、優雅に歩みを進める。
メイドたちの力作の、白薔薇の造花と宝石で飾られた髪が揺れる。
ドレスは、祖国から持ってきたとっておきの品だ。
華やかな薔薇色の布地を、髪と同色の金の刺しゅうが彩る。
胸元は鎖骨を見せ、華奢なデコルテや姫袖の袖口には、淡雪のようなフリルとレースが重ねられていた。
厨房で着ていたエプロンドレスと比べたら、装飾が多く動きにくいことこの上ない。
だがその分、王妃の名に恥じない華のある上品な装いであり、人々の目も釘付けになっていた。
すれ違いざまに微笑を投げかけながら進んでいると、ナタリー様達の姿が目に入る。
「ごきげんよう。今日はきちんと、礼を尽くした服装でお目にかかれ嬉しいですわ」
ディアーズさんが不快気に顔を歪めた。
五日前、離宮の厨房に踏み込んできた非礼を忘れていないと、暗に匂わせてやったからだ。
あの日の非礼を咎め、ディアーズさん達を罰せさせる選択肢も存在していた。
だがそれだけでは、貴族であるディアーズさんに厳罰を下すのは難しい。
それに公に罰を求めたら、『王妃はシフォンケーキの盗作がバレた腹いせに、こちらを罰して口を封じようとしている』と反撃される可能性もあった。
それは面白くない、泥沼の未来の訪れだ。
勝負をしかけるなら、準備を整えた今日より他になかったのである。
「陛下、お久しぶりです。24歳のお誕生日おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。今日はおまえも、久しぶりの華やかな場を楽しむといい」
王妃の私に用意された席は、陛下の右横だ。
夫婦としてはごくあっさりとした会話を交わし、陛下の横へと座る。
ちらりと横目で陛下の姿をうかがうも、その表情に感情の色は見受けられなかった。
癖の無い銀色の髪が、氷のごとき美貌を引き立てている。
すらりと引き締まった体を、金糸で飾られた深い蒼色の上衣がひきたて、右肩には襟付きの黒マントをかけている。
国王として威厳の漂う装いに、首元の白いクラヴァットと、瞳と同じ碧色の宝石が華やかさを添えていた。
「―――――――――それではこれより、グレンリード陛下の誕生日の祝いを開催致します」
司会役の貴族の開会の言葉の後、順番に捧げものを携えた貴族たちが前に出てくる。
贈り物の多くは、それぞれの領地の名産である工芸品や宝石の類だ。
順番が廻り、ナタリー様がシフォンケーキもどきを献上した際には、貴族たちに軽いどよめきが走った。
「料理を捧げるとは珍しいですな」
「それ程自信のある料理なのでしょうか?」
「先日あのケーキを食べましたが、新鮮な食感でしたよ」
「美味というほどではありませんが、あの食感は新しい発見ですね」
「形も目新しいですし、印象に残る良い贈り物ですな」
やはり貴族の目から見ても、シフォンケーキの形や食感は珍しいらしい。
ケーキの作成者として紹介されたギラン料理長が、得意げな視線をこちらに送ってくる。
盗人猛々しい態度に内心腹を立てているうちに、私の順番が回ってきた。
王妃であり、トリを務める私の捧げものに、人々の興味が高まるのがわかる。
席をたち、盆を捧げ持つジルバートさんとルシアンを従え歩みを進める。
陛下の前で礼をし、ルシアンに盆の覆いをとらせると、広間が一斉にざわめいた。
にわかに騒がしくなる人々を、陛下がひとにらみで黙らせる。
「―――――どういうことだ? 盆上のその品、さきほどナタリーが捧げたものと同じに見えるのだが?」
「同じではありません。こちらの方が美味であり、陛下に捧げるに相応しい本物です」
「ほぅ? それはつまり、ナタリーたちがおまえのケーキの作り方を、盗みだしたということか?」
「はい、その通りです。シフォンケーキの発案者を名乗るギラン料理長は、めでたきこの場にそぐわない、醜い嘘をついておりますわ」
「そうか。―――――――――――ギラン料理長、妃の主張に対し、何か反論はあれば言ってみろ」
「真っ赤な大嘘です!! 偽りを申しているのは、レティーシア様の方ですよ!!」
ナタリー様の背後から、ギラン料理長が飛び出した。
「シフォンケーキを最初に作ったのは私どもです!! その証拠に、先日私たちは既に、多くの方々へシフォンケーキを振る舞っています!!」
「あぁ、それは私も聞き及んでいるな。レティーシア、それに対してはどう説明するつもりだ?」
「確かに、先に広くシフォンケーキを公開したのは、あちらかもしれません。ですがそれ自体が、おかしいとは思いませんか? 陛下の誕生日を祝うために開発したケーキを、先に多くの人間へと振る舞っては順番が逆ですし、せっかくの新鮮さも薄れてしまいますもの」
私の指摘に、「確かに、レティーシア様の仰る通りだな」と小声で肯定する貴族が何人かいた。
「ギラン料理長が、そのような行動に及んだ理由は1つだけ。私たちから盗んだレシピを、さも自分が発案したものだと見せかけるためでしかありません」
「濡れ衣だ!! 自らの盗作を正当化するために冤罪を被せるなど、王妃として恥ずかしくないのですか⁉」
「盗作? それはあなた方の方でしょう? このシフォンケーキは、この国にくる以前より構想を練っていたケーキです。この国で実際に完成品を作り出したのも、こちらの方が先ですわ」
「何をふざけたことをおっしゃるのですか?」
ギラン料理長が鼻で笑った。
「レティーシア様の祖国では、貴族の女性は料理に関わらないはずです。わかり切った嘘をつくのはおよしください!」
「それは一般論です。私はこちらの国に来る前にも、趣味の一環で厨房に立っていますわ。実家の公爵家の料理人たちに聞き取りを行えば、証明するのはたやすいですわよ?」
「そんな証言、何の証拠にもなりませんよ!! 公爵家のお抱え料理人なら、レティーシア様に都合のいい嘘をつくに決まっているじゃないですか!!」
「えぇ、そうね。確かに、その通りかもしれないわ」
あっさりと肯定してやる。
「では反対に聞きますが、そちらがシフォンケーキの開発を私より以前に行っていたと、証明できる証拠はありますか? もちろん、五日前のお茶会以外でお願いしますわよ?」
「私を含め、ナタリー様に仕える料理人たちが証人です」
「認められません。今あなた自身が、わが公爵家の料理人の発言に信ぴょう性は無いと断言なさいましたよね? なのに何故、あなた方の身内の料理人の証言が認められると思うのですか?」
「それはっ…………」
言いよどむギラン料理長と入れ替わるように、ディアーズさんが前に出た。
「わが離宮の料理人だけではありません。このケーキは、独特な形状をしています。焼き上げるための専用の型を、半年ほど前に鍛冶師に発注して作らせていますわ」
「そちらの公爵家お抱えの鍛冶職人に、ですか? それでは偽証するのは容易く、証拠にはなりえません」
「………疑い深いお方ですこと。決定的な証拠が無いのは、レティーシア様の方じゃないですか? 少なくとも私どもには、五日前にシフォンケーキを公開した実績があります」
「証拠があればよろしいのですね?」
ディアーズさんに微笑みかけ、私は陛下へと視線を送った。
「陛下、証明のため、一つ魔術を使いたいと思います。許可をいただけますか?」
「…………許す。やってみろ」
興味深そうに、陛下の碧眼が細められた。
すると背後に控えるルシアンが、私へと布袋を渡してくる。
掌に乗るほどの、小さな袋のその中身は。
「鉄くず………?」
「一体何をなさるつもりだ?」
不審がる貴族たちの呟きをBGMに、さっそく魔術を行使することにする。
使うのは、前世の記憶に目覚めてからもっともお世話になっている、お馴染みの『整錬』の魔術だ。
「あの形は………」
「もしや、ケーキを作るのに使う道具か?」
ざわめきの中、ドーナッツ状のシフォンケーキ型を高く掲げてやる。
「これこそが、私がずっと以前より、シフォンケーキの構想を練っていた証拠です」
「…………一体、何を仰っているのですか?」
ディアーズさんが馬鹿にしたように笑った。
「レティーシア様が、魔術を使えるということはよくわかりました。ですがこの場は、お粗末な一発芸を披露する場ではないのですよ?」
「一発芸? この『整錬』で作り出したケーキ型が、丸三日は壊れないとしても、ですか⁉」
「なんですとっ⁉」
叫び声をあげたのは、ふくよかな体型の中年男性だった。
「発言を失礼します!! レティーシア様、それは本当ですか⁉ その型を触ってみてもよろしいですか⁉」
「えぇ、どうぞ」
駆け寄ってきた男性にケーキ型を渡してやる。
矯めつ眇めつつ、時に指先で表面を弾きつつ、じっくりと観察していた。
「これは確かに、指で弾いてもひび割れが走る気配も無く………。このままの状態で三日間もつのですよね?」
「はい。少なくとも3日、おそらくは4、5日は大丈夫です」
「素晴らしい!!」
男性は叫ぶと同時に、ご神体のようにケーキの型を恭しく捧げ持った。
奇特なその様子に、広間の視線が集中する。
男性もさすがに気づいたのか、ごほんと一つ咳ばらいをし姿勢を正した。
「これは失礼。お見苦しいところをお見せしました。私、この国の宮廷魔術師長を務める、ボドレーと申します。レティーシア様の素晴らしい魔術の御業を目にし、つい興奮してしまいました」
「……素晴らしい? こんな小さな、ケーキ型を作り出す程度の地味な魔術がですか?」
ディアーズさんが胡乱気な声をあげた。
『整錬』はマイナーな魔術だから、ディアーズさんの目にはその価値がわからないようである。
「地味だなんてとんでもない!! この『整錬』、作り出した物体は一時間ともたず壊れるのが通常です。それが三日も形を維持するとは、驚異的なことなのですよ? レティーシア様ほどの若さで実現なさるとは、素晴らしいという他ありません」
「魔術の講義はわかりました。それでそのことが今、何の意味があるというのですか?」
「大ありですよ。『整錬』で作り出す物体の強度や耐久性は、術者の経験と想像力が物を言います。レティーシア様は優れた魔術師のようですが、それでも一朝一夕で、このケーキ型は作れません。何年か何十年か…………少なくとも、この国に王妃として嫁がれてからの短い期間で、作り出せるはずはありません」
断言するボドレーさんに感謝しつつ、私は口を開いた。
「はい。ボドレー様の説明してくださった通りです。二年前から『整錬』でケーキ型の作成をはじめ、何十回もの失敗の果てに、一年ほど前に数日間壊れない強度のケーキ型の作成に成功しました」
「たったの一年間ですか!! 素晴らしいですね!!」
キラキラとした眼差しが少し痛い。
………本当は私、数日の練習で、しかも一か月は壊れないケーキ型の『整錬』に成功していたわけだけど。
三日間壊れないケーキ型を『整錬』できる時点で、地味に反則に片足を突っ込んでいる状態だ。
色々と騙す形になるが、この世界でシフォンケーキを最初に作ったのが私なのは本当だから、大目に見て欲しいところだった。
今作り出したケーキ型は、わざと強度を落としてあるから、そう簡単にバレないはずである。
そう考えつつ周囲の様子をうかがうと、貴族たちのこちらへの視線が好意的になっていた。
「二年も前から、ケーキ型を作る練習をしていたのか」
「少なくとも、この国に来る前から構想はあったのは間違いない」
「それに引き換えナタリー様の側は証拠が弱いな…………」
「あの変わった形のケーキが、偶然被るとは考えにくいしなぁ」
罪人を見るような視線を向けられたディアーズさんが、顔を歪ませ叫びだす。
「詭弁です!! そこにいるレティーシア様の離宮の料理長ジルバートは、元々私たちの離宮を首になった料理人です!! 首にされた腹いせにレシピを横流ししたに違いありません!!」
「それは話が逆でしょう? あなた方が追い出したジルバートさんが、私と共に成功を収めるのが悔しいから、妨害しようとしただけです。証拠だってここにありますわよ?」
合図をすると、ジルバートさんが持っていた盆の覆いをとった。
そこにあったのは、うっすらと茶色がかったシフォンケーキだ。
「こちらはシフォンケーキの生地に紅茶を混ぜ込んだ応用品です。こちらがレシピを盗用したというのなら、当然そちらだって、紅茶入りのシフォンケーキをすぐに作り、提出することができますわよね?」
「それは………」
ギラン料理長が苦しげに呻いた。
彼だって一応、料理で生きてきた人間だ。
一見簡単に見える料理のアレンジだが、すぐに成功するとは限らないと知っているに違いない。
事実、この紅茶味のシフォンケーキだって、前世の知識を持つ私と、一流の料理人であるジルバートさんの協力の上で出来上がったものだ。
純粋な料理人としてジルバートさんに劣るであろうギラン料理長が、一発で完成させられるかは怪しかった。
「この場には持ってきていませんが、他にも何種類か、味の異なるシフォンケーキが作れます。こちらが盗作したというのなら、当然そちらもすぐ、同じかそれ以上の品を作れるはずですよね?」
「…………っ、屁理屈です!!」
ディアーズさんが叫んだ。
「その紅茶味のケーキも、全ては私たちから盗み出したレシピを土台にした品物です!! そんなもので、こちらを責めるなんて問題外で―――――――――ひっ⁉」
他の人間には見えない様、お父様譲りの威圧的な笑いを浮かべ、ディアーズさんへと近づいた。
「いい加減、罪を認めた方がいいですわよ? まだ証拠が足りないというのであれば、そちらの盗作について、決定的な証拠を公開しましょうか?」
「はったりを言わないでください。証拠があるなら、今すぐ出せばいいじゃないですか!!」
「そちらが、ここまで往生際が悪いとは思わなかったもの。私の部屋の引き出しに証拠となる書類が保管してあるから、今すぐ取りに行かせましょうか?」
「っ…………捏造よ!! どうせ偽物に決まっているじゃ―――――――――」
「ディアーズ、黙りなさい」
尚も言い逃れようとするディアーズさんの叫びを、静かな声が遮った。
広間が水を打ったように静まり返る。
声の主は、今まで全員から存在を忘れていたも同然のナタリー様だった。
「これ以上、陛下の御前で見苦しい姿を晒すのはよしなさい。今回の件、非は全て私たちにあるのですから」
「ナ、ナタリー様? 何を仰っているのですか?」
いきなり口を開いたナタリー様に、ディアーズさんが戸惑っていた。
私もちょっと驚きだ。
ナタリー様、今までの言い争いの間もずっと、お人形さんのように黙り込んでいたものね。
「シフォンケーキの盗作の件は、私が指示したものではございませんが…………。ディアーズもギランも、二人とも私の配下の人間です。罰を受けるなら、私が引き受けたいと思います」
少し震えた声で、しかしナタリー様は言い切った。
「ナタリー様⁉ 何を勝手なことを言っているのですか⁉ 悪いのは全てレティーシア様達です!! 私たちは何も罪を犯してなどおりません!!」
「その言葉、真か?」
事態の推移を傍観していた、グレンリード陛下が口を開く。
この場の、そしてこの国の頂点に座す陛下へと、ディアーズさんが必死に弁明を始めた。
「もちろんです!! シフォンケーキを最初に作ったのは私たちですわ!!」
「そうか」
頷くグレンリード陛下だったけど―――――――
「おまえは私のことを、簡単に騙せる相手だと侮っていたのだな」
「なっ⁉ 突然何を仰るのですか⁉ そんなこと決してありません!!」
「おまえの言葉は嘘ばかりだな。この書類を見るといい」
陛下の側近が、ディアーズさんへと一枚の書類を手渡した。
側近はそのまま広間を回り、私や有力貴族たちに書類を配っていく。
陛下の署名がなされた紙片。
そこに記されていた文章を要約すると、『私ども鍛冶師はディアーズ様の指示を受け、ケーキ型を半年前に作ったことにいたしました』という証言をまとめた内容だった。
ディアーズさんは書かれている内容に身に覚えがあるようで、今やガタガタと震えだしていた。
「ディアーズ、何か弁明はあるか?」
「あ……………」
「お抱え鍛冶師が裏切ったのが不思議か? 単純な話だ。公爵家の権力で偽証を強要させた以上、より強い権力が出てきたら綻ぶのは当然だ。この書類に書かれた調査は、私が命じて行わせたものだ。おまえたちの怪しい動きは、こちらでも把握していたからな」
陛下の宣告に、崩れ落ちるディアーズさん。
………陛下、人が悪いというか、やり手だなぁ。
書類が用意されていた以上、この場より前にディアーズさん達の盗作を問い質すことだってできたはずだ。
なのにこの場を選んだのは、大勢の目のある場所で断罪するため。
ディアーズさん及びナタリー様達西方貴族の勢いを削ぎ、自らの眼力と調査能力を見せつけ、国王の権力を強めるためだった。
もし私が盗作の件で泣き寝入りしていたところで、陛下なら何らかの形で盗作の件を明るみにだし、自らの手札として利用していたのかもしれない。
陛下は24とまだ若く、国内貴族の手綱を握り切れていないせいで侮られている部分もあるけど、為政者の資質としては優秀なのかもしれなかった。
「自ら非を認め、配下の罪を贖おうとしたナタリーに比べディアーズ、おまえは余りに醜悪だ。料理人の誇りを汚し、盗作の実行犯となったギラン料理長ともども、罰は免れないと覚悟しろ」
お読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になるなど思っていただけましたら、感想や評価などいただけると嬉しいです。




