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29.苺大好き庭師猫


「魔物の宝石………」


 その名を呟いてみると、脳の奥から浮かびあがる情報があった。


『宝石のごとく美しい紫の果実』

『しかしてその実は毒を含み、食せば苦痛をもたらして』

『調合により一つまみで死をもたらす毒薬となり』

『その外見は美しくとも、本性は人にあだなす魔物と同じであり』

『―――――――故にこの紫の果実は、魔物の宝石と呼ばれているのである』


 美しき毒薬の原料として、歴史書や古典にたびたび名を現わすその存在。

 祖国では危険植物として、数十年前に根絶やしにされているはずだ。

 そのせいで実物は見たことは無かったけど、この苺のような果実がそうらしい。

 

「…………毒?」


 一気に血の気が引く。

 目の前の料理人も青くなっている。

 衝撃が恐怖へと転化する寸前、真っ赤な果実が目に入った。


「違うわ!! この果実は赤‼ 魔物の宝石は紫色をしているはずよ!」

「あっ!!」


 料理人が目を見開き、まじまじと真紅の果実を見た。


「………赤以外の何色にも見えませんが…………。その形、以前料理人の修行の一環で見た、魔物の宝石とそっくりです…………」

「そうだったの…………。でもきっと、魔物の宝石では無いはずよ。色が違うし、魔物の宝石は実の状態で食べた場合は、すぐに体調不良が出るはずよね?」

「はい、そのはずです。レティーシア様、博学なんですね。早とちりをしてしまい、申し訳ありませんでした……」


 恐縮しきって頭を下げる料理人。

 謝罪を繰り返す彼をなだめていると、背後から声がかけられる。


「『貧者の宝石』とは、ずいぶんと珍しい食材をお持ちになられたんですね」 

「『貧者の宝石』?」


 声の主は、ジルバートさんだ。

 厨房へと入ってくると、赤い果実を覗き込んでいた。


「ジルバートさんは、この果実を知っているのですか?」

「えぇ。いくどか食べたことがあります。味は私も気に入っているのですが…………外見が少し問題でして、滅多に流通していませんから、レティーシア様がご存じなくても当然だと思います」

「形………『魔物の宝石』とそっくりだからこそ、忌避されたということでしょうか?」

「その通りです。色は紫と真紅と異なっていますが、形と言い大きさと言い、そっくりですからね」


 ジルバートさんの説明曰く。

 数十年前、南方大陸との交易が活発になった際、『貧者の宝石』がこの大陸にもたらされたらしい。

 南方大陸では食用としてありがたがられていたらしいが、この西方大陸では事情が異なっていた。

 この大陸には古くから、『魔物の宝石』と呼ばれ嫌われていた植物が存在していたのだ。


 『魔物の宝石』の色違い版のような『貧者の宝石』は、この大陸では受け入れられなかったらしい。

 未知の食材というのは、やっぱり抵抗感が大きい人が多いと思う。

 ましてやその外見が、毒を持つ既存の植物と似ていては、拒絶感は尚更大きいものになったのだ。


 ………この辺の事情は、地球のトマトの歴史と似ているかもしれない。

 私の前世でこそ、イタリアンや西洋料理の定番食材になっていたトマトだけど、ヨーロッパでの食用の歴史は意外に浅かった。


 時代は大航海時代。

 南米よりもたらされたトマトだが、当時の人々の反応は思わしくなかったらしい。

 美味しくて栄養もたっぷりなトマトだけど、その形が問題だった。


 当時ヨーロッパでは、ベラドンナという植物の実が毒として恐れられていた。

 私も写真で見たことがあるけど、ベラドンナの実は黒く艶やかな球形で、トマトと形が似ていた。

 そのせいでトマトも有毒だと考えられ、食用として普及するまで長い時間がかかったらしい。

 

「………なるほど。だからこの赤い果実が、『貧者の宝石』と呼ばれていたのね」

「? どういうことでしょうか?」


 料理人が疑問符を浮かべていた。


「背に腹は代えられない、というところよ。『魔物の宝石』と似ているからと毛嫌いしていても、食べるものがそれしか無ければ、飢えをしのぐために口にせざるをえないでしょう? 飢え追い詰められ、貧困にあえぐ人間からしたら宝石のように貴重な存在だからこそ、『貧者の宝石』と、皮肉交じりの名前で呼ばれているんじゃないかしら?」

「ご名答です。さすがですね」


 ジルバートさんに視線を向けると褒められる。うれしかった。


「この『貧者の宝石』、有毒である『魔物の宝石』とまぎらわしいため、通常は見つけ次第駆除されるのが普通なのですが、我が国の土があっていたようで、たまに野生で生えているんですよ。そして飢饉の際、貧しい民が食用に用いたことから、そのあだ名がつけられたと聞いています」

「あだ名ということはやはり、正式な名称があるのですか?」

「ジルヴィリュギマヴィーナガブン」


 なぜいきなり呪文を?

 と一瞬思ったけど、この実の正式名称のようだった。


「ジルヴィリュギマヴィーナガブン………随分と、発音しづらい名前ですね」

「その通りだと思います。レティーシア様のように、一発で覚え諳んじられる方はほとんどいませんね」


 何百人にもおよぶ貴族たちの名前を暗記させられた、お兄様たちのスパルタ教育の賜物である。


「南方大陸の言葉で、赤い賜りもの、という意味だと聞いていますが、こちらの大陸では誰もそう呼んではでいませんね。『貧者の宝石』というあだ名の方が、まだ通りがいいと思います」

「そうでしたの………。でしたら私は、この実を苺と呼びたいと思います」

「イチゴ?」

「はい、苺です。昔書物でこの果実のことを、苺と呼ぶこともあると見た覚えがあるんです。ジルヴィリュギマヴィーナガブンという長い名称を正確に発音するのは難しいですし、『貧者の宝石』というあだ名も、あまり良い意味ではありませんから、これからは苺と呼んでも良いでしょうか?」

「えぇ、イチゴと言う響き、馴染みはありませんが、発音しづらさはありませんから、そう呼ぶことにいたしますね」

 

 イチゴ、イチゴ、イチゴと。

 中年男性であるジルベールさんが真面目に呟いている様は、ちょっと面白いのだった。


「それにしてもこのイチゴ、レティーシア様はどこで見つけてこられたんでしょうか? 王城内の森には、生えていないはずなのですが…………」

「猫についていったら、見つけたのよ」

「猫?」

「ほら、そこに。厨房のドアから覗き込んでいる、灰色の縞模様の猫がいるでしょう?」


 人間たちの様子を観察するように、ライトグリーンの瞳がまたたいている。

 こちらから近寄ると、そのぶんだけ遠ざかるサバトラ猫。

 ジルバートさんはどこか納得したように、首を縦へと振っていた。


「なるほど………。レティーシア様、こちらのイチゴを、一つお借りしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ。イチゴで釣るつもりですか?」


 警戒心が強そうなサバトラ猫だ。

 そんなあっさりと行くのだろうか、と思ったけれど。


「見事に釣られていますね………」


 ルシアンがぼそりと呟いた。

 言葉の通り、ジルバートさんがイチゴを手に持ち腰をかがめると、猫が髭をひくつかせた。

 そのままジルバートさんが近寄っても逃げ出さず、イチゴに視線が吸い寄せられている。


 ふらりふらりと、イチゴへと近づくサバトラ猫。

 しかし、もう少しでイチゴにかじりつくところで、ジルバートさんがイチゴを持ち上げ歩き出す。

 釣られる様にサバトラ猫も体を伸ばし、二本の足で立ち上がった。


「え…………?」


 とっとことっとこ。

 イチゴを手にしたジルバートさんの後を追い、サバトラ猫が二本足で歩きだす。

 まるで人間のような歩き方で、ふらつくことも無く二本の足を動かしていた。


「猫…………じゃない?」

 

 猫は二本足で歩かない。

 歩いたとしても、ほんの短い距離だけのはず。

 それは、この世界の猫だって同じはずだった。


「やはり、庭師猫(にわしねこ)ですね」

「庭師猫………。幻獣の一種ですか?」


 幻獣。

 獣とも魔物とも違う、希少な存在だ。

 魔力を宿し不思議な力を使う生き物たち。


 なかなかお目にかかる機会がないが、この世界、竜やグリフォンといった幻獣が存在しているのだ。

 せっかく異世界転生を果たしたのだから、いつかは生で見てみたいと思っていたけど………。

 まさかこんなところで、幻獣に遭遇するとは驚きだった。


「庭師猫は、この国に稀に現れる幻獣で、植物の成長を促す能力を持っているはずです。通常は花をつけるまで一年以上かかる植物でも、ほんの数日で開花させる力があると聞いています」

「小さい体なのに、すごいのね」

「猫のように見えても、さすがは幻獣といったところなんでしょうね。ただ、その能力と愛らしい外見のせいで、数百年前に乱獲の対象になってしまったんです。今ではもう、一部の獣人の前以外には、滅多に姿を現わすことはないはずですよ」


 …………よくある話だ。

 便利な能力を持ち、姿かたちも美しいものが多い幻獣は、人により絶滅に追いやられることが多かった。

 結果、今でも生き残っているのは、強力な力を持ち人間が簡単には太刀打ちできない種や、辺境に生息する個体、そして擬態に長けた存在だ。


 庭師猫は、二本足で歩く以外は、猫そのものと言った外見だ。

 人間に狩られないよう、猫に紛れ、ひっそりと息づいていたのかもしれなかった。


「…………ですが、でしたらなぜ、この庭師猫は私の前に姿を現わしたのでしょうか?」

「イチゴが食べたかったからじゃないでしょうか?」

「どういうことですか? この庭師猫、さきほどもイチゴを食べていましたよ?」

「庭師猫の中には、美食家とでもいうべき個体がいるらしいです。彼らは、自らの魔力で育てた植物を人間に提供し、その見返りに、植物を使った料理を要求することがあると聞いています」

「料理を…………」


 つまり、この庭師猫はイチゴ料理が食べたい。

 だが、この国の人間は基本的にイチゴを嫌い、食用にするという発想が無いのだ。

 なかなかイチゴ料理を作ってくれる人間が見当たらず、さまよっていたのだろうか?

 イチゴを躊躇なく口にした私との出会いを、逃してなるものかということかもしれなかった。


「イチゴ料理のためだけに、私の後をついてきたの…………?」


 人間に狩られるかもしれないという警戒心<<<イチゴ料理が食べたいという欲求ということだろうか?

 …………この二足歩行する猫っぽい幻獣、筋金入りのグルメ生物なのかもしれなかった


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