19.料理人の事情
食堂へと運ばれた、ふんわりと香り立つシフォンケーキ。
食べやすいよう切り分け、並行して作っておいたホイップクリームを乗せて完成だ。
よく泡立てられたクリームは空気を含んで軽やか。
ふわふわで卵色のシフォンケーキにのっかる、白いホイップクリームは雲のようだ。
柔らかで美味しそうな色合いで、見ているだけで幸せになれる組み合わせだった。
味や食感に変化が出るし、シフォンケーキのけばだった箇所を隠すことも出来る盛り付け。
今夜は筋肉痛間違いなしだけど、頑張って作ってみた甲斐はあると思う。
「レティーシア様~~! 仕事終わらせてきました! お菓子まだありますか?」
「クロナ、おかえりなさい。今からちょうど試食よ」
「やった~~!」
喜びの声をあげつつ、私の正面へと座るクロナ。
ケーキを切り分けホイップクリームを盛ってやると、いそいそとフォークを握り手を伸ばした。
「しゅわっと…………!!」
一口含んだクロナが、目を開き驚いていた。
興奮した猫のように、瞳孔が丸く広がっている。
彼女に続き、私もケーキを口へと運んだ。
軽い生地が柔らかく、それでいてしっとりとした甘さを伝えてきた。
しっとりしつつもふわふわと。
卵とお砂糖の甘さが口の中を満たしてくれる優しい味わいだ。
生地の中に油を加え混ぜることで生み出される、絶妙な食感なのである。
クロナも夢中になっているようで、あっという間にぺろりと食べきり、無言でお代わりを要求してきた。
美味しく食べてもらえ嬉しいが、私は首を横へ振ることにする。
「残念だけど、今日はこれだけよ。厨房を貸してくれた料理人の方たちにも食べてもらうつもりなの」
「無念…………。でも確かに、これは独り占めはいけませんね…………」
無言で哀愁を漂わせるクロナ。心なしか、尻尾がしょげているような気がした。
「………また作るつもりだから、その時はクロナや、侍女のみんなで分けてもらえるかしら?」
「はい! ありがとうございます!!」
一転して、嬉しそうに瞳を輝かせるクロナ。
…………シフォンケーキ、これだけ喜んでもらえるなら、掴みは上々というところだろうか?
折を見て侍女や使用人たちにも振る舞い、交流のきっかけにしていくつもりだ。
シフォンケーキを食べ終え、ルシアンの淹れてくれた紅茶で一服していると、食堂のドアが叩かれた。
入ってきたのは、この離宮の料理長であるジルバートさんだ。
細身でひょろりとした長身で、目元の落ちくぼんだ中年男性なんだけど………。
………それにしても、ちょっと顔色が悪いような?
影のある雰囲気は前からだが、今日は以前にも増して暗い気がする。
「レティーシア様、お菓子が完成したと聞きました。私もご相伴にあずかっても?」
「お願いします。感想など聞かせてもらえると助かりますわ」
ケーキを切り分け差し出す。
ジルバートさんはしばらく見た目を観察し香りを確かめた後、もそもそと食べ始めた。
シフォンケーキの出来栄え、本職の料理人の感想はいかに?
少しどきどきしながら待っていると、ジルバートさんの雰囲気が暗く重くなる。
「お口にあいませんでしたか…………?」
恐る恐る聞いてみると、ジルバートさんがはっとしたように顔を上げた。
「違います!! お味はとても美味しいのです!! ですが、だからこそ………」
どういうことだろうか?
美味しい、という評価は嬉しいが、それにしては表情が暗すぎる。
ジルバートさんはどんよりとした顔のまま、懐へと手を伸ばした。
取り出された紙片。そこにつづられた文字は。
「…………辞表?」
ジルバートさんの性格を示すような、細かくも整った筆跡だが、書かれている単語が問題だ。
「もしや何か、身内やご家庭の事情に差し障りでもあったのですか?」
「いいえ、違います。元より覚悟していたことが、今のシフォンケーキで現実になっただけです」
「…………どういうことでしょうか?」
ケーキを出す。美味しいと言って食べてくれる。顔を青くされ辞表を出される。
………さっぱり意味が分からなかった。
「このケーキ、とても美味しかったです。このような素晴らしい料理を作れるレティーシア様からしたら、私などは料理人として力不足もいいところだと思います………。首を切られるのは慣れていますから、どうぞ心置きなく解雇なさってください」
「なぜそうなるのですか………。ジルバートさん達の作る料理、私は大変感謝しているわ」
本心である。
この離宮に来た翌日、私は食事の香辛料は控え目で、と伝えてあった。
メニューを丸ごと変えさせるのは忍びなかったため、そう頼んだわけだけど、その結果出てきた料理は、ずっと食べやすくなっていた。
多少香辛料が減らされたとはいえ、あいかわらず味が濃いのは変わらないが、濃いなりに調和のとれた味付けになっていて、これはこれでありかなという料理になっていたのだ。
さすがに毎日濃い料理では舌が飽きるから、今日はシフォンケーキを作ってみたわけだけど。
今までこの世界で食べてきた貴族料理としては、一番美味しかったまであるのである。
味付け以外、盛り付けや食材の切り方なんかを見ても、ジルバートさん達の調理技術は確かなはずだ。
そんな料理を作ってくれた彼を、私が解雇するわけがない。
辞表を突き返し説得すると、ジルバートさんがほっと胸を撫でおろすのがわかった。
「すみませんでした。てっきり、料理の味付けを変えるよう命じられたのも、今日レティーシア様自らが厨房に立たれたのも、私どもの料理がご不満なのかと思ってしまっていたもので………」
「そんなことはありません。今日厨房へ入ったのはただの私の趣味ですし、味付けを変えてもらったのは、香辛料が控えめなのが好きだからです。ジルバートさんたちは、そんな私のわがままに、しっかり応えてくれています。自信をもってください」
「………ありがとうございます。こんな私めに、もったいないお言葉です」
恐縮するジルバートさんは、いっそ卑屈といってもいい態度だった。
王妃である私に対するにしても、あまりに腰が低すぎる物言いだ。
「ジルバートさん、一つお聞きしたいのですが………。先ほど、首を切られるのは慣れているとおっしゃいましたが、それはもしかして、この離宮に来る前の職場を、首になっているということですか?」
「はい、その通りです。お恥ずかしい話ですが………。私はここに来る前、さる貴人の方の元で、厨房を預からせていただいていました。しかしそこで同僚と上手くいかず、暇を出されてしまったのです」
………そういう事情だったのか。
私がこの離宮に来ることになったのは、それなりに急に決まった話だ。
短い期間で、一流の料理人を集めることは難しかったに違いない。
だからこそ前の職場を追い出された、腕は確かだがわけありのジルバートさんが派遣されてきたのかもしれなかった。
料理人の仕事は、料理だけではないのだ。
同僚との人間関係の調節や、いかに雇い主に気に入られるか、という能力も必要になってくるのである。
王侯貴族などに雇われる料理人ほど、料理以外の能力の比重が重くなるもの。
時として料理人同士で派閥を作り争い、敗者は追い出されることがあるのだ。
ジルバートさん、悪い人じゃないとは思うけど、見るからに押しが弱そうだものね………。
腕や人柄に大きな問題点が見られない以上、職場での派閥争いに巻き込まれた可能性が高いのだ。
ジルバートさんは前の職場を追い出されたことで、自分の料理ごとすっかり自信を失っていたようで、世知辛い話だった。
「ジルバートさん、そんな顔をなさらないでください。あなたの作る料理は、確かな技術と経験の生かされたものだと思います」
「ありがとうございます。ですがこんな情けない私に対し、気を使って頂かなくても大丈夫ですから………」
「お世辞ではありません。その証明となるかはわかりませんが…………。もしジルバートさんさえよければ、お時間のある時に、私の料理に付き合ってもらえませんか?」
「………レティーシア様のお料理に?」
「はい。お願いできますか?」
色々作ってみたいレシピはあるけど、この世界特有の食材や料理方法について、私は素人も同然だ。
この世界の専門家であるジルバートさんの協力が得られるなら、地球産の料理の再現やアレンジも、ずっと進みやすくなるはずだ。
美味しい料理作りが捗り、その過程で、ジルバートさんが少しでも自信を取り戻せたらいいなと思ったのである。




