16.令嬢とダンベルとスローライフ
「ふっ、ふ、はっ、暇、ね、ふっ、ふっ」
ごきげんよう。
公爵令嬢でお飾りの王妃になったレティーシアです。
……………何をしているかって?
暇つぶし、兼、弱点克服のためのトレーニングである。
公爵令嬢として17年間生まれ育った私の弱点。
それ即ち、圧倒的な筋肉不足だった。
この世界に車や便利な家電製品はないが、公爵令嬢である私の周りにはいつも従者たちがいたのである。
結果、満足に体を動かす機会は少なく、運動不足なのだった。
ダンスや乗馬は習っていたけれど、あれはあくまで令嬢教育の一環、嗜み程度でしかない。
美しい姿勢を維持するための筋肉………たぶん、インナーマッスルとか、そんな感じの体幹の筋肉はそれなりにあるのだが、手足の筋肉は残念ながらもやし状態だった。
この前アイスを作った時も、その日の夜に筋肉痛になっていたのである。
魔術で泡立て器を作り、自分なりに工夫してあれだ。
料理はこだわりだすと、どうしても筋力や体力が必要となってくるもの。
特に、家電や調理器具が発達していないこの世界では、自分の体を動かさねばならない場面も多いはずだった。
ある程度は魔術で楽をするつもりとはいえ、体を鍛えておいて損はない。
…………ということで、私の両手には黒光りする金属の重り、いわゆるダンベルがあるのだった。
公爵令嬢にダンベル。
我ながら違和感バリバリな組み合わせだけど、筋トレに有用なのは間違いない。
そしてこのダンベル、筋トレだけではなく、地味に魔術の練習もするためだったりした。
土魔術、『整錬』。
自在に鉱物の形を変えるこの魔術、極めればかなり便利なはずである。
練習のために、私は前世のダイエット時に使っていたダンベルを思い浮かべ作り出したのである。
いくつか重さの違うダンベルを、左右の腕で使えるよう2つずつ、かつ持ちやすい形で作るのは、結構いい練習になったと思うのだ。
………そんなわけで出来上がった、おそらくはこの世界初のダンベルを手に、ここのところ私は筋トレに励んでいたのである。
「ふっ、ふっ、はっ、ふっ、今日で、もうっ、ふっ、十日か、ふっ」
離宮に来てから、今日で十日目。
その間、夫となったグレンリード陛下の訪れは一度も無かった。
陛下も色々と多忙な身の上なのは理解しているが、立派な放置状態なのである。
今のところ、国政に役割も与えられておらず、離宮で朝から夜までをすごす毎日だ。
森の中の離宮で夫に顧みられず置き去り…………。
一般的には冷遇状態だけど、今の私はこの生活を歓迎していた。
暇で平和なのはいいこと。スローライフ万々歳なのだった。
……………思い返せば、前世はずっと社畜をやってたし、生まれ変わってからも公爵令嬢としての勉強に忙しく、ここ数年は王太子妃教育も加わりハードスケジュールな毎日だったのだ。
それと比べれば、今の生活は楽園そのもの。
愛の無い結婚を嘆く気などさらさらなく、自由な毎日を与えてくれた陛下には感謝するしかない。
「ふぅ、今日も水が美味しいわね………」
筋トレを終え、用意してあったレモン水を飲み干す。
至福の一時。
このために生きているというやつだ。
爽やかにのどを潤すと、ダンベルを片付けるため戸棚を引き出す。
引き出しの中には重さの違うダンベルと、そして泡立て器が置かれているのだった。
手にするとひんやりとした金属の手触りで、よく私の手に馴染む形だ。
「この泡立て器、まだ壊れる気配がないのよね………」
試しに指ではじくと、泡立て部分の細い金属がびりりと震える。
震えるだけで、崩れ落ちたり、壊れそうな気配は一切なかった。
この泡立て器は、一月以上前、公爵邸にいる時に作ったものだ。
『整錬』で作られたものが通常一日も持たないことを考えると、驚異的な日持ちだった。
「うーん…………地味にチート………?」
毎回作り直さずにすむなら、便利なのは確かだ。
壊れない理由はまだよくわからないけど………おそらくこれも、前世の記憶が原因だと思われた。
『整錬』で作られた物体の寿命は、術者の想像力が影響するものらしい。
よく手に馴染んだ物体を模倣する程、強度や寿命が長くなるものだと言われていた。
だが、所詮は魔術で作られた物体だ。
どれほど模倣元の物体に触れ、その姿形を脳裏に焼き付け魔術を使ったところで、せいぜい寿命は数日。
というのが定説らしいが、私の泡立て器は既に一月以上健在で、いまだ壊れる予兆が無かった。
「鉄…………原子とか陽子とか、製鉄方法とか、そこらへんの知識が原因…………?」
中高の授業や雑学としてかじったくらいで、特別詳しいわけではなかったけれど。
それでもきっとこの世界の誰より、『鉄』という素材について詳しいのが、私なのかもしれなかった。
魔術なんてものが存在する以上、どこまで地球と物理法則が同じかも怪しかったけれど………。
それでも、壊れない泡立て器の原因としては、ある程度筋が通っているはずだった。
「レティーシアお嬢様。そろそろエドガーたちが来る時間です。準備はよろしいですか?」
「ありがとう、ルシアン。今いくわ」
泡立て器を引き出しの中へ戻すと、汗ばんだ下着を脱ぎ、エプロンドレスへと袖を通す。
このエプロンドレスは動きやすくも可愛らしい衣装で、汚れを落とすのも比較的簡単だ。
王妃としては簡素すぎる服装だが、公の場ではきちんとするつもりだし、何より離宮で放置状態なのだからと、着心地と便利さを優先した選択だった。
侍女の手を借りず手早く着替えると、前庭へと降りていく。
足取りは軽く、心はうきうきである。
エドガーの連れてくる狼たちとは、毎日前庭で触れ合っていたおかげで、懐かれはじめていたのだ。
「レ、レティーシア様、今日も失礼しますね」
「ごきげんよう、エドガー。今日も会えて嬉しいわ」
挨拶をして微笑みかけると、エドガーが顔を赤くして固まった。
ゆでだこのようだが、これがいつもの彼だ。
どうもエドガー、人間に接するのは苦手なようで、私やルシアン相手にはいつも緊張していた。
狼たちを統制する際の、堂々とした様子とは真逆なのだった。
そんなエドガーに引き連れられ、十頭ほどの狼が前庭へと入ってくる。
手入れされた花壇を嗅ぎまわる子。
ちょうちょを捕まえようと駆けまわる子。
そして私へと近寄り、しきりに頭をこすりつけてくる子がいた。
「よしよし、よく来てくれたわね」
頭を撫でてやると、物欲しげな目でこちらを見上げられてしまった。
何か期待するかのような様子に応えるべく、私はドレスのポケットを漁った。
「ほら、慌てないの。今日もといてあげるから、ね?」
ハンカチをしいて座り込むと、すぐさま横に狼が寄ってくる。
私の手には『整錬』で作った金属製のブラシ。
地球で言うところの犬用ケア用品、スリッカーブラシである。
前世の実家にいた頃は、よくスリッカーブラシでジローのお手入れをしてあげたものだった。
あの頃との違いは、持ち手が木か金属製かだけだ。
細い針金状の櫛が並んだブラシ部分は、なかなかに上手く再現できている自信作だった。
「ぐぅぅぅぅ~~~~~~っ」
スリッカーブラシでといてやると、狼が心地よさそうに喉を鳴らし、目を細めていた。
地肌を傷つけない様注意しつつブラシを進めると、灰色と白い毛が混じった綿毛が絡まり抜け落ちる。
季節は今、徐々に気温が上がってゆく春。
冬毛から夏毛へと変わり始める換毛期で、狼達は体がむずがゆいようだった。
スリッカーブラシでといてもらうと、体がすっきりして気持ちいい。
そう学習した狼達によって、私は毛づくろい係に任命されていたのであった。




