12.野営のポトフともふもふの王国
王都を発った私の旅は、それなりに順調に進んでいた。
途中、馬車をひく馬が足をくじき交代したくらいで、概ね予定通りの道行きだ。
旅を共にしているのは、実家から連れてきたルシアンと、気心の知れた二人のメイド。
それに加え、護衛として祖国からつけられた、王立騎士団の小隊だ。
異国の王の元へと嫁ぐ公爵令嬢の随行としては、かなり控えめな一行だった。
旅立ちが急だったのと、できるだけ静かに旅をしてきて欲しいという相手側からの意向を受けてのものだ。
私としては、大名行列みたいに大勢に傅かれ旅をするのは肩が凝りそうなので、こっちの方が気が楽だったりする。
相手側からの要請もあり、私は行く先々にある宿屋から外に出ることなくここまで来ていた。
少し残念だけど、安全や公爵令嬢という身分を考えると仕方ないのである。
順調に行けば、明日にでもヴォルフヴァルト王国の王都に入れると言ったところで――――――、
「魔物の発生が確認されたから、この先迂回路を取る必要がある?」
騎士団小隊長の報告を、私は馬車から降り聞いていた。
「ははっ。先行させていた隊員が、この先にある村で仕入れてきた情報です。どうやら村の先、街道に沿った場所で、魔物の目撃情報があるらしく………念のため迂回路を取っても大丈夫でしょうか?」
目の前には、がっちりとした巨体を屈め、申し訳なさそうにする騎士団小隊長の姿がある。
いっそ哀れなほど縮こまる彼に前世社畜な私も恐縮しつつ、どうするべきかと脳内の情報を整理した。
――――――――魔物。
この世界に古より存在する、人に仇なす魔性の物。
ザ・ファンタジーな存在だが、私はこちらに生まれ変わってから17年間、生でその姿を見たことは無かった。
理由は簡単。
魔物の多くは大陸の一画へと追いやられており、人の世界とは隔離されているからだ。
しかし残念ながら、私が嫁ぐヴォルフヴァルト王国は例外だ。
ヴォルフヴァルト王国は時として、『大いなる盾』と呼ばれることがある。
一見立派な名前だけど………理由はヴォルフヴァルト王国の北東部が、魔物の多く住む地、魔物領と隣接しているからである。
そんな事情もあり、私が来るまで、他国から王妃候補が現れなかったのだった。
幸い、ヴォルフヴァルト王国の兵士は精強であり、国内に魔物が跋扈しているという状態にはなっていないのだけど………それでもやはり、完璧に魔物の侵入を防ぎきることは難しいらしい。
どこからともなく魔物が侵入し、国内で目撃されることが毎年あるのだ。
魔物というのはどうやら、獣や虫と同じように、春になると動きが活発になるらしい。
私の嫁入りが急かされたのも、魔物発生の最盛期を避けるためだった。
「………魔物の動きは、人の意が及ばない天災のようなものです。万が一があってもいけませんし、迂回路を取ってもらえますか?」
「はっ。ですが、私どももそうしたいのはやまやまなのですが………」
「何か心配事があるのですか?」
言いづらそうな小隊長に、柔らかく微笑みかけてみる。
力の入った笑顔、悪役令嬢顔にならないよう、意識しつつ笑みを作った。
「宿が押さえられなさそうなんです。魔物の目撃に足止めをくらったのは他の旅人たちも同じようで、迂回路の先にある街の宿は、どこも既に満員のようなのです」
「そうでしたの。なら今日は、野営でお願いできるかしら?」
馬を引き連れての、街道のそばで野営。
キャンプみたいで、それはそれで貴重な体験になりそうである。
「ありがたいお言葉ですが………。レティーシア様は、それでよろしいのですか? 公爵令嬢ともあろうお方を野営させてしまうなど……………」
「問題ありませんわ。宿屋で供される食事はどこも豪華でしたが、少し飽きていたところです。気分転換に、野営をしてみるのも良いと思います。」
もう一度野営の許可を言葉にしてやると、小隊長が胸を撫でおろすのがわかった。
………小隊長、そりゃ安心するよね。
私がその気になり、公爵令嬢という身分を振りかざせば、強引に宿を取らせることも可能だ。
だがしかし、命令を出すのは私であっても、実行するのは小隊長たちだった。
宿を追い出された人間から冷ややかな目で見られるのは小隊長たちだし、うっかり宿取りに手間取れば失態になってしまうのだ。
ほっとした小隊長の背中は、上司の無茶ぶりを回避できたことに安堵する中間管理職の姿そのものだったのである。
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かくして街道のわきにそれ、野営することになったわけだけど。
予定外の野営ということもあり、その準備は遅れがちだった。
特に滞っているのが夕食の準備だ。
炊事に当たっている騎士たちの手つきは、それはもう覚束ないものだった。
騎士たるもの、野営の一つもできるよう訓練されているのが普通だ。
だがしかし、私の嫁入りへと同行している騎士は格式を保つため、その多くが貴族の次男や三男で構成されていた。
食事の準備といった雑務は、平民の騎士や従者に任せきりで、ご無沙汰だったはずである。
もちろん彼らだって、騎士見習い時代に何度か調理の手ほどきを受けたことはあるのだろうけど……。
小中学校の調理実習しか料理経験の無い人間が、その後社会人になっていきなり料理できるかと言われたら、かなり厳しいのと同じ状況のはずだ。
「あっ…………!」
騎士の一人がナイフを滑らせ、指先から血が流れ出した。
平和なこの旅路での、初の流血騒動かもしれなかった。
食材と苦戦する騎士たちを見ていられず、私は手伝いを申し入れることにした。
「小隊長様、私も調理を手伝ってもいいでしょうか?」
「レティーシア様がですか? そんな、お手を煩わせるなんて恐れ多いです」
「私自身がやってみたいのです。私の嫁ぐこの国では、貴婦人であっても調理に携わることがあると聞いています。郷に入っては郷に従えと言いますし、すこし料理の練習をしてみたいのです」
「………………なるほど、そういう事情でしたか。刃物で怪我などしないよう、お気をつけてくださいね」
もし大きな怪我でもされたら、私の首が飛びますから、と。
そんな幻聴が聞こえてきそうな、小隊長の表情だった。
彼には申し訳ないが、私もそろそろ我慢の限界である。
旅の途中、立ち寄った宿で出された食事は、どれも香辛料マシマシの料理だった。
公爵令嬢をもてなすのに粗相があってはいけないわけだから当然だが、やはり辛いものは辛いのである。
明日にでも王都に入り嫁入りとなるわけで、しばらくは豪華な、これでもかと香辛料が振るわれた食事が続く可能性も高いのだ。
ここらでいったん美味しい食事を摂らないと、料理に関して気を抜ける暇が無かったのだった。
騎士の一人から調理用ナイフを預かり、持ち心地を確かめる。
柄が木製で少し重いが、刃の形は地球で使っていた包丁とほぼ同じだ。
籠に積まれている根菜を手に取ると、手早くその皮をむいていくことにする。
数個もむくとコツが掴めてきて、するすると綺麗に皮をむくことができるようになった。
「お嬢様、さすがですね」
「ふふっ、そういうルシアンこそすごいわよ」
隣でルシアンが、次々と根菜を丸裸にしていた。
ルシアンは下町時代、孤児院で料理を手伝っていたらしいが、それはもう優秀なお手伝いさんだったに違いない。
二人で手早く根菜の下処理を終えると、騎士たちに指示を出すことにする。
これから作るのは野外料理の定番、根菜たっぷりのあったかいポトフだ。
味付けはシンプルに塩だけの予定と聞いている。
調理に不慣れな騎士たち向けの献立だから当然だが、せっかくなのでひと手間加えてみることにした。
「私の荷物用の馬車の中に、干し肉がいくらか積んであったと思います。そちらもポトフに入れてもらえませんか?」
「え?いいんですか?あの干し肉、レティーシア様のためのものですから、値の張るものなのではありませんか?」
「大丈夫です。干し肉と言えど、早めに食べねば味が落ちて行ってしまうものでしょう? 美味しく食べられるうちに、食べきってしまいたいんです」
「………わかりました。貴重な食材を提供していただき、一同感謝の限りです」
頭を下げる小隊長の後ろで、騎士たちが顔を輝かせるのが見えた。
騎士であり貴族であろうと、体を動かせば腹は空くものである。
鎧をまとい馬に乗る騎士たちであれば、空腹感も人一倍のはずだった。
予想外の野営だから、騎士たち用の肉類までは十分手が回っていなかったはずだ。
降って湧いたお肉様に、騎士たちも嬉しそうな顔を隠せていないのである。
彼らの期待を裏切らない様、干し肉をしっかりと調理していくことにする。
この干し肉、私ようにと用意されただけあって、これまた香辛料がこってりと使われていた。
本来は、この干し肉を軽く焚火で炙り食べる予定だったが、ポトフの具材の一つに使うことにする。
味が濃いなら、薄めて使えば美味しいんじゃない? という単純な思い付きだった。
鍋に水を張らせ、試しに干し肉を一つ入れてみることにする。
煮立てていくと肉がほぐれ、香辛料の食欲をそそる香りが漂ってきた。
「いい味と匂いね」
おたまですくい汁をなめると、香辛料が舌を楽しませる。
お湯の中で温めたことで、干し肉もいくらか柔らかくなっているようだった。
味見をした後、本格的にポトフの加熱をすることにした。
根菜や玉ねぎといった火の通りにくいものから鍋に入れ、じっくり煮込んでいくことにする。
汁の中で玉ねぎが踊り、根菜が少しずつ色を変えていく。
野菜のうま味が染み出したのを確認しつつ何度か味見をし、小さく切らせた干し肉を投入していく。
そのまましばらく煮込み、最後に塩で味を調え完成だ。
「うまい………!!」
「肉がピリッとしてていい味出してるな」
「野営でまさか、こんなうまい飯が食えるとはな………」
騎士たちに配られたポトフは、おおむね好評のようだった。
干し肉にしっかりと味がついていたから、塩は控え目に、野菜のうま味を生かす方向で調整したが、上手くいったようだった。
「あったまる…………」
ポトフの器を傾けると、食欲をそそる香りと共に、澄んだスープが流れ込んでくる。
根菜はほくほくして口の中で崩れるし、味の濃い肉が全体の味を引き締めアクセントになっていた。
温かなポトフにほっこりしながら、春先の野営は更けていったのである。
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翌日の朝、ポトフの残りを温め保存食のパンを浸して朝食を摂ると、さっそく出発することになった。
王都へと到着すると、相手側が用意していた豪華な馬車に乗り換えることになる。
今まで乗ってきた箱型の馬車と違い頭上と左右の壁が無く、一気に視界が広がったのである。
「わぁ…………」
初めて見るヴォルフヴァルト王国の王都だ。
白壁に黒い木組みの映える三角屋根の家々が立ち並んでいる。
そして王城へと向かう私の顔を見ようと、道の両脇に人々が並んでいた。
人、人、人、そして獣人にもふもふ。
犬のような垂れ耳を頭上に備えた少女が、こちらも耳の垂れた大型犬と共に、じっとこちらを見つめていた。
すれ違いざま手を振ってやると、顔を赤くされびっくりされてしまったようだ。
固まる少女の様子を不思議がった犬が、少女の手の甲を舐め回している。
すると犬の思いに気づいた少女が、お返しとばかりに頭を撫でまわすのが見えた。
仲良く戯れる獣人の少女と大型わんこ。
…………あの一人と一匹、かわいすぎじゃない?
少女と犬のやりとりに内心にやけつつ、私は周囲を見渡した。
――――――――魔物の存在が程近く、三角屋根の家に多くの獣人と獣が暮らす王国。
まるでおとぎ話のようなこの国が、私の嫁ぎ先だったのである。




