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11.5.陰険眼鏡の独白



 レティーシアが祖国を発ち、銀狼王グレンリードの元へと向かった日のこと。

 イレガー公爵家の三男、王国宰相を父に持つイリウスは、眼鏡の奥の瞳を憂鬱に細めていた。


「ちょっとあなた!! 聞いてるの⁉ 私、早く殿下の元に行きたいのだけどっ⁉」


 目の前でがなりたてるのは、栗色の髪が短くなってしまったスミアだ。

 レティーシアと遺跡で小競り合いになったあの夜、切られてしまった部分を上手く誤魔化すことができず、全て顎下で切りそろえることになったのだ。


『ふふ、心配しないでください。ちょっとした気分転換みたいなものですから、ね? これ、似合っていますでしょうか?』


 婚約者であるフリッツへは愛想を振りまいていたスミアだが、断髪はかなり気に障っていたらしい。

 彼女の本性を知るイリウスの前では、全く不機嫌さを隠そうとしていなかった。

 苛立ちのままに喚くスミアに、イリウスはその日何度目かわからないため息をついていた。


「話を聞くのはおまえの方だ、スミア。殿下に会いに行きたいのなら、俺の教えを記憶しかみ砕き、さっさと課題に取り掛かるといい」

「もうやってるわよ!! これで十分でしょう⁉」

「駄目だ。こんな解答では甘すぎる。しっかりと論を練ってやり直せ」


 スミアの訴えを、イリウスは一刀の元切り捨てた。

 

 スミアへと与えていた課題の出来は、なかなかに芳しくなかった。

 課題は、王家にまつわる儀礼や教養といったものだ。

 今のスミアでも熟考すれば正答に辿り着けるはずだが、いかんせん集中力が足りておらず全く形になっていなかった。


 どうしてこうなった、と。

 イリウスは目の前のスミアをため息交じりに見つめた。


 イリウスは賢い人間が好きだし、賢くなろうと努力する人間も好きだった。


 だからこそ、出会ったばかりのスミアのことは、嫌いではなかったはずである。

 3年ほど前、父であるイレガー公爵から、スミアと引き合わされたのだ。

 貴重な光魔術の使い手を見つけたから、公爵家配下の男爵家の令嬢に仕立て上げることにした、と。

 スミアを有用な駒に育て上げるよう、父から秘密裏に教育係を頼まれたのだった。


 スミアは貧しい平民の暮らしに耐えかね、男爵令嬢として身分を偽ることを受け入れた少女だ。

 それゆえ向上心や学習意欲にあふれていて、優秀な教え子だったと言えたのである。

 読み書きさえ覚束なかった状態から、にわか仕込みとはいえ2年程度で貴族令嬢として形になったのは、確かに彼女の努力と才覚によるものでもあった。


(なのに、今はこのザマか………)


 ほろ苦い思いで、イリウスは現在のスミアを見つめた。

 自分は、貴族としての礼儀作法の基礎教養を仕込んだつもりだったが、あくまで上っ面だけ。

 それらの奥にある貴族の心構えや誇りと言ったものは、ついぞ彼女に教えられなかったようだった。


 スミアの変節のきっかけは、王太子であるフリッツの寵愛を獲得しだした頃だろうか?

 元平民の少女が貴族に化け、王太子の心さえ射止めたのだ。

 自尊心を膨らませるにはこれ以上ない状況だ。

 スミアはどんどん傲慢になり、以前もっていた向上心や努力家な面は喪われてしまったのだった。


 驕り高ぶり、同時に自分を脅かしうるレティーシアへの焦りを強くしていったスミア。

 その結果が、『レティーシアに階段から落とされた』という嘘をフリッツにつき、言語道断な婚約破棄へと持ち込ませた件。

 そして先日、レティーシアを深夜に呼び出し、無茶な要求を突き付けた件なのだった。


 貴族としての常識を遥かに飛び越え国政を乱すその2つのやらかしで、スミアとその目付役たるイリウスは、イレガー公爵の怒りを盛大に買っていた。

イリウスの役目は、スミアを王太子妃の座につけ、その後もボロを出さない様面倒をみることだ。

 ゆえに、もう一度スミアに貴族の作法を叩きこめと言われ、こうして授業を行っていたのである。


 不平をもらしながら課題と格闘するスミアを見守りながらも、イリウスの心はさ迷っていた。


 今日、王都を発つというレティーシア。

 彼女との出会いは2年前、学院に入学した時のことであった。


 学院の入学試験において、イリウスと1点差で主席となったのが、レティーシアだったのだ。

 同年代相手に、しかも女性に座学で負けるとは思っていなかったから、イリウスは衝撃を受けたのだった。


 それからは互いに成績優秀者として、レティーシアと何度も張り合い、自然と顔を合わせることも多くなっていた。

 その威圧感のありすぎる笑顔と公爵令嬢という身分、アメジストにたとえられる美しいが冷ややかで硬質な瞳のせいで、学院の生徒から遠巻きにされていたレティーシア。


 しかし、イリウスは知っている。

 彼女がほんの時たま、難しい問題が解けた時や何か嬉しいことがあった時、その瞳がすみれのごとく明るく煌くのを知っていた。


 秀才と称される自分と肩を並べる知性と、やわらかな瞳を隠し持っていたレティーシア。

 そんな彼女だからこそもったいないと――――――――フリッツの婚約者などはもったいないと、そう思うようになっていた。


 フリッツとは、王太子と公爵家の令息として、学院で行動を共にしていた仲だ。

 彼のことは王太子として敬っていたが、所詮はそれだけだった。

 

 フリッツの人柄。

 自分の弱さや不足に向き合おうとせず向上心を見せず、嫉妬心を燻らせるだけの性格には、仕えるべき王族として魅力を見つけられなかったのである。

 

 たまたま王太子の座についただけの凡庸なフリッツに、レティーシアが嫁ぐのはもったいない。

 そんな思いがあったからこそ、父親からスミアをフリッツに近づけ婚約者になるよう協力しろと一年前に言われた時、戸惑いながらも引き受けてしまったのかもしれなかった。


 それ以後は、スミアとフリッツのおぜん立てに奔走していた。

 元々の計画としては、数年がかりでスミアとフリッツの恋を周囲に知らしめ味方につけ、緩やかにレティーシアから婚約者の座を譲らせるつもりだったのである。

 

 レティーシアが王太子の婚約者でなくなった後どうなるか。

 次に誰と婚約するのか、国内に身分が釣り合う相手がいるのかどうか。

 その辺りについては、あまり深く考えないようにしていたけれど。

 

 ――――――――レティーシアの新たな婚約相手が、イレガー公爵家の三男たる自分になるかもしれない、と。

 そんな打算含みの感情があったことを、今のイリウスは認めざるを得ないのだった。


「……………そんなよこしまな思いがあったから、罰を受けたのかもしれないな」


 呟くと、スミアが不審げにこちらを見つめてきた。

 そんな彼女に反応することも無く、イリウスは前方やや右手を、レティーシアの向かったヴォルフヴァルト王国の方角を見つめた。


 スミアの暴走により計画は破たんし、その結果自分と父は大きな弱みをグラムウェル公爵家に握られ、レティーシアは遠く国外へと嫁ぎ去ってしまったのだ。


 自分に残されたのは、かつての向上心を失いわめきたてるスミアの監視と、うつけとしか言いようのない王太子フリッツのお守りだ。


 自業自得とはいえレティーシアには去られ、厄介者ばかりが残ったこの状況に、イリウスは表情を隠すよう眼鏡を押さえたのだった。 




 

番外編として陰険眼鏡ことイリウスの事情と、スミアが身分詐称する過程の補足でした。

本日投稿予定の本編からは、またレティーシアに視点が戻ります。

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