9.魔王かと思いましたが
「あんた………なんなのよ…………」
砕け散る光の壁の向こうで、スミアがへなへなと座り込む。
自慢の光魔術が破られて自信喪失。
と思ったが、どうやらそれだけではなかったようだった。
はらり、と。
スミアの栗色の髪が顎の下あたりで断たれ、月光に煌めきながら落ちていく。
水の刃が、首のすぐ近くをかすっていたらしい。
……………まずい。ミスった。危なかった。
顔面蒼白でガタガタと震えているスミアへと、誤魔化すように笑いかける。
先ほど使用したウォーターカッターもどきは、一応スミアに当たらない様に調整して発射したつもりだ。
だが実戦使用は初めてだったせいか、照準が甘かったようである。
狙いがズレ、スミアの首筋スレスレを飛んでいったようだった。
あわや流血の大惨事。
うっかり首を飛ばしかけるという恐ろしい事態だった。
この世界は日本より治安が悪いから、いざとなったら正当防衛をためらうつもりはないけれど……。
平和に暮らしていた元社畜としては、無用な流血は避けたいものである。
目の前でのR-18G展開は勘弁してほしいものだった。
…………だって、絶対夢で見る。うなされること間違いなかった。
やっぱ、攻撃魔術って物騒だ。注意して使わなくちゃ駄目だね。
そんな教訓を得つつ周囲を見渡すと、幸い遺跡群にはウォーターカッターは当たっていないようだった。
危ない危ない。
あの遺跡は千年もの。
地球だったら世界遺産認定まったなしの、掛け値なしに貴重な遺跡だ。
うっかりミスで壊したりしなくてほんとよかった。
「髪ぐらいですんで、よかったわね…………」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「髪ぐらいですんで、よかったわね…………」
レティーシアの言葉に、スミアは身を震わせる。
その言葉は、まぎれもない自分への脅しだった。
レティーシアがその気になれば、スミアの首などいつでも簡単に飛ばせる、と。
だからこそ手加減し、髪を散らす程度ですませてやったのだという、圧倒的な力の差を示す宣告だった。
スミアは、聖女の再来と称される程の光の魔力の持ち主で、光魔術には絶対の自信を持っていたのだ。
なのにあの女、レティーシアはあっさりと光魔術を破ると、余裕たっぷりにこちらへと笑いかけてきたのだ。
これ以上ない屈辱。
怒りとくやしさ。
そしてごまかしようのない恐怖の念が、スミアの心をかき乱した。
「…………どうしてよ」
一人でに唇が動く。
「どうしてあんたはっ!! そんなに自信たっぷりなのよっ⁉」
堰を切ったように止まらず、目の前のレティーシアへとぶちまける。
「おかしいでしょう⁉ 今だけじゃないわ!! なんであんた、そんな堂々としてるのよっ⁉ 私に婚約者を奪われたのよ⁉ 大勢の人間の前で捨てられ馬鹿にされたのよ⁉ なのにどうしてっ………!!」
スミアは歯を食いしばった。
自分はレティーシアから婚約者を、王太子を奪い取った。
王太子妃という、この国の女性の頂点の称号を手に入れたのだ。
まぎれもない勝利。
美しき公爵令嬢レティーシアを、自分は女性として打ち負かしたはずなのだ。
勝者は自分。敗者はレティーシア。
そう信じていたはずなのに。
「なのになんで、どうしてなのよ…………?」
まるで自分こそが敗者であるかのように。
道を間違ってしまったかのように。
胸を満たす惨めさと後悔に、そう思えてならないのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「………どうしてよ? 婚約者を奪われて、あなた、少しは惨めさを感じなかったの………?」
うめくように言うスミア。
彼女の言葉に私は少し考え込み、答えを返すことにした。
「してやられたという悔しさや、自責の念はあったけど………。惨めに思うかと言われると、それはないわね」
「………どういうことよ? 皆の前で婚約者を奪われたのよ?」
信じられないといった様子のスミアへと
「だって、あのフリッツ殿下よ?」
私はすっぱりと断言をした。
「私という婚約者がいるにも関わらず、あっさりとあなたに騙されのめりこんで、後先のことを何も考えず自分勝手な婚約破棄をつきつけてくる男よ? 男性としても人間としても全く尊敬できないし、そんな殿下に棄てられたところで、惨めさを感じる気になれないというか…………」
さすがに、婚約破棄をつきつけられた瞬間は動揺したけれど………。
冷静になって考えると、フリッツは王太子としてふさわしいか以前に、人間としてあらゆる面で駄目すぎた。
いくら政略結婚の相手とはいえ、フリッツの性格とやらかしを考えると、拒絶感が出てしまうのである。
「あなたやフリッツが、私に仕出かしたことを許す気は無いけれど………。でもある意味、あなたには感謝しているのよ? あなたのおかげで、私はフリッツ殿下から解放されたようなものなんだもの」
婚約破棄の件で、お父様や周りの人に迷惑をかけてしまったのは、本当に申し訳ないと思っている。
だが、私個人の偽らざる心境としては、フリッツの婚約者をやめられて、清々したというのが本音だ。
今まではずっとフリッツのことを王太子として敬っていたし、淡い好意や情はあったけど………。
記憶を取り戻したあの日に受けた仕打ちと、明らかになった彼の本性は、そんな情など粉々に吹き飛ばしていったのである。
「………嘘でしょう? 婚約者を奪われたくせに、私に感謝するとか…………」
私の言葉を否定しつつも、スミアの声には勢いがなかった。
彼女もうすうす、私の気持ちは理解できているのかもしれない。
そもそも彼女は、フリッツを本心から愛してはいないはずだ。
フリッツに抱き着く姿も、彼の心をつかむための甘い言葉も。
全ては王太子妃の座を得るための、色仕掛けのようなものなのだ。
そんな彼女なら、フリッツのうかつさうつけさは、十分に理解できているはずである。
………改めて考えると、スミアにはこの先、なかなかに辛い毎日が待っているのかもしれない。
フリッツから愛されているとはいえ、彼が気に入っているのはスミアの偽りの姿でしかないのだ。
彼へと演技を続ける限り気が抜ける時はないだろうし、真の意味で愛されることは無いのである。
それに、王太子妃という肩書はきらきらしいが、光に影があるがごとく、多くの制約がつきまとう立場でもあるのだ。
そこらへんを無視し好きかってやろうにも、陰険眼鏡とその実家の公爵家が許さないはずだった。
スミアに残された道は傀儡の王太子妃として、愛してもいないフリッツの横で座っていることだけなのだ。
そんな未来図を、スミアも無意識に感じ取っているのかもしれない。
泣きそうな顔を浮かべる彼女を見ていると、そう思えてならなかったのである。
「お嬢様、何者かがこちらへ近づいてきているようです」
耳打ちしてくるルシアン。
彼の情報にそれとなく周囲を見渡すと、月影に眼鏡を光らせる姿がある。
陰険眼鏡ことイリウスだった。
「あら、こんな夜更けにごきげんよう? 何をしに来たのかしら?」
「………そこの女を、スミアを連れ戻しにきただけだ」
イリウスが表情を隠すように眼鏡を押し上げ、顔をそらした。
「今日の件はこちらのスミアへの監督不行き届きだが、怪しい手紙につられやってきたおまえのせいでもあるんだぞ?」
「あら、言うわね? スミアへの監視、もう少しきちんとしておいた方がいいと思うわよ? じゃないと、私が婚約破棄されてあげた甲斐がないというものでしょう?」
一向に自らの非を認めないイリウスに、こちらも嫌味で応酬してやる。
彼のことだから、この場を見て、私とスミアの間に何があったか大方察しているはずだ。
…………察していながらも決して私に謝ろうとはしないあたりが、陰険眼鏡の陰険たる理由だった。
眼鏡割れろと、脳内でひっそりと呪っておくことにする。
彼の振る舞いは貴族として、保身のためとしては正解だが、腹がたつものは立つのである。
眼鏡パリーンしちゃえばいいのにね?
「イリウス、せっかくだから一つ、あなたに贈り物があるわ」
「…………受け取りを拒否する権利は? どうせロクなものじゃないんだろう?」
「ご名答。賢いわね。褒美としてこの報告書を進呈するわ」
嫌そうな顔をするイリウスへ、ルシアンから受け取った紙片を押し付ける。
スミアの素性調査報告書の写しだ。
イリウスは素早く書類に目を通すと、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「…………何が望みだ? スミアが好き勝手しないよう首輪をきつくし、おまえやグラムウェル公爵家へ、これ以上迷惑をかけないようにしろということか?」
「話が早くて嬉しいわ。付け加えるなら私や我が公爵家だけではなく、国益を害することがないよう、しっかりとスミアやフリッツ殿下を監視しておいてね?」
「…………………確約は出来ないが、父上に伝えておいてやる」
「よろしく頼んだわよ?」
にっこりと、脅しつけるように微笑んでやる。
これでイリウスの実家、イレガー公爵家へも釘を刺せたはずだ。
王家に対しても、国外追放の件で恩を売ってある。
これなら、たとえ私のかわりにスミアが王太子妃になっても、我が公爵家が損失を被ることは無いはずだ。
「………そういえばイリウス、一つ気になっていたことがあるのだけど、いいかしら?」
「何だ?」
「あなたよく、スミアを男爵令嬢に偽装し、フリッツ殿下へと近づける計画に、協力する気になったわね?この計画、たまたまフリッツ殿下が予想以上にうかつだったから上手くいっただけで、本来は成功率も良くなければリスクも高いものでしょう? そんな泥船のような計画に、よくあなたが乗る気になったわね?」
不思議だったのだ。
イリウスは性格が悪いが、頭は回り、調略にも長けているはずだ。
そんな彼が、スミアとフリッツをくっつけるために暗躍していたのは、正直意外だった。
彼の実家であるイレガー公爵家の指示なのだろうが、イリウスがその気なら、協力を跳ねのけることもできそうな計画である。
「………別に、そんなおかしなことでもないだろう? 公爵家の当主である、俺の父上に頼まれたんだ。積極的に断る理由も無かったからな」
なんとなく歯切れの悪い回答だが、これ以上その件について語る気はなさそうだった。
彼にも彼なりの事情があるのだろうが、それを政敵同然である私に明かせないのは当然だから、追及は諦めることにする。
「そう。わかったわ。変なことを聞いて悪かったわね」
そう言って、気まずそうなイリウスに別れを告げようとしたところ――――――――
「蹄の音?」
遠くから微かに。
こちらへと近づいてくる蹄の音がある。
どんどんと大きくなり、ついには姿を現した音の主は。
「魔王っ⁉」
イリウスが叫んだ。
堂々たる黒馬にまたがり、眼光鋭く悪鬼のごとくこちらを見下ろすその姿は―――――――
「レティーシア、無事かっ⁉」
――――――――魔王ではなく、私のお父様のようだった。




