郷愁
次の朝の目覚めは快適だった。
ここの所は夜営や、町の宿でばかり寝ていたから、フッカフカの布団で静かな部屋で、何よりもなんの心配もなく眠れるのは久し振りだったから。
それから、これまた贅沢な朝食を取り、その日1日は旅の疲れを癒すための休養日となった。
と言っても、ウールズへ入国する為の手続きをラインさんがしてくれるまでは、この王都に滞在する事になる訳だけど。
そのラインさんは、私達には休養日といいながら今日は午後から王宮に行くらしい。
ちなみに他のみんなの予定は、ベグィナスさんとルパちゃんはお屋敷の探検に、ナイルはちょっと意外だったけど書庫に、コウガはいつも通り一言「寝ル」と言っていた。
みんながそれぞれの目的に沿って案内されていく中、じゃあ私はどうしようかな?なんて考えていたら、ラインさんに声を掛けられた。
「シーナさん。よろしければこの家のイソラの花をご覧になりますか?」
「そういえば、少し変わったイソラがあるんでしたっけ?」
「はい。どうでしょう?」
「是非見たいです!お願いします」
「良かった。では、案内します」
馬車の中から眺めたイソラの花を間近で見たいと思っていたから、ラインさんの申し出はとても嬉しかった。
そんな私と肩を並べて歩きながら、微笑むラインさんも何だか嬉しそう。きっとそのイソラの木はこの家の自慢なんだろう。
それにしても、こうしてよく手入れされた美しい庭園の中を歩くラインさんを見ていると、本当にお伽噺の王子様みたい。
薔薇が咲き誇る一角なんて、似合い過ぎていて青眼でなくてもキラキラと光を纏って見えて、これで魔力の輝きまで加わったら眩しすぎて眼が潰れるんじゃなかろうか。
そんな風についつい見詰めていたら、こちらを向いたラインさんと目が合ってしまった。
「どうしました?」
目が合った事に少し驚いた表情で首を傾けるラインさんに、見惚れていましたなんて正直に言えるはずも無い。
「ッいえ!なんでも無いです」
「??そうですか?―――あ、着きましたよ。あちらです」
これ以上突っ込まないで!と祈っていたら、タイミング良く目的地に到着したようだ。祈りって届くものなのね。
ふぅ、と心の中で胸を撫で下ろし、ラインさんの指差す方へと視線を向ければ、そこには何本ものイソラが水色の花を満開に咲かせていた。
「すごい・・・綺麗」
手の届く所に空が在るみたいだった。
イソラの花が、繊細な油絵で描かれた空のように視界を覆い尽くしている。
駆け寄って間近で見れば花の形が桜と良く似ていて、花弁が水色なのが逆に不思議なくらいだ。
それと同時に心のどこかで、青空にはやっぱり桜色の花が映えると思ってしまうのは、日本人の欲目だろう。
「やっぱり、似てる」
「確か、サクラでしたか?」
つい溢れた小さな呟きは、それでもラインさんの耳に入ったらしい。
「はい。花の形もそっくりです」
「サクラとは、どんな花なのですか?」
「桜は・・・この花を桜色、じゃなくて薄いピンク色にしたような花ですね。それ以外は、本当に良く似てます」
「ピンク色ですか、それはまた可愛らしい花ですね。それに、色の名前になるほど愛されている」
「そうですね。私の国の代表的な花でしたし、嫌いな人なんて居ないんじゃないかな」
「そうなんですか?それは是非見てみたいですね」
そこでふと、「もう、桜を見ることは出来ないかもしれない」と、今更になって少し寂しい気持ちになった。この世界に桜と同じ様な木があるかどうかは分からないけれど、それは似ているだけで同じじゃない。
「私も、桜はもう一度見たいな、とは思います」
そう口に出すと、なんだか元の世界へ帰りたいと思ってるみたいだ、とハッとする。
案の定、ラインさんの顔からは微笑みが消え、心配するような表情が浮かんでいる。
「シーナさん。故郷に帰りたい――――」
「そういえば!珍しいイソラがあるんですよね」
一気にしんみりとしてしまった空気と、ラインさんの深刻そうな雰囲気を吹き飛ばしたくて、私は敢えてラインさんの言葉を遮ってわざとらしく話題を逸らす。
「―――えぇ、そうですね。目的を忘れるところでした。あちらです」
そんな私に、ラインさんは咎めること無く話を合わせてくれて、イソラの木々が並ぶ更に奥へと案内してくれる。
「この木です」
そして、ラインさんが示した先にあったその木は確かに他のイソラとは違っていた。
長く柔らかな枝は地面に付く程に垂れ、真下に立つとまるで青い滝に覆われているようなその姿。
他の木がソメイヨシノに似ているとしたら、その木は枝垂桜だろう。
「この木と同じ様に枝が垂れたイソラは、この家の他には王宮にしかありません」
「二本だけなんですか?」
「そうです。王宮にあるものはこの木よりも更に大きく、見応えがありますよ」
グトルフォス家の枝垂イソラはまだ若い木だから、もしかしたら王宮の木を挿し木したのかもしれない。それにしても・・・。
「―――懐かしい、な」
「え?」
「私の家にも、これと同じ様に枝の垂れた桜があったんです。樹齢千年を超えるとても立派な木で、御神木・・・神様が宿る木だと信じられていました」
「・・・」
「この木を見ていると、それを思い出してしまって・・・」
イソラを知ってから、心の奥底からジワジワと湧き上がっていた思いが、この木を見ていると明確な感情となって胸に溢れてくる。
「シーナさん。故郷に帰りたいですか?」
だから、私の心を見透かしたように再び問い掛けかれたその言葉を、今度こそ遮ることが出来なかった。
「―――いえ。私は今の生活が気に入ってますから」
「無理をしていませんか?」
「帰りたいとは思ってません。ただ・・・ただ、懐かしくて」
「本当に?」
ラインさんにそっと触れられた頬には、いつの間にか涙が伝っていた。それを優しく拭いながら、ラインさんは静かに私の言葉を待っていてくれる。
「本当に。でも、あの場所を思い出すと・・・少しだけ、寂しい・・・のかもしれません」
もう一筋流れた涙は、ラインさんのシャツを濡らしていた。
「もし、シーナさんが故郷に帰りたいと願った時は、私が力になります。もし、シーナさんが故郷を思って寂しく感じる時は、こうして側にいます。だから、もっと私を頼って下さい」
舞い散る空色の花弁の中、優しい言葉と共にぎゅっと抱き締められると、それだけでフワリと心が軽くなる気がした。
その結果、青空のまま降り注いだ雨は、イソラの花をキラキラと輝かせはしたけれど、その真価を発揮させる事は出来なかったけれど。




