第74話 人間は感情の獣
「なんだ、ただの農薬かよ」
あの後すぐに永遠たちに事情を話してから病院に向かった。
頬の傷から検出されたのはどこにでも売っているような農薬で傷口に入ったくらいではどうにもならないらしい。
病院からは何でこんな傷を受けたのか聞かれたけどまあ、そこらへんは良い感じにはぐらかした。
「でもよかったな。遅延性の毒物とかじゃなくて」
まあ一般人がそんなものを手に入れられるわけないんだけどな。
ナイフとスタンガンの出所は見当がつかないけど。
誰かが瑠奈に手を貸したのか?
だが、そんなことして何のメリットがある?
いや、人間は損得勘定だけでは動かない。
そこに感情というものが内在しているから読めないんだ。
「考えても仕方ないか。今は家に帰ってお説教を受ける心構えでもしておこう」
事情を説明して病院に行くことを許してもらったけどあの時の永遠はカンカンに怒っていた。
「今度は三発じゃすまないかもな」
前に一度彼女を本気で怒らせて三発殴られた日のことを思い出す。
今回はそれ以上に怒らせていそうなので本当にどうしよう。
すっごく帰りたくなくなってきた。
「……ここで帰らなかったらもっとひどい目に遭いそうだな」
ここでの逃亡が一番の悪手かもしれない。
諦めてお叱りを受けるとしよう。
◇
「空! 大丈夫だったの?」
「うん。ただの農薬だったみたい。この程度じゃあ人体に影響はないって」
「よかった」
帰るなり飛びつかれる。
かなり心配をかけてしまったらしい。
「本当に先輩は無茶ばっかりしますよね」
「あはは~」
「笑ってもごまかせないっすよ? それよりどうして堀井先輩が駐車場にいると思ったんですか?」
「あれは予測かな? 朝七海さんが学校で見たって聞いて確信に変わったけどね」
「どういうことすか?」
「多分だけど俺たちが乗ってくる車ルートから大体の住所を割り出してたんだと思う。で、今日わざわざ学校で目撃されたのは意識を学校に向けさせるため。学校で目撃されたのに何もなかったら人間少しは安心するだろ? その心の隙をつくために駐車場で待ち伏せてたんだと思う。まあ、あんなに武装してるのは予想外だったけどね」
まさか、あんなフル装備で待ち伏せしてるとは思いもしなかった。
俺の想定が甘いと言わざるを得ない。
「なるほど。先輩はよく堀井先輩のことわかってますね。で、念のために私を護衛として天音先輩につけたと」
「そういう事になるね。さすがにこのマンションのセキュリティを突破できるとは思えないけど万が一があったら困る。保険として七海さんに依頼したってわけだよ。騙してごめん永遠」
七海さんを家に連れて行く方便とはいえ永遠に嘘をついてしまったのには罪悪感がある。
一番大切な人を騙してしまったのだから。
「それは良いのよ。私のためだってわかるし。問題はそれだけ予想しながらあなた一人で堀井さんと対峙したことよ。なんでそんなに危険なことをしたの? 警察にすぐに通報すればよかったのに」
「あくまで予想だったから。その程度で警察はきっと動いてはくれない。それにこの問題はあくまで俺と瑠奈の問題だ。あいつと個人的に決着をつけないといけなかった。」
「だからって危険すぎるわ! わかってるの? 貴方が少しでも対応を間違えていたらここにはいなかったかもしれないのよ!?」
「……ごめん」
永遠の言う通りだ。
あの時俺がナイフのよけ方を間違えていたら、スタンガンを一発でも喰らっていたら俺はこうして二人の顔を見れてはいなかったのだろう。
「まあ、こうして先輩は無事だったわけですし。いったんはその辺にしておいてあげてくださいよ。それよりも私たちが意識するべきはいるかもしれない協力者の問題です。逃走中の人間があんな武器を入手できるとは考えづらいっす。後ほど警察の方から事情の説明はされるでしょうけど私たちの方でも対策を考えておいた方がいいかと」
「それもそうよね」
七海さんのフォローのおかげでいったんは永遠からのお叱りを回避できたと胸を撫でおろす。
その考えが永遠にバレたのか怖い笑みを向けてきながら……
「空、七海さんが帰った後は覚悟しておきなさい? 今回はもう簡単には許してあげないんだから」
「……はい」
どうやら見逃してはもらえなかったらしい。
「先輩って完全に尻に敷かれてるっすよね~」
「かもね」
俺自身尻に敷かれてる自覚はあるんだけどこれが悪いことだとは思っていない。
「話を戻すっすけど協力者は誰かという話です。一番可能性としてあるのがやはり藤田先輩でしょう。堀井先輩とかかわりがあって先輩たちに私怨がある人物なので」
「まあ、そうなるよな」
でも今のあいつはどこにいるのかわからない状況だ。
七海さんが調べられていない時点で普通の場所にはいないと考えたほうがいい。
「彼も懲りないわよね」
「人間ってそういうもんですよ天音先輩。理性を持ちながら完全に理性的ではいられない。最終的には感情というものに引っ張られる獣に過ぎないんですよ。私たち人間っていう生物は」
「そういうものなのかしら?」
「そういうものですよ。歴史が証明してますし今回の件だって堀井先輩が感情に引っ張られた結果です。なのでああいう手合いに損得勘定とか理性を解くのは間違っています。何をしてくるかわからないから怖いんです」
七海さんの言う通りだと思う。
人間は理性を持ちながら理性に縛られないものだ。
どうしても感情というものが冷静な思考を邪魔してしまう。
「……そうね」
永遠にも心当たりがあったのか少し顔を俯かせて呟く。
きっと空音さんのことを思い出しているのだろう。
空音さんのことを思い出している永遠はいつも悲しそうな顔をしている。
「でも、その犯人候補の悟の所在がわかんないんじゃあ確認のしようもないし対策の取りようもないな」
「そうなんですよね~そこがネックです。まあ犯人だって確定したわけじゃないですし考えすぎなだけかもしれないっすけど警戒しておくのに越したことは無いので」
「だな。とりあえずは警戒だけはしておこうかな」
「そうね。私も警戒しておくわ」
何とか話がまとまったときに玄関が開いた。
状況が状況のためさすがに全員が警戒心を高めるが入ってきたのは美空だった。
「ただいま~ってなんで七海ちゃんがいるの!?」
「おっと、美空さんが来たんで私は美空さんの部屋にお邪魔しようかな~いいっすか?」
「もちろんだよ! いこいこ七海ちゃん!」
「そういう事なんで後は二人でごゆっくり~」
七海さんは美空を連れてとっとと退散したしまった。
これからは先延ばしにしたお説教の始まりかな。
「じゃあ、私と《《ゆっくり》》お話ししましょうか? 空」
「……はい」
こうして俺は永遠の私室に連行されるのであった。
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