10 小箱
お店の中で和気藹々とした騎士団の皆さんは、大きな笑い声をあげたりしている。明るく楽しそうな空気の中で、大きなため息をひとつついてしまった。
私たちはこういう街に来た時は、二日か三日滞在する。
そういう予定で日程が組まれているし、別に差し迫っている訳でもないのにふた月の間ずっと魔物退治のことを考えなければいけない訳でもない。週末と似たような感覚で、休息も取ることが出来る。
今までの街ではジュリアスに話を聞いたり報告書を書いている彼に纏わり付いて部屋に居たんだけど、昨日の今日でそんな気分にもなれなくて、騎士団の皆さんの買い物に同行させて貰った。
団長代理のハミルトンさんは渋い顔をしたものの、たまには良いかと許して貰えた。お堅そうで融通が利かなさそうだけど、割と柔軟に利くんだよね。
昨日思いがけなく聞いた事実を考えると……救世の英雄であるはずの騎士団長ジュリアスは、馬鹿王子エセルバードに肩入れしているようだ。
エセルバードは自分勝手で我が儘で手の掛かる幼い子どものような成人だけど、ちゃんと叱って間違った行動を正すようにと言っているのは立場もあるだろうけどジュリアスだけだった。
なんでも口に出してしまうエセルバードを叱ってはいるけど、理不尽な怒り方ではなかった。理路整然と事実だけ、その悪い行いによって自分が後々にどれだけ不利益を被るかも。
あれだけジュリアスに言って貰っても、エセルバードはうるさいと一蹴するだけで何も変わらないのに。
それって……若い頃に王に奪われた、亡くなった好きな人の息子だったから? だとすると、ジュリアスが聞く気なんてゼロのわからず屋に対してあんなにまで甘い理由もわかってしまう。
「……聖女様。いかがなされましたか?」
私たちがやって来ていた雑貨店の店長は、整えられた白い髭が素敵な上品なおじさまだ。私は一人だけ集団と離れて見ていたので、気にしてくれたらしい。
店内にあるいくつものガラスで覆われた陳列棚は綺麗に整頓されていて、高価な道具などが置かれているようだ。
どれもこれも値札を見れば、結構な金額。
不思議なんだけど慣れした親しんだ日本語でも英語でもないけど、私はこの国の文字を読み取ることが出来る。
それは、なんだか不思議な感覚だった。
この世界に来た時に掛けて貰った、あの魔法のおかげだとはわかりつつ……異世界からやって来た私が、会話も出来て文字も読めてしまうなんて、便利すぎるけど一体どういう原理なんだろう。
「すみません。私は元の世界に戻れば、何も持って帰ることが出来ないので、こうして見ているだけなんです」
それは、召喚されてすぐに神官さんからあった説明の時に聞いていた。召喚されたあの時あの場所へと、私は帰ることが出来るはずだ。
来る前と、寸分変わることのない姿で。
「ああ……ですが、聖女様……もしかして、これが気になりますか?」
店長が取り出して見せてくれたのは、私がなんとなくじっと見ていた古い木の小箱だった。
「あ。そうなんです。他と違うなって……これって、何なんですか?」
古ぼけた木の箱は薄汚れて見えて、近くに並べられたピカピカに磨かれた金属製の小物の中で唯一異彩を放っていた。
それをじっと見ていた理由は、異世界からやって来た異分子の自分の姿を重ね合わせていたせいなのかもしれない。
「強い護りの魔法が掛けられた指輪が、入っているはずなんですけどね。私も何かになればと思って仕入れたのですが封印されていて、まったく手が出せません。もし良かったら、聖女様……これは、差し上げますよ」
「えっ……けど、私……」
自慢ではないけど、本当に無一文なのだ。
生活に必要なものはなんでも買って貰えるし、すぐ傍に居る騎士団の誰かに欲しいと言えばなんとかして貰えると思うけど、ここで内緒で出す現金がない。
「これが気になるのなら、もしかしたら……未だ解明されていないという聖女様の祝福で、これの封印が解けるかもしれません」
あっ……そうだよね。私の祝福って……人や植物問わず時間を戻すこと……? だとしたら、この小箱の封印だってなかったことに出来るかもしれない。
けど、それってここで何も言わなかったら、彼を騙しているみたいにならない?
「あのっ……私がお礼が出来るようになったら、絶対にお礼に来ます」
まさか旅を共にする人たちにも言えないのに、ここで祝福の内容を漏らすわけにもいかない。なんとなく悪い気持ちになりながら彼に伝えれば、店長はにっこり微笑んだ。
「いいえ。誰かを助ける善行は、回り回るものです。ここで聖女様をお助けすることが出来たなら、きっといつか誰かが私を助けてくれますから。それに、ここにあってもいつまでも使う機会が訪れませんし、使って貰える方が指輪も喜ぶと思います」
何もかもお見通しですよと言わんばかりの店長から、私は緊張しながらその小箱を受け取った。
◇◆◇
「……聖女様?」
目を開けると至近距離にあった整った顔に、私はすぐに口から出てきそうな悲鳴を手で押さえて押し殺した。
「……わっ……! びっくりした。ジュリアス……?」
「驚いたのは、こちらです。買い物から戻られたと聞けば、何度扉を叩いても返事がない。既に今は深夜です。心配になって合鍵を借りれば、部屋の中で昏睡状態ではないですか」
え。ジュリアス、何故か怒ってる? どうして?
「……あ! 私、そうだ。あの木の小箱に……?」
そうだった。あれを封印がかかる前に元に戻そうとして、キスをしたはずだった。
私の手の中には、綺麗な若木の色に戻ったあの小箱があり、さっきまでどんなに力を入れても開かなかったはずなのに、簡単に開けることが出来た。
「わ! 綺麗!」
小箱の中には、綺麗な緑色の宝石が嵌まった指輪が鎮座していた。私はすぐ近くに居たジュリアスにそれを見せた。
「聖女様……これは?」
いぶかしげに聞いたジュリアスに、私は何度か頷いた。
「強い護りの魔法が掛けられた指輪で……ジュリアスにあげます。十分強いし何回も倒していると思うけど」
照れながら、私は指輪を渡した。受け取った彼は一瞬嬉しそうな顔になった後で、すぐ真面目な表情になった。
「聖女様……もしかして、そのために祝福を使ったんですか?」
「そうです。けど、こんな風に寝落ちてしまうとは、思わなくて……この前の花だって、全然何もなかったし……」
そうなのだ。だから、私はほんの軽い気持ちで古い小箱にキスをした。
「……おそらく、戻す時間に比例して力を使っているのかと。そういえば、僕に最初祝福を使った時も、聖女様は意識を失って倒れました。この小箱はそれ以上……百年は経過していると思いますので」
状況から推理したジュリアスは言葉は淡々としていて、なんだか怖かった。
「あの……ジュリアス」
「聖女様の祝福の力に関しては、まだ謎が多過ぎます。僕以外の何かに使用する時は、相談して貰えませんか」
それは本来なら口を出せないはずの聖女への要望ではあったけど、命令出来るならしていたはずであろう強い口調だった。
「ごめんなさい……」
「それに、僕は……いえ。ありがとうございます。聖女様の気持ちは、大変有り難いのですが……」
ジュリアスは何かを言いかけたけど、言わない方が良いと判断したのかその後の言葉を濁した。これをすれば彼に喜んで貰えると思ったんだけど、これは大失敗してしまったのかもしれない。
「ジュリアスに喜んで貰えると思ったんですけど、ごめんなさい……」
そう言って、彼を見上げると顔は間近にまで迫っていた。あっという間に、私たち二人の唇は重なり合っていた。
ジュリアスの若さを保つために必要なキスなら、昨日何度もしたはずだった。けど、彼なら嫌でもないし、私は嬉しい……けど、これには理由がない。
私とジュリアスは、まだキスをする関係でもないはずだけど。
毅然としてこれを断るなんて、欲のない良い子のすることだから……私としてはそれを甘受する悪い子で居たい。
「聖女様は僕を守ろうとしなくて、大丈夫です。役目は逆なので。けど、ありがとうございます……お気持ちは、とても嬉しいです」
やがて、目を合わせたまま離れたジュリアスは照れくさそうにして、渡した指輪をその指に嵌めてから胸に手を当てて微笑んだ。




