魔界の王子
ソルタの背中を、不満気なエルフ耳の少女が引っ張った。
「なあに?」
「あのね、通気孔とか探すなら、私のシルフでよくない?」
自分の精霊を使って欲しかったのにとフィーナが訴える。
ソルタの二人の妹は、一気にダンジョン深部に潜る強行軍にも平然と付いて来た。
鍛えれば良い戦力になるだろうが、刺されたり噛まれたりしても少し痒いくらいの小虫を本気で嫌がる。
道中ずっと虫避けの魔法をかけ続けた兄の身にもなって欲しい。
「んー、そうだな。フィーナのシルフはとっておきだから後でね」
適当に返事をしたら適当だと直ぐにバレた。
「またそんな事で誤魔化す。ねえ、何か手伝いたいだけなの」
「お兄様、私もよ」
アキュリィは右手に持った金属製のメイスを、フィーナは左手の木製のロッドをぶんぶんと振り回す。
これらの武器は出発直前に買った、店に売っていた一番良いものを言い値で買って店主は満面の笑顔だった。
一応は魔法の武器だが、さほど強そうには見えない。
「うーん……お留守番かな。二人にはもっと危ない時に手伝ってもらおうかなあ」
「例えば! どんな時よ!?」
「ほら、お兄ちゃんが敵に意識を乗っ取られた時に、二人の愛の力で引きずり戻すとか。そういう時ね」
アキュリィとフィーナはわざとらしく嫌がる顔をした。
「余り調子に乗らないでよね、別にそこまでお兄ちゃんのこと好きじゃないし」
「うんうん。お兄様は嫌いじゃないけど、愛してはいないわ」
「はいはい、じゃあここで待ってなさい。少しは応援しろよ」
巨大な狩りバチ向かうソルタに、フィーナが思い出したように言った。
「ねえお兄ちゃんってさ、精神操作系の魔法は効かなくない? だったら私達の出番ってないんじゃ……」
かなり広い、地底湖まである最深部へと、ソルタはゆっくりと踏み込む。
羽を広げれば六メートルにはなるタランチュラホークが餌にしたのだろう、家畜や巨大なトカゲや蛙などの食い荒らされた動物の死骸や骨が散乱している。
この大きさになると、もう普通の昆虫を襲うことはない。
後ろでは冒険者のふりをした騎士が十人、妹二人の周囲をそっと固めて、カーボンとアルプズは前方を守る。
唯一、アラクネ族のアラクネーだけがソルタの後に付いてきた。
「引っ込んでて良いぞ?」
「そうしたいところですが、これでも一族の長でして。助けて頂くのは仕方ないですが、体も張れないとなると立つ瀬も座る場所もなくなります。ちょっとだけ、ちょっとだけでも援護させて下さい!」
「まあ好きにしろ。俺の前には出ない方がいいぞ」
「ところで坊ちゃま、お気付きで?」
「知ってるよ、もう一匹いるんだろ?」
ソルタは高い天井の一角を剣で指し示した。
カチカチと顎を鳴らして警戒音を出していたタランチュラホークが、更に激しい音を出す。
「仲間を呼ぶ合図かな」
もう一匹、二周りは小柄な、おそらくは雄の蜂が天井から現れた。
「すまないが、お前達は人類の脅威になる。強くなりすぎた」
堅い外骨格で空中を高速で飛び回り、牛や馬でさえ押さえつける強靭な手足と刺されば麻痺どころか大穴が空く毒針、戦闘的には完成されたタランチュラホークだが致命的な弱点がある。
ソルタの前方に浮く女王は、地下の壁に作った巣とその中の卵を守ってるのだ。
魔力で増速した金貨を一枚、左の親指で弾いて巣をかすめるほどの近くに着弾させた。
怒り狂った母親は最も強い本能に従いソルタを強襲する、そうするしか無いのだ。
魔力の籠もった聖剣と、魔力で覆われた蜂の前脚がぶつかる。
焼け石を水に投げ込むような衝撃音がして、お互いの魔力が反応し光を散らす。
凄まじく速く、正確で致死性の一撃を互いに繰り出し、魔力量で圧倒する聖剣が右の前脚を切り落とした。
後ろで見ている冒険者から歓声が上がる。
「おおおっ! あの前脚だけでも金貨五枚にはなるぞ、あれほどの硬質素材は滅多にない!」
入れ替わりで突進して来た雄を、ソルタは盾で受けてから叩き飛ばした。
盾盾剣の順番で使い、数歩ずつ進みながら押し込む。
今いる場所を譲らない騎士の戦い方、冒険者はもっと自由に良い位置を探して動き回る。
騎士の場合は、自分が受け持った所から前進だけを考える。
左右には仲間が居て正面だけ見ればよく、自分が倒れても誰かが後ろから代わりに出てくるからだ。
「雄の方はわたくしが!」
アラクネーが粘着性の糸で雄の動きを封じにかかると、ソルタは再び巣を狙う素振りを見せた。
当然のように雌蜂が襲いかかってくる。
器用に毒針を数本飛ばしたが、全て減速させて地面に落とし牽制にもさせない。
巨体でのしかかり、残る脚でソルタの動きを抑えて最大の武器である顎で引き裂こうとする。
ソルタの鎧を貫くのは無理だが、鎧ごと噛み潰すくらいならできそうだ。
だが蜂の攻撃は当たらない、基本能力が魔法と回復のソルタでも、剣技と腕力だけで押していける。
何度目かの剣技を当てた時、遂に昆虫の外骨格がひび割れた。
早く楽にしてやろうと、割れた隙間へと高温の魔法を叩き込んだが、蜂の女王はそれでも生きていた。
瀕死になった雌を見て、雄は一目散に逃げ出した。
ソルタは後ろの冒険者に確認する、準備は万端だとの合図があった。
深部まで続く道も、何処かに掘られた進入路の出口も、全て冒険者達が鉄の網で封鎖している。
出てきた所で丸ごと捕まえるのだ。
ただ、雌の蜂は天井に穿った外への逃げ道へは向かわなかった。
ふらふらと自らの巣と子供達の方へと飛んでいく、何とか巣だけは、子供達が孵化するまではとの執念だった。
「……”白色輝星”」
絶対温度で五千を超える、ソルタが使える最強魔法で一瞬で止めを刺す。
そのつもりだったが、地底湖の水面近くをゆっくりと飛ぶ巨大蜂は、水中から現れた舌と口に捕まった。
キングトード、地底湖を縄張りにする巨大カエルが、仲間を餌にしていた蜂を今度は餌にした。
「あああああっ! 金貨の、金貨の塊が、食われたあっ!」
冒険者達が慌てて湖岸に駆け寄り蛙釣りを始めたが、地底湖の主は無視して水中へと消えていった。
残されたソルタのところには、アキュリィとフィーナが来る。
二人共、鼻をつまんでいた。
「お兄様、ここ臭いわ。骨とかごろごろしてるし……」
「わたしね、田舎育ちだけど虫とかべちゃべちゃの道とか駄目なの」
「お前達に冒険者は無理かな」
「うん、そうね。けどね、お母様達が大変だったのは身に沁みて分かったわ。帰ったら親孝行するから、早く戻りましょう?」
蜂の巣からは、十五体のアラクネ族が助け出された。
麻痺させられて卵を産み付けられていたが、まだ幼虫に食われる前だった。
「アラクネー、これからどうする?」
「そのー、坊っちゃんさえ良ければエリュシアナの所までご一緒は駄目ですか? これでも友人なんです、それに今の魔界には戻れないですから……。お役に立ちますよ! 上質の糸を吐きますし、何なら夜のお供も全員でしますから!」
「やめろ馬鹿! 妹の前で!」
助け出したアラクネ族は全員が女性だった。
魔界の騒乱が落ち着くまで、ソルタの村で働きたいという。
「それでさ、魔界の二大巨頭の戦いって何時頃終わるの?」
なんとなく気になってソルタは聞いた。
「それがですねえ、二百年くらいは続くかなって思ってたんですが、直ぐにも終わらせる方法を見つけちゃいまして。けどそれにはエリュシアナの許可がいるかなーって」
悪魔の金色の複眼が、全て揃ってじっとソルタを見つめていた。




