裸の悪魔
窓の外の悪魔が動いている気配はない。
ソルタは二体の従者に指示を出す、畏まったアルプズは窓と妹達のベッドの間に立ち、カーボンは枕元に寄る。
二体はソルタと一緒に”マダムの手料理”を食べた。
魔力も気力も充実していて、お任せ下さいとばかりソルタを見る。
「よし、ここは任せる。まあけど一応用心に、”聖壁”、”相関確認”」
妹達には対魔の最高防御と常に位置と状況を把握出来る魔法をかけておく。
起きて口を開けば生意気ばかりの妹も、すやすやと眠っていればとても幼く見える。
もし四人が並んで寝てればどれがどれだか、ソルタでも一瞬は迷うだろう。
「……”反応攻性防壁”、”見敵必殺”、”軌道機雷”、過保護じゃない、これくらい普通だ、普通」
さらに幾つかの反撃系魔法を追加しておく。
もしも寝てる妹に触れる者が出れば、指向性を持った魔力の爆熱が襲う、しかも三段階以上で。
少し窓を開けると、冬の夜気がせっかく暖めた部屋の空気を遠慮なく侵食する。
これでは妹が風邪をひいてしまうと、ソルタは窓枠に足をかけて屋根を掴んでから窓を閉めた。
そのまま屋根に登るがまだ攻撃はない、ただし周囲には糸が張り巡らされている。
敵の足場だとは想定出来るが、かなり厄介な相手である。
人間サイズの昆虫型は例外なく強い、元々指先ほどの大きさでも人を殺す種がいるくらいであるし、特殊な行動や能力も多く相手にしたい冒険者はいない。
「さて、姿を見せてもらおうか。蝶の幼体型ならまだ良いが、蟻やクモだと困るなあ。これだけ人型とかけ離れてれば、人間界に滅多に来ない上位の悪魔だろ?」
誘う声に応えてか、宿の正面にある大木に一つの影が現れる。
伏せた熊ほどもある影は素早く空に飛び、そこで静止した。
「クモかよっ! なんてこった」
次の跳躍に合わせてソルタも跳ねる、通常届かぬ距離も自ら加速すれば届く、ただしやり過ぎると怪我をするが。
予測通りに蜘蛛の悪魔は空中に糸を撒く、捕まれば解くのも切るのも苦戦するだろう。
「”六重光星”」
六つの熱球がソルタの周りに現れる。
一つ一つは低温、せいぜい八百度ほどだが生体物資が耐えられる温度ではない。
熱球と共に糸を溶かしながら距離を詰め、再び蜘蛛の悪魔が飛ぶとこれ見よがしに右手の聖剣をかざす。
アキュリィに貰った聖剣は竜鱗すら切り裂く、王や侯といった爵位持ちの悪魔だろうが耐えきれるわけがない。
ただしソルタは聖剣を囮に使った。
左手からの指弾、三枚の金貨が三本の足に吸い込まれ、蜘蛛の悪魔は大きくバランスを崩し糸から落ちた。
落ちる途中で補助糸に掴まって止まったが、地面から僅かの高さで宙ぶらりんになった蜘蛛の悪魔に出来ることはもうない。
「さて、どうする? 話が通じるのは分かってるぞ。だんまりなら普通に殺す、喋っても目的次第では殺すけどな」
聖剣を突きつけられた蜘蛛は静かに地面に下りると、八本の足を広げて地面に頭を付けた。
どうやら蜘蛛の降伏姿勢らしく、次に泣きの入った女性の声で喋った。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。調子に乗ってました! 人間風情の力を確かめてやろうなどと思ったわたしがバカな節足動物でした! お願いです、何でもしますから許してくださいぃ!」
クモの背から女性の上半身が起き上がって、直ぐに頭を蜘蛛の体にこすりつける。
振り乱した髪の毛が蜘蛛糸のように真っ白でうねうね動くが、体も真っ白で乳房は二つでかなり大きく服を着ていない。
顔はかなりの美形、全体的に鋭く知的な美女といった感じ、ただし目が複眼のようになっていてソルタの趣味ではない。
「女か」
「はい、そうです! この雌蜘蛛めとお呼び下さい!」
「呼ばないよ……教育に悪い。だがこれより……そうだな三日は、逃げぬ、敵対せぬ、嘘を言わぬ、許可なく誰も襲わないと契約するなら許そう。対価は奪う予定だったお前の命だ」
「はい喜んで! 悪魔アラクネーの名に賭けて誓います! なんなら永遠の愛まで誓いますけど?」
「要らん!」
「いやーん」
悪魔の契約遵守は信用できる。
条件もかなり緩いので、これをわざわざ破棄させようともしないはずだ。
「さて、アラクネーよ」
「わん。雌犬とお呼びください」
「やめなさいって。人間の男と言えば、悪魔の女を我が者にって性豪ばかりじゃないんだぞ」
「いやーそうですか、人族と言えば見境なく手を出すとの噂なのでつい。ほら最近もサキュバス族を率いる公爵夫人が人の男に落とされたと本で読んで」
ソルタは黙る。
間違えようがない、母と父の物語だ。
「なあアラクネー、今直ぐここを離れて家に戻るってなら許可するけど?」
「いえいえ、そうもいきませんので! 人間界に来たには理由があるんです! しかもその途中で、仲間が魔物に捕まって……お願いですぅ、助けて下さいぃ!」
裸の上半身を、下半身は蜘蛛だが、ソルタになすりつけて泣き落としに入った。
しかも話し声が大きいのか、周囲の宿の窓には人の気配が出てきた。
「ちょ、ちょっとこっちに来い。中で妹が寝てるから静かにな」
二階の窓に飛びつくソルタにアラクネーは楽々と付いてくる。
むしろ三次元機動では悪魔の方が上だなとソルタは悟る、ただし魔法や剣を使えば相手にならない、つまり脅威ではない。
窓を内側からアルプズが開けてくれる、執事の悪魔はソルタの後ろにいる悪魔に目を止めた。
「これは、アラクネ族のアラクネー男爵夫人ではありませんか。ご無沙汰しております」
「あら、確か……エリュシアナ公爵夫人のとこに仕えてる……ごめん、名前は覚えてない」
「アルプズでございます。今はこちらの若君の元に」
「あーあー、そういう、うんだいたい分かった。そりゃ強いはずだ! あんたがあの忌まわしい死の魔王を倒した人間の勇者!」
「違う! その息子だよ。エリュシアナ母ちゃんのことも母と呼んでるけどね」
よく分からないといった悪魔アラクネーが腕を組んで首を傾けた。
面白いことに、蜘蛛の体の方も前脚を組んで頭を斜めにする。
「アルプズ、少し話を聞くことにした。この女は特に危険はない?」
「そうですね。私では敵いませんが、若様が苦戦なさることもないです。性格は温厚で素直だと聞いております。ただ部屋に入れるなら、蜘蛛の体の方をしまって頂かないと困ります。毒毛が抜けて部屋を舞いますゆえ、お嬢様の肌に付けば一大事です」
隠し能力の一つか、知らずに接近すれば毒に囚われることもあるのだろう。
ただしソルタに毒は全く効かないが。
「はい、わかりました。人型になりますね、えいっ」
「お、おいっ!? いかん、早く服を着ろ!」
非常にまずいことに、下半身も裸の女性が現れた。
さらに恐れていた事態が起きる、今の今まで大人しく寝ていたフィーナがぱっと目を開く。
剣を片手に全裸の女性を前にした兄を見つけると、妹は大急ぎで隣の姉を叩き始めた。
「起きて、起きてお姉様! お兄ちゃんがとんでもないことをっ!」




