戦う理由
セーム要塞から南西へ四十キロ、公都ネアハルスは大河の北岸にある。
ソルタ達の到着は、市民の歓声と花火で迎えられた。
軍隊が莫大な物資を消費して膨大な金が動く、好景気に惹かれて男も女も都市に集まる。
男は帽子を女はハンカチやスカーフを振って、前線から戻った兵士を労う。
「ねえ、ラーセン」
「なんでしょうか」
「街の住人が増えた?」
「はい、1ヶ月で3万人も増えました。食料と住宅の高騰を抑えるのに、軍用の物資と土地を提供しました。これも北部戦線の早期終結が見込めたお陰です」
「そういうのを聞きたかった訳じゃないけど……」
最近では、ソルタの所に軍の書類が回ってくるようになった。
これまでは軍政民政に宮廷家中も全てテティシアが最終決裁者。
かなりの激務だったらしく、しかもテティシアは二年に一度は魔物や迷宮に大物が出た時に自ら討伐することもあったそうだ。
なのでテティシアの鎧は何度か新調している。
かつて、若い頃は他の母と同じくもっと体型が出る鎧を着用していたそうだが、今では全身鎧だ。
「昔のを着て見せてあげようか?」と言われたがソルタは全力で拒否した。
他の母達は、この10年間は戦うことがなかったので、若い頃の装備を引っ張り出してソルタは恥ずかしい目にあったのだ。
是非ともそのまま仕舞い込んで、娘に譲るなども絶対にやめてもらいたい。
「母ちゃんがもう鎧を着る必要はないよ。これからは僕がやるから」
ソルタが告げた時、母テティシアはそんな事までさせたくないと言いながらも、とても嬉しそうで少し泣いていた。
「そうね、ありがとうね。老いては子に背負われろと言うもの、けど私もまだまだ若いのよ?」
母の仕事の一部、軍事力の行使を肩代わりしたソルタの元には決裁書類がやって来る。
もちろんソルタにはさっぱり分からないが、副官に付いたラーセンや家臣団が懇切丁寧に教えてくれる。
「我ら家臣からすれば、当主または代理の者が目を通すというのが重要なのです。上司への書類に虚偽があれば不正ですが、主家に虚偽あれば逆心です。家ごと取り潰されても文句は言えません。例え分からずとも、目をお通し下さい」
「読んだふり?」
「まあそうですが。そもそも若様もテティシア様も、市中の穀物相場などを知るはずがございません。後で監察が突き合わせて調査致しますので」
不正は後で暴けば良いとラーセンは言った。
先に金と物がないと軍事も工事も出来ないのだから仕方がない。
ネアハルス市内のお祭り騒ぎを横目に、ソルタは決裁と報告を読み終わる。
軍の幹部はソルタが時間をかけて署名するのを待っていた。
「なんだか待たせてごめんね」
「いえ、せっかくなので普段はこちらで処理すべきものまで回しましたから」
「なんでそんなことを!?」
「若者を鍛えるのは楽しゅうございますからなぁ」
老臣達はやけに生き生きしていた。
へとへとに疲れたソルタはとぼとぼと自室に戻るが、道中で元気が出る相手を見つけた。
窓を鏡の代わりにして髪を手櫛で整え背筋を伸ばす。
「ミリシャ、久しぶり。会いたかったよ」
アキュリィの侍女ミリシャと、顔を会わせるのは十数日ぶりになる。
若い侍女は前線の要塞への同行は許可されなかった。
騎士と正規兵ばかりで治安が悪いことはないが、万が一という事もある。
アキュリィとフィーナには母達が付いているし、兵士達にも特別な存在、看護と言っても窓を開け水を換えて回るだけだが、それでも士気に大きな影響があった。
何故にミリシャが司令部のある一角に居るのかは謎で、ひょっとしてソルタを待ってたのかと思ったが疑問をぶつけたりはしない。
ソルタは師匠ゼルタスから学んだ、「久しぶりに会った女に質問をするな。会いたかった、ありがとう、愛してるの三点構成で攻めろ」と。
「ソルタ様……! よくぞご無事で、毎日お祈りしておりました……!」
「ん? おっと」
ソルタが想像していたよりも十倍は防御が脆い。
侍女や女中と言っても皆が良いとこのお嬢様で、王女に仕えているという誇りもあり、ソルタと仲良くはしてくれるが簡単に何でも許す訳ではない。
そのミリシャが薄っすらと涙を浮かべて腕の中に飛び込んできた。
「戦場帰りはモテるぞ」と言ったゼルタスを思い出す。
ミリシャの細い腰に腕を回しても、桜色の唇から吐息を漏らすだけで身をよじる素振りもない、むしろ上半身をぐっとソルタに押し付ける。
上手く行き過ぎて怖いくらいだが、ここには邪魔をする妹達は居ない、規律に厳しい上級女官の大軍もテティシアに付いていて不在で、公都ネアハルスは西部の前線からも数百キロは離れている。
「元気だった? こっちは色々とあったよ」
「はい。お聞きしておりました、酷いお怪我をなされたと」
「もう完全に治ったよ、傷跡も多分もう無い」
「まあ……本当に? 無事を、私も確かめとうございます」
じわりと、自室の方に誘ったソルタの動きにミリシャは逆らわず付いてくる。
ソルタの二つ上、17歳のミリシャが任せるがまま。
そもそもソルタは年下よりも年上が好きだ、村を出てから気付いたが年下は妹達の影がちらついて小動物的なかわいさしか感じない。
「左肩を深くやられてね」
「はい……見せて下さい」
ソルタは後ろ足で自室の扉を静かに閉めた。
上半身をはだけたソルタの左肩を、ミリシャの白い指がそっと触る。
「見た目は……治っていますが少しへこんでいますね。周りの筋肉に比べて……」
ミリシャの顔がドラゴンゾンビの呪いで腐った左肩に口づけの距離まで近づき、ソルタは身を固くする。
次の瞬間、止まった唇から淡紅色の舌が出てきて肩を舐めた。
「……塩の味がします」
全面攻勢に出ると決めたソルタはベッドの位置を確認する。
あと3歩進んで押し倒す、3歩進んで押し倒すと頭の中で繰り返し、最初の一歩を踏み出した時、司令部内に警報が響き渡った。
ほんの数十秒、硬直していたソルタの耳にミリシャ以外の声がやってくる。
「敵襲! 敵襲!」
「キュビワノ河からだ!」
「艦隊夜戦だと、やる気があるな。提督を呼べ!」
公都ネアハルスは西部の前線から数百キロは離れているが、王都に次ぐ後方の集結地点で、戦略上の最重要拠点の一つ。
万が一にも荒らされる訳にはいかない。
「……俺、行かなきゃ」
「はい……ご武運を」
上着を直し剣を掴み、部屋を飛び出したソルタは司令部に駆け込む。
扉の前で衛兵が敬礼をしていたが、初めて答礼をしなかった。
急な敵襲で許してくれるだろうとの期待もあり、そして何よりもソルタは怒っていた。
「何処のどいつだ、ぶっ殺してやる!」
ラーセン達、軍の首脳陣が怒り狂うソルタをにやにやしながら見ていた。
「沿岸諸国の連合艦隊ですな。数は戦闘艦だけで十以上、ちょっと我が方の艦隊では太刀打ち出来ません。陸上から魔導師部隊で援護と、可能なら切り込みをかけますが、若様も前線に出られますか?」
「当たり前だ! 全部沈めてくれる。誰か槍持ちを」
十五分後、エオステラの軍艦を追っていた沿岸諸国艦隊の先頭が、火を吹いて轟沈した。
だがソルタの怒りは収まらない。




