踏まれた麦はよく育つ
ソルタは熟睡していた。
母の魔法で英雄になった後ろめたさから、後退時に殿を立候補したのだ。
母テティシアは「あまり部下の手柄を横取りするものではなくてよ」と言っていたが奮戦した。
アンデッド八十体ほどを土へと還し、ますます評判が上がった。
日が落ちるまで戦って要塞に戻り、半分寝ながら風呂に入り飯を食って寝床に倒れ込んだ。
戦況も水も燃料も食料も余裕が出来て、統率を失ったアンデッドが再び東西南北に散らばろうとしていたがソルタは休める時に休む。
夢見心地のソルタを蹴る者がいる。
「お兄ちゃん、とっくに朝よ起きて」
「ねえフィーナ、兄って蹴っても良いものなの?」
「良いわよ、寝てるんだもの。靴で蹴ると怒るけど、お姉様もやったら?」
蹴ると言っても足の裏で揺らすだけだが邪魔には違いなく、ソルタは寝返りをうって背を向ける。
「逃げた。起きてるわこれ」
「こんなとこ教育係に見られたら、説教どころじゃないわね。えいっ」
長女アキュリィと次女フィーナが素足でソルタを踏みまくる。
きゃあきゃあと楽しそうな声が非常にうるさく、邪魔でしかないがある程度はソルタも我慢をする。
ただ何時までもソルタが怒らないということはない、ベテランの妹であるフィーナの方はそれを理解しているはず。
兄を踏んだり足置きにするとそのうちに爆発するが、怒った所で大した事はないと知っているだけ。
もう一方、新参の妹アキュリィは違う。
怒らないと聞かされて控えめに足を出していたが、毛布に包まり丸くなって耐える兄を踏み付けるのが楽しくなったのか段々と大胆になる。
「えいっ! 起きろ、このねぼすけ!」
「いい加減に調子に乗るなよ!」
「ぎゃあ!? 起きた!」
アキュリィの足を掴んで軸足を払い、見事に転んだ長女を毛布にくるんで放り投げてから片割れを追う。
エルフの血を引くだけあってフィーナは素早い、だが怒れる兄から逃げきれる程ではない。
新しい姉を見捨て、一目散に部屋から逃げ出そうとする主犯をソルタは追う。
フィーナの計算通りだとはソルタも分かっている、ばたばたと追いかけっこをして捕まって髪の毛をぐしゃぐしゃにされて、「お兄ちゃんたらひどい」とむくれる何時もの事をやりたいのだ。
戦時でも日常を求めるのは人の性質かもしれないが。
「こらっ! へとへとに疲れて帰って休日の朝から妹のお遊びに付き合わされる兄の身にもなってみろ! おっと」
部屋の出口でフィーナが急に止まる、先の通路には数人の兵士が居て逃げ回るのを諦めたようだ。
驚いている兵士の前で、ソルタは真剣な声を作って妹を捕まえる。
「フィーナ、こっちに来なさい。そうだ、お兄ちゃんの後ろに居なさい」
12歳の妹は言いたいことはありそうだったが、素直に従う。
本気のお兄ちゃん命令は絶対に守るよう、常日頃から厳しく言ってある。
束縛するためではなく守るため、ソルタにとって最大の弱点は小さい妹達、これらが人質にでもなれば何も出来ない。
「まあ、勝手な事して足を引っ張ったり、きゃーきゃー叫ぶだけの馬鹿な妹でなくて助かってるんだがな。で、お前ら何者だ?」
気配と足音を消し、そっと歩き去ろうとしていた兵士達が止まる。
全員が特徴もない顔で中肉中背、装備は普通の兵士用、手に書類を持ち革の水筒をぶら下げて何処にでもいるような兵士だ。
「えーっと、テティシア様にご報告がありまして」
「何を言っている、この区画は男子禁制だ。俺以外の出入りは、誰にも許されていない」
母達と妹達は、要塞内で専用の区域を使っている。
元々、セーム要塞はテティシア領にテティシアの金で作ったものなので、領主の部屋というのは用意されていた。
「いやーおかしいなあ。これを持って行けと言われたんですが……」
兵士の一人がわざとらしく書類をソルタに向けて広げた時、横に居た兵士が革の水筒を手で抑えた。
空気が抜ける音がして、二本の針が水筒に偽装した吹き矢から発射される。
動きが小さく魔法でもなく距離もないせいでソルタでも避けきれないが、元から避けるつもりなど一切ない。
後ろにはフィーナが居る、背中に妹を庇っている時には敵の攻撃を全て受け止めるのが兄の役目。
狙いがはずれて脇をすり抜けようとした針までも、ソルタは手を伸ばして受けた。
「二本とも当たり、ですか。一本でもオリファントを仕留める毒を、まさか自分から受けにくるとは。流石は英雄の護衛、かな?」
兵士は暗い笑いを浮かべる、これまでソルタが見たことがない種類の笑いだった。
「な、何者だ、き、貴様ら……」
「言えません」
「め、冥土の土産でもか……?」
「聞けば後ろのエルフ娘も死ぬことになりますよ?」
「み、見逃してくれるの……か」
「いいえ、殺します」
ソルタはフィーナを見直していた。
騒がずにじっと我慢している、背中には疑問と心配の視線が突き刺さっているが、絶対にソルタの背中の影から出たりしない。
兄が本気で怒るのは、自分達の身が危なくなることをした時だとよく知っているのだ。
「あっそ。じゃあいいや」
部屋の入口から動かず、いや中に二匹も妹が居るので動けないが、ソルタは制圧にかかる。
何の毒か知らないが、自己解毒が可能なソルタにそんな物が効くはずもない。
せめて名ありの竜よりは上の力でないと相手にもならない。
まずは右手に刺さった毒針を指で弾いて返すと、吹き矢を飛ばした奴の右太ももに刺さり悶絶しながら倒れた。
驚いた残り三人は隠し持っていた短剣を抜く、ソルタには見覚えがあった。
「あ、それ、ソンスリオの一味が使ってたやつか」
口に出したのは余計だったらしく、目の前に一人を残して二人が区画の奥に走った。
正体がバレたら退散ではなく、目的を果たそうとする厄介な相手。
「おい、カーボン! 二人をちゃんと守れよ!」
毛布にくるまって転がるアキュリィの影から、ようやく黒猫が飛び出した。
この猫は最近サボり気味だ、アキュリィにほぼ飼い猫として扱われているからだろう。
カーボンは後で特訓だなと決定し、ソルタは一人を壁に叩きつけて聖剣を呼んだ。
細い通路で外しようもなく、背中に魔力を乗せた剣撃を叩きつけるため狙いを付ける。
多分死ぬだろうが仕方がない、妹を殺すと口にした奴を生かしておくほどソルタは優しくない。
だが奥の扉が開き、一瞬だけソルタは躊躇した。
扉を開けた主は直ぐに魔法を発動する。
「”完全支配” 跪きなさい。ところで、これ誰? ソルタのお友達だったらごめんなさいね」
先に膝を付かせて息子の友人かどうか確かめる、無茶なやり方を平気でするのは四女サターナを産んだ魔族エリュシアナ。
「母ちゃん、戻ってたんだ?」
「そうよお、かわいいかわいい息子に会いたくて全力で飛んだの! おーよしよし、ちゅっ」
爵位を持つ魔族エリュシアナは強引にソルタをその胸に押し付ける。
余りに日常なのでソルタも照れたりはしないが、一言だけは言いたい。
「ねえ、お願いだからその服はやめてよ……」
サキュバスの最上位種でもある母の服は、褐色の肌に上下ともほぼ紐。
ソルタが一度行った娼館でさえ、これほどきわどい格好の女性はいなかった。
「なんで? よく似合うでしょ?」
「似合ってない! 何時もの服にして! いやそれよりも、今魔法をかけたあいつらに何処から来たか聞いてよ」
「お前達、何処の所属か言いなさい」
ソルタの予想はウンゴール公国の工作員だったが外れた。
この者達はさらに西から来ていて、古王国の王家に使えわれる暗殺組織の一員だった。
「あらら、人類の八割が敵じゃないの。大丈夫、この国?」
魔族の母はひたすらに呑気だった。




