聖剣の出番
「うーん、どうするかなあ……」
「ねえお兄様、私が覚悟を決めたのに迷う必要ある?」
アキュリィの申し出は願ったり叶ったりで、強力な武器は喉から手が出るほど欲しい。
しかも魔法に相性があるように、魔法武器にも相性がある。
妹の創り出す武器なら、ソルタには最高の相性が保証されるのは間違いない。
「けどなあ、妹の嫁入り道具を取り上げるのは悩むよ」
「はぁ……聖剣がないから断るって相手なら最初から願い下げよ。私はこれでも王国の真珠とまで呼ばれてるのよ、貰い手なら幾らでもあるわ」
「テティシア母さんは?」
「王国の金剛石って呼ばれてたって……」
「負けてるじゃないか。痛っ! やめなさい、左腕は上がらないんだ」
ドラゴンゾンビの魔法をくらったソルタの左肩、今も黒く肉が抉れた下の辺りをアキュリィが掴む。
この呪いの傷は、時間はかかるが治癒する。
ソルタの回復能力は竜の呪いを僅かだが上回り、それがソルタが北の極竜に勝てるはずだという根拠にもなっていた。
さらに勝つ理由は他にもある。
「お兄様が大怪我をしたと連絡が入った時、私がどんな気持ちだったか分かって? 泣くほどに後悔したのよ、出陣なさる前に私の持つ力を全て渡しておくべきだったと。もうあんな思いはしたくないの」
「お前、ずっとここに居たのか?」
「ええ、お母様に付いてきたわ」
よく許可が出たものだとソルタは思う。
アキュリィは姫の服装ではなく、メイドが使うような白いエプロンをしている。
所々に、赤い血や汚れの跡が見える。
「負傷兵の看護を?」
「もちろんよ、私にも出来ることはあるわ。みんな喜んでくれるの」
ソルタは自分の右手を見た、綺麗ではないが汚いと言うほどでもない。
これならアキュリィの濃い銀色の髪を触っても大丈夫だろうと右手を伸ばす。
わしゃわしゃと撫で回すと、アキュリィは嫌そうな顔を作ったが逃げはしなかった。
「偉いぞ、自慢の妹だ。魔法で治しても体力までは戻らないし、魔法でも治らない傷もあるからな……」
誰かに世話して貰うのは、子供でも大人でも心が安らぐものだ。
領主の娘であるアキュリィが負傷兵を看てくれるなら兵の士気も高まる、事実、目前に竜を含めて数十万のアンデッドが迫ってもセーム要塞には気合が満ちている。
「それにだ、よくお聞きアキュリィ。お兄ちゃんは元から強い。まあ技量はまだまだだけど、父と母から受け継いだ能力は当代一だ。そしてその力を一番発揮出来るのが、お前達を守る時だ。後ろにお前が居るならば、絶対に負けることはない。だから安心して待ってなさい、いいね?」
涙も乾いた妹は素直に頷くと思ったが、ソルタの左腕を掴む右手に更に力を込めた。
「妹よ、痛いんだけど?」
「はぁ、お兄様って時々は格好良いわね。けど妹の言うことも聞くべきだわ、待ってるだけは辛いのよ」
強い光がアキュリィから溢れ、兄妹二人を包んだ。
敵対するものなら消滅するくらいの凄まじい魔力の奔流で、ソルタも思わず首を竦めてしまった。
「大丈夫よ、お兄様。私に任せて」
ソルタの右手もアキュリィの左手が掴む。
「あのな、待てと言ったろ?」
「もう止まらないわよ」
何処から来たのか分からない程の魔力量、神族が地上に降臨したと言われた方が信じられるくらいの力を内封した光の柱がソルタの目の前、二人の間で形を取っていく。
長さはおよそ拳の十個分、柄長は三分あまりで素材は石にも木にも見え、刃渡りは長くないが薄く優美で、硝子や水晶のように僅かに輝く。
誘う力に逆らえず、ソルタは中空に浮く剣を手にとった。
剣の柄は、産まれてからずっと握っていたかのようにソルタの手に馴染んだ。
「……付いてこい」
ソルタは剣に命じ、柄から手を離す。
右手を腰にやり取り出した一枚の金貨を跳ね上げても、剣は浮いたままソルタの手の近くへと付いて来る。
手元にある剣を再び掴み、落ちてくる金貨の軌道に差し出すと、金貨は音もなく縦に斬れた。
二枚に別れた金貨が地面に落ち、高い音を立てるとソルタはアキュリィと目を合わせた。
「どう?」
「凄い」
「それだけ?」
「……ありがとな、これでもう二度と負けたりしない。お前もこの国も、俺が守ってみせる。で、何処か異常はないか? 力が入らないとか、目が見えないとか何か対価を取られたりしてないか?」
ぺたぺたと自分の体を触って確かめたアキュリィは、異常はないと首を振った。
「むしろ体が軽いくらいだわ。その剣、私の体内に入ってたのかしら?」
「どうだろな。こいつは、お前の体重に影響あるくらいの重さはないぞ」
「どういう意味かしら? 今直ぐに返してくれてもいいのよ」
「返すわけねえだろ、ばーか。もう俺のものだ」
「ねえ、ついでに馬鹿って言うのやめてよ」
妹の抗議を無視して、ソルタはハイハードミスリル鎧の下に着込んでいる超古竜の鱗鎧を引っ張り出す。
伸縮性があり強度も耐性も人類では生み出せない最高峰の素材の端に、ほんの少しだけ剣先を当てて力を込めると竜鱗はあっさりと斬れた。
これならば、北の極竜にも確実に通る。
もう一度アキュリィを褒めようとソルタが思った時、鐘の音が鳴り響いた。
敵が動いたのだ。
最後に妹の頭を撫でて、神殿の中へ入ってろと指示をしてソルタは駆け出した。
北の防壁へ、途中から兵舎の屋根に飛び乗って渡り階段を飛ばして到着する。
防壁の上はとっくに防御体制が取られていて、多くの兵が等間隔で並んでいた。
ソルタの姿を認めたエオステラ=ハルス家の騎士が叫んだ。
「若様! あちらへ!」
騎士の指す方向には、テティシアと首脳陣が固まって北を見つめている。
軽くお礼を言ってからソルタは防壁の上を走る、集まった兵からは誰だこいつといった視線を受けるが、着ている騎士の鎧を見て道を空けてくれる。
お気に入りの漆黒装備では、こうはいかなかったかも知れない。
装備には性能以外の役割もあるのだとソルタは学んだ。
「母ちゃん!」
「ママって呼んでちょうだい」
「そういう事態じゃないだろ」
ソルタはお歴々の後ろを通って乳をくれた母の後ろに回る。
テティシアの右隣に居た元軍務大臣が場所を空けてくれたが、ソルタは後ろに立ったままで剣をかざした。
「北の極竜は、俺が倒す。出撃の命令を下さい!」
母テティシアは驚き、剣を見て嬉しそうな顔になり、それからちょっと困った顔になった。
「あらあらどうしましょう。ソルタちゃん怪我してるのに……」
悩むテティシアの向こう、アンデッド軍の中央で黒い塊が浮き、従うように翼を持つ死体が竜に続く。
数は百、五百、一千と増えていく、人類にとって最も苦手な空飛ぶ魔物の集団が北から迫っていた。
猶予はない、決断を促すようにソルタはもう一度母の顔を見た。
「男の子ねえ、立派に育ってお母さん泣きそうだわ。けどもう少し待ってね、援軍が来るから」
「援軍? そんなの今更、味方は全て要塞に入ったはずだよ」
「そうね、けどママにも仲間がいるのよ?」
母が東の空を指差し、ソルタはそちらを見る。
地平に数十の飛行物体が現れる、どれも小さく人型に蝙蝠のような翼が生えていた。
ソルタの直感はアルプズに似ていると認めた、悪魔の集団がやって来た。




