30話 学園編完結
「お母様、女神の証明書、もう一回見せて。ふーん……本当にお兄様なのねぇ」
今更なにをとソルタは思う。
妹のことは既にかなり雑に扱ってるので、今更他人でしたと言われても困る。
訴えられたら勝ち目がないので、軽口で誤魔化しておく。
「なんだ? 血が繋がってない方が良かったか? 残念だったな」
「そう言う意味じゃないわよ! 調子に乗りすぎじゃなくて、最近。ねえお母様聞いて、お兄様ったらわたしの侍女にね……」
「やめろこらっ! 余計なことを言いつけると怒るぞ!?」
物理で口を塞ごうとしたソルタの手から、アキュリィがするりと逃げる。
最初から逃走する準備をしていたようだ。
「ちっ、慣れやがって! 狭い馬車で逃げられると思うなよ!」
激怒したふりの兄の手から妹が全力で逃げる。
馬車とはいえ王女の馬車は広い造りで、真ん中に立つ装飾過多な柱の影でアキュリィは右に左にと動き回る。
ソルタは遊んでやってると思っている、逃げ回る妹を追いかけるのはそれなりに面白いが。
――――
アキュリィは子供っぽい兄の相手をしてあげている、と思っている。
まあ怖いもの無しに育った身なので、本気の追いかけっこは面白いのだが。
兄は怖い存在でもある、アキュリィより大きく力があってしかも遠慮がない。
だから追われると本気の怖さも味わえて、それでいて安全でもあるのでお得だ。
それに再会してまだ短いが、兄へは怖さよりも安心の方が勝る。
広い屋敷の中を探検する兄の真後ろを、とことこと付いて行くのが最近のお気に入り。
お母様よりも大きな背中はとても頼りになりそうに見える、お父様に長く会ってないからだろうとアキュリィは納得している。
ただし兄には問題もある。
「あら、ソルタさまぁ。どうしてこんな所にぃ、私に会いに来たのですか?」
屋敷のあちこちに居る侍女やメイドから、兄は頻繁に、それも親しそうに声をかけられる。
アキュリィが兄の背から顔を出すと、みんな慌てて逃げ出す。
この兄の軽い性格は今ひとつ信用出来ない、なのでアキュリィは監視のためにも兄の後ろを付いてまわるのだ。
そもそも、アキュリィは同世代の男の子と挨拶をすることはあっても、親しく話したり、まして二人きりになったことはない。
そういう身分でそういう育てられ方をしたからだ。
兄と言う存在には期待していた、乙女心ではきっとドキドキする素敵な存在なのだろうと妄想してたりもした。
だが現実は厳しい、本物の兄による妹の扱いはかなり雑、女の子扱いすらされないので、距離感は近いのに胸がドキンとすることもない。
ただそのお蔭か、かなり早くから打ち解けることが出来た。
それにだ、ハズレだと思っていた兄の評価が上がる出来事があった。
母テティシアが戻り、何やら策謀する中で3日ほど余裕があり、アキュリィは学院に戻った。
王立女学院は数少ない女子専門の教育機関。
貴族や騎士の娘は、ここで礼儀や教養だけでなく、法制財政経営についても学ぶ。
夫である貴族や騎士は、戦いで長く領地を空ける。
その間に領地を監督する者といえば妻になる、何も分からないでは困るのだ。
ただ政略結婚をして子を産めば役割が終わりではなく、共同統治者でなくてはならず学ぶことは幾らでもある。
少なくともエオステラ王国ではそうだ。
ただし王立女学院はプレ社交界も兼ねるので、宮中序列が機能して華やかで優雅さもある。
騎士校――貴族や騎士の息子が通う方はもっと過酷。
身分も関係なく生徒は一人の士官候補生として、戦技魔術戦術を叩き込まれる。
貴族の息子が騎士身分の指導教官に骨を折られるなど日常茶飯事、むしろ一度も骨折せず卒業する方が恥ずかしいという、アキュリィからすれば信じられないもの。
その騎士校に、兄ソルタも通うことになった。
「お兄様が? 馬鹿なの? へたれなお兄様が耐えれるわけが、あいたっ!」
最近の兄は手刀を多用する。
げんこつよりはマシだが、そんなにぽんぽん叩いて欲しくはない。
煽っておいてから、騎士校から逃げ出したら何でも言うことを聞くと約束させて、アキュリィは兄を送り出した。
そして兄ソルタは、入校初日から騒ぎを起こした。
アキュリィには一緒に学院に通う家中の娘が十五人ほどいる。
一緒に学び、常に全員ではないが、数人は近くに居て問題がないように控える役目だ。
大きな貴族の家は何処も同じような仕組みだが、兄は強引に一人で入校した。
何でも「学校で、普通の友達が欲しい」とか言っていた。
その兄が、初代エオステラ王の分家、つまり王国で最も歴史ある公爵家の嫡男と喧嘩になった。
嫡男の方はよく知らないが、公爵家の娘の方ならアキュリィも知っている。
同じ14歳で家格も近く派手な美形で、アキュリィに張り合ってくる公爵令嬢だ。
貴族にはあり得ない父親知れずの私生児であるアキュリィは、周りが全て味方と言う訳ではない。
むしろ若干孤立気味で、多くの取り巻きがいる公爵令嬢とも距離がある。
しかもこの公爵令嬢は頻繁に自身の兄を自慢をする。
曰く、剣も魔法も凄い、背が高い、私には優しい、もう婚約の引き合いが何件もあるなどだ。
周りもそれに乗って格好良いと持ち上げるが、アキュリィは別に何も羨ましくなんてない。
私には、女手一つで育ててくれるお母様がいるもの、と思っていた所での兄対決である。
公爵令嬢の兄がアキュリィの兄を指差して言った。
「この平民風情が!」
「知るか。生まれ身分で魔法の強さが変わるなんて迷信だと言っただけだ」
「ならば、思い知るが良い! 公爵家の血統に伝わる五等級魔法だ!」
……お兄様が、生まれを否定する? と思わなくもないが、柱の影から一応兄を応援する。
心配は全くしていない、兄は強いのだ。
飛んできた”究極超新星”とかいう攻撃魔法を弾き返し、驚く公爵嫡男を煽って近接戦に持ち込んで剣を素手で叩き折ってから掴んで投げ飛ばす。
剣を折る時に親指で何か飛ばしたのが、アキュリィには見えた。
投げられた公爵令息が足を痛めたようで、変な方向に曲がっている。
「やれやれ」と言った兄が六等級の回復魔法を三つ同時に使い綺麗に治し、両者ががっちり握手した所で周りの女子から囁きが聞こえた。
「男の友情よ」
「ああやって競って戦場では肩を並べて戦うの」
「はぁ……尊い……」
黙って見ているのに我慢できず、ついアキュリィは二階から中庭の兄に声をかけてしまった。
あれは私のお兄様なのって言わないくらいには冷静だった。
「ちょっと、お兄様! なにをやってるの!?」
それからアキュリィは思い知る、人気の兄を自慢するのがこんなに楽しいものだったなんてと。
「あらそんなことないわ、普通よ普通。家ではだらしなくて。えぇー何処が良いのよ、私にはそうは思えなくてー」
ありったけの謙遜風自慢をしてしまった。
公爵令嬢の気持ちが少しは分かった。
ひょっとすると仲良くなれるかもしれないとさえ思う。
だから突然現れた兄が実は他人であっては困るのだ。
――――
どたばたと兄妹で追いかけっ子をしていると、馬車が止まる。
ソルタもそろそろ飽きた頃だった。
「運のいい奴め」
「なにがよ、私なにも悪くないじゃない!」
生意気な妹はこれ以上相手にしてやらないとばかりに、ソルタが馬車から飛び降りると、そこは王宮の前庭だった。
衛兵はソルタを見ても反応しない、怪しい小僧ではなく、先王の一人娘にして王国の救世主、現王の妹君が乗る馬車から出てきた小僧だからだ。
テティシアが降りると、衛兵は槍を手元に引き付けて礼を取る。
待ち構えていた何人かの役人が、テティシアに深く一礼してから先導する。
「なにがあるの?」
ソルタはこっそり妹に聞いてみた。
「知らないわよ。けどこの通路、玉座の間でも会議や執務室でもなく、一番奥まで続く通路よ。陛下のとこへ行くのかしら」
ソルタはそれとなくアキュリィの隣を離れて真後ろに付いた。
妹の後ろに隠れるのに、抵抗など全くないから。




