母の名は
重役会議では何も決まらなかったくせに、戦うとなると行動が早い。
テティシア領の首都ネアハルスは、深夜だというのに活気に溢れた。
戦後に造られた都市なので、道路は広く街区もくっきり別れている。
北の端に政庁を兼ねる城があって周囲が騎士や役人や領主の邸宅、中央から南が商業街で東西が住宅街。
外周を高さはないが幅の広い城壁が囲み、平時は通路として使い露天の商店も出る。
馬を引いたり武器を持った男達が続々と北の城へと向かう中、ソルタとアキュリィは中央の通りを南下していた。
アキュリィが乗る馬車を見ると、誰もが道を開ける。
馬車の前部と後部には、エオステラ=ハルス家の紋章を縫い付けた旗が掲げられていた。
「ご苦労さま。直ぐに戻るわ、お母様を連れてね」
アキュリィは身を乗り出すようにして、兵士達に声をかける。
驚く者もあれば、恭しく一礼する者もあり、手を振る者もある。
誰も首都を離れるアキュリィを責める目で見る者はいない、むしろ思わぬ幸運に頬を緩める者が多い。
主君の娘に限らず、女子供に戦わせるなど男の恥だとの考えがある。
これは伝統的で本能的な思想。
動物や魔獣でさえ、群れや縄張りを巡って争うのは雄の役目で、雌が戦うのは唯一我が子を守る時だけ。
昆虫までいくとそうでもないが、文明種と自称する人類が女子供を戦いに巻き込むなど堕ちるにも程がある。
死の魔王には通じぬ理屈だったが、だからこそ今度こその思いが強いのだろう。
男のソルタには痛いほど分かる、そして戦線から遠ざかる後ろめたさもある。
「はあああああぁぁぁ……妹のお供かぁ……」
「……お兄様、お気持ちは分かるけど、私にはお兄様が必要なのよ」
「分かってる分かってる。お前を放っておいたりしないよ、けどなぁ」
相手は最上位の風精霊を倒すような奴だ、まともに大勢でぶつかれば千や二千の死者は直ぐに出るだろう。
だが少数精鋭なら良いというものではない。
文明種には最低限の魔法防御力があって、一人に二発の魔法攻撃が当たれば死ぬところが、一人一発ずつなら生き延びたりもする。
やはり数は力、そして人類種は武装で平均的に強化することが出来る。
だから他の種族を圧倒する生存圏を持っているのだ。
極端な話、腐乱の道化師が出てくるまでは兵士達が戦ってソルタの力を温存し、出てきたところでソルタが倒せば他にスケルトンやゾンビが百万体いようがいずれ勝つ。
まあ腐っても魔王軍の元幹部に勝てるかは分からないが。
「おっと、戻ってきたか」
やられた風の精霊の一部、今や手のひらサイズになった翼が生えた卵がソルタの所に帰ってきた。
「すまない、無理をさせた。だがよくやってくれた、親父も敵の情報が何よりも大事だと言ってたからね」
「負けたのである。屈辱であった」
風の精霊にアキュリィまで声をかけた。
「お疲れ様、ありがとうね。国のために戦ってくれて」
「お前、こいつが見えてるのか?」
「ずっと見えてるわよ。他の人が気付かないのが不思議なくらいはっきりと」
ソルタに精霊使いの素養は一切なく、風の精霊はエルフのママからの借り物でしかない。
人類最上位の精霊使いでも呼べないクラスの精霊を万全に使役出来るのは、母子という特別な関係だから。
産みの親ではないが、実の親子のように想い過ごしてきたからだ。
それがアキュリィにも見えるという事は、エルフのママは今もアキュリィを覚えていて、少なくとも嫌ってはいない証拠でもある。
良かったなと言ってやりたいが、今は情報を引き出さねばならない。
「何があったか話してくれ」
「承知」
”魔法速度二倍化”を使い、魔法の標準速度の二倍、およそ秒速72メートル余りで疾風した精霊は、アンデッドの集団を見つけると当然の如く突っ込んだ。
暴風だけでなく魔力も乗せた精霊の特攻を、低級アンデッドに防ぐ術はない。
千体単位で集まっていた部隊を5つほど片付けたところで、より大きな部集団を発見、死の士官が中央にいた。
これも簡単に蹴散らし、死の士官を魔法攻撃で消滅させた直後に遠距離魔法攻撃を受けたそうだ。
回避にかかるが、敵の魔法には”魔法速度三倍化”がかかっており、次々と被弾。
敵の姿を確認したところで最後の力を振り絞って退却した。
敵は、色鮮やかな服をまとった道化師風であったと。
ソルタは何度もお礼を言ってから、最上位の風精霊を解放する。
このまま真っ直ぐエルフのママの所に戻るのだが、力を完全に取り戻すには数十年はかかるだろう。
一緒に見送ったアキュリィが手を伸ばしてソルタの袖を引く。
「ねえねえ”魔法速度三倍化”って? そんな魔法ないわよ、二倍でも魔法書に乗ってるだけで使い手なんて滅多にいないのに」
アキュリィの言葉は半分正しい。
ソルタの魔法はあくまで物質の速度、ソルタとの相対速度を変化させるだけだ。
加速の赤魔法陣は八枚、減速の青は十二枚を同時にだせるが、はみ出るような大きな物は制御できない。
また自分に使う場合は同時に出せる魔法陣の枚数が減る。
「いや、あるよ。親父も魔王も使えたはずだ。魔法等級で言えば八だったか九だったか、聞いたのに忘れちゃったけど」
「またまたお兄様ったらー……ほんとに? お父様って本当に強かったのね」
そう、親父は実は本当に強い。
しかも能力構成がかなり攻撃寄り、補助や回復は母ちゃん達に任せることが出来たから。
多分だが最初から魔王を倒すべく成長したからで、一方のソルタは村や妹達を守るために防御的な能力が多い。
加速よりも減速が得意だったり、男なのに六等級までの回復魔法が使えたり、妨害や潜伏でこちらの力や存在を悟らせないようにしたり。
ちなみに妹になら魔法防御壁を三十枚くらい重ねがけすることも出来て、魔法や飛び道具からもほぼ完璧に守れる。
「うーん、何か役立ちそうな道具を持ち出したかなあ」
荷物にある魔王城の秘宝をごそごそと探る。
別に魔物相手に所持能力だけで戦う必要はない、人は道具が使えるのだから。
プニルに乗ったまま鞄に手を突っ込んでいる間に、馬車は南門を抜け、街道も横切って首都ネアハルスの南を東西に流れる大河の岸辺に付いた。
「もうお兄様ったら、何時までごそごそやってるの。さあプニルから降りて降りて」
「ん? もう着いたのか?」
「なに言ってるの、ここからは船よ。急遽だけど軍艦を出すことになったのよ」
幅広い船体の軍艦が川岸に待っていた。
周りを水兵が忙しく走り回っていて、馬車から降りたアキュリィを見つけて偉そうな人が近づいて来る。
「姫様、ようこそ当艦へ。ご乗船を光栄に思いますぞ。さあさあ中へ中へ、荷物は馬車も含め順次乗艦させますゆえ。先にごゆるりとお寛ぎ下さい」
「ケルゲレン艦長、お世話になるわ! 王都までよろしくね。あともう先に言っておくけど、こっちは私のお兄様。本物よ、ただし機密ね」
ケルゲレン艦長が目をぱちくりさせながら言った。
「なっ、なんと、うーむいや奥様のお血筋には見えませぬが……まさか!?」
「そうよ。お父様と聖女様の」
「おおおおっ、それは素晴らしい! ようこそおいで下さいました! 熱烈歓迎ですぞ、さあさあ姫様とご一緒にどうぞどうぞ。おっとその前に、お名前を伺ってもよろしいですかな」
なんだろうか、ケルゲレン艦長は破顔してソルタの手を取る勢いであった。
邪険に扱われる事は少なくても、これほどの歓待は初めてだ。
戸惑う兄をにやにやして見ながらアキュリィが言った。
「ケルゲレン艦長、まずはこの船の名前をお兄様に教えてあげないと」
「おおっ、そうでしたそうでした。本艦はテティシア級河川巡洋艦の二番艦、『レアーレイ』号でございます。お名前を頂いた方の息子殿をお迎えできて、このケルゲレン、感激の極みでございます」
ソルタでも、これはちょっときつい。
「ねえ、お兄様。15年ぶりにお母様の体内に戻る気分はどう? あいたっ! 叩くことないじゃない!」
「次に下品な冗談を言ったら、もっと酷いぞ?」
手刀を妹の頭の真ん中に振り下ろしてから、ソルタは諦めたようにレアーレイ号へと乗り込んだ。




