3-51.世界の一部
遥のある意味ミラクルなラストショットによってゲームの勝敗が決した後、一同はボウリングを切り上げ、同じレジャービル内にあるカラオケボックスへと場所を移していた。
「そんじゃ、歌うもよし、歓談するもよしって事で皆自由にやってくれー」
全員が席に着いたのを見計らって淳也がそんな適当な音頭をとれば、合コンの第二ステージとでも言うべき時間の幕開けだ。
一同は自由にと言った淳也の言葉通りに行動を開始し、フードメニューを手にする者、受付で渡されたフリードリンク用のグラスを持って席を立つ者、カラオケのリモコン端末を操作し始める者とその初動は様々だが、そんな中、遥に限ってはこの場で取れる選択肢がたったの一つしかなかった。
「よぉし、なに歌おうかなー!」
美乃梨は嬉々とした様子でカラオケのリモコン端末を操作するその一方で、先程のボウリングによって勝ち取った権利を今正に行使中であり、詰まるところ遥が取れる行動とは、その膝の上で大人しくしている事だけなのだ。
「カナ…、大丈夫?」
隣に座っていた沙穂が見兼ねた様子でそっと耳打ちして問い掛けて来るも、約束は約束なので遥にはどうする事もできはしない。
「ボク、負けちゃったし…」
敗者である遥は遠い目をしながら諦めの境地でそう答えるしかなかったが、沙穂はその回答に何やら眉を潜めてかぶりを振った。
「や、じゃなくてさ、カナはカラオケ好きじゃ無いでしょ?」
その言葉で沙穂が何を心配しているのか理解した遥は、カラオケボックスの室内をぐるりと見渡して苦笑する。
「あー…うん、そうだね…」
確かに遥は元々カラオケがあまり好きでは無い上、今の身体になってからはその傾向が一層顕著だ。カラオケは高校生の遊びとしては定番ではあるものの、遥に加えて楓も「アニソンしか知らない」という理由から余り行きたがらないので、沙穂も三人で遊ぶ際にはそれを候補にあげる事はない。その為に遥がカラオケボックスに入ったのは、晃人と美乃梨の手引きで沙穂と楓に打ち明け話をした一件の時以来になるだろう。
ただ、そんな事情を知るべくもない淳也が事前にカラオケボックスを予約してしまっていたとなれば、遥達もそれを受け入れるしかなく、その結果として今の状況があった。
予め淳也にカラオケはNGである事を伝えておけば良かったのだが、女子メンバーの誰もその事に気付かなかったのは迂闊としか言いようがない。
「ボクは歌わない方向で大人しくしてるよ…」
遥が殊更遠い目をして溜息交じり言うと、沙穂も同様に溜息交じりで頷きを見せる。
「そうね…ミナが意外と楽しそうにしてるのが唯一の救いかしら…」
見れば楓はいつの間にやら仲良くなったらしい葛西智一と共に、お気に入りのアニソンに付いて何やら盛り上がっている所だった。
「今期のアニソンなら断然ハガクレですよ! OPなんて映像とのシンクロ率マジヤバです! 安心の都アニクオリティ! 安心の前松作画です!」
楓が興奮気味に熱く語れば、葛西智一も生き生きとした様子でその返しには淀みがない。
「分るわぁ! 大サビんとこの演出なんか流石って感じだよ! 前松さんは前作のシグシグも良かったけど、今回は更に磨きがかかった感じするよなぁ!」
二人の会話は打てば響く鐘の如くで、普段楓のアニメトークに曖昧な相槌を返すばかりの遥と沙穂には中々に衝撃的な光景である。
「なんか…あの二人凄いね…、葛西さんも見掛けに依らないって言うか…」
派手で騒々しい印象の葛西智一がいつも控えめで大人しい楓とここまで打ち解けているのも驚きだが、見た目に反してアニメに明るい事も遥にとっては中々に驚きだ。
「確かに…。まぁ、ミナが楽しそうなのは本当に何よりだけど…」
沙穂が同意して感心半分呆れ半分でそんな感想を漏らすと、それまで遥の頭上でリモコン端末を操作していた美乃梨が顔を上げて話に入って来た。
「沙穂ちゃんも折角だからカラオケ楽しんだらいいと思うよ?」
突然そんな事を言い出した美乃梨は、自身は選曲を終えたらしいリモコン端末をテーブルに置いて沙穂の方へと差し向ける。
「沙穂ちゃんが歌うなら遥ちゃんだって歌いたくなるかもだし! きっと遥ちゃんの歌声は凄く可愛いよ!」
遥としてはその可愛い歌声こそカラオケを敬遠している最大の要因なのだが、「沙穂も楽しめば良い」という意見については賛成だった。
「ヒナは別にカラオケ嫌いじゃないよね?」
沙穂はその問い掛けに、目の前に置かれたリモコン端末と美乃梨の膝に座らせされている遥を交互に見比べて少し困った顔をする。
「カラオケは割と好きな方だけど…」
沙穂はカラオケの好き嫌いについては肯定しながらも、何やら扉の方をチラリと見やってからリモコン端末を美乃梨の方へと押し戻した。
「あたし、先に飲み物取って来るね」
沙穂はそう告げるなり目の前にあったフリードリンク用のグラスを二つ持って席から立ち上がる。
「あっ、それならボクも一緒に―」
遥は一方が自分のグラスである事を察して、一緒に付いて行こうとするも、沙穂と美乃梨がほぼ同時にそれを制止した。
「カナはそこに居て良いから」
沙穂が肩に触れて浮き上がっていたその身体を押し戻せば、美乃梨の方は腰に腕を絡めて遥を自分の膝の上へと引き戻す。
「遥ちゃんは賞品なんだからここにいないと駄目だよー」
美乃梨の言い分には若干物申したい遥だが、沙穂からも遠慮されてしまっては無理に付いて行く事も出来はしない。
「カナはオレンジジュースね」
遥の好みを既に熟知している沙穂はそれだけを言い残し、二本のグラスを片手で器用に持ってドリンクを取りに向かうべく部屋を出て行った。
「美乃梨は頼まなくて良かったの?」
残された遥が後ろをチラリと振り向いて問い掛けると、美乃梨は沙穂の出て行った扉に目を向けながら左右に首を振る。
「いくら沙穂ちゃんの指が長くってもグラス三つは無理だよー」
言われてみればその通りだが、遥はだったら余計に自分も付いて行けば良かったのではと思わなくはない。ただ今も美乃梨の腕はしっかりと腰に巻き付いたままので、遥がそこから抜け出す事はまだ当分無理そうではある。
沙穂がドリンクサーバーの設置されているラウンジスペースに辿り着いたその時、そこには先に飲み物を取りにやって来ていた淳也の姿が在った。
淳也は今正に飲み物をグラスに注ぎ終えて部屋に戻ろうとしていた所だった様だが、沙穂がやって来た事に気付いて直ぐ傍まで歩み寄って来る。
「沙穂ちゃんも飲み物取りに来たの?」
手にしていた二本のグラスに目をやって問い掛けて来る淳也に、沙穂は愛想よくニッコリと微笑んでから少しばかり思わせぶりな上目遣いになった。
「実はあたしぃ、竹達さんを追いかけて来たんですー」
もしこの場に遥や楓が居れば、その甘ったるい口調と態度の裏には絶対何かある事が一目瞭然だっただろう。ただ、今日が初顔合わせの淳也がそれに気付く筈も無く、沙穂の言葉を額面通り受け取ったのか実にお気楽な様子だ。
「沙穂ちゃんは積極的だねー! そんじゃそこ座ってちょっとお話でもしちゃう?」
浮かれた様子で嬉しそうに笑った淳也は、早速沙穂をラウンジのテーブル席まで誘導して、そこで二人は向き合う形になって腰を落ち着ける。
「よかったぁ、あたしずっと竹達さんとお話したかったんですー」
正対する淳也に向ってニコニコしながら沙穂が口にしたその言葉は、紛れもない本心でそこに嘘偽りは一切無い。ただ、その内容は間違っても色っぽい物等では無く、むしろ沙穂は淳也に文句の一つでも言ってやろうと思ってこの場にやって来ていた。先のボウリングではまんまと淳也に乗せられてしまっていた沙穂ではあるが、舞台が遥の嫌っているカラオケに移った事で流石にこれを許容できなくなったのだ。
「いやぁ、遥もこれくらい積極的に合コンを楽しんで欲しいよなぁ」
淳也のそんな軽口に沙穂は片眉をピクリと跳ね上げるも、まだ平静を装って余所行きの笑顔も崩さない。
「カナには好きな人がいるんで無理だと思いますよー」
沙穂が軽い牽制のつもりで遥にはそもそもこの合コンに参加する意義が無い事を告げると、淳也はこれに肩をすくめて小さく溜息を付いた。
「あぁ、賢治の事なぁ、沙穂ちゃんは知ってるんだ?」
知っているも何も遥が度々話題に上げるので、その情報については事欠かず、何度か直接会った事も有るので、沙穂にとっては淳也なんかよりよっぽど馴染みのある人物だ。
「カナの幼馴染で隣に住んでる大学生ですよね、背が高くてカッコいい人だったなぁ」
沙穂が自分の持っている情報を要約して明らかにすると、淳也はそのディテールに少しだけ驚いた顔になった。
「へぇ…良く知ってるねぇ」
淳也は感嘆しながらもその瞳に僅かばかりの警戒心を覗かせて、それを見逃さなかった沙穂は話をスムーズに進めるべく更なる情報を開示する。
「他にもカナから色々聞いて知ってますよ、竹達さんとカナが同級生だった事とか」
流石にそこまで言えば淳也も沙穂が事情に精通している事は理解できた様で、僅かに垣間見せていた警戒心を解いて納得の頷きを見せた。
「そっか、遥から聞いてるんだ」
淳也が何故かそれを嬉しそうにして小さく笑みを見せたので、沙穂も取りあえずニッコリと微笑みを返すが当然その心中は裏腹だ。それでも沙穂はそれを悟られない様そのまま余所行きの愛想笑いを維持しつつ、一先ずの共通認識が確立出来た所でいよいよ本題へと切り込んでいった。
「あたしカナとはそれくらい仲良しなんでどうしても気になったんですけどー、竹達さんはどうしてカナを無理やり合コン何かに誘っちゃったんですかー?」
沙穂の瞳はその質問を告げるにつれて次第に冷ややかな物へと変わってゆき、言葉の節々にも明らかに棘がある。遥と楓ならば肩を寄せて震え上がっていた所だが、肝心の淳也はこれを別段気にした様子も無くニヤリとした笑みを見せていた。
「遥を合コンに誘った理由? そんなのJKのお友達を紹介してもらう為に決まってるっしょ!」
それ以外にないと胸を張って堂々と言い放つ淳也に、沙穂はそれならば情けは無用とばかりに眼差しばかりでなく表情その物を冷ややかな物とする。
「そうなんですか、じゃぁちょっと歯を食いしばってください、あたし今から竹達さんに往復でビンタしますんで」
勿論沙穂は本気でそうするつもりは無く、これはあくまでもそれくらい腹に据えかねているというポーズだ。ただ淳也にはこれも大して効果が無かった様で、全く悪びれる様子も無く一層愉快そうにして笑い声すら洩らしていた。
「クックッ、沙穂ちゃん怖いなぁ、今のは半分冗談だからビンタも片側だけで勘弁してね?」
身体をくねらせてわざとらしく怯えて見せる淳也に、沙穂はいっそ本当にビンタしてやろうかという気になって来る。ただ、淳也が口にした「半分」という言葉が引っ掛かって沙穂はそれを思い留まった。
「冗談で誤魔化したもう半分が何なのか白状したら、ビンタは止めときますけど?」
沙穂が半ば脅迫まがいの条件を付けて問い詰めると、淳也はこれに少しだけ困った顔をする。
「柄じゃないからあんま言いたかないんだけど…、しゃーないな」
渋りながらも観念したのか、もう一方の理由を明かす事を決断した淳也は、それから今までのふざけた様子とは一転、不意に真面目な面持ちになった。
「もう半分は勿論遥の為だよ」
淳也はハッキリとそう言ったが、到底この合コンが遥の為になっているとは思えない沙穂は眉間に皺を寄せて明確に難色を示す。
「どこがカナの為なんですか? さっきも言いましたけどカナには好きな人がいるんですよ?」
沙穂が改めて遥がこの合コンに参加する意義が全くない事を告げると、淳也も先程のやり取りを再現するかのように肩をすくめて溜息を付いた。
「じゃあ問題、沙穂ちゃんはもし遥と賢治が上手く行かなかった場合どうなると思う?」
それは少々唐突な出題で、その意図も今一測りかねるが、遥の恋を応援している沙穂の立場では考えたくも無い事柄だ。
「なんでそんな事…、カナは賢治さんに振り向いてもらえる様、少しでも女の子らしくなろうっていつも頑張ってるんですよ!」
それを間近で見ている沙穂は思わず語気を荒げさせるも、淳也はこれに少しばかり呆れた顔になった。
「遥が頑張ってんのは結構な事だけどさ、賢治は俺なんかよりよっぽど遥との付き合いが長いんだぜ? 女の子らしくとか以前の問題があると思わない?」
沙穂は一瞬淳也が何の事を言っているのか理解できなかったが、ややあってからその言葉が意味する所に気付いてハッとなる。
「あっ…、だからカナはあんなにも慎重に…」
沙穂は遥の恋が遅々として進展しないのは、初心で奥手なその性格が主な原因だと思っていた。もちろんそれも有るには有るのだがしかし、原因はそればかりでは無く淳也の言葉を借りるのならば「それ以前」なのだ。
よくよく思い返してみると、遥がその恋を実らせる為に日々重ねている努力は、自分が女の子らしくなる事よりも、賢治に女の子として意識してもらう事の方に重きが置かれている。その二つは一見すると同じ意味合いの様ではあったが、遥の事情と賢治との関係性を改めて考慮に入れれば、それは似て非なる物だ。
「あの二人はさ、簡単じゃないんだよ…」
淳也がしみじみとした口調で重ねたその言葉を沙穂はもう否定できず、それに対する反論もそうそうに思い付きはしない。
「まぁ、俺だって遥と賢治には上手く行ってほしいと思ってるよ」
淳也はそれが間違いなく本心である事を告げながらも、「ただ」と言葉を繋いでどこか自嘲気味に笑った。
「心配性の淳也さんとしては、保険を賭けときたい訳よ」
おそらくそれがこの合コンにおける淳也の目的なのだろうが、遥の為と言った言葉との繋がりが今一分からなかった沙穂は少々困惑してしまう。
「合コンが…保険って…」
沙穂がその真意を掴みかねているのを認めた淳也は、スッと人差し指を立ててわざとらしい笑みを作った。
「じゃ、改めて問題です! もし賢治と上手く行かなかった場合、遥は果たしてどうなるでしょうか! ヒント、恋するJK奏遥ちゃんの世界は、賢治の存在に大きく依存して成り立っていると思われます!」
淳也の芝居がかった言い回しに沙穂は若干顔をしかめながらも、今度はその問題を拒絶する事無く今までの話を加味した上で答えを探っていく。「遥が賢治に依存している」という淳也のヒントに基づくのならば、それがただの失恋で済まされない事だけは想像に難くない。
「…もしかして…、世界の終わりだとでも言うんですか?」
沙穂が言い回しの一部を引用して思い至った解答を口にすると、淳也はそれが正解である事を認めて満足げに頷いた。
「その通り! もしかしたら遥は今の自分が存在している意義すら見失ってしまうかもしれない! それは即ちJK奏遥ちゃんの世界が崩壊してしまうも同然なのです!」
淳也はおどけた芝居口調を続けながらも、口にした内容自体は恐ろしいまでに深刻で笑い話でも何でも無い。遥がもし賢治に失恋してしまった場合、「女の子」として生きていく上での指針をも失ってしまうのではないかと、淳也はそう示唆しているのだ。
「そんな…そんなのって…でも…」
沙穂はそれを大袈裟も過ぎると思う一方で、一概にはそれを否定できずにいた。遥が女の子で在ろうと努めているその原動力の多くが、賢治に対する恋心で成り立っている事は、それを傍で見ている沙穂も端々で感じていた事なのだ。
「だから俺はさ、遥の世界にもう少し強度を与えたかったんだよ。今の内に男から一杯ちやほやされておけば、万が一の時が来ても、遥は女の子の自分を捨てたもんじゃないって思えるかもしれないだろ?」
淳也は最後に「まぁ、余計なお節介ってやつだ」と付け加えて、この合コンを開催するに至った理由に纏わる一連の話を締めくくった。
遥の世界が失われない様に、女の子である事の自己評価を高めんとするそのやり方が正しいのかどうか、それは沙穂には分からない。ただ、遥の行く末を案じている事だけは間違いが無く、そうであれば沙穂が今回の件について淳也を責めるべくは最早なかった。
「あたし…竹達さんを誤解してました…」
沙穂が少し殊勝になって謝罪すると、淳也は別段気を悪くした様子も無く穏やかな面持ちで笑みをこぼす。
「沙穂ちゃん、これからも遥の事頼むよ」
その突然の申し入れに沙穂は一瞬きょとんとしてしまったが、遥との関係を続けてゆくという点に付いては淳也に言われるまでもない事だ。
「カナとはこれからもずっと友達です!」
沙穂が力強い返答を返すと、淳也はそれに満足げな笑みを返してから、大きな伸びと共に椅子から立ち上がった。
「さぁて、そろそろ遥をみのりんから解放してやらにゃだし、俺は先に戻ってるよ」
淳也はそう告げるなりテーブルの上に置いてあったすっかり炭酸の抜けたコーラの入ったグラスを手にして遥達の居るルームへと戻って行ゆく。沙穂はその背中を見送りながら、かつて遥が普通の女の子でありたかったと打ち明けてくれ時の事を思い返し、自分の存在もまたその世界を強く保つための一助で有らん事をひっそりと願った。




