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3-49.価値観とポテンシャル

 遥が自分に見合ったボールを求めてハウスボールのラック前へと辿り着いたその時、伊澤仁は丁度ボールを選び終えてレーンへ戻ろうとしている所だった。

 未だ伊澤仁にぶつける質問の文言が定まっていなかった遥は、これを好都合と見なしてそのまま横をすり抜けて行こうとしたがしかし、物事とはままならない物である。現れた時からずっと居心地悪そうにして終始消極的な態度でいた伊澤仁が、こんな時に限って余計な積極性を見せて来たのだ。

「ちょっと良いかな? さっきの続きなんだけど…」

 遥はそれが一体何の事か分からず一瞬きょとんとしてしまったが、ややあって先程伊澤仁が何か言おうとしていた所を淳也に遮られていた事を思い出す。

「あー…えっと、はい…どうぞ…」

 それが既に始まっていた物となれば、いくら何でも無視するわけには行かず、遥は渋々ながらも伊澤仁の「続き」を聞く事を了承するより他ない。

「もしかしたら、大した事じゃないのかもしれないんだけど…」

 その前置きに遥は、だったらわざわざ言わなくても良いのにと思わずには居られないが、勿論実際にそうしてもらう訳には行かずに、そのまま黙って伊澤仁の「続き」とやらに耳を傾けた。

「何と言うか…、僕みたいなオジサンがパートナーでごめんね…」

 それは遥にとって少々予想外の内容で、一瞬何故謝られたのかが良く分からず再びきょとんとしてしまう。伊澤仁とペアになった事が幸か不幸かは測りかねている遥だが、少なくとも「オジサン」だから嫌だ等と言う事は全くもって思ってもみなかった事なのだ。

「えっと…伊澤さんって、二十六歳ですよね…?」

 遥が自己紹介時に聞き及んでいた年齢を改めて確認すると、伊澤仁はそれに肯定の頷きを返しながらも、気まずそうに視線を泳がせる。

「キミ達くらいの子から見たら、僕なんかはもうオジサンかなって…」

 確かに世の中には二十過ぎれば「オジサン」だと豪語する不遜な中高生も居ないでは無いが、遥に限ってはそんな価値観の持ち主ではない。伊澤仁がかなりの歳上である事は間違いが無いとしても、見た目が別段老けているという訳でもないので、せいぜいが「オニイサン」といった印象である。

「あの、ボクは伊澤さんがオジサンだとは思ってませんし、だから嫌だとも思ってませんよ?」

 嫌かどうかについては今の段階でそれを判断する材料が揃って居ないという前提付きではあるが、その言葉自体に嘘は無かった。ただ、これに意外でしかないと言った顔であからさまに困惑を見せたのが伊澤仁だ。

「何かずっと難しい顔してるし、てっきり僕がオジサンだから嫌なのかと…」

 これに遥はまたまたきょとんとしながら、先程淳也によって中断されてしまっていた今現在の話題に至る以前に為されていた一連の流れを振り返る。

 あの時、考え事をしていた為に一人百面相状態だった遥に対し、伊澤仁は「悩み事か」と尋ね、それから「もしかして僕が」と何か言おうとしていた。その言葉は淳也に遮られて中断させられてしまっているが、その続きこそが今し方伊澤仁の口にした「オジサンだから嫌なのかと」という言葉だと見て間違いがない。

「あー…」

 色々と誤解を招いて少々ややこしくなっている状況を大凡で把握した遥は、少なからずその責任が自分にある事を感じて、流石にこれは気まずかった。

「えっ…と…ボクが悩んでたのは…伊澤さんが嫌だからとかそういう事では無くて…」

 それが誤解である以上は正さねばならないと思った遥は、別にパートナーが不服である訳では無い事を改めて告げるも、その後は上手く続かない。

「その…何て言うか…えっと…」

 それ以降を説明するには、今まで考察を重ねていた伊澤仁が何故この合コンに参加したのかという質問に付いて掘下げなければならなかったが、やはり遥はそれを何という言葉で問い掛けるかという部分は未だに定まっていないままなのだ。

「もし、僕に気を遣ってくれてるんだったら、その必要は―」

 言いあぐねているのを見兼ねたのか、伊澤仁の方こそ必要のない気遣いを見せようとしたので、遥はこれに少しばかり焦ってしまう。だからだろうか、遥は考えが纏まっていないままだった質問を、自身でも思ってもいなかった言葉で繰り出してしまった。

「あ、あの、じゃなくて、伊澤さんは若い女の子が好きなんですか!?」

 遥が苦し紛れに放ったその余りにも唐突だった問い掛けに、伊澤仁が唖然となったのは言うまでも無い。それを口にした遥自身ですらその余りの突拍子のなさに固まってしまい、しばし二人の間をレーンの方から聞こえて来るボウリングの音だけが支配した。


「はは…まいったな…」

 ややあって伊澤仁が苦笑を浮かべながら口を開くと遥も我へと返ったが、そこからはかなりの大慌てだ。

「あ、あわわっ! あ、あの、ちっ、ちがくて! えっと…変な意味とかじゃなくて、その、何て言うか…淳也が女子高生って…だから…あの…代打が伊澤さんで、えっと…」

 慌てているせいで纏まる物も纏まらずに、遥の口からは今まで頭の中で考えていた事柄が無秩序に飛び出すばかりである。

「あ、あの…だから…伊澤さんは女子高生自体が好きなのかなって…ボクなりに考えて…だから…えっと…あれ…? あー…もぅ! ボク何言ってるの!?」

 焦れば焦る程、遥は一体自分は何が聞きたかったのか、何を聞こうとしていたのか、それすらも見失って混乱は益々膨らむばかりだ。

「あー…うん…、とりあえず落ち着いて深呼吸すると良いよ…」

 伊澤仁は慌てふためく遥に落ち着くよう促しながら、どこか困った顔で苦笑する。

「まぁ、僕みたいなオジサンが女子高生相手の合コンに参加すれば、若い女の子が好きだと思われても仕方がないけど…」

 相変わらず自身を「オジサン」とまでへりくだる伊澤仁(二十六歳)は、遥がそんな事を思ったのも已む無しと、それを怒りもせず寧ろ相変わらず申し訳なさそうだった。

「でもごめん、僕は―」

 伊澤仁が若い子好き問題に対する何らかの回答を告げようとしたその時だ。

「ジンさーん! 出番っすよー!」

 伊澤仁の言葉を遮ったのは、またもレーンの方から呼びかけて来た淳也の大声であった。話の腰を折られた形の伊澤仁は言いかけていた言葉を続ける事は無く、目の前にいる遥と、淳也がいる方角を交互に見比べ思案顔になる。

「うん…待たせては皆の迷惑になるから、この話はまた後でしようか…」

 伊澤仁は全体の流れを優先させた方が今は得策だろうという結論を導き出した様で、一先ず遥との会話を中断させてレーンの方へと歩き出した。

「あっ…えっ…はい…」

 未だ混乱冷めやらぬ遥は、その後を直ぐに追いかける事が出来ず、返事をしながらもその場で棒立ちである。結局、遥はレーンに戻った伊澤仁が第一投目を華麗なストライクで飾っている頃にようやく我へと返り、また、この場にやって来た本来の目的について思い出したのもこの時の事であった。


 その後、何とかボールを選び終えてレーンへ戻った遥は、丁度回って来ていた自分の順番を二連続ガーターという愛すべき結果でもって手早く済ませ、今は待機ベンチに座る伊澤仁の前にと立っていた。

 最早質問の文言がどうこうという段階では無いのでそれについては既に悩む必要は無く、後はそれを正しい内容へと訂正して、正しい回答を得る事こそが今の遥にとっては急務だ。

「あの…さっきは変な事聞いてごめんなさい…」

 遥はまず真っ先に先程の唐突も過ぎた質問に付いての謝罪をして、それから次に元々質問したかった本来の内容についての説明を開始する。

「えっと、伊澤さんって凄く大人で、ボク達みたいな子供に興味があるとは思えなくて、だから…その、どうして今回の代打を引き受けたのかが気になってたんです…それで…あんな質問を…」

 先程の質問内容が「あんな」だったので、遥はそれを信じてもらえるかどうか少し自信が無かったが、幸いにも伊澤仁は苦笑しながらも納得の頷きを見せてくれた。

「ああ、うん…、そんなところかなとは思ってたよ」

 有難い事に伊澤仁は遥が最初の質問の後目を回しそうなほどの慌てぶりだった事から、それが本題では無いだろう事を既に察していた様である。

「ボクみたいなオジサンが急に混じったら、そりゃぁ疑問に思って当然だよね…」

 伊澤仁は相変わらず自分を「オジサン」とへりくだりながら、遥の質問に答えるべく、自分が何故今回の代打を引き受けたのかについて語り始めた。

「ウチのサロンには君達くらいの若いお客さんも結構来るんだけど、僕は若い子の事が良く分からないから、どうにも接客が上手く行ってない気がしてね…」

 そこで一旦言葉を区切った伊澤仁は、今現在第二フレームを投げている楓、出番を同じくして黒組のアプローチに居る美乃梨、それから黒組のベンチで鈴村祐樹を愛想笑いであしらっている沙穂の三人を見まわし、最後に目の前の遥へと視線を戻す。

「だから、僕が今回この件を引き受けたのは、若い子の事を少しでも知る良い機会だと思ったからで…、まぁ…言ってみれば仕事の為だね…」

 一種のリサーチだと付け加えられたその理由は、遥が立てていたどの仮説よりも真っ当で、尚且つ至極真面目な物だった。遥はこれに思わず感心頻りだったがしかし、それを語り終わった伊澤仁は何やら非常に申し訳なさそうにする。

「ごめんね、そんな目的で合コンに来られては迷惑だよね…」

 その言葉で、遥はこの伊澤仁という人物が見せていた覇気のない態度と、居心地が悪そうにしていた理由にも何となくだが察しがついた。

 先程本人が言っていた若い子に対する苦手意識も勿論一端としてはあるのだろうが、どうやら最大の要因は、趣旨にそぐわない目的でこの場に来た後ろめたさからだった様だ。

 確かに合コンという集まりの持つ本来の意味合いを考えれば、伊澤仁が明かしたその動機は「不純」と言っても語弊は無い。ただ、元より男女の出会い等はどうでもいい遥がそれを責めるべくはなく、むしろそれは非常に好感が持てる要素ですらあった。

「伊澤さん…」

 伊澤仁が出会い目的でこの場に居るのではないというその情報は、遥にとってこの上ない朗報であったし、であればこの人物とペアになった事も幸運以外の何物でもない。言うまでも無くそれは、積極性バリバリの葛西智一や鈴村秀樹と比べての話しだが、ただそれだけにとどまらず、遥はもう一つこの伊澤仁に対して特別に好感が持てた要素があった。

「伊澤さんって…、すごくカッコいいです!」

 遥が瞳をキラキラと輝かせながら素直にその好感を露わにすると、当然これに困惑したのが伊澤仁である。

「えっ…あの…、そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど…えっ…と?」

 その突然だった絶賛の言葉に、伊澤仁は遥が何故そんな結論に至ったのかが分からないといった感じで戸惑いを見せるばかりだ。伊澤仁にしてみれば、今まで自分と同じかそれ以上に覇気のない様子だった遥が突如の豹変を遂げた様な物なので無理も無い。

 ただ、遥の中で起こっていた心の動きは別段唐突でも複雑で何でもなく、至ってシンプルかつ極めて順当な物だった。

「仕事のためにそこまでするなんて、本当に凄くカッコいいです!」

 遥が絶賛していたのは、楓が見惚れてしまっていた大人の魅力あふれるその佇まいなどでは勿論なく、伊澤仁の仕事に対するある種ストイックなその姿勢についてなのだ。

「ボク、伊澤さんみたいな大人、憧れです…」

 どこかうっとりとした表情でそんな事を口にする遥のそれは、将来こんな大人になりたい、こんな男を目指したい、そう言った類の憧れである。それは遥の中に依然として根深く残っている男の子的価値観によってもたらされた物だったのだがしかし、それを告げた今現在の外見はあどけなくも愛らしい類まれな美少女だ。そんな姿では当然遥の意図は正確に通る筈も無く、伊澤仁からすれば、無邪気、無自覚、無警戒、あげく無意識、無防備の天然フルコンボを食らわされたも同然だった。

「えっ…い、いや…ま、まいったな…」

 今し方の発言だけでも相当な破壊力で、事実伊澤仁は目を白黒とさせていたが、遥はそれだけでは止まらず、たたみ掛ける様にして更にコンボを積み重ねてゆく。

「あっ…、いきなりそんな事言われても困りますよね…。迷惑…ですか?」

 口元に人差し指の背を当て、小首を傾げた上目遣いで投げ掛けられたその問いは、先のコンボと相まって、ともすれば目の当たりにした者に何らかの道を踏み外させかねない程のポテンシャルを秘めていた。

 そんな遥の放った天然フルコンボから連なるフィニッシュブローまでをも、ほぼノーガードでまともに食らった伊澤仁は勿論只では済まされない。

「き、キミは…あ、…い、いや…その…」

 流石に伊澤仁はそれなりに経験豊富な大人だけあって完全に道を踏み外すまでには至っていなかったが、それでもその価値観に幾ばくかの亀裂を生じさせていた事は間違いがない。

「あー…えっと…迷惑では無いし…むしろ、キミみたいな―」

 実際にその価値観が今にも決壊しそうだった伊澤仁は、遥の懸念を否定した続けざまに何かを言いかけていたがしかし、それを寸前の所で阻んだものがあった。

「ジンさーん、おねがいしまーす!」

 そう、またしてもの淳也である。

 遥達が話し込んでいる間に二巡目が回ってきた様で、伊澤仁はこれにハッとした表情になって、今まで見せた事の無かったような素早い動きで立ち上がった。

「順番みたいだから行かないと!」

 出番である事を遥に告げてベンチを立った伊澤仁は、淳也とすれ違いざまボソッと「若い子怖い…」と漏らしてアプローチへと向かってゆく。伊澤仁が慄いたその若い子は、それを零した相手である淳也と実は同年齢であるとは知る由もない。

「伊澤さーん、頑張ってくださいねー」

 そんなやり取りや自分がしでかしている所業には全く気付きもせずに、すっかり伊澤仁に心を開いた遥は呑気な様子で手を振って声援すらも送っている始末だ。ただ、そこへ淳也と楓が揃ってやって来きて同時にその顔をにやけさせたとなれば、遥もただ呑気にはしていられない。

「遥ぁ、お前ジンさんを変な道に引きずり込むなよ?」

「カナちゃん、さっきは嫌がってたのにいきなり積極的だね!」

 各々勝手な事を言う二人がにやけ顔と共に告げて来たその言葉は、遥にとって全く心当たりの無い物だったが、何やら不本意な物である事だけには察しが付いた。

「よくわかんないけど伊澤さんに失礼だよ! 伊澤さんは仕事熱心で尊敬できる凄くカッコいい人なんだよ!」

 遥は取りあえず男の子視点から見た伊澤仁のストイックな魅力について力説してみるも、それが淳也と楓の表情をますますにやけさせただけだった事は言うまでもない。

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