3-38.最悪の状況
膠着状態にも等しい平行線の中、このままでは埒が明かないと踏んで先に一旦の間合いを図ったのは賢治の方からだった。
「なぁ…ハル、もう勘弁してくれよ…」
賢治は割と本気でそう思っていたのだがしかし、興奮気味の遥がそれを聞き入れる訳もない。
「ヤだ!」
取り付く島が無いとはまさにこの事だ。この状況で「勘弁しろ」等と言われても遥には「大人しく言う通りにしろ」と言われている様にしか聞こえなかったので、この反応は無理もない話である。
「まぁ…そうだよな…」
賢治は遥の頑なな態度に大きく溜息を付くと、ここで少し別の方向から攻めて見るべきだと路線を変えてみる事にした。
「なぁ…何で急にスカート短くしようなんて思ったんだよ…」
賢治は考えたのだ。結果に対しては対処できなくとも、原因の方からなら取り除けるかもしれないと。そんな賢治の意図は遥にも透けて見えてはいたが、だからと言って誰かの様に言い淀んだり誤魔化したりはしなかった。
「これは友情の証なの!」
沙穂の友達として相応しい自分であろうとしたその行いは、遥にとって誰に憚る事も無い、胸さえ張れる事柄だ。遥が賢治の言う事を聞き入れられなかったのは、何も不条理や理不尽のせいだけではなく、これがあったからこそである。ただ、少々言葉足らずだった事もあって、遥の説明に対して今度は賢治が疑問を露わにした。
「友情って…なんだよそりゃ…」
スカートの長さで友情を形作る等という話は、女子高生特有すぎて、男である賢治には全くもってピンと来ない話である。普段の冷静な遥なら、これに自分の説明不足を感じてきっちりと補ったかもしれないが、今は感情的になっていた事もあって些か乱暴だった。
「ヒナに合わせたの! それくらい分かってよ!」
遥は一応の補足はしつつも、理解されないもどかしさから苛立ちを感じてジタバタとする。そんな遥の様子に賢治は顔をしかめながらも、一応の納得が行って深々とした溜息を付いた。
「ヒナって…この前ハルの家にも来てた…」
賢治は過去二度ほど会った事のある遥の友人二人の姿を思い浮かべながら、また僅かに溜息を洩らす。正直賢治には二人いた女の子の内どちらが遥の言う「ヒナ」なのか今一曖昧だったのだが、議題が短いスカートである事から大体の予想は出来た。一方が到底短いスカート等穿きそうもない大人しそうなお下げ髪の眼鏡っ娘だったとなれば答えは自ずである。
「あぁ…成程、確かに派手な子だったなぁ…」
賢治のそれは、どちらかといえば独り言の部類だった。
「そうか…あの子のせいでハルにこんな悪影響が…」
賢治はあくまで独り言のつもりで、そこに遥の身を案じる以外の他意があった訳でも無い。ただそれは、遥の理性をジリジリと焦がしていた怒りの炎を、燃え盛る真っ赤な業火へと焚きつけるには、十分すぎる程の完全なる失言だった。
「…いま…なん…て…」
沙穂を貶めるに等しい発言をした賢治を凝視して、遥はその小さな手をぎゅっと拳に握って肩を小刻みに震わせる。今まで遥は強く憤って感情的になりながらも、まだかろうじて冷静な部分を失わずにはいた。しかし、それも最早ここまでだ。
「…けんじの―」
遥はその薄っぺらな胸いっぱいに空気を送り込むため、大きく息を吸い込んで文字通り一呼吸置く。そして、次の瞬間、遥はそれを沸き上がる激情に任せて、ありったけの声量で一気に解き放った。
「ばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああーーーー!!」
それは半ば怒号、半ば悲鳴。遥が煮えたぎる怒りと共に解き放った絶叫は、その小さな身体からは信じられない程の大音響となって、周囲の空気を切り裂き紬家全体をも震わせる。
「…はぁ…はぁ…」
やがて遥の息の続かなくなって絶叫その物が途切れてからも、それはしばし残響となって辺りにこだました。取り分け、それを間近で直撃させられた賢治の耳中では一層顕著だ。
「…つッぅ…いきなりなんて声出すんだ…時間考えろよ…」
遥の絶叫で三半規管まで揺らされた賢治は、ヨロヨロとしながらこれには堪らず抗議の声を上げる。だが、遥はそんな事には構わず焼き切れた理性によってひと際大きく見開かれた瞳で真っ向から賢治を睨みつけた。
「賢治の馬鹿ぁ! 何であんな言い方するの!? ヒナのせいって何!? 悪影響って何!? 賢治にヒナの何が分かるの!? それにさっきから聞いてれば何なの!? ダメダメ言うばっかりでまともな理由なんて一つも無い! 本当はただ気に入らなかっただけなんでしょ!? だったらハッキリそう言ってよ! 賢治の馬鹿ぁ! バカ馬鹿ばか馬鹿ぁ! 賢治のばかあああぁ!」
遥はこれまで幾重にもなって積み重なっていた憤りを、全て吐き出す様な猛烈な勢いでまくしたてる。仕舞いには怒りのあまり語彙力さえも失って、ひたすらに同じ罵倒の言葉を繰り返すほどの興奮状態だった。
「お…おまえっ…!」
意図せず沙穂を貶めるような事を言ってしまったのは確かに賢治の落ち度だ。明確な理由を告げられないのも賢治の負い目で有る事は間違いが無い。だがしかし、短いスカートを否定したのはあくまで遥の身を案じればこそで、賢治自身それは苦渋の選択だったのだ。それを「ただ気に入らなかっただけ」等と言われた挙句、これほどまでに罵倒の言葉を浴びせられては、流石の賢治も冷静では居られなかった。
「バカ馬鹿うるせぇ! 友達の事を悪く言った事は謝るけどなぁ! 俺はハルのためを思って言ってんだぞ! いいか? そんな短いスカート絶対駄目だからな!」
売り言葉に買い言葉で、賢治はここへ来て更なる否定を重ねて、頑としてそれを認めない強硬な姿勢を見せる。たが、当然の事ながらそれは遥の燃え盛る怒りに対しては明らかな火に油だった。
「もう賢治なんて知らない! 短いスカートは絶対にやめないもん! 賢治のバカバカバカバカばかぁ!」
賢治が否定を重ねれば重ねるだけ、遥もその分頑なになってひたすら罵倒の言葉を繰り返す。この時点で遥と賢治が、互いに冷静とは程遠い状態だった事は間違いが無い。賢治が次に取った行動も、そんな冷静ではない心理状態だったが故の、殆ど衝動的な物だった。
「お、おまえっ! もう我慢ならねぇ! 今ここでそんな短いスカートは止めさせてやる!」
言うが早いか、賢治はその長いリーチと持ち前の瞬発力を生かして、短いスカートを改めさせるべく遥を捕まえに掛かる。
「ちょっ! 何するの!? 触らないでよ!」
遥が賢治に触れられる事を拒絶する等かなりの異常事態だったが、冷静さを欠いた二人にとってそれは最早大した問題ではなかった。
「こないで!」
短いスカートを辞めたくない遥は必死になって抗い、賢治は賢治で遥を捉えようとムキになって掴みかかる。そんな二人の攻防がしばし続いたが、遥と賢治ではその身体能力の差が歴然で、初めから勝敗は目に見えていた。
「抵抗すんな! これもハルのためなんだよ!」
賢治は大袈裟に一歩踏み出し、大きく手を振り上げたまま遥に掴みかかる。遥はその手を払いのけよと両腕をかざしたがしかし、それは賢治のフェイントだった。
賢治は自分の手を振り払おうとした遥の両腕を一旦躱し、そこに生まれた一瞬の間隙を逃さない。遂に賢治はその両手でそれぞれに遥の両の腕を捉え、これで敢え無く二人の攻防は決着だった。
「捕まえたぞハル! 観念しろ!」
両腕を掴んだ賢治はこれを好機とみて、そのまま遥を一気に抑え込むべく力に任せてグイグイと押し迫る。
「ちょっ! やめて! 放してよ!」
両腕を封じられた遥は最早なす術が無いに等しかったが、それでも諦めず必死になって最後の抵抗を試みた。ただ、やはり長身で力も強い賢治に対して、身体が幼女の遥はあまりにも小さくて非力だ。少しの間は賢治が迫って来る分だけ後ろに下がって、何とか耐え凌いではいたものの、逃げ場のない位置にまで追い込まれてしまうのにそれ程時間は掛からなかった。
「あっ…!」
元々それ程広くはない室内である。追い立てられて後退を続けていた遥の退路は、真後ろに迫った賢治のベッドによって完全に塞がれてしまっていた。左右に逃げようにも、賢治が両腕をがっしりと掴んでいる以上、遥にはそれもままならない。
「いい加減大人しくしてもらうぞ!」
遥を追い詰めた賢治はそのまま一気に力を掛けて組み伏せに掛かる。か弱い幼女の身体でこれに抗える道理はやはり無く、遥はそのままあっけなく後方の退路を塞いでいたベッドの上へと強引に押し倒されてしまった。
「きゃっ!」
倒れ込んだ際の衝撃に反発したベッドの弾力と、上から抑え込んでくる賢治の圧力に挟まれ、遥の口から思わず小さな悲鳴がこぼれ出る。普段の賢治ならば、その悲鳴を聞いて幾分か冷静になったかもしれないが、今はようやく捕まえた遥を逃さない事に全力だった。
「もう逃げられないからな!」
上から覆いかぶさる形になった賢治は、より完璧な態勢を取るべくそこから更に身を乗り出し、今まで手で掴んでいた遥の一方の腕を片膝で押さえ込む。両腕を抑えられ身動きも取れない遥に対して、賢治は片手が自由に動かせる状態で、かなり優位な態勢だ。これで賢治は遥を煮るなり焼くなりどうとでも出来る訳だが、この時点で一つ予期しないアクシデントが起こっていた。
「賢治! 放して! はなし―って…ひぁっ!?」
無駄な抵抗と分かりつつも、賢治の下でジタバタと身じろぎをしていた遥は、不意に背筋がゾクっとする感覚に見舞われてその全身が総毛立つ。
「あっ…ぅっ…」
身体の大きな賢治に力尽くで組み伏されて俄かに恐怖心を掻き立てられた、という訳では無い。それはもっと直接的な要因からだった。
「ようやく観念したみたいだな!」
賢治がそう言いながら、念を押す様に更にグッと身を乗り出して来ると、遥の背筋を再びゾクッとした悪寒が駆け抜ける。
「ひぅっ! け、けんじ…ま、まって…、あ、あたってるからぁ…!」
遥を襲う悪寒の原因は、内腿に当たる賢治の膝だった。賢治が体勢を盤石にしようと身を乗り出したその際に、腕を抑えていない方の膝が遥の内腿の間に深く割って入って来ていたのだ。大学で軽く運動するつもりだった賢治が膝丈のハーフパンツを穿いていた事もまた中々に具合が悪い。
「すぐ済むからそのまま大人しくしてろ…!」
当の賢治は遥の短いスカートを改めさせることにしか意識が向いておらず、自分の膝が不味い事になっているとは気付きもしていなかった。
「け、けんじ…! やっ…! あぅっ…! だ、だめ…っ! だめだったら!」
賢治はこの時、遥の着ているブレザーのボタンを外しにかかっていただけである。ただそれだけの事ではあるのだがしかし、賢治が動くたびにその生膝がニーソックスで覆われていない内腿を刺激し、それによって遥は断続的に襲い来る悪寒から息も絶え絶えであった。
「はぅ…ぅぅ…!」
呼吸を乱して身悶えする遥の一方で、順調にブレザーのボタンを外し終わった賢治は、それを雑な手つきで左右にと払いのける。
「これか! これがハルのスカートを短くしてる元凶だな!」
暴かれたブレザーの下に現れたスカートベルトを目にした賢治は、いよいよ遥から短いスカートを奪うべく、それを乱暴な手つきで鷲掴みにした。このベルトさえなくなれば、遥は短いスカートを維持できず元の長さにするしかない。だがしかし、そう簡単に事は進まなかった。
「っんだこれ! 外れねぇ!」
スカートベルトはリング状の金具を布ゴムの伸縮力で噛み合わせており、これは両側から力を加えて捻らなければ容易には外れな構造だ。片手しか使えない賢治は当然これに難儀して、ベルトを無暗に引っ張って悪戦苦闘する。
「そんな…乱暴に…しちゃ―ひぁんっ!」
でたらめにベルトを剥ぎ取ろうとする賢治の力が手前に掛けられたその瞬間、体重の軽い遥の身体は一緒になって手前へと押し下げられていた。
「あぅっ…」
身体がずれた勢いで、賢治の膝が遂にスカートの内側にまで入り込み、その行き止まりにまで到達する。そこは、遥自身ですら触れる際には細心の注意を払っている最もデリケートな部分で、他人に触られた事などまずない場所だ。この時点ではまだ単に膝が当たったと言うだけの事で、内腿をこすられた時の様な悪寒があった訳では無いがしかし、それでも遥には色々と限界だった。
「…もぉ…むりぃ…」
取り分け羞恥心的に限界だった遥は、今までの狂騒状態だったそれとはまた別の理由で顔が見る見るうちに真っ赤に染まってゆく。
「あぅぅ…」
羞恥心で怒りの炎を俄かに沈下された遥は、その大きな瞳に涙をにじませて、賢治に抵抗する気力も完全に消え失せてしまった。
「むっ? ハル…?」
これまで頭に血が上って冷静さを欠いていた賢治も、流石に遥がぐったりとして動かなくなってしまったとあれば、その異変に気付かない筈もない。
「こんなの…あんまり…だよぅ…」
遥が弱々しく抗議の声を上げると、賢治は今更になって自分達の態勢がどういった物になっているかに気付き、これには堪らずハッと我に返った。
「あっ…お、俺は…」
服を乱して切なげな表情で瞳を潤ませる遥と、それを片手と片膝で組み伏し上から覆いかぶさっている自分。その上、一方の手は腰のベルトに手を掛け、まるでスカートその物を剥ぎ取らんとしているかのようだ。そして極めつけが、意図せず遥の内腿の間に割って入っていた膝先である。いつの間にやらスカートの奥深くにまで侵入していたそこでは、三方面から伝わって来る少し高めな遥の体温と、その身体の中でもひと際柔らかな感触が薄布越しにも如実であった。
「さ、最悪だ…」
これはもう、誰がどこから見たって、賢治自身の視点からですら、遥をいかがわしい目的で襲っている構図でしかない。遥を身も心も傷付けないという誓いを立てていた賢治にとっては、正しく最低最悪の状況だった。
「ぅっ…ひっぐっ…うぅ…」
遂には状況に耐え切れなくなって小さな嗚咽を洩らして泣き出した遥が、賢治の最悪に一層の拍車をかける。そして、こんな時に限って悪い事は重なる物だ。いや、それは寧ろ状況的に言えば必然だったと言えるのかもしれない。とにかく一つだけハッキリとしている事は、賢治にとって更なる最悪がこの直後に訪れたという事である。




