3-37.不条理と理不尽
「そんな短いスカートは…ダメだ!」
そう告げられた瞬間、遥にはそれがどういう意味なのか理解できなかった。
「…えっ?」
堪らず遥が疑問を露わにすると、賢治は苦虫を噛み潰したような渋い表情で深々とした溜息を洩らす。
「だから、そんな短いスカート穿いて学校に行くのはダメだって、そう言ったんだ」
賢治は改めて、より具体的にその事を告げて来たが、やはり遥にはそれがどういう意味なのか理解できなかった。正確に言えば、何故賢治がそんな事を言うのか、遥にはそれが分からなかったのだ。
確かに賢治は何でもかんでも肯定してくれるようなイエスマンタイプではないし、好き嫌いは比較的ハッキリとしている方ではある。過去の話をすれば、当時流行っていた女性アイドルグループの中で、メンバーの誰が好みか等という話題で意見を対立させて、ちょっとした喧嘩に発展した事もあった。その事は今思えば大変下らない話ではあるのだが、今回遥が聞きたかったのも正しくそういった「好きか」「嫌いか」という単純で下らないレベルの事でしかなかったのだ。にも拘らず、賢治が口にした事は「短いスカートはダメだ」という好き嫌い以前の完全否定で、遥がこれに困惑してしまったのも無理からぬ話である。これがもし「似合っていない」そう告げられていたのならば、遥は大いに落ち込みながらもまだ理解のしようがあっただろう。
「ダメって…えっ? ど、どうして…?」
遥が今一度、何故そんな結論に至ったのかその理由を問い掛けると、賢治は皺の寄った眉間に指をあてがい些か難しい顔をした。
「どうしてって…そりゃぁ…」
問い掛けに対して賢治は言葉を濁して言い淀んでしまったが、遥はそれを真っすぐに見据えて答えをじっと待つ。賢治がダメだというからには、それ相応の理由がある筈だと遥はそう信じていた。それに従って短いスカートを改めるかどうかはともかく、納得に足る理由が聞ければ少なくともそれを一つの意見として受け止める事は出来ただろう。だが、言い淀んだ末に賢治が口にした次の事は、遥にとっては納得とは程遠い、耳を疑う様な物だった。
「あれだよ…そんな短いスカートは…その…校則違反…だろ」
想像の斜め上を行く珍解答とはまさにこの事だ。これには遥も思わず愕然とせずには居られない。
半日待ってようやく聞けた感想が「短いスカートはダメ」というにべも無い否定で、その理由がよりにもよって「校則違反」である。最早期待外れだった等という次元を通り越し、遥は落胆する以前にある種の不条理を感じて憤りを覚えすらした。
「そんな…こと…」
短いスカートは学校の規則に反するという賢治の主張は一見至極真っ当で理にかなっているようではある。ただ、これには遥が憤るだけの大きな欠陥が存在していた。
「そんな校則聞いたことないんだけど!?」
そう、遥達の通う高校には、スカート丈を規制する様な校則が存在していないのだ。遥はその証拠にと、ブレザーの胸ポケットから生徒手帳を引っ張り出し、服装規定に関する校則が記載されているページを開いて賢治の前にと突き付ける。
活字好きの遥は、ちょっとした空き時間の暇をつぶす読み物として時々生徒手帳に目を通していた為、短いスカートが校則に抵触しない事を以前から知っていたのだ。沙穂に合わせてスカートを短くすると決断したのも、それを知った上での事であった。
「ほら! そんな校則どこにも書いてない!」
遥は頬を膨らませながら生徒手帳をしきりに掲げて、どうだと言わんばかりに勝ち誇る。
「そう…だった…か?」
確固たる反証を突き付けられた賢治は、生徒手帳に書かれている条文を確認しながら、実に気まずそうな顔で頭を掻きむしった。
実際に遥の言う通り、服装規定に関する条文にはスカート丈に言及する記述は一切なく、せいぜい「指定の制服を身に着け、節度ある装いをすべし」という大雑把な一文があるくらいの物だ。賢治は一般常識的観点からそういった規則がある筈だと踏んでいたのだろうが、完全に当てが外れた形である。同じ高校に三年間通っていたにも拘わらずそれをしっかりと把握していなかった賢治の落ち度だ。ただ、それでもまだ賢治には僅かながら反論の余地があった。
「い、いや…しかしだな、良いとも書いて無いだろう…」
条文は曖昧な書き方なので「節度ある装い」という文言は、規制する方向の物として解釈できなくも無い。実際にこの条文が設けられた際には、そういった意図が含まれていた事も恐らく確かだろう。賢治はそれを論って校則路線を続行してはみたものの、遥は実情という観点からこれを一蹴した。
「賢治は高校でスカートが短くて怒られてる子見た事あるの!?」
校則に厳格な学校ならば、そんな光景も日常的にあり得るのかもしれない。ただ、遥は少なくとも自身の通う高校では、スカートが短いという理由で咎められている女子生徒を一度たりとも目にした事がなかった。それは男子高生だった頃も、女子高生になった今でもだ。それもその筈、遥達の通う高校はその大雑把な条文に違わず、規則に関しては大変大らかなのが実情なのだ。流石に度が過ぎればそれを軽く嗜める程度の苦言を呈するお堅い教師も中には居るが、よっぽどでなければ大体がおとがめなしの黙認状態である。そのおかげで、遥の通う高校では短いスカートを穿いて登校する女子生徒が実に全体の九割近い。この事実は、遥に先立って三年間の在校期間を全うしている賢治も、当然知っている筈だった。
「…そう…だな…そんなのは見た事ない…な…」
持ち前の生真面目さから出まかせを言う訳にも行かなかった賢治は、渋々ながらもそれを肯定する。遥はこれに勝機を見出して一気呵成になって賢治を論破しにかかった。
「大体、賢治だって殆どネクタイしてなかったじゃん! それと同じでしょ!?」
遥が覚えている限り、賢治がネクタイを締めて登校していたのは、入学直後の一ヶ月間くらいのものだ。時間をスキップしている遥は、それをつい最近の出来事として、それこそ本人なんかよりもよっぽど鮮明に記憶していた。
「いや…まぁ…そうなんだが…」
賢治自身は今の今までその事を忘れて完全に棚上げしていたが、痛い所を付かれてしまったのは確かである。実際に賢治は学校が規則にうるさくないのを良い事に、高校時代を殆どノータイで過ごしていたのだ。これではもう校則を理由にして、遥の短いスカートを咎める事など賢治には不可能だった。
「だったらボクが短いスカート穿いたっていいでしょ!? 何か問題でもあるの!?」
完全勝利を収めた遥は口を尖らせて、噛みつかんばかりの勢いで賢治に詰めかける。校則にも明記されておらず、自身でも類似する着崩しをしていた賢治に反論の余地は当然無かったが、だからと言って遥の短いスカートを認められたかといえばそれはまた別だった。
「それでも…そのスカートはやっぱりダメだ…」
校則云々に関しては何の言い逃れも出来ない賢治ではあるものの、遥の短いスカートに関しては心情的にやはり「ダメ」と言う以外ない。賢治自身断腸の思いではあるが、遥の身を案じればこそ、そこは譲れないのだ。だがしかし、これでは当初と同じ頭ごなしの否定でしかなく、遥も納得のしようがない。
「どうして!? 他にどんな理由があってそんな事言うの!?」
元々賢治が言う事に不条理を感じて憤っていた遥は、此の期に及んでの否定に益々それを積み上げて珍しく感情的になっていた。
「どうしてって…お前…そりゃ…」
遥は普段から理屈っぽい性格ではあるが、こうなって来ると中々に手が付けられない。とりわけ感覚派の賢治がこれを御する事はまず無理な話である。普段こういう場面では大抵賢治が折れて事無きを得るのだが、今回は勿論その選択肢はない。遥の短いスカートを認めるべきではないと、賢治は既にそう選択した後なのだ。
「そんな短いスカートはあれだ! その…」
勢い込んで口を開いてみた賢治だったものの、遥を説得し得るだけの尤もらしい理由等、早々に思いつきはしていなかった。それらしい理由は思いつかないが、それでも賢治は遥の短いスカートを改めさせたい。それだけは揺らぐことがない程確かで、賢治はその気持ちだけが先走って、そのまま勢い任せに少しばかりとんでもない事を口走った。
「そう、はしたない! そんな短いスカートは、はしたないからダメだ!」
慎みに欠け、品格が無く、見苦しい。「はしたない」を辞書で引けば大凡そんな趣旨の説明がなされているだろう。つまり、遥の短いスカートは慎みが無くて下品でみっともないという論調だがしかし、それは説得力等という物とは程遠い酷く主観的な感情論だ。口にした賢治自身、完全に失敗したと思う程に、これこそ正真正銘の飛んでも珍解答というやつである。
「なに…それ…」
案の定、遥はこの余りの言い様に、今まで以上の様子で、傍目からも分かる程激しく憤っていた。
「…はしたない…って…」
賢治が新たに繰り出した理由の余りのナンセンスさに、遥はお腹を内側からかき回された様な不快感に見舞われ、全身の体温がジリジリと上がってゆく。校則だ等と見当外れの事を言われたかと思えば、今度は言うに事欠いて「はしたない」ときたものだ。遥からすればこれは最早不条理以上の明確な理不尽以外の何物でもない。
「はしたないって何!? こんなの女子高生なら普通でしょ!? 」
この時遥の募らせていた憤りは、完全に怒りの方向へとシフトした。遥が怒るのも無理のない話だ。親教師が前時代的価値観からそれを嘆くならまだしも、賢治がこれを口にする等という事はそれこそ道理に適わない事だった。
そもそもの話をすれば、女子高生の間で短いスカートが流行り出し、それが定番化してからは既に四半世紀という時が経っている。とどのつまり、遥や賢治にとって女子高生のスカートは生まれた時から短い事が当たり前で、それは殆ど一般常識の範囲なのだ。特に近隣の高校は総じて校則がゆるく、二人は実際に短いスカートの女子高生を見て育ち、賢治はその上そんな女子高生がうようよいる学び舎で三年間を過ごして卒業済みである。そこへ来て「はしたない」等と言われても、そこに説得力が生まれる筈もなく、共感だってできやしないのは当たり前の事だ。
「今どき長い子の方が珍しいのに! もっと短い子だっていっぱいいるのに!」
実感がこもっているだけに、遥はこれに関して、賢治の珍妙な主張に対する憤りとはまた別のベクトルでも些か熱くなっていた。
「まぁ…確かにそれは…そうだが…」
勿論賢治だって短いスカートがはしたない等と、そんな事を本気で思っていた訳では無い。完全に勢い任せで口を付いてしまった妄言なだけに、これには強く反論できずにいた。
「ボクだって女子高生なんだよ! これくらい別に良いでしょ!」
大体が遥のスカートは「はしたない」と言われなければならない程には短くなってはいないのだ。沙穂は当初冗談半分で「膝上十五センチ」等と言いはしたが、実際にはニーソックスとの兼ね合いもあって、せいぜい膝上十センチ程度の物である。それは長すぎず短すぎずの実に堅実なラインで、それこそ沙穂や日中に遭遇したミキなんかにくらべればまだまだ随分と大人しい方だった。
「いや…しかし…だな…」
賢治自身元より「はしたない」で遥が納得する等とは思ってはいなかったのだが、馬鹿な事を言ってしまったがために、寧ろ遥は一層頑なになってしまった節まである。これは中々どうして困った状況だ。
「はしたないは…確かに言い過ぎだったかもしれないが…その…アレだ…」
賢治は一先ず自分でもどうかと思うその意見を一旦取り下げて、再度遥が納得しそうな理由を模索する。しかし、そんなどっち付かずで煮え切らない賢治の態度は、遥を益々ヒートアップさせてしまっていた。
「アレって何!? ハッキリ言ってくれないと分かんないよ!」
遥は激しい憤りとジリジリと理性を焦がす怒りの炎にいよいよ感情的になって、手足をジタバタとさせて地団駄を踏む。傍目に見れば駄々をこねる子供の様で可愛らしくはあるが、これに対処しなければならない賢治はそう悠長なことも言ってはいられない。
「あー…もう! とにかくダメなものはダメだ!」
それは、遥を納得させられるだけの理屈が考え付かず、本心を語る訳にもいかなかった賢治ができた最後の悪あがきだった。もしかしたら、この時賢治も遥の怒りに当てられて些か頭に血が上ってしまっていたのかもしれない。ただいずれしても、これでは強く憤っていきり立っている遥に対しては逆効果も良い所である。
「だから何でダメなのか理由を言ってよ!」
遂には開き直った感すらある賢治の態度に、遥はただでさえ大きな瞳をいっそう大きく見開いて猛烈な反発を見せた。
「ダメだからダメなんだよ! ハルのためなんだ、分かってくれよ!」
賢治はダメ元で自分本位に否定している訳では無い趣旨を織り交ぜてはみたものの、やはり真っ当に理由を語らなければそれは届くはずもない。
「全然分かんない! ちゃんと理由を聞かせてくれなきゃ分かる訳ないじゃん!」
賢治がもしこれに従って、素直に本当の理由を告げられていれば、この場と言わず遥との関係一切が文字通り全て丸く収まっただろう。だが、今はまだ本心を明かせるタイミングでは無いと思っている賢治にはどだい無理な話であった。
遥は理由を聞かなければ到底納得できず、賢治はそれを語れないが説き伏せたい。そんな二人は、主に賢治の負い目のせいもあってだが、ともかく決して交わる事の無い完全なる平行線へと突入してしまっていた。




