3-35.自覚と無自覚
賢治が大学で資料作りの期限を宣告され、猛然とそれに取り組んでいる頃、遥達はファッションビルでの買い物を終えて、今は最寄りのファーストフード店で少し遅めの昼食を取っていた。
「あー…、見るだけのつもりが、ついつい買っちゃったなぁ」
ドリンクのカップを手にしてボックス席のソファーへと背中を預けている沙穂は、若干渋い表情をしながら三人分の荷物が纏めて置いてある真横の空席へと目を向ける。そこには遥達三人が元々手荷物として持っていた通学用の鞄に加えて、それ以上の体積でいくつもの小洒落たデザインのショッパーが山となっていた。
沙穂は当初、今日は見て回るだけと、そう宣言していたのだが、結局はショップを巡っている内に物欲を抑えられなくなり、結果ご覧のありさまという訳である。ただ、そこに置かれているショッパー全てが沙穂の物かといえば、そう言う訳でも無い。
「ワタシ、あんなお洒落なお店でお洋服買ったの初めてだよー」
チキンサンドを両手で持って些か興奮気味にそんな事を言う楓もまた、ファッションビルで買い物をして、荷物の嵩を増加させた者の一人であった。勿論それは、最初に訪れたスクールファッションアイテムショップで購入したスカートベルトとは別でだ。
「あのブラウス値段も手ごろだったし、ミナには良く似合ってたもんね」
購入した物に関して沙穂が好意的な意見を述べると、楓は「えへへ」と少しばかり照れくさそうに笑いながら、手にしていたチキンサンドにかぶりつく。そんな楓の様子を微笑まし気にしていた沙穂は、ふと何か思い出し顔になると薄っすらと笑みを作った。
「カナが買った白ワンピは何ていうか超ベタって感じだったねぇ」
何を隠そう、遥もまたファッションビルで買い物をして荷物を増やした者の一人に他ならない。遥が購入したその「白ワンピ」は肩と背中が大きく空いた夏物のワンピースで、正式にはサンドレスと呼ばれる代物である。一昔前のアニメや漫画のヒロインが麦わら帽子と共に良く着用しているアレだ。
遥は値段も手ごろだったそのサンドレスを、男の子的価値観から女の子らしい服装の代表格だと認識して購入するに至った訳だが、これは沙穂に言わせれば「超ベタ」という事らしい。男が好む女の子らしい格好が必ずしも、女の子にとってのお洒落ではないというちょっとした一例である。
「まー、カナには凄く似合ってたけど、あたしだったらもうちょっと―」
尚もワンピースについての言及を続けようとしていた沙穂であったが、不意に言葉を止めて怪訝な顔で眉を潜めさせた。正面に座る遥が自分の事に話題が及んでいるにもかかわらず、ここまで何の反応も示していなかったからだ。
「…カナ、どうしたの?」
沙穂が問い掛けるも、遥は完全に心ここに在らずといった様子で、目の前にある手付かずのクラブハウスサンドセットをぼんやりと眺めるばかりである。
「ねぇ、カナってば」
見兼ねた沙穂が身を乗り出して肩をポンと叩くと、遥はようやく意識を目の前の友人へと向け、大変物憂げな表情を覗かせた。
「賢治から返事がない…」
賢治はこの時正に修羅の如く勢いで資料作りに没頭している訳であるが、遥は当然そんな事を知る由もない。遥からすれば、メッセージを送ってから小一時間は経ってるというのに何の反応も返ってこないという事実があるだけだ。
「あー…そういやそうねぇ…」
遥が気落ちしていた理由を理解した沙穂は元通りソファーにもたれ掛かって、少しばかり困った顔をする。
「賢治は気に入らなかったのかなぁ…」
賢治はその心情こそ複雑ではあるものの、ちゃっかり画像を保存して保護設定までする気に入り様だが、これもまた遥の与り知らぬ所だ。
賢治の事情を知りようもない遥は既読スルーされているという状況を前に、返事が返ってこない理由を彼是と想像して一人欝々とせずにはいられなかった。何かと考え込みやすい遥のネガティブ思考が本領発揮といった所だ。
「きっと、講義の最中とかで返事できないだけよ」
正面に座る沙穂が諭す様に慰めの言葉を口にすると、遥の横でチキンサンドを頬張っていた楓もそれに同意してウンウンと頷きを見せる。
「らいらくせいらもいおいおいほはひーんらおー」
楓は口の中でチキンサンドをもごもごとさせながらで、今一何を言っているのかは分からないが、とにかく遥を気遣っている事は確かな様だった。
「ミナ、行儀悪いよ」
すかさず沙穂が手厳しい言葉を飛ばすと、楓は口の中の物をごくりと飲み込んで、改めて先程の言葉を言い直す。
「大学生も色々忙しいんだよ!」
確かに二人の言う事は尤もで、平日の昼中大学に居る賢治にメッセージを送って即レスが返ってこなかった例は、今までも何度かあった事だった。
「そっか…そうだよね…きっと、忙しいだけだよね…」
早く反応が知りたくて気ばかりが逸っていた遥は、沙穂と楓からの慰めもあって一先ずの平静さを取り戻し、何とか気持ちも前向きにと改める。
「賢治だって色々あるよね!」
とりあえず納得した遥がようやく明るい表情を覗かせると、沙穂と楓も揃ってほっとした顔になった。遥の何かと考え込みやすい性格は、沙穂と楓にとっても既知の事柄だ。今回は無事に遥がそこから抜け出せたとなれば、それは沙穂と楓にとっても幸いである。誰だって友達が落ち込んでいる姿などは見たくないものだ。
「カナって時々凄くネガティブよねぇ」
沙穂が若干苦笑交じりに指摘すると、遥も自覚があるだけに少々気恥ずかしくなって顔の表面温度をわずかばかり上昇させる。遥自身、物事をつい悪い方へと考え込んでしまう自分の悪癖については、それなりに思う所があるのだ。
「カナちゃん普段はどっちかっていうと天然さんなのにねー」
沙穂に続いて楓は何気ない調子でその性格について別の側面からの指摘を飛ばして来たがしかし、これに関しては全くの自覚が無い遥としては些かの心外だった。
「えー…ボク天然じゃないよー」
それは時々言われる事ではあるものの、遥自身は自分をそうだと思った事は今まで一度たりとも無い。ネガティブ思考はともかくとして、それ以外の面ではいたって普通な常識人であるというのが遥の自己評価なのだ。
「まぁ…、ちょっとズレてるとこがあるのは確かよねぇ」
楓のみならず沙穂までもがそんな事を言ってくると、流石の遥も自己評価について些か自信が持てなくなってくる。沙穂と楓は今や遥にとって、自分の事を一番近くで見ている人間と言っても過言ではない。そんな二人が揃って言うのであれば、それは遥としても中々に無視し難い事だった。
「うー…普通だと思うんだけどなぁ…」
遥は憮然とした面持ちになりながら、今まで手付かずだった目の前のクラブハウスサンドに手を伸ばして、小さな口でそれにかぶりつく。
「まぁ、そんな気にする程じゃないって」
沙穂がそこまで深刻になる様な問題ではない事を告げると、楓も朗らかな笑顔でそれに同意した。
「うんうん! カナちゃんはそのままで全然大丈夫だよ!」
沙穂と楓からしてみれば、遥は出会った頃から割とそんな調子なので、今更と言えば今更な話だった。
「でもぉ…」
しかし、遥としては例え友人達がそれを認めていようとも、やはり天然等と言う不名誉認定は当然払拭したいところで、素直に承服できるはずもない。
「うぅ…、ボク…これからは気を付けるよぅ…」
今後自身の言動には細心の注意を払おうとそんな意思表明をした遥ではあったものの、これに対して沙穂は少しばかり呆れた顔をして小さく溜息を付いた。
「気を付けるったって、あんた何に気を付ければ良いか分かってるの?」
その問い掛けは実に痛い所を付いており、遥は思わず反論の言葉を失って言い淀まずには居られない。
「えっとぉ…何…だろ…?」
二人が言うのだからそうなのだろうと自己評価を改めざるを得なかった遥ではあるが、自分自身のどんなところがそう言わしめているかに関しては自覚がない以上分かり様も無い事だった。
「そんな調子じゃ、変に空回って天然ぶりに拍車がかかるのが落ちねぇ」
沙穂が更に痛い指摘を重ねて来ると、完全に反論の余地を失った遥は最早ぐうの音も出ない。
「うぅ…」
確かに自覚の無い事は改善のしようが無く、無理に気張った所で沙穂の言う通り空回りするだけであることは火を見るよりも明らかである。その結果状況が悪化したとなっては当然遥としては目も当てられない。
「ミナぁ…」
このままでは天然とされる自分を受け入れるしかない遥がすがる様な瞳を隣に向けると、それを向けられた楓は少し困った顔で苦笑する。
「ワタシは、ちょっと天然なカナちゃんが可愛くって好きだよ?」
それを長所だとする楓の意見に、沙穂も同意しながら何やら意味ありげな顔でニヤリと笑った。
「カナ、女は少しくらい天然入ってる方が男受け良いのよ?」
その言葉に自身が男の子だった頃の記憶を反芻してみた遥は、少しばかり思い当たる所が無きにしも非ずである。遥自身はそれを別段魅力的な要素だとは思ってこなかったのだが、周囲にそういう友人が一定数存在していた事は確かなのだ。そして、もしそれが男性全般に当てはまる傾向なのだとするならば、当然ここで遥が思い浮かべる人物は一人しかいなかった。
「賢治もそうかなぁ…?」
思惑通りまんまと考えを誘導させられた遥の問い掛けに、沙穂はしたり顔ですかさず頷きを返す。
「きっとそうよー、だからカナはそのままでいいって」
真偽のほどは本人に問い質してみないと定かでは無いが、そんな可能性もあるというだけで遥が納得する材料としては十分であった。正に恋は盲目という奴である。
「そっかぁ…じゃぁ…別に良いかな…」
実際問題、その天然ぶりに度々振り回されている賢治からしてみれば、その結論は全くもって良くはないのだが、この場に居ない以上意見のしようも無い。一先ず遥が承服した事で天然問題には一応の決着が付き、この話題もここで終了となった。
「さて、この後はカナが行きたがってた本屋…白善だっけ?」
沙穂が話題転換も兼ねて今後の予定を確認してくると、遥はクラブハウスサンドとセットで購入したオレンジジュースに口を付けながら、少しばかり難しい顔になる。
「うーん…」
地元には無い大規模書店は実に魅力的な場所で、だからこそ遥は当初そこへ行く事を希望していた訳ではあるが、今からそこへ赴くには少しばかり問題が生じていた。
「ボク…もう結構使っちゃったから、お小遣いあんまり残ってないんだよね…」
先に訪れたアニメトイで三冊のBL本を購入し、ファッションビルではスカートベルトとワンピースを購入するに至った遥は、この時点で既に五千円近くの散財をしてしまっている。五千円といえば高校生にとっては決して少なくない金額で、同時にこれは遥が毎月母親から受け取っているお小遣いの丸々一月分にも相当する額だった。
遥は普段無駄遣いをするタイプでは無いので、プールしている貯蓄が有るには有るが、だからと言って日にお小遣い一月分以上の出費を厭わない訳では無い。
「別に行くだけ行って何も買わなければよくない?」
沙穂の意見は至極尤もではあるものの、遥はその直ぐ横の空席に山積している荷物の数々をチラリと見やってジト目になった。
「ヒナ…現状がそれは無理だって物語ってると思うよ…?」
元々見てまわるだけのつもりだった沙穂が購買欲求に負けてしまったように、遥だって本屋という自分の好きな物が売られている場所では、それを抑える自信など有りはしない。特に地域随一の品揃えを誇る大型書店ともなれば、地元では中々手に入れられない様なレア書籍を見つけてしまう可能性はかなりの高確率だ。それを見つけてしまったが最後、遥には絶対にそれを購入せずには居られないという自信だけは胸を張るほどあった。
遥の好んでいる書籍が手軽に買える文庫本では無く、一冊二千円近くするハードカバーと言う所もまた些か具合が悪い。
「あー…まぁ…そうよね…」
この時点で一番散財してしまっているのは他ならない沙穂である。ジト目を向けてくる遥に反論できるはずもなく、明後日の方へと目線を泳がせ乾いた笑いを洩らすばかりだ。
「ワタシも結構つかっちゃったしなぁ…」
散財という点で行くと楓も中々のもので、結局の所は三人が三人共、街に繰り出して早々の資金難という有様だった。揃いも揃って計画性皆無であるが、その無軌道ぶりが高校生らしいと言えば高校生らしい。
「そんじゃまぁ…お金使わない方向で適当にブラブラしよっか…」
沙穂が致し方なしと提案したそのプランに遥と楓も完全に同意で、一先ずこれで昼食後の予定は決まりである。
「じゃあ…とりあえずコレ食べちゃわないと…」
出立に際しては昼食を終えている必要がある訳だが、沙穂と楓は既に完食済みで、現状で食べ終えていないのは遥だけだった。
「カナちゃん、ゆっくりでいいよー」
これからの事を考えれば実際に急ぐ必要は無く、遥は楓の言葉にそのまま甘えて、かなりのんびりとしたペースで残り半分くらいはあるクラブハウスサンドセットを平らげに掛かる。
「よく噛んで食べるのよ」
クラブハウスサンドを頬張るその様を微笑まし気にする沙穂の言葉に、遥はコクコクと頷きだけを返して言われるまでも無くしっかりと咀嚼する事を怠らない。遥は以前物の本で「よく噛んで食べる事は健全な発育に繋がる」という話を読んだ事があり、常日頃からなるべくそうする様に心掛けているのだ。
その後、遥が三十分ほど掛けて無事にクラブハウスサンドセットを平らげ終えると、三人は近場に有ったアーケード街へと繰り出し目的の無い散策を開始した。
基本的には他愛のない話をしながら適当にブラブラとする事に終始したが、時々目に付いた店に入った際は、三人の内誰かが物欲と格闘する一幕があった事は言うまでもないだろう。また、通りがかったゲームセンターでは、これくらいなら良いだろうとプリを撮影し、それから休憩がてらに入ったカフェでは一杯二百円のドリンク一で小一時間ガールズトークに花咲かせたりもした。
こうなって来ると、やっている事は普段の放課後と大差はないものの、仲良し三人組でテスト明けの解放感を共有する事こそが遥達女子高生にとっては肝要である。
遥もその趣旨を違えぬ様、一向に送られて来ていない賢治からの返信についてはもう一旦忘れる事として、この時はただ沙穂と楓と共に過ごせる楽しいひと時を素直に甘受したのだった。




