3-32.相応しい自分
それぞれに数冊の漫画を購入して第一の目的を遂げた遥達は、アニメトイを後にして次なる目的地を目指す。
「さぁ、今度はあたしに付き合ってもらうわよ」
そう言って意気揚々と先頭に立ったのは、今から向かうファッションビルで夏服が見たいと言っていた沙穂だ。
「パスカルってあれだよね、なんかおしゃれなショップが一杯あるんだよね?」
これから向かう場所に対して少しばかり気後れした様子でいる楓は、その漠然とした情報量からしておそらくそこへは赴いたことが無いのだろう。
「ボク、行った事ないからよくわかんない…」
漠然とした疑問に対して曖昧な返事を返した遥も、そのいかにも今時の若者が集っていそうなオシャレスポットについての認識と情報量は楓とそう大差がなかった。そもそも、今から向かおうとしているパスカルには女性向けのテナントしか入っていないので、元々男の子だった遥が足を運んだことのある道理が無い。
「二人とも普段何処で服買ってんの?」
友人達のやり取りを耳にして、前を歩いていた沙穂が振り返って問い掛けて来ると、遥と楓は二人同時に首を傾げさせる。
「お母さんが適当に買ってくるから、自分で服買った事ないかも」
遥が女の子になってからというもの、私服は母の響子によって支給される物がその殆どだ。中には賢治の母である朱美が「親戚のおさがり」と称して差し入れてくれる物もあるが、何れにしても遥は女の子物の服を自分で購入した事は一度もない。
「えっと…、ワタシも…、お母さんがユニオンとかで買って来てくれる…かな…」
遥に続いて、遠慮がちに自身のファッション事情を申告した楓は、自分でもそれに関しては若干思う所があるようで、気恥ずかしさと気まずさが合わさった微妙な表情である。
「へぇ…、二人のお母さんって、結構センスいいのね」
微妙なフォローを入れる沙穂は、自分で服を購入した事が無いと言う遥と楓に少々呆れた顔を見せつつも、その事で二人を非難したりはしてこなかった。
実際の所、遥の私服はその幼くも愛らしい容姿に似合いの甘々とした可愛らしい物であるし、楓の私服に関しては特別洒落ていないにしても酷く野暮ったいという事も無い、言ってしまえば極めて無難な物なのだ。
「ヒナちゃんは普段着すっごくオシャレだよねぇ…流石って感じで…」
少しうっとりとしてそんな事を言う楓の横で、遥も何度か見た事のある沙穂の普段着が実に洗練されていた物であった事を思い返す。沙穂のコーディネートはその時々で趣が異なるので一概に何系と分類する事は出来ないが、毎度そのセンスが優れた物である事だけは遥の目から見ても瞭然と言った感じだった。
「まー、あたし服好きだからねー。好きこそ物の…ってやつ? あんた達のアニメとか読書と同じ事よ」
沙穂は別段気取ったり驕ったりはせず、実に自然体で自分にとってのお洒落は遥達の趣味と同レベルのものである事を示す。遥はその考え方に少しばかりの感銘を覚えながら、それならば今度は沙穂にファッション指南でもしてもらおうかと、そんな事を思いついた。
「ねぇヒナ、あの―」
さっそくその事を沙穂に進言しようとした遥であったがしかし、その時である。
「あれー? サホじゃーん?」
そんな唐突な呼びかけが遠慮も何もない声量で唐突に遥の発言を遮ったのだ。
遥が止む無く発言を中断して声のした方へと目を向けると、その主を見つけ出すのにそれ程の時間は要しなかった。遥達の進行方向、やや前方で雑踏の最中から明らかにこちらの方に向いている男女二人組の姿が窺えたからだ。
二人は共に近隣にある私立高校の制服を纏っており、男の方は至って普通な感じだが、女の方は短いスカート丈とほぼ金色に近い茶髪が特徴的なぱっと見で分かる程のギャル系である。遥の発言を遮ったのは声のトーンからしてそのギャルの方だ。
「ヒナちゃんの知り合い…?」
楓が少し不安そうな顔をして問い掛けると、目を細めて自分を呼び掛けて来た相手を窺っていた沙穂は頷きを見せた。
「あー…、女の方は同じ中学だった子。男は…初めて見るから多分知らないヤツね」
沙穂が質問に答えている間に、女の方とされたギャルは男から離れ、単独でこちらへとやって来る。
「ひさしぶりー! 中学卒業以来? こんな時間にどうしたのー? あっ、テスト明け? だったらウチらと同じだねー! あたしは今カレシとデート中なんだー!」
目の前にやって来るなり、かなり一方的なペースで捲し立て始めた沙穂の元同級生は、その見た目通りの如何にもギャルっぽいノリとテンションだった。
「あっ、チヨとか連絡取ってるー? あの子も最近カレシできたらしいんだけどね、それが聞いてよー、すっごいイケメンでさー、チヨにはもったいないって言うかー」
沙穂の元同級生は、口を差し挟む暇など一切ない勢いで喋り続け、その話題はどんどんと脈絡のない明後日の方へと展開してゆく。
「あっ、あたしのカレだってそこは負けてないんだけどさー、でも―…って、あら?」
尚も一方的に話し続けようとしていた沙穂の元同級生であったがしかし、不意に何か気になる事でも見つけたのか、突然話を止めて何やら首を傾げさせた。
「サホと同高の友達? あたしはミキだよー、よろしくねー?」
ミキと名乗ったギャルの気を引いたのは、沙穂の少し後ろに控えていた遥と楓の存在だったようで、今更になって実にざっくりとした自己紹介と挨拶を送って来る。
「何かサホの友達にしては意外な感じだね? っていうか二人ともスカート長いのウケルねー!」
別段悪意のない様子でそんな事を言って屈託なく笑うミキに、遥と楓は挨拶を返すのも忘れて唯々唖然だ。
「あっ、そんでさ、チヨなんだけど、えーっと、どこまで話したっけ? そうそう! そのイケメンのカレシっていうのが医大生でねー、できすぎって言うかぁ」
遥達が返答に困ってしまっている間に、ミキは沙穂の方へ向き直って先程の話題へと立ち返り、再び一方的に話を展開し始める。このまま放っておくと延々と一人で喋り続けそうなミキであったものの、流石に沙穂が手の平を正面に掲げてそれにストップを掛けた。
「あんた今はデート中なんでしょ? ほら、カレシ待ってるよ」
そう言って沙穂は掲げていた手の平を差し指に変えて、ミキの後方を示して見せる。沙穂が指す導線の先では、ミキの彼氏であるらしい男が元居た位置で腕組みをして、実に所在なさげな様子だった。
「やっばい! ちょっと挨拶してくるから待っててって言ってあったんだー!」
沙穂の指摘に少し慌てた様子になったミキは、後ろへと振り返り彼氏に向って手の平を合わせて謝罪の動作を見せる。
「たっ君ごめーん! もう戻るからー!」
往来の中、躊躇の無い大声でそう呼びかけたミキは、そのまま彼氏の元へと駆けて行こうとしたが、ピタッと急ブレーキをかけて沙穂の方へと振り返った。
「後でLIFEするねー」
それが分かれの挨拶だった様で、ミキは今度こそ彼氏である「たっ君」の元へと駆け戻ってゆく。それから合流した二人は何やら二三やり取りを交わしたかと思うと腕を組んで、実に仲睦まじい様子で往来の人ごみへと消えて行った。
「はぁ…」
ミキを見送った沙穂は大きく溜息を付いて、遥と楓の方へと向き直り若干申し訳なさそうな顔をする。
「二人ともごめん、あの子悪気は無いのよ…?」
沙穂はそんな風に謝罪を入れて来るも、遥はそれが何に対しての謝罪なのかが今一解らず思わず小首を傾げさせた。
「えっ? 何が?」
友達の友達という人物は確かに対応に困る相手ではあったし、あのギャルっぽいノリも些かついていけない所の有った遥ではあるが、だからと言ってそれが謝られる様な事柄であるとは思えなかったのだ。
「久しぶりに会ったんでしょ? 全然大丈夫だよ?」
遥が別段気にする事は無い事を告げると、沙穂は一瞬ほっとした様子で笑みを見せたものの、直ぐに少し困った表情を覗かせる。
「あー、うん、ありがと。でもそうじゃなくてさ…」
謝罪の理由は別にある事を告げた沙穂がそれを何と説明したらいいのか言葉を探す様に間を置いていると、今度は楓の方が何やら申し訳なさそうな顔を見せた。
「ワタシこそ…ごめんね…」
この謝罪こそ意味が解らずきょとんとしてしまった遥だが、それは沙穂も同様だった様で眉を潜めて怪訝な顔をする。
「何であんたが謝るの…?」
沙穂がその理由を問い掛けると、楓は俯き加減になりながら自分のスカートをぎゅっと掴んで、遥が思ってもいなかった事を口にした。
「ワタシ…スカート長いし…」
それは先程ミキに指摘された事柄ではあったが、その事こそ別段気にも留めていなかった遥は、何故そんな事を楓が突然言い出したのか分からず頭の中が疑問符で埋め尽くされる。ただ、沙穂の方はそれがどんな意味を持つのか理解した様で、いつもの呆れ顔で小さく溜息を付いた。
「そんなの今更でしょ、ミナは気にしなくても良いのよ」
沙穂と楓の会話は噛み合った様ではあるが、その一方で遥は一人意味が解らず完全に置いてきぼり状態だ。
「えっと…何の話…?」
堪らず遥が疑問を投げかけると、一瞬驚いた顔をした沙穂は突然声を押し殺して笑い始めた。
「カナ…! あんたこそ気にしなくっても良い事だよ…!」
そうは言われても全く意味の分からない遥は、少し頬を膨らませて今度は楓に向って問い掛ける。
「ねぇミナぁ、どういう事ぉ?」
袖をぐいぐいと引っ張る遥に、楓は少し困った顔をしながら、それでも一連のやり取りの意味を自分の心情中心に説明してくれた。
「えっとね…、さっきヒナちゃんのお友達にスカート長いって馬鹿にされたでしょ…? でも…ワタシのスカートが長いのは本当の事だから…」
楓からの解説を受けた遥は、それでも今一意味が解らず尚更首を傾げさせる。言葉通り受け取れば、沙穂と楓は共にミキの言った「スカートが長い」という発言について謝り合っていた事になるが、遥にはどうにもそれがしっくりこなかった。
「べつに…よくない…?」
そもそもスカートの長さを馬鹿にされていたとも感じていなかった遥にしてみれば、全くもってピンとこない話で、それが謝ったり謝られたりするような事柄とは到底思えないのだ。
「まー、カナにはそれで似合ってるから良いと思うけどねぇ」
苦笑しながらそう言って来た沙穂に顔を向けた遥は、話の流れからそのままその下半身の方へと視線を落としてゆく。沙穂のスカートは膝上五センチ以上の大変短い物で、そこからはほっそりとした腿が完全に露わだ。
普段なら遥は若干気まずい感じが有る為、あまりそれを直視しない様にしているのだが、この時ばかりはついついそれをまじまじと観察してしまう。
「カナ…?」
自分の足をじっと見つめるその様子を怪訝に思った沙穂は不思議そうに声を掛けて来るが、遥はそれに返事を返さず今度は楓の下半身へと視線を移していった。
「うーん…?」
楓のスカートはほぼ標準通りの膝丈で、沙穂や先程のミキは言うに及ばず、女子高生全体と言う括りで見ても長い部類だろう。
「か、カナちゃん…?」
楓は戸惑った様子で何事かと少々心配そうな面持ちを見せるがしかし、一旦考え事モードに入った遥はやはりこれにも応えず、今度は自分のスカートへと視線を移した。
「…確かに…長い」
ミキからは一緒くたに長いと評されたが、遥は背が低い事もあって、楓と比べてもその着丈は更に長い。言ってみればそれだけの事でしかなかったのだが、三者三様だったスカート丈を検め終わった遥の頭の中で、不意にパズルのピースがハマる様にして、先程沙穂と楓が謝り合っていたやり取りが一つの明確な絵なった。
「あっ…」
ハッとなった遥は、ここで改めてそれぞれに違う自分たちのスカート丈を見比べながら、そもそもの発端となった一連の出来事を思い返してみる。
事の起こりはミキが遥と楓のスカート丈を「長い」と言った事であるが、そもそもミキはそれを指摘する以前に「沙穂の友達にしては意外」と、そうも言っていたのだ。これは言い換えれば、長いスカートを穿き大人しい印象である遥と楓は、お洒落で今どきの女子高生らしい沙穂の友人にはそぐわない様に見えるという指摘に他ならなかった。
沙穂はそれを失礼な発言だったとして謝り、対して楓の方はそう言わせてしまった不甲斐ない自分を謝っていたのだ。
大凡で事情を理解した遥は、ならば楓以上に長いスカートを穿いている自分はどうなのかと自身を顧みる。遥は今まで、穿き心地優先でそこに何か別の意味が生じる事等考えてもみなかった。しかし今は、確かにそこには特別な意味が有ると確信できる。それは、遥が今、女子高生という立場に身を置いているからこそ生じる意味だ。
「ヒナ…」
遥が半ば無意識ながら呼び慣れたその愛称を口にすると、沙穂は少し首を傾けながらも、うっすらと笑顔を返してくれた。
「なに?」
確かに沙穂はそれを人それぞれだと尊重してくれている。思えば趣味の件でもそうだ。
沙穂は自分に興味が無い事でも、遥や楓がそれを望めば、いつだってそれに付き合い、尊重してくれている。サバサバした性格と言えばそうなのかもしれないが、ただ一つ、確実に言えるのは、そんな沙穂だからこそ傍から見れば意外と言われる程にはタイプの違う三人が友達で居られるという事だ。思えば三人の友情は、その理性的で大らかな沙穂の性格があってこそ成り立っていると言っても過言ではない。
「ボク…」
今なら遥にも、不甲斐ない自分を謝った楓の気持ちが良く理解できた。
考えた末、一つの結論に至った遥は胸元で両手をぎゅっと握って、突然意気込んだ顔を見せる。
「ボク、スカート短くする!」
それは、大好きな沙穂の友達として、相応しい自分になりたいと、そう思ったからこその決意表明だ。少しばかり子供じみた考えだったかもしれないが、遥は真剣そのものだった。
「どうしたのよ急に…? ミキに言われた事だったらほんと気にしなくていいのよ?」
沙穂は多少困惑しながら先程の件なら全く気にする必要はない事を諭そうとするも、遥の決意は固く揺らぐ事は無い。これまで未だに慣れないスカートという物の穿き心地を少しでも誤魔化そうと長いスカートを穿いてきた遥だが、友情の為となれば最早そんな事も言っていられないのだ。
「あ、あのっ…ワタシもスカート短くする!」
遥の意気込みに感化されたのか、楓の方も意を決した表情で、身を乗り出しそれを共にする事を告げて来る。
「あんた達…」
沙穂は遥と楓の意気込みに少々気圧された様子であったがしかし、少し考えるようにしてからその表情をふっとほころばせた。
「ありがとね」
沙穂は柔らかい表情で一言感謝の言葉を告げると、両腕を広げて二人の肩を抱え込む。
「よしっ、そんじゃ取りあえずパスカルでスカートベルトの調達ね!」
そう言って二人から腕を解いた沙穂は、これから向かう先での具体的な目標を掲げて楽し気な笑顔を見せた。それから沙穂は先頭に立ち、そもそもの目的地であった場所へと向けて新たに出来た目的を果たすべく軽やかな足取りで進みだす。
「膝上十五センチだからね!」
チラリと振り返って来た沙穂が口にしたその未知なる数字に、遥は若干早まった気がしなくものなかったが、それでも友情の為と覚悟を決め、決意その物は揺らぐ事は無い。
「が、がんばる!」
遥が意気込みを口にして沙穂の後を追いかけると、楓も遅れを取るまいとそれに追従する。
「ワタシだって!」
追いかける沙穂の足取りは軽快で、明らかに上機嫌な様子が遥と楓からも見て取れた。
たかがスカート、されどもそれは、女子高生にとっては特別な意味が有る。時にそれは自己表現であり、時にそれは友情の証明にもなりうる、そんな特別なものだった。




