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3-14.女子危うきに近寄らず

 学校を休んだ翌日、遥は何の憂いもなく沙穂と楓に会える嬉しさからつい気が逸り、いつもより一本早いバスで高校へと登校した。

 バスを降り、正門をくぐって校舎へと続く石畳を歩く遥の足取りは、これまでの苦悩が嘘の様に軽やかだ。勿論その要因は沙穂と楓の事が大きいが、もう一つ、昨晩賢治に思う存分甘えられた事も少なからずそれに寄与しているだろう。

 賢治の本心を知らない遥は、抱き着いた際に賢治が見せた慌てた様子を思い返し、やっぱり嫌だったのだろうかと少々申し訳なく思わないでも無かったが、それ以上に自身の恋心がたっぷりと満たされた事にご満悦である。

 昨晩の事を思い出した遥がほのかに赤い顔を緩ませ、かなりの上機嫌で歩みを進めていると、途中グラウンド脇にある水飲み場で、野球部のユニフォームに身を包んだ光彦の末弟、智輝に出くわした。恐らく部活の朝練習を終えたところだろう。

「あっ! 遥ちゃんさん、おはようございます!」

 見知った顔を認め帽子を取って挨拶してくる知輝に、遥も「おはよう」と返しながらその妙な呼び方にちょっと困った顔になって苦笑する。

「智輝君、その『遥ちゃんさん』ってなんかおかしくない?」

 智輝は遥の実年齢が自分よりも上である事を知っている為、敬意を持って「さん」付けを心掛けている様ではあるのだが、それと同時にその幼くも可憐な容姿からつい「遥ちゃん」と呼称してしまいがちで、最終的にはそれが一緒くたになった実にへんてこな呼び方を編み出していた。

「すいません! えっと…遥ちゃ…さん…」

 またうっかり「ちゃん」を付けそうになって智輝がバツの悪そうな顔をすると、遥は少し考えを巡らせてにこりと笑いかける。

「同級生なんだからもっと普通で良いよ? 何だったら呼び捨てでもいいし」

 変に気を使う必要は無いとする遥の進言に、智輝は腕を組んで「うーん」と唸ってから、「じゃあ…」と若干赤い顔を向けてきた。

「遥ちゃんって呼んでもいいっすか?」

 そんな智輝の解答に今度は遥が「うーん」と唸って小首を傾げてしまう。「遥ちゃん」という呼び方自体は美乃梨なんかも用いているので、それなりに呼ばれ慣れてはいるのだが、男の子からそう呼ばれるのはまたちょっと勝手が違ってくすぐったい気分なのだ。

「あっ…やっぱ馴れ馴れしいっすか…?」

 智輝がそう言いながら申し訳なさそうな顔を見せると、遥は顔の前で手をパタパタと交差してそれを否定する。

「仲良くしてくれるのは嬉しいよ?」

 遥にしてみれば智輝は学校内において事情を知ってくれている数少ない貴重な知り合いなので、親しくしてくれる事はむしろ大歓迎だ。

「うーん…まぁ、智輝君が呼びやすいなら…いいか」

 最終的に遥がちょっとためらいがちに「遥ちゃん」呼びを肯定すると、智輝は「あざーっす!」とまた脱帽しながら元気のいいお辞儀を見せた。その溌溂とした如何にも同世代の少年らしい様子に遥は自然と笑みをこぼしながら、智輝は二人の兄とは余り似ていないなと、ふとそんな事を思い至る。

 兄二人はアウトレイジだったり王子様だったりと中々にインパクトが強いが、末っ子の智輝は愛嬌ある親しみやすい感じのごく普通の少年だ。光彦と晃人も余り似ていないが、智輝はそのどちらとも似ておらず兄弟三人三者三様といった感じである。強いて言えば智輝は目元が光彦と似ていなくはないものの、表情豊かなせいもあって受ける印象は大分違っている。

「うーん…?」

 もっと他に兄達との相似点は無いだろうかと、遥がまじまじ観察していると、智輝はパッと帽子を目深にかぶってその顔を影に隠してしまった。

「むっ…」

 遥は見えなくなってしまったその顔を下から覗き込もうとその距離を詰めていくが、智輝の方は妙に慌てた様子でそれに合わせて後退る。

「お、俺そろそろ着替えないと!」

 ついに智輝は勢いよく踵を返して、遥の返事も待たずにかなりの駆け足で部室棟の方へと姿を消してしまった。

 残された遥は急にどうしたのだろうと小首を傾げるばかりで、智輝を慌てさせてしまったのが自身の無自覚な距離感に依る物だとは到底気付く由もない。

 智輝が居なくなってしまったので、そこに留まる理由がなくなった遥は気を取り直して校舎へと向かって歩みを再開させる。気付けば周囲には登校して来た多数の生徒達や、朝練習を終えた部活組で賑わっており、朝の学校は俄かに活気づいていた。

 身体が小さく歩幅の狭い遥が、後から登校して来た生徒達に追い抜かれながら、昇降口を目指していると、何やら正門の方が少々騒がしくなる。沙穂と楓の事が解消された今でも相変わらず危うきに近寄らずがモットーである遥は我関せずと、そのまま歩みを続けていたが、騒ぎを引き起こしている原因の方から遥の元へと近づいてきた。

「遥さん、おはようございます」

 後ろから掛けられたその声に遥が振り返れば、そこに居たのは塚田兄弟の次男、晃人である。朝一から周囲の熱い視線を集める王子様振りを如何なく発揮しているあたり流石といった所で、道理で正門の方が騒がしかった訳だ。

 余り目立ちたくない遥としては正直大勢の前で声を掛けられた事は少々困った事態と言えなくもないが、かと言って既知の間柄であり生徒会室での一件もあるのでそうそう邪険にする事もできはしない。

「えっと…おはよう…」

 そんな戸惑いがちだった返しに、晃人はにこやかな笑顔を見せて「いきましょう」と遥を促し昇降口へ向かって歩き出す。無視するわけにもいかない遥がそれに付き従って歩みを再開させると、晃人は歩調を合わせてくれている様で二人は並んで歩く形になった。

 晃人の横を歩く遥は周囲からの羨望や嫉妬の視線を感じ取りながらも、ふと先程の智輝の件を思い返して、ついつい兄弟の似ているポイントがないかと晃人の顔をじっと観察してしまう。改めて見ても晃人は正に王子様然とした甘いマスクで、本当に兄弟なのだろうかと疑いたくなるほど光彦や智輝とは全く似ていない。

「うーん…?」

 引き続き遥がまじまじと観察しながら首を傾げさせていると、晃人は僅かに苦笑して何やら一つ頷きを見せた。

「ご友人の件、上手く纏まった様で本当に良かったです」

 その口ぶりに先日晃人が「願いを叶える」と言ってくれた事を思い返した遥は、もしかしなくても昨日の出来事には晃人が大きく貢献しているのではないだろうかと思い至る。今にして思えばあの時美乃梨が取った奇策は、何事にもストレートな彼女らしくない搦め手ではあったし、遥の認識が正しければ沙穂や楓との接点は合同体育位の物で親し気にしている場面は見た事が無いのだ。それらの要素と、亮介が『晃人に指示を出してある』と言っていた事を加味すれば、昨日の出来事は亮介が立案して、晃人がそれを実現させるための段取りを整えたと考えるのが妥当だろう。

「晃人君が話を付けてくれたんだよね?」

 思い至った事を確認する遥の問い掛けに、晃人はまた僅かに苦笑してかぶりを振る。

「僕は寺嶌先輩の指示に従ったに過ぎません…」

 遥の願いを叶えると大見得を切った手前、晃人はその施策が自らに依る物ではない事を少々無念がっている様だった。ただ遥にしてみればその発案者が亮介であろうとも、自分の為に晃人が動いてくれた事は間違いが無いとなれば、いずれにしてもその事に関しては感謝の気持ちしかない。

「晃人君、ありがとう」

 遥が感謝の気持ちと共にその愛らしい顔立ちで花の様な笑顔を見せると、晃人もそれに笑顔で応えてくれたが、ややあって何やら少々難しい顔をした。

「遥さん、今日の昼休みにまた生徒会室まで来ていただけますか?」

 遥はその申し出に少し首を傾げて「うーん」と考えを巡らせる。

「生徒会室じゃないと駄目? 四階まで行くの大変で…」

 遥にしてみれば晃人の素性と立場が明確になっている今、呼び出しに応じる事自体は吝かでは無いのだが、赴くには少々難儀な生徒会室の立地が些か障害だった。

 晃人は生徒会室というロケーションに遥が難色を示している事を認め、人差し指で自分のこめかみを数度叩いて思案の態勢に入る。

「あっ、あれだったらボク達がよく使ってるカフェで放課後にとか…」

 校内の有名人である晃人と会うのであれば、学外の方が無難な気がした遥の代案に晃人は思案の姿勢を解いて「分かりました」とそれを快く受け入れてくれた。

「えっと、駅前のアーケードにあるメリルっていうお店なんだけど」

 遥は店名を告げながら場所を説明しようとブレザーのポケットからスマホを取り出し、プリセットの地図アプリを立ち上げる。

「えーと…」

 今一使い慣れないアプリに遥が手間取っていると、晃人が手の平を掲げて「大丈夫です」と説明の必要がない事を告げて来た。

「その店であれば、何度か利用した事がありますから場所は分かりますよ」

 その言葉に遥がほっと胸を撫で下ろしスマホをポケットに収めたそんなタイミングで、二人は昇降口へと辿り着き、ここから先は一年生と三年生ではそれぞれ下駄箱の位置も教室の階も違うため別行動だ。

「それではまた放課後に」

 その言葉に遥が「うん」と頷きを返すと、晃人は最後ににこやかな笑顔を見せて自分の下駄箱へと向かっていった。

 残された遥がはたと気づけば、周囲からは何やら物申したげな視線が多数送られてきており例外なくその送り主は女生徒である。改めて晃人の存在感の稀有さと、女の子特有の面倒くささを思い知らされた遥は、少々げんなりとした気分になって、視線を振り切る様に小走りで自分の教室へと逃げ込んだ。


 自分の教室へと足を踏み入れた遥は、先日晃人によって生徒会室へ呼び出された件がまだ余韻として残っているのか、周囲のクラスメイト達から俄かに注目の視線を浴びせられた。遥にとってそれは決して居心地のいいものでは無かったが、直接話を聞こうと詰めかけて来る様な勇気ある者がいなかった事は幸いである。

 遥が朝からちょっとうんざりとした気分になりつつ自分の席へと向かっていると、既に登校して来ていた楓が自分の席から大きな仕草で手を振って「カナちゃんおはよう!」と挨拶をしてくれた。

「ミナ、おはよう!」

 楓に笑顔で挨拶を送り返した遥は、それまでの若干辟易としていた気分が嘘の様に、一気に気持ちが明るくなってゆく。楓と学校で会える事をこれほど嬉しく思った事はかつて無いだろう。

 自分の席へと辿り着いた遥がリュックから取り出した勉強用具を机に収めていると、教科書とノートを抱えた楓が傍までやって来て「カナちゃん、カナちゃん」と朝から困り顔を見せる。

「ワタシ、今日こそ数Ⅰ当てられそうなんだけどどうしよぅ…」

 これまでであればそんな風に甘えて来る楓の様子は遥に小さく溜息をこぼさせる案件であったが、勿論今ではそんな事は無い。むしろ楓に甘えてもらえる事が、心底嬉しくて仕方なかった。

「えっと、昨日はどこまで進んだのかな?」

 一日空けてしまった遥は、机から今し方収めたばかりの教科書とノートを取り出し授業進度を楓に確認する。

「んーと…、ここの関数のところまでやったかなぁ…?」

 自信なさげに教科書のページをめくって答える楓に、遥はちょっと苦笑しながら次の授業内容は恐らくこのあたりだろうという当たりを付けて予習と復習を開始させた。

「えっと、この式の右側を展開すると、まずこうなるんだけど―」

 遥がノートと教科書を使って要点を解説していくと、楓はうんうんと頷いたり小首を傾げさせたリしながら、自分のノートにそれらを書き込んでゆく。遥がふと楓のノートに目をやれば、楓は言われた事全てを書き込んでいる上、隅々には何やらイラストを描き添え、各項目を色とりどりの蛍光ペンでマーキングしたりと、実に賑やかなノート作りを行っていた。

 一見すればそのノートは華やかで女の子らしい物ではあるのだが、遥の眼からは内容がかなり読み取り難く、中々の難文書と化しているように思えてならない。

「そのノート、後で見返して自分で分かるの…?」

 遥が思った疑問を投げかけると、楓は自分のノートを数ページぱらぱらとめくって首を傾げさせる。

「えっと…わかんないかも…」

 その答えに遥は思わず苦笑して楓が勉強を苦手としている理由の一端は間違いなくこれのせいだと確信した。このままではテスト前に復習を行う事も難しそうで、ともなれば早めに手を打っておくに越した事は無い。

「教科書に書いてある事はページ数を書き込んでそれを参照すれば十分だから」

 遥が予習復習に交えて見やすいノートの取り方についても楓にレクチャーしていると、教室前側の扉から今日も朝から随分と眠たげな沙穂が姿を現した。

「カナ、ミナ、おはよー」

 遥と楓が揃っている事を認めた沙穂は少し微笑んで挨拶を送りながら、自分の席へと向かってゆく。

「なぁに、カナはまたミナを甘やかしてんの?」

 遥の席を横切りざま、朝から教科書とノートを広げている二人を一瞥した沙穂は、欠伸混じりに呆れた様子だ。

「ボクも復習になるし、それに昨日休んじゃったから丁度いいよ」

 遥が自分の為にもなっている事を告げると、沙穂は「あっそぉ」と気の無い返事を返し、そのまま自分の席に着くなり机に突っ伏し仮眠態勢へと突入してしまった。

 楓に勉強を教えたり、沙穂がそれに呆れながら仮眠へ移行したりと、そんな朝の風物詩とでもいえる光景に、遥は高校復学以来一番穏やかな気持ちになって思わず笑みをこぼす。今までは親しくしてくれる二人に対してどんな態度を取ればいいのかと、頭を悩ませていたがもうその必要は無いのだと思うと実に晴れやかな気分だ。

「えっと…、どこまで説明したっけ…?」

 遥が仮眠に入った沙穂から楓へと視線を戻し、レクチャーを再開させようとすると、今度は朝から相変わらずめっぽう爽やかな青羽がクラスメイト達に「おはよう」と挨拶を送りながら教室に飛び込んできた。

「二人ともおはよう。奏さんはもう体調良いの? 無理しないでね?」

 挨拶を送りながら右隣の席に着いた青羽は、優しくも善良なその性格をもって、ナチュラルに昨日休んでしまっていた遥の体調を気遣って見せる。

「あっ、うん全然大丈夫」

 青羽の問いかけに遥は手をパタパタと泳がせ、ズル休みしてしまったバツの悪さから曖昧な笑顔で返事を返した。

「そっか、なら良かった」

 遥の体調が良好である事を認めた青羽の安心した笑顔に、遥もつられて明るめな笑顔を返したが、ふと周囲の女子達からの余り友好的ではない視線を感じ取とって、直ぐに笑顔を引っ込める。

 普段であれば青羽はこの後、遥達の予習に参加したがるのが通例で、そうなれば遥は周囲の女子たちから一層険の有る視線を向けられるのだが、幸い今日青羽は他の男子生徒に話しかけられて、そちらへと意識を移してくれていた。そのまま青羽が男子生徒と談笑しながら他の友人達の輪に混じっていくのに合わせて女子たちからの視線も解除された為、遥はほっと胸を撫で下ろす。

「続き、やろっか」

 遥がレクチャーを再開させる旨を切り出すと、どこか呆けた表情で青羽を目で追っていた楓が顔を赤らめながら慌てて教科書にと向き直った。

「う、うん!」

 遥は楓の様子に苦笑をしつつも、青羽はやっぱり美乃梨の言った通り親しくするには向かない「駄目」な相手である事を改めて実感する。青羽本人に悪意は無いにしても、せっかく本当の意味での平穏な高校生活を送られるようになったというのに、変な言いがかりをつけられてトラブルに巻き込まれてしまっては堪った物ではないのだ。

 遥はそんな事態を未然に防ぐべく、何の罪もない本人には少々申し訳なく思いつつも、頭の中で青羽の名前を危うきに近寄らずリストの筆頭へと登録したのだった。

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