3-12.友情と恋心
遥達三人が駅前のロータリーに辿り着くと、駐車した車の前で缶コーヒーを飲んでいる賢治の姿を遠巻きに確認する事ができた。
「もしかしてアレ…?」
耳打ちする様に顔を寄せて、小さな仕草で賢治の事を指し示した沙穂の問い掛けに、遥はぎこちない動きで頷き返す。
「う、うん…」
肯定の返事を受け取った沙穂はその表情をニッと緩ませ、肘で遥の脇腹あたりを軽くつついてきた。
「ちょっと、凄いイケメンじゃないの」
沙穂の口にした「イケメン」という言葉に反応した楓は身を乗り出して件の人物の姿を確認するや否や「かっこいい…」と感嘆の声を上げる。
「あんな人と幼馴染なんてうらやましい…」
女友達二人に親友を絶賛された遥は何やら誇らしい気がしつつも、一方では二人が賢治の事を異性として好きになってしまわないかと気を揉まずには居られない。賢治の幼馴染を長い事やってきた経験上、そのモテっぷりは今更語るに及ばない、遥にとっては常識と言っても過言ではない事柄である。
「だ、駄目だからね?」
思わず遥の口から二人に釘を刺す様な発言が飛び出ると、沙穂が一段とニヤニヤとして、楓の方は何やら感激した様に目を輝かせながら満面の笑顔だ。
「大丈夫よ、あんたの好きな人とったりしないから」
沙穂が遥の不安を嗜めれば、楓もうんうんと頷きそれに同意する。
「むしろカナちゃんとあの人が恋人になれる様に応援するよ!」
二人の言葉に遥はどこかほっとしつつも、「好きな人」「恋人」という直球な二つのワードから堪らず顔が真っ赤になってしまった。
「うぅ…」
改めて自分が賢治に恋をしているという事実を強調された今、遥は殊更賢治と顔を合わせ辛い心境である。しかし遥の気持ちを他所に賢治の方が遥達三人の姿を見つけてしまった様で、片手を軽く上げながらゆっくりと歩み寄って来た。
「ハル、迎えに来たぞ」
いつもの落ち着いた口調と共に笑みを湛えた賢治が直ぐ側までやって来ると、遥の鼓動は俄かにスピードを上げてただでさえ赤かった顔はもう耳の先まで真っ赤である。
「あ、ありが…と…」
到底真っ直ぐ顔を見られる心境ではなく俯き加減でもじもじする遥の一方で、沙穂が一歩前に出て賢治に向かい普段はしない余所行き感満載な笑顔を見せた。
「はじめまして、カナの友達で日南沙穂っていいます」
まず名乗り出た沙穂が後ろに回した手で手招きする仕草を見せると、それに楓が反応して少々慌てながらも賢治に向ってペコリと頭を下げる。
「あっ、ワタシは水瀬楓デス! カナちゃんには仲良くしてもらってます!」
二人から自己紹介をされた賢治は、初対面の女子高生を前にしても臆することなく、沙穂と楓を交互に見やって落ち着いた口調で名乗り返した。
「俺はハル…遥の幼馴染で、紬賢治だ。二人の事はハルから少し聞いてるよ」
名乗りと共に遥との関係を告げる賢治に、沙穂は引き続き余所行きの笑顔でニコニコとして人差し指を立てながら小首を傾げたりして見せる。
「賢治さんってすごくカッコいいですね。彼女とかいるんですか?」
その突然な問い掛けに賢治は一瞬驚いた顔を見せ僅かに苦笑したが、すぐにまた元の落ち着いた調子にもどって「いや」と簡潔に答えを告げた。
「えー! いがぁい! モテそうなのにぃ!」
大袈裟に驚いて見せながら遥の方にチラリと振り向いた沙穂は、何やら意味ありげにウインクを送って来る。どうやら遥の為に探りを入れてくれた様ではあるが、賢治に彼女がいない事は遥にとって既知の事柄なので若干余計なお世話だ。
「あ、あのっ!」
沙穂の調子に感化されたのか、はたまた遥の為にと意気込んだのか、今度は普段控えめな楓が意外な大胆さで賢治の方へと身を乗り出した。
「どんな子がタイプですか?」
新たなる問い掛けに再び苦笑を見せた賢治は、これに対しては即応せず、顎に手を当てがい思案の態勢を取る。
「あんまり考えた事なかったな…」
答えを探して若干困った様子で首を捻っている賢治の様子に、遥は妙に気持ちがソワソワとして、答えを聞きたい様な聞きたくない様な実に微妙な心境になった。もし賢治が大人っぽくてスタイルの良い子が好みだと言った日には、ちんまりとして平坦な体型を有するあからさまな幼女である遥は目も当てられない。そうでなくとも真人間である賢治が幼女みたいな子が好みだ等と言う訳が無い事は自明の理だ。かつては冗談で「ロリコン」等と言いもしたが、賢治がそうでない事は長年連れ添って来た遥が一番良く知っている。
「け、…賢治は女の子が苦手なんだよね…?」
結局答えを聞くのが怖くなった遥が堪らず話に割って入ると、賢治はどこかほっとした様子で思案を中断してそれに頷いて応えた。
「あぁ、まぁそうだな。それに今は他に優先したい事もあるから、彼女とか恋愛なんて考えられないってのもある」
賢治に穏やかな眼差しで「な?」と同意を求められた遥は、その「他に優先したい事」が自分についてだと察しながらも、それはそれで中々に複雑な心境である。
「あー…うん…。そだね…」
賢治が親友という立場で自分との時間を大切にしてくれるのは非常にありがたい事だが、こんな調子では遥も恋愛という領域には踏み込んでいきにくい。賢治が自分の恋心に気付いてくれるまでは待つと決めてはいるものの、これには流石に先が思いやられて小さくため息を付いてしまう遥だ。
「カナ」
遥が若干落ち込みそうになっていると、不意に沙穂が振り返り、余所行きの笑顔から友達の顔になって小声で耳打ちをしてくる。
「これは長期戦ねぇ…」
それに「えっ?」と聞き返す遥だったが、沙穂はそれには応えず、また余所行きの笑顔に戻って賢治の方へと向き直った。
「もうこんな時間ですね。あたしそろそろ帰らないとぉ」
遥と賢治が今直ぐどうこうなりそうも無いと判断した沙穂は、どうやら今日の所はこれで撤退する様だ。
「何だったら二人も送っていこうか?」
賢治がしたその提案に、二人きりになるのが気まずい遥も頷き同調したが、対して沙穂はニコニコと笑いながらも左右に首を振る。
「あたしは電車なんで大丈夫です。ミナも近いから平気よね?」
話を振られた楓は一瞬きょとんとしてちょっと首を傾げていたが、沙穂に肘でつつかれ目配せを受けると「あっ」と声を上げ慌てた様子でしきりに頷きを見せた。
「ワタシは全然一人で大丈夫です! カナちゃんと二人で帰ってあげてください!」
若干口を滑らせてしまっている辺り如何にも楓らしいが、どうやら沙穂の意図は正確に伝わった様だ。
「そうか、分かった」
賢治も断りを入れて来る二人に対し、それ以上好意を押し付ける様な真似はしなかった為に、この後遥が賢治と二人きりで帰る事は確定である。
「あぅぅ…」
遥はあからさまな気の回し方をする沙穂と楓に恨めしい視線をおくりつつも、それが彼女達なりの好意と応援の意志である事もまた理解できた為に、強く引き留める事も出来はしない。
「それじゃカナ、また明日学校でね」
話しが纏まったとばかりに沙穂が早速と分かれの挨拶を切り出すと、楓もそれに続いて遥に向って笑顔で手を振った。
「カナちゃん、また明日!」
この後の事はともかくとして、沙穂と楓が「また明日」とそう言ってくれた事は遥にとって間違いなく嬉しい事柄だ。改めて二人と友達で居られる実感が湧いた遥は二人に愛らしい笑顔で明るく手を振り返した。
「明日はちゃんと行くね!」
今朝は沙穂と楓に遭うのが辛くて休んでしまった学校も、これからはそんな憂いもなく通えるのだとそう思うと遥は今から明日が待ち遠しくて仕方がない。むしろこれからの帰宅プロセスをスキップしてとっとと明日になってはくれないだろうかと、そんな事すら思ってしまうのはこの後の事考えれば致し方ないだろう。
「カナの事よろしくお願いしますね」
沙穂は最後にそう言って賢治にお辞儀をすると、意味深な目配せを遥に送ってから駅の改札に続く階段へと姿を消してゆく。
「じゃあ、ワタシもこれで!」
沙穂の背中を見送った楓も賢治にペコリと頭を下げ、遥とすれ違いざま小声で「頑張って!」という一言を残して軽快な足取りで自分の家へと向かっていった。
残された遥はいったい何をどう頑張ればいいのか、あれやこれや要らぬ想像を働かせて堪らず顔が熱くなる。賢治と二人で家路につく事は、かつて毎日の様に繰り返されていた日常だが、今はその意味合いが少々違った物に感じられてならない。抱く感情が恋心ともなれば、二人だけの家路なんて如何にも甘いシチュエーションだ。
「ハル」
遥が一人赤い顔で俯き妄想にふけっていると、不意に賢治が名を呼びその大きな手でポンと肩に触れてきた。
「うにゃっ!?」
不意を突かれた形になった遥は、思わず変な悲鳴を上げて今にも飛び上がらんばかりの過剰反応である。余りにもな反応をしてしまった気まずさから遥が恐る恐る上目で窺えば、賢治の方はいつも通りの落ち着いた様子で穏やかな笑顔を見せた。
「俺達も帰ろうぜ」
遥の小さな悲鳴を別段気にした風もなく、賢治は実に普段通りの調子で帰宅を促し車に向って歩き出す。遥が少々慌てながらその斜め後方に付き従えば、賢治は振り返らずに小さく声を漏らして笑った。
「な、なに…?」
遥が賢治の後ろをちょこちょこと追いかけながら、その笑いの意味は何か問い掛けると、賢治は振り返らず「何でもない」と応え左右に首を振る。この時もし遥が正面に居たのならば、普段は余り見られない賢治のちょっとだらしなく緩んだ笑みを見られた事だろう。
二人が程なくして車に辿り着くと、賢治は近づく最中に遠隔でロック解除済みだった助手席のドアを開け遥の方へと向き直る。
「ほら、乗ってくれ」
遥は賢治と車の助手席を交互に見やって、車というある種の密室で賢治と隣り合って座る事を考えると、また彼是想像してしまい今一つ踏み出せない。遥が自分の指定席とも言える賢治の隣に座る事をこれほど躊躇した事はかつて無いだろう。
「どうした?」
中々車に乗り込まないその様子を怪訝に思った賢治が腰をかがめて覗き込む様に顔を近付けて来ると、遥はぎょっとしてその場で固まってしまった。
「あっ…えっと…」
遥は間近にある賢治の顔にしどろもどろになりながらも、その眼差しに窺える優しい色合いに釘付けとなって、恋心を改めて胸の内で花咲かせる。
「…すき」
それは無意識の内に思いがけず漏れ出た言葉だった。
数瞬後、遥は自覚無く口にしてしまった本心にはっとなり、言い繕う事も忘れて咄嗟に自分の口元を両手で押さえ付ける。過去二度ほどその言葉を伝えた事はあったが、一回目は遥自身が親愛の気持ちとして認識していた為意味合いが異なり、二回目は賢治の方が親愛の気持ちとして受け取ってしまった為その意図は伝わっていない。ただその都合と意味合いはともかくとしてどちらのシチュエーションもその言葉を使うのに不自然でない状況ではあった。しかし今のは余りにも唐突過ぎる明らかな不審発言だ。
過去最大級の気まずさで遥が戦々恐々としながら賢治の顔を覗き見ると、賢治は不思議そうな顔をして少し首を捻り顎に手を当てがっていた。
「すまん、いま何か言ったか? よく聞き取れなかった」
どうやら賢治には先程の不審発言は聞かれていなかったらしい。聞こえていながら白を切っている可能性が無い事はその表情を見れば、付き合いの長い遥には瞭然だ。
「な、何でもないよ!」
遥は内心かなりほっとしながらも気まずさを誤魔化す様に、さっきまでの躊躇も忘れてそそくさと助手席へと逃げ込んでゆく。それを認めた賢治は助手席のドアを閉め、それから運転席側へとまわり自分も車へと乗り込んだ。
「はぁ…」
今のは危なかった、と胸中で冷や汗を流しながら遥がシートベルトを締めていると、賢治の大きな手が不意に頭に触れ、いつもの様に少し乱暴にそのふわふわの髪をかき乱してきた。
「…んむっ!」
遥はまたしても声を上げてしまいそうになったが、今度は何とかそれを喉元で抑え込む。お馴染みのスキンシップ一つとっても今日はやたらにドキドキしてしまう事から遥が妙な自己嫌悪に陥っていると、賢治がふと穏やかな面持ちでぽつりと呟いた。
「ハル…良かったな…」
脈絡のないその言葉に遥が「えっ?」と声を上げて賢治を見やれば、その表情は穏やかながらもどこか寂し気で、遥は少しばかり不安になって小首を傾げさせる。
「ど、どうしたの? ボク…えっと…何か…」
何かしてしまったのだろうかと、今日賢治に会ってからの事を振り返った遥は、かなりぎこちなかったであろう自分の態度を思い出して頭を抱えそうになった。ただ、賢治は「良かった」とそう言ってくれている為、これは別の事柄だ。そうであれば、遥には考えるまでも無く思い当たる事は一つしかない。
「あっ…ヒナとミナの事…?」
遥が上目で見やりながら確認すると、賢治は頷きそれを肯定する。
「あぁ、ちゃんと友達になれたんだろ?」
事情を知っていたのかそれとも先の様子から察したのかは分からないが、やはり賢治は遥の思い至った通り友人問題が解決した事を言っている様だった。
「うん…美乃梨が助けてくれたんだよ…」
遥が今日起きた出来事について簡単に説明をすると、賢治は大きく息を吐いてまた少し寂し気な表情を見せる。
「俺は何の力にもなってやれなかったな…」
その言葉でようやく賢治の心中を察した遥は、賢治が示すそれは厚い友情なのだと理解して、先程まで華やいでいた恋の花達は自然と脇へと追いやられていった。
「賢治…」
遥は両手でやんわり自分の胸元に触れ、恋心の代わりにその中心へ据えられた親友との絆を感じ取り、賢治に向って今日一番自然な笑顔を見せる。
「賢治はいつも傍に居てくれたよ」
今回の件に関して言えば確かに賢治は直接何もしていないかもしれない。ただそれでも最初に悩みを聞いてくれて、その事を知っていてくれていたという事実は、遥にとって一つの心の支えになっていた事は間違い様が無いのだ。
「そうか…」
遥の笑顔を目にした賢治は遥の頭から手を退け、乱した髪を整えてやりながらまた一つ大きく息を吐く。
「前にも言ったと思うが、俺はハルに甘えて欲しいんだ…」
賢治はもっと自分を頼ってほしいと、至って真剣だったが、「甘える」という単語は友情モードになっていた遥の胸に恋心を呼び戻すのには十分すぎる言葉であった。
賢治がそれを精神的な事柄として口にしているのは理解しつつも、ついつい、ぴったりと身を寄せたり、ぎゅっと抱き着いたり、あまつさえ今日美乃梨がしてくれたように膝の上に抱えてもらったりと、そんなあれこれを想像して遥の体温が一気に上昇してゆく。
「んーー!」
堪らず遥は自分の顔を両手で覆って、声にならない悲鳴と共に身悶えしてしまった。
「ど、どうした…? 俺何か変な事言ったか?」
突然の奇行に賢治は困惑した様子で助手席に身を乗り出してくるが、それがまた一層遥の動揺に拍車を掛けてしまう。
「うぅ…」
遥は終始ドキドキさせられっぱなしの自分と、今は困惑してはいるが大凡で普段通り落ち着いている賢治の様子に何やら不公平感を覚えて、こうなったら賢治をちょっとは慌てさせてやろうと、どこかそんな開き直った思考に至った。
「賢治…」
恋心を悪戯心で包み隠した遥はパッと顔を上げ、間近にある賢治の身体をやんわりと押し戻しながら一つ咳払いをする。
「じゃあ、家に帰ったら思いっ切り甘えるから覚悟しといてよね!」
半ばヤケクソ気味に遥がそう言い放つと、賢治は若干戸惑った様子ながらも、心底嬉しそうな顔で穏やかに笑った。
「あぁ、分かった。何でも言ってくれ」
そうと決まれば善は急げと賢治はエンジンを始動させ、二人を乗せた車は自宅へと向かって進み出す。帰りの車内で賢治を直視できない遥がフロントガラスに映るその顔を盗み見ると、その表情は妙に上機嫌で、そんなに甘えて欲しかったのだろうかと、そう思うとそれはそれでまた胸の内にある恋心がソワソワと華やいだ。




