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2-27.理解と誤解

 謎の感情を前に堪らず自室に逃げ込んだ遥は、ベッドの上で膝を抱え酷く落ち込んでしまっていた。賢治に親愛の気持ちを伝えたかっただけの筈なのに、かつては何の抵抗もなく言えた言葉だった筈なのに、今はそれがうまく言葉に出来ないでいる。それだけならまだしも、謎の感情に苛まれ思わずその場から逃げ出してしまったのだ。落ち込んでしまうのも無理は無い。

 自分がちゃんと気持ちを伝えられなかったせいで、もしかしたら賢治は傷付いたかもしれない、そんな事を考えると妙に切なくなって思わず涙が溢れそうになった。

「うぅ…」

 遥は左右に首を振って切ない気持ちと溢れそうだった涙を無理やりに振り払う。そんな時ふと傍らに置いてあった自分のスマホが目に入った。

「あっ…」

 遥はスマホを手繰り寄せ、そこにぶら下がる可愛らしいマスコットチャーム付きの携帯ストラップを指先でそっとなぞる。それは賢治と二人、揃いで買い合った友情の証に他ならない。賢治もそれをちゃんと使ってくれていた事を思い返し、遥はその厚い友情に応える為にも、せめてメッセージで先刻の事を詫びようと思い至る。

「えっと…」

 早速スマホを操ってLIFEを起動した遥だったがしかし、一体何と送ればいいのかと頭を悩ませしばし画面と睨み合ってしまう。ただ「ごめん」と送るだけでは言葉足らずも過ぎるし、かといって「ちゃんと好きって言えなくてごめん」と言うのも何か違う気がしてならない。そもそも何故ちゃんとそう言えなかったのかが上手く説明できないのだ。

「うー…」

 メッセージの文面を考えあぐねた遥が一人唸り声を上げていると、不意にスマホが軽快な音を立て美乃梨からメッセージが送られて来た旨を知らせて来た。遥はこのタイミングでのメッセージに少々ビクつきながらも、賢治に対する謝罪文の作成を一旦中断して、送られて来たばかりである美乃梨からのメッセージを確認する。

『遥ちゃんが賢治さんの事大好きでもあたしあきらめないよ!』

 そんな言葉の後に追加で、「負けない!」と吹き出しに描かれたガッツポーズするネコのスタンプが更に送られて来た。

 如何にも美乃梨らしいスタンプのチョイスに僅かに気持ちが和んだ遥だったが、その前文「賢治の事を大好き」という文脈からまた心がソワソワと落ち着きなく騒ぎ出す。

「あぅぅ…」

 再び謎の感情に苛まれた遥は、自身ではまるでコントロールできない心の動きを前に、到底賢治に謝りのメッセージを送れるような心境ではなくなってしまった。結局自分で理解できない物を賢治に上手く説明する事などできはしないし、ともなれば何をどう謝ればいいのかさえも分からなくなってしまったのだ。

「はぁ…」

 遥は一つ大きく溜息を付くと、それ以上考えるのを放棄してそのままベッドへと倒れ込む。そして現実逃避するかのように枕を手繰り寄せ、それをぎゅっと抱いてそこに顔をうもれさせるも、ややあって自分がまだ制服を着たままである事に気が付いた。

「スカート…皺になっちゃうかな…」

 遥はふらふらとベッドから立ち上がり、プリーツのひだを整えつつ姿見の脇に脱いだままにしてあったブラウスとジャンパースカートがまだそこにある事を確認する。早速着替えを開始しようとスカートのファスナーに手を掛けた遥だったが、丁度そんなタイミングで自室の扉がノックされ着替えは中断を余儀なくされた。遥は仕方なく下ろしかけていたスカートのファスナーを再び上げて部屋の扉へと向かって行く。

「はぁい…」

 恐らく兄の辰巳だろうと気の無い返事をしながら扉を開けると、そこに立っていたのは遥の予想に反して辰巳からのバトンを受け取った母の響子であった。

「ただいま遥、ちょっと入っても良いかしら?」

 普段は帰宅の挨拶をすれば、直ぐに立ち去っていく響子が、何やら用向きが有りそうな事を遥は怪訝に思ったが、一人であれこれ考えてネガティブになるよりは幾分もマシな時間の使い方だと、素直に頷き母の入室を歓迎する。

「制服、良く似合ってるね」

 遥の制服姿を目にしてにこやかに笑った響子は、背中を押して遥をベッドの方まで誘導すると、先に腰を下ろし、隣を軽い手つきでポンポンと叩いた。

 促されるまま響子の横に座った遥は俯き加減になって力のない笑みをこぼす。

「ボク…、ちゃんと女子高生に見えるって、淳也と光彦が言ってくれたよ…」

 その言葉に響子は「よかったね」と微笑み遥の背中を優しくさすった。

「淳也君達、遥のお誕生日をお祝いに来てくれたんですって?」

 遥は母の問い掛けに小さく頷き返しながらも、折角集まってくれた友人達の気持ちも考えず、謎の感情に振り回され逃げ出してしまった自身の行動を省みてまた切ない気持ちを募らせる。

「皆、来てくれたのに…なのにボク…」

 罪悪感と情けなさから遥の瞳から涙がぽつりと零れ落ちた。

「賢治にだって…ボク…酷い事を!」

 零れ落ちた涙と共に遥は堪らず気持ちを溢れさせる。いつも傍で支えてくれている賢治、自分の身を案じて思いがけないプレゼントを贈ってくれた賢治、柄にもないストラップをちゃんと使ってくれていた賢治。そんな賢治を自分は傷つけてしまったかもしれない。そんな思い込みから遥の胸は張り裂けそうだった。

「遥は、賢治君の事大好きだものね…」

 響子の優し気な声にはっとなって顔を上げた遥の顔が紅潮していたのは涙と興奮のせいばかりではない。

「ボク…どうして…」

 賢治の事を想えば想う程、意識すればするほど、その心は乱れ平静では居られなくなる。そんな理解できない自身の心境を前に遥がまた俯いてしまうと、響子の手がそっと優しく肩に触れた。

「遥が戻ってから、賢治君はずっと傍で助けてくれていたから、遥は前よりももっと賢治君の事を大好きになっちゃったのね」

 諭すような響子の言葉に遥は再び顔を上げ、涙の溜まった瞳で母を見やる。

「そう…なのかな…」

 不安げな遥の問い掛けに響子は優しく頷き返した。

「自分の気持ちに自信を持ちなさい」

 その言葉と、母の慈しむ様な眼差しを受けて遥は涙を拭う。未だその胸の内では謎の感情が膨らみ続けてはいるものの、それが母の言う様に今まで以上に積み重なった賢治をより強く想う親愛の気持ちなのだとすれば、それは遥にとっては受け入れられる物の筈なのだ。

「それなら…ボク…、賢治に…ちゃんと言わなきゃ…」

 遥はベッドから立ち上がって気持ちを確かめる様に自分の胸元に手を当てる。生来の親友で、自らの半身とも言える賢治の事が大好きなのは、今更疑い様もない事だ。ただ、自分の理解が及ばない程にまで膨らんでしまったこの気持ちを、賢治は果たして今までの様に受け止めてくれるのだろうか。遥がふとそんな不安を覚えて逡巡していると、響子が自信に満ち溢れた笑顔を見せる。

「大丈夫、賢治君ならちゃんと分かってくれるわ」

 そう断言した母は、あの何でも見通している兄辰巳の元祖とでもいうべき存在で、そんな母の言葉は遥にとって最大限の信頼に値する確かな物だった。

「そう…だよね…」

 母からの後押しを受けて、遥は胸の前でキュッとこぶしを握りこむ。賢治は分かってくれる、今までもずっとそうだったのだから、きっとそれは今でも変わらない筈だ。今自分がこうして、奏遥として立っていられることが、何よりの証明に他ならない。遥はそう自分に言い聞かせて前を向く。

「ボク…賢治の所に行ってくる…!」

 遥は自らの想いを確かめ、その想いを伝えるべく、誰よりも大好きな賢治の元へと向かって部屋を飛び出した。ただ遥は、その想いが示す本当の意味を未だ正確に理解できていないままだった。


 遥が部屋を飛び出す少し前、賢治は自分の部屋で挑む様な眼差しの美乃梨と相対していた。

 辰巳によって追い帰された賢治が遥の家を出たところ、待ち受けていた美乃梨に捕まり、話があると言われた為だ。

「で、なんだ?」

 ベッドに座る賢治が問い掛けると、対面する形で椅子に腰を落ち着けていた美乃梨は恨めしそうな顔を見せ次には何やら落胆した様子になって項垂れる。

「賢治さんは…、遥ちゃんの事どう思ってるんですか…?」

 その質問に賢治は一瞬ギクリとしたが、一度大きく息を吐き努めて平静を心掛ける。

「ハルは親友だよ…」

 それはある意味本心であり、またある意味では欺瞞だった。遥に対する秘めたる想いを本人に告げられない以上、親友と言う最も確かな関係性は遥の傍に居続けたいと願う賢治にとっては一つの拠り所なのだ。

「賢治さん…ズルいですよ…」

 普段活力の権化であるような美乃梨が項垂れる様は、在りし日に遥の病室で向き合ったあの時の姿を思い起こさせる。しかし、賢治には美乃梨をその様な心境に追い込んでいる物が何であるのかが分からなかった。

「一体何だって言うんだよ…」

 塞いだ様子でいる美乃梨の真意が測れず賢治は困惑を隠し得ない。遥の好意を示した言葉が親愛の気持ちであった事がそれほどショックだったのだろうかとも考えたが、今までの例からいってその程度でへこたれる美乃梨とは考えにくい。

「遥ちゃんは…、賢治さんの事大好きなのに…」

 顔を上げた美乃梨の瞳は悔しさ、もどかしさ、口惜しさ、そして幾ばくかの羨望、それらが入り混じった実に複雑な心境をのぞかせていた。

「そんな事…お前に言われなくても分かってる…」

 遥が自分に対して強い親愛の気持ちを持っている事は賢治にとっては既知の事柄だ。それを持って賢治が一蹴すると、美乃梨は目を見開き俄かに興奮した様子で賢治に詰め寄った。

「賢治さん分かってないです! 遥ちゃん、さっきあんな…あんなに…!」

 美乃梨は先刻遥が見せた完全に仕上がっていた様子を思い浮かべて胸が苦しくなる。それは何も遥が自分では無く賢治を選んだからではない。

「あたしのせいで…」

 美乃梨は再び項垂れ、ぽつりとそんな言葉を漏らす。遥と賢治が親友として深い絆で結ばれている事を知っている美乃梨は、遥の芽生えさせた感情が二人の関係を壊してしまうかもしれないと感じ、そしてそれは自分を助けたがために遥が女の子になってしまったからに他ならないと、そんな罪悪感に苛まれていた。

「おい、一体何の話をしてんだ、分かる様に言ってくれ」

 感情と思考がダイレクトな美乃梨の言動は傍から見れば難解を極め、その言葉の意味も、塞ぎ込んでいるその訳も、賢治は全く理解できずに唯々困惑するばかりだ。

「あたしは女の子同士だって気にしないのに…」

 尚もその心情のままに振る舞う美乃梨を前に賢治はもうどうしたらいいのかが分からず、これだから女は、と内心でそんな事を考えながらも、どこか辛そうな美乃梨を放っては置けなかった。

「ハルはその内本気でお前を好きになるかもしないだろ…」

 それは本心を圧した上での賢治なりの気遣いの言葉だったのだがしかし、それを聞いた美乃梨は瞳に涙を溜めながらもきつく眉を吊り上げる。

「賢治さんのばかぁ!」

 そのまま一気に感情を溢れさせた美乃梨は、賢治に迫ってその胸板に両手を叩きつけた。

「遥ちゃんは賢治さんが大好きなのに! なんで! なんで!?」

 感情と共に賢治に向って数度両手を叩きつけた美乃梨はそのまま崩れる様にして、賢治の胸に額を預けさめざめと泣き始めてしまった。

「全然意味がわかんねぇよ…」

 賢治は突如感情的になって複雑さを増すばかりの美乃梨の言動に、何故自分が責められなければならないのかと、怒りにも近い釈然としない気持ちを覚得ずには居られない。しかし賢治は自分の胸で泣き崩れてしまった女の子に対してキツく当たれるほどの辛辣さは持ち合わせてはいなかった。

「勘弁してくれ…」

 妙な気まずさを感じながらも、泣きすがる美乃梨を無理に引き剥がす事ができず、しばらくこのままでいるしかないかと賢治が諦めかけたその時だ。

「賢治!」

 部屋の扉が勢いよく開け放たれるのと共に、弾むようなその声が室内に鳴り響く。

「ハル…!」

「遥ちゃん…!?」

 賢治と美乃梨がその名を驚愕と共に口にしたのはほぼ同時の事だ。そこに姿を現したのは、一層強さを増したとされる親愛の気持ちを伝えようとやって来た遥に他ならなかったが、その訪れは、その場に居合わせた誰しもにとって、正に最悪のタイミングだった。

「ボクちゃんと―」

 ノックもなく扉を開け放った遥は、賢治の部屋で繰り広げられていた光景を目にして思わず固まってしまう。ベッドに座る賢治の胸に寄り添う美乃梨、そんな図式を見れば誰だってあらぬ誤解を抱いたはずで、遥もそれに漏れず何か立ち入ってはいけないプライベートでロマンティックな場面だと誤解していた。

 予定外の人物が登場した事で賢治と美乃梨が愕然となっている間に、遥は思わず部屋の入口から一歩二歩と後ずさる。

「ご、ごめん…ボク…知らなくって…」

 戸惑った様子の遥が更に一歩後退すると、これは不味いと直感した美乃梨は咄嗟に賢治から距離を取ったが時すでに遅い。

「遥ちゃん、違うの!」

 弁解しなければと美乃梨が声を上げたのと同時に扉は開け放たれたその時以上の勢いで閉ざされ、そして遥のパタパタとした軽い足音が遠ざかっていく残響だけがそこに残された。

「ど、どうしよう…」

 美乃梨が青ざめた顔を向けると、賢治ははっと我に返ってベッドから立ち上がる。遥が何を思いやってきて、何を感じ立ち去って行ったのか賢治には分からなかったが、ただ賢治はその目でハッキリと見ていた。遥の酷く傷ついた表情を。

「ハル…」

 その名を噛みしめると賢治は部屋を飛び出し走り出す。何よりも、誰よりも大切な遥の後を追うために。

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