2-23.贈り物
「遥ちゃん、生クリーム付いてるよ!」
切り分けられたケーキを遥が頬張っていると、既に自分の分を食べ終わった美乃梨がハンカチを取り出して口元を拭ってくれた。
「ありがと」
遥は簡素にお礼を述べるとフォークで一口大に切り取ったケーキを再び口へと運ぶ。辰巳の焼いたケーキは有名洋菓子店の物だと言われても信じられそうな上品な味わいで、実はそれ程甘い物が好きではない遥でもスイスイと食べられてしまう絶妙な仕上がりだった。
「ケーキ食べてる遥ちゃん可愛い…」
美乃梨は一心にケーキを口に運ぶ遥の姿に頬を緩み切らせだらしのない笑顔を見せる。
「ハル、苺食うか?」
自分のケーキに乗っていた苺をフォークに刺して賢治がそれを差し出すと、遥は口の中に残っていたケーキを飲み込み賢治のフォークにパクリとかぶりついた。
「あぁぁ! 賢治さんズルい!」
賢治の手から直接苺を口にした遥の様子を目の当たりして当然美乃梨は黙っていられない。
「あたしだって遥ちゃんにあーんしたい!」
そう言って自分のフォークを手に取った美乃梨だったが、既に自分の分は食べてしまった後なので、遥に対して差し出せるケーキも苺もすでに残ってはいなかった。しかしそこで諦める美乃梨ではない。自分の分がなければ遥の分を使って、と早速行動に移そうとした美乃梨だったがしかし、丁度そんなタイミングで遥は自分の分を平らげてしまう。
「ぐぬぬ…」
遥に手ずから給仕をするという美味しいシチュエーションを諦めきれない美乃梨は、誰か他に食べ終わっていない人はいないかと、周囲を見回したが皿の上にケーキを残していたのは寄りにもよって賢治ただ一人だけであった。
「け、賢治さん…、そのケーキちょっと分けてください…」
美乃梨が苦渋の表情で唯一残っている賢治のケーキを指し示すと、賢治は口角を上げたニヤリとした笑みで美乃梨からケーキを遠ざける。
「賢治さんの意地悪! こうなったら実力で奪い取るんだから!」
いきり立った美乃梨はすくっと立ち上がるとフォークを構え猛然と賢治のケーキに迫っていくがしかし、賢治もケーキを乗せた皿を持ったまま立ち上がり、美乃梨の猛攻をかいくぐりながらケーキを口に運びその量を着実に減らしていくという器用な芸当を見せ応戦する。
遥がまた始まったな、とそんな賢治と美乃梨の攻防を生暖かい目で見守っていると斜め向かいに座っていた真梨香が身を乗り出しちょいちょいと指先で遥を突っついた。
「ん、真梨香どうしたの?」
突っつかれた遥が向き直り尋ねると、いつもの三割増しでニコニコとしたゆるい笑顔の真梨香は手をパーにして遥の方に向けてくる。
「遥くん、手出して?」
遥が何だろうかと思いながらも要求に応え右手を差し出すと、真梨香はその上にピンクのリボンが掛かった小さな箱をちょこんと乗せた。
「お誕生日プレゼントだよぉ」
真梨香はニコニコしながらそう言うと「開けてみて?」と早速の開封を要求してくる。
「えっ、ありがとう真梨香」
プレゼントまで貰えるとは思っていなかった遥は唐突だった贈り物に少々びっくりながらも、真梨香に促されるままにリボンを解いてその中身を確かめる。
「わっ綺麗…!」
クッションが敷かれた箱の中にはパールとスワロフスキーが四葉のクローバーを形作る、非常に凝った意匠のヘアピンが三本組で納められていた。
「ありゃ、ちょっと被っちまったか?」
真梨香のプレゼントを目にした淳也は少々気まずそうに苦笑しながら、真梨香の物と似たようなサイズの小さな箱を遥の目の前に置いて見せる。
「えっ、淳也も?」
真梨香だけでなく淳也までもがプレゼントを用意してくれていた事に遥が驚きを隠せないでいると、そんな遥に向って亮介は眼鏡をキラリと光らせ不敵に笑った。
「全員用意しているに決まってるだろう」
どこに隠していたのか亮介がニ十センチ程の長方形をした包みを遥の前に置くと、それに続いて光彦も小箱を一つ取り出し淳也と亮介のプレゼントの横にそれを添える。
「あっ、もうプレゼントタイム?」
それまで賢治と私闘を繰り広げていた美乃梨も場の流れに気が付き賢治を追い回すのを止めて、部屋の隅に置いてあった自分のトートバッグに遥のプレゼントを取りにと向かった。
「ったく…、あいつの相手はホント疲れるな…」
美乃梨から解放された賢治はそんな事をぼやきながら、一足先に遥の元へと合流して、この隙にとばかりに残っていたケーキを一口で平らげる。最後の一人だった賢治がケーキを食べ終えた事で辰巳が食器を持ってキッチンの方へと消えてゆくと、それと入れ違いで美乃梨が戻って来きた。
「おっまたせぇ」
美乃梨は明るくそう言うと、ちょっと洒落たデザインのショッパーを他のプレゼントの横にと置いて実に良い笑顔を見せる。
「皆ありがとう!」
遥が胸前で手を握って感激と共に感謝の気持ちを表すと、一同がその愛らしい様子に暖かい眼差しを送って、奏家のリビングが今日一番和やかな空気に包まれた。それから遥は皆の要望もありプレゼントを一つずつ順に開封していくこととなった。
まず最初に開けたのは淳也のプレゼントだ。
「わっ、これも凄く綺麗だね!」
淳也のプレゼントは本人が被ったと言っていた様に、真梨香と同じく髪飾りだったが、こちらはヘアピンではなく青と緑のストーンが散りばめられた蝶のモチーフの付いたヘアクリップだ。
「こういうのも今後入用かと思ってな」
少々照れくさそうな笑みで淳也はそれを選んだ理由を述べ「後でセットしてやるよ」と美容専門学校に通っている成果を披露してくれるとの事だった。
「ありがとう淳也!」
淳也に感謝を述べると次に遥は亮介からのプレゼントである長方形の包みに手を掛ける。
「亮介のは本でしょ?」
遥はその形を目にした時点でそれが自分の好むハードカバー書籍である事に気が付いてた。手に取った際の馴染みあるずっしりとした重みもそれを証明している。
「来栖誠之助の初期作だぞ」
亮介が口にしたその名前は、本好きの遥が特に愛好している作家の一人だ。
「わっ、凄い! これ欲しかったやつ!」
包みを開け本のタイトルを確かめた遥は予想通りで予想以上だった贈り物を前に喜びの声を上げる。来栖誠之助は一般的にはマイナーな作家でお世辞にも売れているとは言い難く、刊行されている作品の多くが既に絶版となっており、その中でも亮介が用意した物は発行部数が少なく今では入手困難な相当にレアな一冊だ。
「こんな貴重な本、ありがとう亮介!」
亮介に向って満面の笑顔を向けると遥は次に、光彦からの贈り物である小箱を手に取った。
「次は光彦のだね」
真梨香や淳也の物より一回り大きいその小箱の中身を光彦の性格から予測する事は難しく、遥が素直にそれを開封してみると、中身は遥が以前愛用していたスポーツウォッチのブランドが女性向けに展開をしている姉妹ブランドの腕時計だった。
「本家はデカいからな」
光彦の言葉通り元々遥が持っていた本家ブランドの方は男性向けのかなり大振りなデザインである為、今の幼女である遥の細腕には到底見合わない。それに比べ光彦の選んだ物は本家よりも一回り小振りなので今の遥でも違和感なく付けられるだろう。
「かっこいいねぇ!」
艶消しのクリアブルーで形成されたボディと立体的な文字盤が印象的なのアナログ時計は男の子視点でも十分カッコいいと思えるデザインだ。
「腕時計丁度欲しかったんだ! 光彦ありがとう!」
遥は以前愛用していた時計を事故で損失してしまっていたので、光彦のプレゼントはニーズにピッタリとハマる贈り物であった。
続けて遥が美乃梨のプレゼントであるちょっと洒落たショッパーからその中身を取り出そうとすると、それを贈った本人である美乃梨が慌ててそれを制止する。
「ここではそれ広げない方が良いかも…」
そう言いながら真梨香意外、つまり男性陣をちらりと見た美乃梨の様子に遥はもしやと思い、そっと中身を確認すると、そこには予想通り色とりどりのパステルカラーで賑わう女性用下着が多数収められていた。
「あー…うん、可愛い…っぽいね?」
美乃梨はどうしても遥に可愛らしい下着を付けさせたいらしく、ついにはそれをプレゼントと言う断り辛い方式で提示してきた訳だ。
「う、うん、とにかくありがとう!」
今では遥も美乃梨の言い付け通り女の子らしい下着を毎日ちゃんと着用しているので、これも今後有難く使わせてもらう事になるだろう。
「最後は俺からだ」
目の前に用意された友人達からのプレゼントを一通り検め終わった遥の前に、賢治が手のひら大の箱を一つ置く。賢治もしっかりと誕生日プレゼントを用意してくれていた様だ。
「開けてもいい?」
その問い掛けに賢治は少々気恥ずかしそうにしながらも「ああ」と頷きを見せたので、遥は早速と箱を開け中身を取り出したが、そこに姿を現したのは遥だけでなく他の友人達すらも全くもって予想し得なかった物だった。
その贈り物は、一見するとパールホワイトのティアドロップ型キーホルダーの様ではあるが、キーホルダーにしては妙なボタンや見慣れない紐が備わっておりどうにも様子がおかしい。
「賢治…これ…何?」
贈り物と贈り主を交互に見やって遥が怪訝な表情で問い掛けると、賢治は腕を組み若干目線を反らしながら一つ咳払いをする。
「防犯ブザーだ」
賢治がその正体を明らかにすると、思わずその場に居た全員が一瞬静まり返った。妙なキーホルダーと目されていたそれは言われてみれば確かに納得の正に防犯ブザーで相違ない。
「ぼ、防犯ブザーって! 賢治お前すげーセンスしてんな!」
じわじわと来たのか、淳也がやや遅れた反応で賢治の選んだ誕生日プレゼントを前に涙を流しながら大笑いし始める。
「GPS機能付きだ」
爆笑する淳也を尻目に賢治はいたって真剣な面持ちで、自身の贈り物の利点を遥に向って解説しだした。曰くスマホと連携して常に位置情報を把握できるようになっているらしく、加えてブザーが作動した際には予め指定した相手に位置情報をメッセージで共有させる通知機能が備わっているとの事だ。
その機能が優れているらしい事は理解できた遥だがしかし、防犯ブザーと言えば小学生が学校や親から持たされるアイテムというイメージがある為、四月から再び高校生をやろうかと言う自分がそれを、しかも親友から持たされるというのは大変もって遺憾としか言いようがない。
「何で防犯ブザー…?」
一層怪訝な面持ちになって遥が問い掛けると、賢治がそれに答えるよりも前に亮介がスッと眼鏡を押し上げ妙に感心した様子で口を開いた。
「遥、これは中々良い物だぞ」
亮介は意外にも賢治の贈り物に対して高評価の様である。
「マリも良いと思うなぁ」
亮介に続いて真梨香もゆるゆるとした口調で賢治の贈り物を肯定する。
「賢治さん、やりますね…、正直この発想はなかったです!」
更には賢治とはライバルの様な間柄でもある美乃梨までがそれを高く評価したので、それまで爆笑していた淳也が何か取り残されてしまったと気が付き「あれ?」と首を傾げさせた。
「み、光彦はどうなんだ?」
淳也が窺えば、光彦は無言ながらも妙に感心した様子でしきりに頷きを見せているので、少なくともその贈り物に対して否定的では無いだろう。
「淳也、お前さっき自分で遥の事を『手が付けられない美少女』だと言ったろう」
亮介のその言葉に淳也は「おぉ」と感嘆の声を上げ手の平を打って納得の仕草を見せたがしかし、それを贈られた当の遥だけは依然釈然としない気分のままだ。
「ボク高校生なのに…?」
防犯ブザーはあくまで小学生が持つ物であると言う固定観念を持っている遥は、それを肯定する友人達の意見を前にしてもやはり抵抗があるのだ。
「ふむ…」
承服しない遥の様子を認めた亮介は眼鏡を中指で押し上げると、真梨香に何やら耳打ちをして遥を指し示す。遥が一体なんだろうかと、そのやり取りを訝し気に思っていると、真梨香がゆらりと席から場から立ち上がって、軽快な足取りで直ぐ側までやってきた。
「遥くん覚悟ぉ」
真梨香はそんな全く緊迫感の無い掛け声とともにパッと両腕を広げて遥に掴みかかる。
「えっ? ちょっ、真梨香?」
その突然な行動に遥が困惑している間にも、真梨香はいとも容易く遥を組み伏し、しっかりと床に固定してしまった。
「遥、その状態から自力で脱出してみろ」
亮介に言われるまでもなく、遥はこの良く分からない状況から逃れようと、先程から必死にもがいていたのだがしかし、抑え付ける真梨香の力が意外なほど強く到底抜け出せないでいる。
「むりぃ…」
遥がついぞ脱出できぬまま体力を使い果たしてぐったりとすると、亮介が「もういいぞ」と声を掛け、それを合図に真梨香は拘束を解いてゆるゆるとした笑顔で元の席へと戻っていった。
「もー、一体何なの…?」
解放された遥が少し口を尖らせながらその真意を問い質すと、亮介は眼鏡を押し上げながら小さくため息を付く。
「分からんか? 今のお前は中学生の女子にすら敵わないって事だ」
そう言って真梨香を手で示した亮介を前に遥はようやくその意図を理解した。真梨香の拘束を解けなかったのはその力が強かったからではない、単純に自身が非力だったせいなのだ。
「そっか…ボク…」
高校生という肩書に少々浮かれていた節のあった遥は、改めて自分が貧弱な幼女である事を知らしめられてしょんぼりと肩を落とす。
「今の遥はすげー美少女だからなぁ、どんな変質者に目付けられるか分かったもんじゃない」
当初賢治の防犯ブザーというチョイスを大笑いした淳也も、今ではそれが遥には必要なアイテムであるとしっかり認識を改めている様だ。
「変質者だけじゃないよ! 高校には男の子一杯いるんだからね! 超絶可愛い遥ちゃんなんてあっという間に襲われちゃうんだから!」
若干興奮気味の美乃梨は、改めて危機管理意識をしっかり持ってほしいと、以前も展開した『超絶可愛い遥襲われる論』を再提唱する。
「賢治は遥が大事だから」
光彦が抑揚薄くぼそりと告げると、遥は賢治がそれを選んだ想いに気付いてはっとなった。
「賢治…ごめんね…ボク…」
賢治なりにちゃんと考えてくれた上での選択だったとその配慮を思い知った遥は、防犯ブザーという贈り物に対し少なからず嫌悪感を示してしまった申し訳なさからすっかり意気消沈して一層肩を落として俯き加減になってしまう。
「そんな顔すんなって、実はハルが嫌がりそうだってのは分かってたんだ」
そう言いながら僅かに苦笑を見せた賢治は、別段気落ちしてはいない様だった。
「高校までは付いてってやれないからな、まぁ、俺の代わりだと思ってくれよ」
遥は顔を上げ賢治の普段通りの落ち着いた様子を認めると、改めて親友の深い思い遣りの気持ちを感じ取って、賢治からの贈り物を手に取りそれを胸の前でぎゅっと握りしめる。
「賢治、ありがとう…大切にするね」
無事防犯ブザーを受け入れた遥を認めて、賢治がほっと胸を撫で下ろしていると、亮介がわざとらしい咳払いをして一同の注目を集めた。
「さて、誰が遥のブザーと対になる?」
その一言でリビングの空気は一瞬にしてかつてない程の緊張感につつまれる。遥のブザーと対になるという事は詰まり、遥の行動を常時監視できる事に他ならなかった。




