表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
193/219

5-24.想いを言葉に

 賢治が出掛けてから、一体どれくらい経っただろうか。

 体感的には既に一時間ほどは経っている様な気がするけれども、こんな場合の時間感覚が全くもって当てにならない事を遥は知っている。

 だから遥は、正確にどれくらい時間が経ったのかを知りたいと思う一方で、実際にそれを確かめてみるのが些か恐ろしくもあった。

「賢治さん…早く…戻って来ると良いね…」

 すぐ横で、青羽がポツリと漏らしたそれは、どちらかというと自身に言い聞かせている様でもあったが、賢治に早く戻ってきてほしいという意見には遥も完全に同意である。

「うん…」

 賢治は夕方までに戻ると言ったが、それまで後どれくらいあるのだろうか。現在時刻すら確かめられずにいる遥にそれを正確に知る術はない。

「賢治さんの言ってた夕方って…何時ごろ…なんだろうね…」

 そんな事を聞かれても、それこそ遥が知る筈も無く、答えられるのは精々一般的な夕方の定義くらいだ。

「…今の時期だと、日の入りは六時ごろ…だと思うけど…」

 遥は自分でそう答えておきながら、それがそのままこの問答における正解では有りません様にと願わずにはいられない。

「そっか…、そっかぁ…、賢治さんが出てったのって…二時過ぎだったよね…」

 そう言いながら青羽が手元のスマホをチラリと見やって顔を青ざめさせていた事は、俯いて自分の手ばかり見ていた遥の与り知らぬ所ではある。ただ、そんな遥でも、青羽が何を言わんとしているのかは、この上ないほどよく理解できた。

「うん…、そだね…」

 例え現在時刻を確認できずとも、例え体感時間が当てにならなくとも、午後六時までまだまだたっぷりと時間が在る事くらいは、遥にだって容易に想像できたのだ。だからこそ遥はそれがこの問答の正解では無い事を願わずにはいられなかった訳だがしかし、事ここに至っては、最早それもある程度は覚悟しておいた方が身のためなのかもしれない。

「うぅ…」

 遥はギュッと握り込んだ両手を胸元に沿えながら、自身に向って心の中で問い掛けてみる。賢治の戻りが午後六時ごろになるとして、果たしてそれまで耐え切れるかどうかを。

 部屋で青羽と二人きり、お互いがお互いを意識する余り、会話は途切れ途切れで、ろくに目も合わせられず、気まずさだけがただひたすらに有る。

 仮に、賢治が出掛けて行ってから、体感通りの一時間ほどがちゃんと経過していたとしても、現在時刻はまだ三時半を回ったかどうかで、午後六時まで二時間半はある計算だ。

 二時間半が長いか短いかは、勿論ケースバイケースで、どっかのお偉い理論物理学者なんかは、『魅力的な異性の隣に座っていれば、時間なんてあっという間だ』なんて嘯いたりもした。

 ただ、遥は今、それに大いなる異議を申し立てたい気分満々である。

 何せ、恋をしちゃえるくらいには魅力的だと思える「異性」であるところの青羽と結構な至近距離で隣り合って座っているというのに、時間の流れは速くなるどころか、募る気まずさに比例して、どんどん減速していっている気すらするのだ。

(これが…あと二時間半も…)

 そんな風に考えてしまうと、遥はもう気が気では無く、であれば自ずと先の自問に対する答えも決まってくる。

(そんなの…絶対に無理!!)

 それが、あれこれと考えてみた末に遥が導き出した結論だった。

 そもそも、ただでさえ初心で奥手な上、大してメンタルの強くない遥である。そんな遥が、このただひたすらに気まずい状況を二時間半も耐え切れる道理なんて、例え世界の物理法則がねじ曲がった処でまかり通る訳が無かったのだ。

(このままじゃ…気が変になっちゃうよ…!)

 遥はそうこうしている今も、隣に座っている青羽の存在を意識する余り、その息遣いや、微かに感じられる「男の子の匂い」なんかに物凄くドギマギとして、益々の気まずさをもりもりと募らせてゆく。

 せめて、何かもう少し会話らしい会話でもあればいいのだが、青羽の方ももうすっかりと黙りこくってしまっていて、それがまた一層の気まずさを助長してもいた。

(何か…話題! 話題さえあれば…!)

 今ここで話題にすべき事といえば、それこそ文化祭の件がマストではあったものの、もうすっかり気が動転していた遥のでは、それに気付くのも中々難しい。

(えっと…えっと…あっ、そうだ!)

 それでも遥はどうにかしてこの気まずい空気を打破しようと、何とかかんとか会話の糸口になりそうなネタを捻り出す。

「あ、あのね早見君! 『Bunny』は日本語にすると、『うさちゃん』みたいなニュアンスなんだよ!」

 必死で考えた割に、遥の口から飛び出したのはそんな割と仕様も無いマメ知識で、文化祭ネタにそこそこ掠っていただけに若干の惜しさが無いでも無かったが、総評としては中々に残念な感じであった事は否めない。

「へ、へぇ…そうなんだ…」

 案の定、遥のフリが些か唐突かつ脈絡皆無だった所為で、青羽はキョトンとした顔をして何とも気の無い感嘆を返して来るのが精々だった。

「あ、うん…そう…なんだよ…」

 結局、青羽の反応が芳しく無かった事で、遥もそれ上は話を膨らませられず、せっかく頑張って絞り出した話題もこれで敢え無く終了である。

(あぅぅ…)

 本当なら、遥はこの後、「ウサギ」を意味する英単語が他にも幾つかある事を教えたかったのだが、肝心の青羽が食いついてくれなければそれも蔵入りだ。

(うぅ…もぉ、どうしたらいいのぉ…)

 どうにかしてこの状況を打開したいが、もはや遥にはその方法が分からない。そして、方法が分からないからこの状況を打開し得ない。そんなドツボにはまり込んでしまった遥はもうすっかり涙目だったが、そんな折に今度は青羽の方から口を開いた。

「奏さん…あの…さ…」

 ドツボにハマっている遥を見兼ねたのか、それとも青羽は青羽でこの気まずさを打開したかったのか、その真意は分からない。分からないが、青羽の方から話題を提供してくれるのであれば、それはもう遥としては願ったり叶ったりではあった。

「ひゃい!」

 勢い余っておかしな返事になってしまったのはともかくとして、遥は賢治が出掛けて行って以降、ここで初めて青羽の顔をまともに見たかもしれない。

「あ、えっと…」

 この時点で、青羽が苦笑をうかべていたのは、きっと遥のヘンテコな返事が可笑しかったのからなのだろう。ただ、それもほんの少しの事で、次の瞬間にはもう、青羽の表情は極めて真剣な面持ちへと変っていた。

「奏さん」

 改めてその名を口にした青羽の眼差しは、痛いくらいに真っ直ぐで、遥は思わず息を呑んでしまう。

「は、はやみ…くん…?」

 どうして今、そんなにも真っ直ぐな眼をするのか、遥にはその理由が分からなかった。

 気まずさばかりが募っていたこの際なら、下らない冗談でも言ってくれた方が助かるのに、青羽はとても真剣で、何かある種の覚悟を決めた感すらあるのだ。

「ど、どう…したの…?」

 そう問い掛けながらも、遥はその答えを聞くのが少しだけ怖くも有った。青羽の真剣な面持ちと、その真っ直ぐな眼差しから、いつかの水族館の時みたいに、それが何かとても大切な「想い」である事だけはハッキリと感じ取れたから。

「俺…、俺は…」

 いつだって、想いと向き合う事は少なからず恐ろしい。

 想いと向かい合う事は、傷つく事や、傷つける事と常に紙一重だから。

 けれど、青羽は約束してくれた。何があっても、自分が傷付く事は無いと。

 だから遥は、もう無暗に怖がったりはしない。だから遥は、青羽の手をそっと握って、微笑んで見せる事だって出来た。

「うん…」

 青羽が何を言おうとしているのかは、やっぱり分からないけど、きっと大丈夫。いつかほどけてしまったこの手を、今こうしてまた繋ぐ事ができているから。

「奏…さん…」

 遥が重ねた手と、そこに込めた「想い」を受け止めて、青羽の表情がふっと柔らかくなる。

 ほら、大丈夫だ。

 遥のそんな確信と共に、青羽も想いを言葉にした。

「…好き…だよ」

 ほんの少しだけ躊躇いがちに告げられた青羽の想いは、いつかの様に劇的ではなかったけれども、いつかと同じ様にただ真っ直ぐ遥の心に届いて、胸の内いっぱいに広がってゆく。

「早見…くん…」

 身体が熱く感じられるのは、たぶん気の所為なんかじゃない。

「ぼ、ボク…」

 青羽の想いに応えたくて、遥も自身の想いを言葉に綴ろうとする。

「ボク…も…」

 その後に続けるべき言葉は、決まり切っている筈なのに、身体は熱く、頭もクラクラとして、想いが上手く纏まらない。シンプルな言葉に想いを乗せるだけなのに、どうしてこんなにも難しいのだろうか。

「奏さん…」

 もしかしたら、言葉になんかしなくたって、青羽にはもう伝わっているのかもしれない。けれど、青羽が言葉にしてくれたから、遥だってちゃんと言葉で伝えたかった。

「ボクも…! 早見君が…す、す…」

 たったの一言。言える筈。伝えられる筈。

 遥は今持ちうるありったけの気力を振り絞って、今度こそ、想いを言葉に綴る。

「……すきッ!」

 言った。言い切った。がしかし、残念ながら、そこが遥の限界だった。

「…あ…ぅ…」

 見る見るうちに、顔と言わず首筋まで真っ赤になって、そこから先は、もうある種の大騒ぎである。

「ふにゃーッ!」

 遥は突然の奇声を上げたかと思うと、頭を打ち付けんばかりの勢いでテーブルに突っ伏して思うさまに悶絶だ。

「ふぁあぁーッ!」

 元々、ただでさえ青羽を意識しまくって、一杯一杯になっていた遥である。そこへ来て、こんな如何にも恋人っぽいやり取りをしようものなら、それはもう悶絶しない方が断然嘘だった。寧ろ、ここまでよく頑張った方だが、その辺りは単衣に青羽が真剣に想いを伝えてくれたからこそだろうか。

「か、奏さん? えっ? あれ? ど、どうしたの…?」

 ついさっきまで何となくいい雰囲気だっただけに、とつぜんの悶絶に青羽が少々困惑してしまったのは無理からぬ話だとしても、遥からすればどうしたもこうしたも無い。

「だって! す、す、す、好きってーッ!」

 自分で言っておきながら、殊更の気恥ずかしさが込み上げてきた遥は、両手でテーブルをバシバシと叩きながら一層の悶絶だ。

「あ、あー…うん、…なんか…ゴメン…、何て言うか、その…つい…」

 遥が余りにも恥ずかしがるものだから、青羽もそれにつられてしまったのか、今更になって何とも気まずそうな様子でアタフタとする。ただその一方で、青羽がどことなく嬉しそうでも有った事までは、テーブルに突っ伏していた遥では気付き様も無い事だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ