5-21.前門の虎、後門の狼
賢治と青羽の関係性が「ライバル」へと更新されてから程なく、時計の針はそろそろ午後の二時を回ろうかという頃、遥はここへ来てかなり困っていた。
それは、クローゼットを引っ掻き回して惨憺たる有様にしてしまった部屋が一向に片付かなかったから、という事では勿論ない。
確かに、その作業は全てを元通りにしようと思えば相当の困難を極め、下手をすれば一日がかりも有り得ただろうがそこはそれ、差し当たっては目に見える範囲さえ何とかなっていれば良いのだからやり様は幾らでもある。
実際に遥は、賢治が青羽を足止めしてくれている間に、散らかした洋服を一先ず無理やりクローゼットに押し込んでおくという少々強引な手段を用いて、少なくとも見た目の上では綺麗に部屋を片付けられていた。
ただ、後の事を思えば、一日がかりだろうが何だろうが横着せずにせっせと部屋を片づけていた方が身のためだったかもしれない。
「ねえ奏さん、コレなんかどうかな? このタイプなら露出度は控えめだよ!」
左側から肩を寄せる様にして、参考画像を表示したスマホの画面を遥に見せて来たのは青羽である。
「いやいや、それよりもコッチのがよくないか? どうだハル?」
青羽の逆側から、同じくスマホを使ってまた別な参考画像を提示して来たのは、遥をさりげなく自身の方へ引き寄せる抜け目なさをも見せていた賢治だった。
「えっ…と…う、うーん…」
因みに、青羽が提案して来た衣装はショートパンツスタイルに燕尾のジャケットを合わせた亜流のバニーガールで、対する賢治が提案して来た衣装はウサ耳カチューシャを付けたゴスロリ系のメイドさんだ。
「賢治さん、これじゃぁバニーガールカフェじゃなくてメイド喫茶になっちゃいますよ!」
青羽の突っ込みは至極尤もではあったのだが、遥から言わせてもらえば、正直そんな事はどうでも良い。
「バカお前、良く見ろ! ちゃんとバニーでガールだ! ほれ、ウサ耳!」
女の子がウサ耳を付けてさえいればコンセプトからは外れないという賢治の主張はかなり強引で最早屁理屈の域でもあったが、遥からすればそんな事ももうこの際どうだって良かった。
「う、うぅ…」
ここで少し状況を整理しておこう。
まず、青羽が此処にいる理由は、勿論、文化祭の打ち合わせをする為で、これまでのやり取りからも分かる通り、それは今現在絶賛進行中だ。
次に、賢治が此処にいる理由についてだが、これに関しては方々様々な思惑があってその全てをここで改めて語るのは難しいとしても、一応の表向きとしては「響子に頼まれたから」という事になっている。
ただし、ここで一つ注意しておかなければならないのは、それがそのまま遥の認識でも有るのかといえばそこはまた少々話が別であった点だ。
それと言うのも、賢治がこの場に同席している数ある理由の中には、何を隠そう遥の思惑も含まれていたからである。
考えても見て欲しい。二学期が始まって以来、青羽とどう接すれば良いのかが分からずに、今日も朝からずっとソワソワばたばたしていた遥である。であれば、遥がいよいよという段階になって、青羽との対峙に尻込みしてしまい、ついつい賢治に泣きついてしまったとしても、それはもう仕方の無い事だったのだ。
要するに、賢治の同席は他でも無い遥自身が望んだ事でもあり、そんなこんなで今現在の状況が出来上がっていた訳だがさて、ここで本題へと立ち戻ろう。
「大体だな、バニーガールなんかよりもメイドの方が一般ウケするだろう!」
遥は今、困っていた。それも「かなり」困っていた。文化祭の関係者でもないのに賢治が余計な口を挟んで来て、話をややこしくするからでは勿論ない。
「それは…、そうかもしれませんけど、でもコンセプトはバニーガールカフェなんですって!」
青羽が実に真っ当な反論をしている間にも、遥はリアルタイムでものすごく困っていた。
「青羽、お前は頭が固いなぁ、コンセプトなんざ変えちまえばいいだろ」
堅物の代表格みたいな賢治が頭の固さを解くなんて世も末だが、今の遥にはその程度の突っ込みを入れている余裕すらなく、もう只々困り果てる一方だ。
「それにな青羽、よく考えてみろよ、ハルに着せるなら絶対メイドだろ!」
ここで一つ訂正しよう、賢治が余計な口を挟む所為で、遥はこれまでに輪を掛けてより一層困った事になったかもしれない。
「な、成程、確かに奏さんが着るならメイド服の方が…」
賢治の指摘を間に受けて、青羽がそれを真剣に検討し始めてしまったとなれば、これはいよいよもってまずい流れで、こうなると流石の遥も黙ってはいられなかった。
「ちょっ、ちょっとまって二人とも!」
遥がここで咄嗟の制止をかけたのは半ば必定だったとして、それに対する賢治と青羽の反応はどうだっただろうか。
「どうしたハル?」
「奏さん、どうしたの?」
右から左から、賢治と青羽がそれぞれに結構な近間から顔を覗き込んでくると、遥は堪らず大いにたじろいで、ともすればそのままここで押し黙ってしまいそうにもなる。
「えっ…と…、その…」
この際だから明かしてしまうと、さっきまでの遥が困っていた理由というのが他でも無い、右に賢治、左に青羽、というどう考えても心臓に優しくないこの位置関係故だった。
それは何ともはや、大変に情けない話しではあるのだが、そこはそれ、初心で奥手な恋愛若葉マークの遥だから仕方が無い。方や、大好きな幼馴染。片や、両想いの男の子。そんな二人に挟まれては困るなという方が無理な相談で、遥からすればその状況はさしずめ、前門の虎、後門の狼と言った様相ですらあったのだ。。
その為、遥は今だって二匹の猛獣に挟まれて引き続き物凄く困ってはいたし、その所為で先程制止を掛けた時に見せた勢いは最早風前の灯火である。ただそれでも、事ここに至っては、何としてでも遥は二人に物申さずにはいられなかった。
「あ、あの…えっとぉ…」
左右から青羽と賢治が注視して来る所為で、遥は見る見るうちに赤くなっていく顔を結局は俯かせてしまいながらも、何とかかんとか言葉を絞り出そうとする。
「ぼ、ボク…」
遥がその後に続けたい言葉は、別になんてことはない、「メイド服なんて着たくない」というただそれだけの事だったのだがしかし、賢治と青羽に見つめられながらでは、それだけの事を言うのにも相当の胆力が必要だった。
「ハル…?」
「奏さん…?」
遥があまりにもまごつくものだから、賢治と青羽は深刻な話しが始まるとでも思ったのか、妙に真剣な面持ちになってますますの視線を注いでくる。
「はぅっ…」
二人の視線がやけに熱く感じられたのは、きっと気の所為なんかではない。いや勿論、視線が熱を帯びる何て事は、どこかのコミックヒーローならいざ知らず、実際には有り得ない話なのだが、二人が見つめて来る所為で遥の体温がこの時幾らか上っていた事だけは確かなのだ。
「うっ…」
言いたい事はハッキリしているのに、熱を帯びた身体は思考をも妨げて、次第に遥はもう何が何だか分からなくなってくる。
「「う?」」
賢治と青羽が揃って繰り返したそれはただの苦悶で、遥はそれを別に意味のある音として発した訳では無い。がしかし、そこに遥が思っても居なかった意味を見出して、全くもって予想外の方向へ話を広げて行ったのが青羽であった。
「…そうか! 分かったよ奏さん!」
肝心な事はまだ何一つ言葉に出来ていなかったところのこれだ。遥が思わずキョトンとしてしまったのは言うまでも無いだろう。
「へっ…?」
これがもし、「言葉になんてしなくたって、好きな女の子の気持ちなら分かって当然」みたいな話だったなら、遥はちょっぴり青羽に惚れ直していたかもしれない。ただ、当然といえば当然だが、遥に負けず劣らず恋愛初心者である青羽に、そんなウルトラCを期待するのは流石に無理が過ぎる。
「う―ウサギ! ウサギでしょ! つまり奏さんはメイドよりもバニーガールの方に賛成なんだね!」
等とのたまって、青羽は自信満々、得意満面であったがしかし、当然ながらこれは訂正するのがバカらしいくらいには見当違いも良いところだった。
「青羽…、お前、実は結構なアホだろ」
さしもの賢治も青羽の超解釈には完全な呆れ顔で、その突っ込みも中々辛辣である。
「いや、でも奏さんは真面目だから、バニーガールっていうコンセプトをちゃんと守りたいんじゃないかなって…」
青羽のとんでも解釈は、一応、遥の性格を加味した上での推論だった様だが、どんな理屈を引っ付けようが不正解なものは不正解だ。ただ、青羽が余りにも素っ頓狂な事を言う物だから、遥は急速に力が抜けて、気付けば思わず声を立てて笑ってしまっていた。
「ぷっ…クッーあははは!」
遥が突然笑い出した所為で、今度は青羽がキョトンとする番であり、それと同時に自分の見解が全くの見当違いだった事にも気付いたのか、些か決まりが悪そうにもする。
「そ、そんな笑わなくても…」
そうは言われても、それまで少なからず気がはっていた反動か、遥は妙なツボに入ってしまい、なにかもう余計に可笑しくなる一方だ。
「だ、だって早見君、う、ウサギって…! あはははは!」
それからも遥は思うさま笑い続け、それが治まるまでは一分くらい掛かっただろうか。
「ご、ごめんね早見君、はー…でも、こんなに笑ったの久しぶりかも…」
思えば、二学期に入ってからというもの、遥の毎日は概ねで憂鬱だった。
そして、誤解を恐れずに言えば、その主原因となっていたのは、間違いなく青羽なのだ。それだけに遥は、正直に白状してしまえば、こんな事ならば青羽と両想いにならなければよかったと、そう思ったことがこれまでに何度かある。
けれども今、青羽のお陰で久方ぶりに思うさま笑って、なんだか物凄く心が軽くなった気もしていた遥は、もうそんな風には思わない。
調子の良い話かもしれないが、青羽の素っ頓狂な発言にここまで笑えたのは、きっと青羽の事が好きだからなのだと、遥は今その様に感じられていたから。
「早見君、何か…ありがとね」
笑いすぎた所為で目尻に溜まった涙を拭い去りながら、遥が述べた感謝に込めた想いは、果たして青羽にちゃんと伝わっただろうか。ただの苦悶だった「う」から「ウサギ」なんて連想をしてしまう青羽のことだから、もしかしたらまた見当違いをしているかもしれない。
「えっと…?」
案の定、青羽はキョトンとした顔をするばかりで、どうしてお礼を言われたのか今一良く分かっていない様だったが、遥はそれでも別に構わなかった。




