4-49.残したもの
「…あの…、えっと…もしもし?」
沙穂から文字通り押し付けられた顔横のスマホに向って、少しばかり遠慮がちな様子で青羽の通話に応じていたのは、確かに遥その人で間違いは無かった。
『…っ!?』
青羽にとって遥との通話は、満を持して繋がった正しくのホットラインであり、であればここは歓喜に打ち震えていていたとしても何らおかしくは無い場面であっただろう。
ただ、実際に青羽がその通り歓喜していたかどうかについては、どうにもこうにも少しばかり判断を保留にしておく必要がありそうだった。
特に、この時点ではまだ通話向こうの青羽から絶句という無言の反応しか返ってきていなかった遥の立場からすれば、その判断は殊更に難しいところである。
「早見…君?」
名を呼び掛ける遥の声が遠慮がちから戸惑いがちに移行しつつあったのも、正しく通話向こうの青羽が一体全体どんな様子で居るのか今一つ判断できずにいたからだ。
この段階で遥に読みとれていた事といえば、精々がスマホの持ち主とは別な人間が通話に応じた所為で青羽が驚いているらしい事くらいのものである。
「あのぉ…ボク…遥、あっ…奏…だよ?」
遥が下の名前を告げてからわざわざ名字に言い直したのは、その方が青羽には伝わりやすいと思ったからだが、流石にこれは気の回し過ぎというやつだった。
『…やっ! か、奏さんなのは分ってるよ!』
ここでようやっと通話向こうから絶句以外のまともな反応を返して来た青羽は、中々に慌てた様子で通話の相手が遥だと気付いていた事を差し当たって告げて来る。
「そっか…、ならよかった…かも」
そもそも、名乗るまでも無く、第一声の時点で青羽はそれが誰の声であるのかに気付いていたのだが、流石にそこまでは通話越しの遥には察し様のない事だ。
『奏さんなのは、分かってたんだけど…、何て言うか…、俺、まさか奏さんが出るなんて思ってなかったから…、その…すげぇビックリしちゃって…』
当然と言えば当然の感想を告げて来た青羽の声は、その言葉に違わず相応に困惑している様子で、この時点では遥が通話に応じた事を喜んでいる感じではまだ無かった。
尤もそれは、喜びよりも意表を突かれた驚きの方が先に立ってしまっていただけの事で、大枠で見れば遥と連絡が取れた事を青羽が喜んでいなかった訳はない。
しかしながら、青羽が自分に連絡を取ろうとしていたなんて事や、一緒に花火を見ようとして動いていたなんて事は、遥からすればそれこそ聞いた事のない知り様の話しだ。
それ故に、遥は青羽の驚きや困惑をそのままストレートに受け取ってしまい、何やら自分が通話に出てはいけなかった様な気にすらなっていた。
「何か…ゴメンね? ヒナが…その…変に気をきかせちゃって…」
青羽の思惑など知る由もない遥は、謝罪の言葉と共に自分が通話に応じた理由をざっくりと説明しながら、直ぐ横でスマホを保持してくれている沙穂の方に恨めしそうな視線を送る。
「…なによぅ、早見だし良いでしょ?」
視線に気付いた沙穂は少しばかり憮然とした面持ちでそんな抗議を返して来たが、遥としては全くもって良くは無い。
そもそもの話をすれば、遥は「早見から」とだけ告げられて、いきなり沙穂にスマホを押し付けられていた為、その段階からして既に色々と物申したい気分満載だったのだ。
勿論、遥だって今では曲がりなりにも両想いという形で青羽の事が好きなのだから、こうして話せる事を嬉しく思う気持ちが全く無いと言えばそれは嘘になる。
ただ、だからといって、否、だからこそ遥は、青羽を驚かせた上に、結構な感じで困惑させてしまっているこの状況に申し訳なさと幾らかの憤りを覚えもするのだ。
「ねぇヒナ…、早見君はボクが出ると思ってなかったって、凄く驚いてるけど…?」
遥が今し方青羽から聞いたままの言葉でもって物申すと、沙穂はいつもの呆れ顔で肩をすくめさせる。
「そりゃぁそうでしょ、だから面白いんじゃない」
遥はその言い草に思わずムッとして頬を膨らませたりもしたが、それを見ていた楓が沙穂の反対側からやけにニコニコとした顔で「まぁまぁ」となだめて来た。
「カナちゃん、こういう時はね、ちょっと悪戯っぽい感じで『ボクだよ? ビックリした?』とか言ってあげればいいんだよ! そしたら早見くんなんてもうキュン死まったなしだよ!」
楓のそれが一体全体どこで仕入れた知識なのかはともかくとして、既にニ三言交わしてしまった後でそんなアドバイスをされても今更に過ぎるというものだ。
「はぁ…もういいよぉ…二人共適当な事ばっかりぃ…―っと、早見君、ともかく…その…ゴメンね?」
小さな溜息を一つついて、大して実りの無かった沙穂や楓とのやり取りに見切りをつけた遥は、今一度の謝罪と共に青羽との通話を再開する。
『いや、全然大丈夫、奏さんは別に悪くないよ!』
遥が沙穂と楓の二人と実の無い話をしている間に、どうやら青羽は困惑から抜け出していたようで、その声はいつも通りの明るく爽やかな調子を取り戻していた。
「早見君…」
遥は依然として申し訳なく思う気持ちを幾らか持ちつつも、青羽があまり気に病んでいない様子である事には一先ずホッと胸を撫で下ろす。
がしかし、それも束の間、青羽が立ち直ったのと引き換えに、次の瞬間、今度は遥の方が困惑する番だった。
『日南さんのスマホに奏さんが出たのは確かにビックリしたけど、でも俺、奏さんに用があったから日南さんに電話したんだし、丁度良かったよ!』
それは、青羽が辿って来た経緯を知ってさえいれば、それほど不自然なところの無い説明ではあっただろう。だが、当然ながら遥は知らなかった。知っている筈が無かった。
「…ふぇっ?」
何も知らなかったが故に、遥が思わず素っ頓狂声を上げてしまったのも無理のない話である。何せ、自分が出た事には驚いたと言いながらも、自分に用があったから沙穂に電話をしたという青羽の説明は、事情をまるで関知していなかった遥からすれば、全くもって意味不明だったのだから。
『それでなんだけど、奏さん、もしよかったら、これから俺と一緒に―』
通話のこちら側で遥が些かの混乱を来しているとも知らずに、すっかり困惑から立ち直っていた青羽は矢継ぎ早に用件を告げてこようとする。
「ちょっ、ちょっとまって!」
このまま話が進んでは益々持っての混乱を免れないと思った遥が、咄嗟に青羽の言葉を遮ってしまったのもまた無理のない事だった。
『えっ? 何? どうしたの?』
突然の制止に通話向こうの青羽は少しばかり戸惑った様子だったが、遥からすればどうしたもこうしたも無い。
「えっ…と…、早見君は、ボクに用だったの…?」
このままでは混乱しかない遥は、何とかそれを解消すべく、青羽の説明にあった事柄の一つ一つを検証しようと試みる。
『そうだよ! だから俺、日南さんに電話したんだ!』
ここへ来て、やけに元気よく答えてくれた青羽だが、さも当然の様に告げて来たその「だから」という部分こそが遥には最も意味不明だった。
「えっ? 早見君、ボクの番号知ってるよね…?」
自分に用があったなら、自分のスマホに連絡をくれればよかったのではないかと、遥が当たり前の様にそう考えたのは、これもまた知らなかったからだ。
青羽がそれを何度となく試みていた事を、そして他でもない遥自身がそれに応じなかったからこその現状である事を。
『えっ? もちろん奏さんの番号は知ってるよ?』
青羽も青羽でどうにも察しが悪く、聞かれたままの事を素直に答えて来るものだから、遥は益々意味が分からずにいよいよもって混乱のるつぼに引きずり込まれそうになる。
「えぇぇ…?」
遥の訊ね方にも勿論問題は有ったのだが、いずれにしろこんな調子ではいつになったら正しい答えに辿り着けるか分かったものでは無い。
この時すでに時刻は夜の八時を間近に控えており、遥たちがお祭りの会場に辿り着いた頃にはまだ幾らか明るかった空ももうすっかり暗くなっていた。
それはつまり、今晩のメインイベントでもある花火の開始までさほど猶予が無い事を意味しており、もしもこのままこの間の抜けた問答が続けば、下手をしたらそれに間に合わない可能性すらもあっただろう。
そうなれば、それはもう青羽にとっては間違いなく最悪の事態というやつに他ならなかったがしかし、幸いな事にこの問答はそこまで長引く事は無かった。
遥のすぐ傍には、青羽とは違って「変に気をきかせちゃう」くらいには察しが良い事に定評のある大変に頼もしい存在が居たからだ。
「ねぇカナ…多分だけどさ、早見はあんたのスマホに電話してると思うわよ?」
遥の肩をチョイチョイとつついてから、その手首にぶら下がっている浴衣とお揃いの黄色い巾着を指差したのはそう、当然ながらの頼もしい沙穂である。
「ほぁっ…?」
遥は沙穂の指摘に今一度の素っ頓狂な声をあげてしまいながらも、その頭の中では今まで意味不明だった事柄の全てが一本の線で綺麗に繋がろうとしていた。
「あー、カナちゃん巾着にスマホ入れっぱだもんねー、それじゃぁ鳴っても気付かないかもだよー」
沙穂ほど察しは良くないながらも、一連のやり取りを横で聞いていた楓も何となく事の次第が理解できたようで、さもあり何と言った様子で納得頻りである。
実は楓の納得がちょっとだけ間抜けだった事は青羽以外には知り様も無い事だったが、それは沙穂の指摘と合わせて遥をより一層の正解へと導くには十分過ぎる程の役に立っていた。
「…っ! 早見君、ちょっとまってね!」
沙穂と楓のおかげで一気に正解と思しき所まで迄辿り着いた遥は、直ぐ様の答え合わせをすべく、巾着に手を突っ込んで自分のスマホを引っ張り出す。
そして、さすれば一目瞭然、確かに遥のスマホには、思わずギョッとしてしまうくらいの着信履歴がこれでもかと残されていた。
「あぁぁ! ご、ご、ゴメン早見君! 本当にゴメン! 着信あったのボク全然気づいて無かった!」
青羽が自分に連絡をくれていたと知った今、遥は今まで意味不明だった全ての事が腑に落ちると共に、もうただひたすら平謝りだ。
『あ、うん…、周りも騒がしいし、しょうがないと思うよ…』
そう言ってもらえるのは大変に有難い限りだが、これこそ遥としては申し訳ないの極みである。
「あぅぅ…メッセージもくれてたのにぃ…ほんとにほんとにゴメ―」
申し訳なさと自身の間抜けさ加減に最早半泣き状態の遥は、スマホの一画面には収まりきらない膨大な着信履歴を確認しながら、改めての謝罪を告げようとした所で不意にある事に気が付いて思わずハッとなった。
「―んにゃっ?!」
ハッとする余り告げかけていた謝罪の言葉を言い損ねてうっかりへんてこな鳴き声を上げてしまっていた遥は、普段ならそれを恥ずかしく思って咄嗟に取り繕ったりしただろう。
『クッ…か、奏…さん? フッ…クッ…ど、どうした…の?』
遥の上げたヘンテコな鳴き声をバッチリ聞いていた青羽は、どうやら何かしらのツボにはまったらしく、何事かを問い掛けながらも笑いを堪えている事が通話越しにも明らかだった。
おそらく青羽のそれは、遥の上げた鳴き声が可笑しかったというよりも、それがやたらと可愛らしかったが為の悶絶に近いものではあったのだろう。
ただいずれにしろその反応は、平時であれば遥の羞恥心を煽るには十分過ぎる効果をもっていた筈なのだがしかし、今回に限ってはそうならなかった。
何故ならば、遥は気付いてしまったからだ。
そして、それ故に遥は、最早その事で頭の中が一杯になって、半ば茫然となってしまっていたのだから。
「…か、カナちゃん? どうしたの?」
通話越しだった青羽とは違って、突如茫然となってしまったその様子を隣で見ていた楓が心底心配そうな面持ちで何事かを問い掛けて来ても、遥は直ぐに反応を返せなかった。
「ちょっとカナ、あんたマジでどうしたのよ!」
楓と同じくその突如の変容ぶりを間近で見ていた沙穂に肩を揺すられて、遥は引き続き茫然とはしながらもようやくそれに反応できる程度には我へと返る。
「あっ…、あの…ね…こ、コレ…」
そう言って遥が示したものは、大量の着信履歴が記録されたスマホの通知画面で、沙穂と楓には一瞬そこにどんな意味があるのか分からなかった。
遥のスマホには、確かにギョッとするくらい大量の着信履歴が残されてはいたものの、言ってしまえばそれだけなのだ。
「これが…何?」
「えぇとぉ…?」
頭を突き合わせながら遥のスマホを覗き込む沙穂と楓は、しばしの間首をかしげるばかりだったがしかし、ややあってから二人はほぼ同時に気が付いた。
「「これって…!」」
まるで示し合わせたかの様に全く同じ驚きの声を上げた沙穂と楓に、遥は相変わらず茫然とした様子でゆっくりと頷きを返す。
「うん…、賢治…から…、こ、こんなに…」
そう、遥のスマホに着信履歴を残していたのは、何も青羽だけでは無かったのだ。
寧ろ、青羽よりも多く、青羽よりも早くに、遥のスマホを大量の通知で埋め尽くしていたその着信履歴は、確かに賢治が残したもので間違いが無かった。




