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4-47.刹那のまたたき

 賢治と青羽がそれぞれの想いを胸に各々動き出していた頃、肝心要の遥はどうしていたかといえば、こちらは至極真っ当に絶賛お祭りを満喫中だった。

 賢治や青羽の入れ込み様と比べてしまうと、それは何ともはやお気楽極まりない話ではあるのだが、遥からすれば二人の想いや動向などはそもそも関知し様が無い事なのだからそこは仕方がない。

 無論、遥にだって賢治や青羽と一緒にお祭りを楽しみたい気持ちは当然あって、その当たりは概ね美乃梨が推測していた通りではあった。

 ただ、遥にとってそれは既に実現し得なかった「過去」の話であり、多少の未練は勿論ありつつも、当日を迎えた今ではもうきっちりと諦めがついているのだ。

 それだけに、賢治と青羽が自分の元に駆け付けようと動き出していたなんて遥には想像のしようも無い事で、そうであるならば、それはもう普通にお祭りを楽しんでいないなければ寧ろそっちの方が嘘だろう。

 特に遥はスタートの時点からして、「今日は思う存分に楽しみたい」という明確な趣旨をもって今晩のお祭りに挑んでいたのだから尚更だ。

 では、そんな遥が実際にどの様な具合でお祭りを満喫しているのかだが、それに関しては彼是と言葉を重ねるよりも直接見てもらった方が断然話が早い。

「あっ、ボク、次はアレやりたい!」

 此れこの様に、丁度たった今も興味を引かれた屋台を見つけて瞳をキラキラと輝かせている遥の実に楽し気なその様子から、まずは大凡の満喫ぶりが窺い知れるだろう。

 さて、それを踏まえた上で、次には今も繋いだままでいる楓の左手ごともたげて、「やりたい」と言った屋台の方を指し示している遥の腕に注目してみて欲しい。

 そこには、手首辺りからぶら下がっているピンク色の水風船が見て取れる筈で、これは言ってみれば、遥がお祭りを満喫して来たこれまでの軌跡だ。

「アレって…あぁ、金魚すくいね、オッケー」

 続いて、了承と共に率先して歩き出した沙穂が引く遥の左手首だが、そこで淡い緑色に光っているケミカルライトのブレスレットも軌跡の一つである。

「金魚すくいかー、定番だねー…ふふっ」

 そんな雑感を述べながら最後尾を付いてくる楓が妙にほっこりした笑顔を見せていたのは、帯の結び目に兎のお面を引っかけている遥の後ろ姿が何とも言えない愛らしさをかもしだしていたからだろうか。

 因みにこのお面は射的の残念賞である為、遥が欲しくて買った物では無いのだが、いずれにしろ、これもまたお祭りを満喫してきた軌跡の一つである事には違いない。

 こんな具合に、パッと見だけでもその満喫ぶりが随所に窺える訳だが、他にもカキ氷やフランクフルトといった形としては残らない食べ物系の夜店なんかも遥は当然の様に思う存分堪能して来ている事を付け加えておこう。

「おじさん、金魚すくい一回、お願いしまーす」

 程なく辿り着いた屋台の前で、沙穂が三人を代表して店主とのやり取りを始めている今この時も、遥は瞳をキラキラとさせ続けてもう楽しくて仕方が無いといった様子だった。

「まいどー、一回三百円だよー」

 沙穂が店主から告げられたお代を自分の巾着から取り出して、それと引き換えにポイを受け取っている最中にも遥はワクワクのソワソワで、最早その様子はどっからどう見てもお祭りに浮かれている幼女の其れである。

「はい、カナ」

 沙穂が店主から受け取ったポイを手渡した際にも、遥は完全に無邪気な幼女にしか見えない無垢な笑顔をパッと咲き誇らせていた。

「ありがとう!」

 明るい声で一言お礼を告げて、ぴょこんと飛び跳ねる様に意気揚々と金魚が泳ぐ水槽の前にしゃがみ込んだその様子も唯々微笑ましいの一言であろう。

「よーしっ、どの子にしようかなぁ」

 小さな身体を左右に揺らしながら沢山の金魚がちょこまかと泳ぐ水槽とにらめっこしているその様子もかなり幼女っぽいが、むやみやたらとすくい始めない辺りは流石慎重派の遥だ。

「ふふっ…、カナちゃん楽しそう」

 金魚の水槽とにらめっこしている遥の背中を見守っている楓も、その満喫ぶりに思わずの笑みをこぼしていたがしかし、その横では沙穂が少しばかり神妙な面持ちでいた。

「…無理してなきゃいいけど」

 沙穂がついそんな心配をしてしまったのは、おそらくお祭りの会場に辿り着くまでの間に遥が語って聞かせていた賢治に対する複雑な心模様についての話があったからだろう。

 変に気遣い屋な所の有る遥なら、自分たちを心配させない様、無理に明るく振る舞うくらいはするかもしれないと、沙穂はきっとそんな風に思ったのだ。

「うーん…、大丈夫じゃないかなぁ? カナちゃん元々今日のお祭り凄く楽しみにしてたんだし」

 楓も道中に同じ話を聞いてはいるものの、こちらは比較的楽観的な様子で、一応の根拠も添えた上で沙穂の考えは杞憂であるとする。

 ただそれでも沙穂は尚神妙な面持ちを崩さず、こちらはこちらで心配するに足る根拠を一つ論った。

「いや、でもさ…、いくら楽しみにしてたからって、流石にちょっとはしゃぎすぎな感じしない…?」

 それは実に鋭い指摘であり、確かに遥の基本的な性格を考えれば、幼女の外見に全く違和感が無い程のはしゃぎ様というのは逆に違和感を覚えて然るべきではあるだろう。

 勿論それもまた遥の新たな一面という可能性も全くない訳では無いが、少なくとも沙穂はその様に考え無かった様だ。

「うーん…言われてみれば…そうかも?」

 お祭りが楽しくて童心に返っているのだろうという程度にしか思っていなかった楓も、これについては少しばかり一考せざるを得なところがあった様で、改めて遥の背中を眺めながら首を傾げさせる。

「よーしっ、この子にきめたっ!」

 沙穂と楓のやり取りを他所に、当の遥はようやっと狙いを定めた処で、今度は実際にお目当ての金魚をゲットすべく、タイミングを計る為にまたも水槽とにらめっこだ。

「なんか…ふつうに楽しそうだよ?」

 楓が改めて見たまま感じたままの感想を述べると、沙穂は相変わらずの神妙な面持ちで若干の苦笑いをこぼす。

「…まぁ、あたしの思い違いならいいんだけどね」

 沙穂はやはり楓ほど楽観的にはなれていなかったが、真偽のほどは本人に直接聞きでもしない限り確かめようがなく、取りあえず現状ではそんな希望的観測でこの話を締めくくるより他かなかった。

 無論、沙穂にはそれを直接遥に確かめたい気持ちが幾らもあったのだろう。沙穂は性格的に割と何でも白黒はっきりさせたがるタイプであったし、もし本当に遥が無理をしているのであれば、当然ながらそれを何とかしてあげたいとも思うのだ。

 それでも実際にそうしなかったのは、沙穂が今現在遥の本心を勘ぐって心配でいる理由と全く同じところにある。

「ヒナちゃんの気持ちも分かるけど、でも今日はもうカナちゃんと一緒に思う存分お祭りを楽しむのが一番だよ」

 楓の言う通り、つまりはそう、結局のところ沙穂が遥の為にしてあげられる事は、道中にその複雑な心模様を聞いた時と同じく、今に至ってもそれくらいしかないのだ。

「そうね…、折角のお祭りだものね」

 今はそれが最善にして唯一の選択肢である事を自身に言い聞かせた沙穂は、依然として心の片隅に憂慮を残しつつも、他ならぬ遥の為にも気持ちを切り替えてゆく。

 遥がお目当ての子どころか、只の一匹もすくえない内にポイを駄目にしてしまい、敢え無く金魚すくい終了となったのは丁度そんなタイミングでの事だった。

「あぅー…やぶけちゃったぁ…」

 無残な結果に終わってしまった遥は、枠だけになったポイと空の器を手にしたまま、心底残念そうにガックリと項垂れる。

「あー、お嬢ちゃん残念だったねー」

 屋台の店主はそう言いつつも、遥の落ち込み様を見兼ねたのか、それとも元々そういうサービスなのか、柄杓ですくい上げた金魚を一匹袋に入れて差し出して来た。

「ほら此れ、持ってきな」

 その金魚は狙っていた子ではなかったが、それでも遥はパッと表情を明るくする。

「わぁ! おじさんありがとぉ!」

 因みに、遥が狙っていたのは尾が三つに分かれた赤と白の丸っこい金魚で、それに対して店主がくれたのはごくスタンダードな赤いフナ型の所謂「小赤」と呼ばれるタイプだ。

「ヒナ、ミナ、見て―! おじさんが金魚くれたー!」

 狙っていた子でないのが多少残念ではありながらも、お祭りを満喫している新たな軌跡をゲットした遥はほくほく笑顔で沙穂と楓の方へと向きかえる。

「よかったねぇカナちゃん」

 遥の喜びようが余りにも愛らしかった為か、楓がうっかりその頭を撫でそうになっていたのはここだけの話だ。

「よしっ、それじゃぁ、次いこっか」

 金魚すくいを終えた今、それは当然の判断であり、であれば沙穂が移動の為に今一度手を繋ぐべく、自身の手を差し出して来たのもまた至極自然な事だった。

 そしてこの時、屋台を背にしていた遥は、丁度逆光になっていた訳だが、そうで無ければきっと沙穂と楓は気付いただろう。沙穂が手を差し出したその瞬間に、これまで極めて無邪気な様子だった遥の表情が、僅かながらに強張った事に。

 ただ実際は、光源の関係で表情が丁度影っていてた事と、それがほんの一秒にも満たない一瞬だった事で、沙穂と楓が気付くよりも遥が元通りになる方が早かった。

「…あっ、うん、ちょっと待ってね」

 遥は至ってこれまで通りの明るい表情を見せながら、沙穂の手を取る前に一言断りを入れてから、持っていた金魚袋の口紐を手首へ付け替えていく。

 その行動は、単純に金魚袋を持ったままでは手をつなぎにくいからという事なのだろうが、この動作に関しても、相応の注意深さでよくよく観察していたなら、もしかしたら沙穂と楓のどちらかは、それがやけにゆっくりだった事に気付いたかもしれない。

 ただ、遥は普段から割とのんびりしている所がある為、沙穂と楓はこれを別段不自然にも思わず、特には気にも留めていなかった。

「…お待たせっ」

 ここでようやく遥は沙穂の手を取って、続けて当然の様に反対側でも差し伸べられていた楓の方とも手をつなぐ。

「さー、次は何やろうかなー!」

 元通り二人と手をつなぎ直し、努めて無邪気な様子で率先して歩き出した遥であるが、その心中が若干穏やかでなかった事は、おそらくもう敢えて言うまでも無い筈だ。

 そう、実のところ遥は、一見すれば思うさまお祭りを楽しんでいるようでいて、その裏では未だに沙穂と楓と手をつなぐ事の気恥ずかしさから抜け出せずにいたのである。

「あとやってないのはなんだろ、型抜きとか?」

 遥が今でも内心では結構な感じにドキドキしているとも知らず、沙穂は先程の個人的な心配もあってか、今まで以上にその手をしっかりと握りしめていた。

「型抜きかー、ワタシやったことないかもー」

 楓の方も心なしか今までよりも握る手に力が入っている様ではあったが、きっとこちらも先のやり取りで彼女なりに思う所があったのだろう。

「か、型抜きかー、ボクもやったこと無いからやってみたいなー!」

 等とはしゃいで見せている裏でも、遥は何やらこれまで以上の強さと密着度でまざまざと伝わって来る沙穂と楓の柔らかな手の感触に、内心ではドキドキしっぱなしだった。

 無論、移動の際には手を繋ぐ必要性がある事については、実際に途方もない人混みの中を歩いてみた実感として、遥も素直に認めざるを得ない所で、今さらそこに異を唱えるつもりは無い。

 ただそれでも、女の子と手をつなぐ事の気恥ずかしさ自体は如何ともしがたく、意識しない様に意識する事で余計に意識してしまったりと、割とドツボに嵌ってもいた。

 そして何を隠そう、遥が沙穂に思わず心配されてしまう程の勢いで、思いのほかお祭りを満喫していたのは、他でもないこの気恥ずかしさこそがその原動力なのである。

 つまりそれはどういうことかというと、先ほどの金魚すくいが丁度良い例だ。

 要するに遥は、何かしらの夜店を利用する際になら、二人と手をつないでいなくても許される為、少しでもそんな時間を増やしたいが故に、結果としてお祭りを楽しむ形になっていたという訳だった。

 そして勿論、遥が普段の性格からはちょっと考え難いお子様然としたはしゃぎっぷりを見せていたのも、言ってみれば気恥ずかしさを誤魔化そうとしていたからである。

 そのような観点から見れば、沙穂の言っていた通り確かに遥は多少なりとも無理をしている事になるのかもしれない。

 ただ、だからと言って本当は祭りを楽しめていないのかというとそんな事も無く、その点に関しては別段心配する必要は特にないだろう。

 寧ろ、遥にとって今晩のお祭りは、女の子と手をつないでドキドキしている処も含めて、途方もなく得難い経験をしていると言ってもきっと言い過ぎにはならない筈だ。

 何故なら、日を追うごとに女の子としての自覚を強めている遥にとってその感情は、今この時だからこそ眩しく感じられる刹那のまたたきに他ならなかったのだから。

 そしてもしかしたら、そんな遥の尊くすらあるまたたきは、その元へ今正に駆けつけようと動き出していた賢治や青羽によってかき消される事になるのかもしれない。

 二人が想いを寄せれば寄せる程、それは結果的に遥の「女の子」を強めて、その分だけ「男の子」を薄れさせていく事になるのだから。

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