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4-25.理解と共感

 何をもって「幸せ」とするか、その定義はそれを感じる者の数だけ存在する。

 そして其れらは、必ずしも他者の理解や共感を得られる物ばかりとは限らない。

 では、遥の見つけた幸せの在り方については、果たしてどうだったのだろうか。

 掛け替えの無い友人達に囲まれて、好きな異性と互いに想い合えている。

 それだけ聞くといかにも十代の若者らしい真っ当な幸せで、これにはおそらく多くの者が少なからず理解と共感を示すだろう。がしかし、その真っ当である筈の幸せには、そうであるならば在って然るべきだと誰しもが想像し得る当然のピースが決定的に欠けていたとすれば、それでも尚多くの人が理解と共感を示し得るだろうか。

「ふむ…、実に遥らしいじゃないか」

 さもありなんと言わんばかりのそんな雑感を述べたのは、昼下がりのカフェ『メリル』で賢治の前に座って通算三杯目になるエスプレッソを啜る亮介だった。

 遥が青羽と歩む幸せの在り方を定義したあの晩から、早一週間足らずが経とうとしている。

 結局、遥と青羽はお互いに想い合いながらも、特に具体的な関係に発展する事なく、それまで通りの「現状維持」という形で一連の出来事には終止符が打たれていた。

 美乃梨が危惧した問題を抜本的に解決する糸口は今に至っても依然として見つかってはおらず、あの晩に遥が定義した幸せとそこから導き出された答えに異論を唱えられた者も誰一人としていなかったのだから、それは当然と言えば当然の帰結であろう。

 ただ、それによって得られた結果と遥が定義した幸せの在り方は、必ずしも一同の理解と共感を得られていた訳では無い。

 特に共感という点では、美乃梨や沙穂、それに楓ですら幾らも怪しい所であり、中でも賢治に至っては明らかにモヤモヤとした気持ちを残したまま今日という日まで持ち越していた。

 一連の出来事に関する顛末は概ねそんな所だとして、折しもそんなタイミングで夏休みを利用した帰省を果たしていた亮介である訳だが、駅から実家までのタクシー代わりも兼ねて久々に友人の顔でも見ておくかと賢治を呼び付けたのが運の付きである。

 憐れ亮介は鬱憤の溜まっていた賢治にすっかり捕まってしまい、一連の出来事に付いての報告だか愚痴だか分からない話をかれこれ一時間近くは延々と聞かされる羽目になり、ようやく話しがひと段落した所で、今しがたの感想を述べるに至ったというのがザックリとした現在の状況であった。

「お前の釈然としない気持ちも分からんでは無いが、遥はそういうヤツだ…、なにせ昔からいまいち欲が無い」

 亮介は共感とまではいかないまでも、旧知の友人として遥のみならず賢治の心情に付いても一定の理解を示して、それを一連の話に関する改めての総括とする。

 これで賢治の気が少しでも晴れて話を畳んでくれれば、遠方からの帰郷を遂げたばかりでそれなりにお疲れである亮介はようやく実家に帰って一息つける訳だが、勿論そうそう事は都合よく運ばない。

「ハルは欲がない…か…、それは、そうなのかもしれないが…」

 亮介の私見が尤もである事を認めながらもその実到底承服できていない様子で深々とした溜息を洩らした賢治は、どう見てもまだまだ話し足りない様子である。こうなって来ると存外友情に厚く面倒見の良い亮介は久々の帰宅を一時的に諦め、とことんまで賢治の話に付き合ってやるしかなかった。

「はぁ…お前の言いたい事は大体想像できるが、取りあえず聞いてやるよ」

 亮介が溜息と苦笑交じりに話しの先を促すと、一応は空気を読んで反応を窺っていた賢治は若干申し訳なさそうにしながらも、それならばと発言を再開する。

「だってよぉ…あいつらお互いに告白までし合ってるんだぞ…? それなのにハルは、もう幸せだから彼女になれなくても平気だなんて強がって…、そんなのあんまりだろ?」

 その結末を悲劇の様に論じる賢治は、一見すると遥の定義した幸せが全くもって理解出来ないといった体だったが、実のところそれは度が過ぎる程の共感からくるものだった。

 尤も、賢治のそれは遥が定義した幸せに対する共感ではなく、極めて個人的な感情移入から、つい深読みせずにはいられなかった遥の心情に対する共感ではある。

「ふむ…、遥が強がったかどうかはともかく、話を聞いた限りじゃ他に選択肢は無かった様に思えるが?」

 遥の具体的な心情に付いては判断しかねるとしながらも、賢治の話しにとことんまで付き合う覚悟を決めた亮介の分析は実に的確で、その指摘も正しくその通りだ。

「それは…そう…なんだが…」

 賢治もなんだかんだと言いながら、遥と青羽には他の道が無かった事を頭では理解できている。だが、それでも賢治は尚もその末に有った結末には、どうしたって共感できずにいた。

「まぁ、俺からすれば、遥よりも相手の青羽少年とやらが多少憐れではあるがな」

 亮介がそんな雑感を抱いたのは、おそらく、遥が自ら幸せを定義して唯一在った選択肢を見出していたのに対して、青羽にはその余地すらも無かったからだろう。

 あの晩の状況としてその理解は概ね正しく、実際あの場に居た賢治もそれは良く知る所であったがしかし、青羽が憐れであるかどうかについては少々議論の余地があった。

「憐れなもんか…、ハルの意見を真っ先に受け入れたのが青羽なんだぞ…」

 しかも青羽は、賢治や女の子達とは違い、それ以外になさそうだという消極的な感じではなく、それこそが求めていた答えであったと言わんばかりに率先してそれを受け入れたのだ。

「ハルには欲がないって言うが…あいつも大概だぞ…」

 思えば青羽は、元より好きな女の子が幸せで居てくれさえすれば、それだけで自分は十分だと言って憚らない様な大変に稀有な少年ではあった。

 そのあたりの考え方は、賢治も全く同じ穴の狢でとやかく言えた筋合いでは無いが、それだけに青羽が「恋人」という形式的な関係性よりも、他でもない遥の定義した幸せをこそ尊重してみせた理由もよく理解できる。

 ただそれでも賢治は、二人が迎えた結末にはどうしても共感を覚えられず、殊更にモヤモヤとせずにはいられない。おそらくそれは、青羽が既に遥と気持ちを確かめ合えているという、自分には無かった究極のアドバンテージを持っていたからだ。

「ふぅむ…、本人達が納得しているのなら取りあえずは問題ない様に思えるが…」

 亮介は改めて一連の出来事に付いてそんな客観的な感想と幾ばくかの共感を示すと、揃えた中指と人差し指で眼鏡を押し上げながら賢治を見やって眉を潜めさせた。

「しかし、意外だな」

 亮介の口をついて出たその言葉の意図するところは今一つ判然とせず、今度は賢治がそれに眉を潜めさせる。

「…何がだ?」

 賢治が思うさまに疑問を呈すれば、亮介は肩をすくめながら口元をニヤリと歪ませて何やら意味ありげな笑みを見せた。

「いやなに、お前がまるで遥と青羽少年の恋路を応援しているかの様だったからな」

 それは実に鋭い指摘で、遥に対する自身の思い入れを亮介に語った事の無かった賢治が思わずギョッとしてしまったのは言うまでも無い。

「なっ…! あ、あ、当たり前だろう! 俺はハルの親友だぞ! ハルが幸せになれるのなら応援して…当然だ!」

 親友云々の下りはもちろん建前ではあったものの、賢治が「当然」とまで断言したその心持自体は紛れもない本心だ。

 そもそも、そうでも無ければ賢治はあの晩、初めから青羽を遥の元へなど行かせはしなかった。

「成程、まぁそういう事にしておくか…」

 亮介の納得が親友の下りに付いてか、それとも遥と青羽を応援している事に付いてかは定かでは無いが、賢治がその真意を問う前に話は次の段階へと推し進められる。

「お前は遥と青羽少年を応援してはみたものの、その結果には納得がいっていないと、つまりはそう言う事だな?」

 これに付いては間違いなくその通りであった為、賢治が頷いてそれを肯定すると、亮介は殊更に悪い笑みを浮かべて少々思い掛けない事を口にした。

「それならお前がきちんと遥を幸せにしてやれば良いじゃないか」

 それは、賢治にとっては考えもつかなかった事で、これこそ理解すら及ばずに思わずキョトンとしてしまう。

「…はっ? お前…何言ってんだ…?」

 賢治がそんな反応を返してしまったのも無理の無い話だ。

 確かに自身の手で遥を幸せにできるのであれば、賢治だって断然そうしたい。

 倉屋藍の想いを犠牲にしてまで守り通した遥に対する賢治の想いは、今でもその胸の内で確固たる熱量をもって健在だ。しかし賢治は、その熱量に偽りなく誰よりも強く遥を想い、何よりも一番にその幸せを願うが故に、今ではもう自身の手でそれを成し遂げる事は到底叶わないものと信じて疑わなかった。

「ハルと青羽は…両想いなんだぞ…?」

 そう、既に青羽という想い合っている相手が存在する以上、自分が遥を幸せにするという事はつまり、二人の仲を引き裂く事に他ならない。生真面目で慣らし、謹厳実直を地でゆき、その上融通の利かない賢治にその様な非道ができる道理はなかった。がしかし亮介は、そんな賢治の人柄や心情を汲み取った上で尚それを一笑に付す。

「ハッ、お前は考えが浅いな、遥は結局、青羽少年とは付き合わなかったんだろ?」

 確かにその通りではあるものの、だからと言って賢治はそれを遥と青羽の間に割って入っていい理由には出来ない。

「それは他に選択肢が無かったからだって、お前がさっき自分で言ったんだろ!」

 先程、亮介自身がそれを認めていた事実を突きつけて賢治は反論を試みるも、残念ながらそれは大して効果的では無かった。

「確かに認めたが、俺はそれが事の全てであるとは言っていないぞ」

 そんな如何にも思わせぶりな前置きをした亮介は、眼鏡をギラリと光らせながら今日一番の悪い顔でニヤリと笑う。

「俺が思うに、遥はまだ本気で青羽少年を好きにはなっていない!」

 突拍子も無いとは正しくこの事で、賢治は最早反論する事すら忘れて完全に目が点だ。

「…はっ?」

 遥が青羽に想いを伝えるその瞬間を目の当たりにしていた賢治は、何をもって亮介がそんな発想に至ったのか、今度こそ全くもって理解できずに只々唖然である。

「いいか賢治、考えてもみろ、何でも形から入るあの遥だぞ? 本気ならば彼女になれなくても良いなんて言う訳がないだろう? 長年幼馴染をやってるお前なら分かる筈だ」

 等と言われても、賢治の知る限り遥が本気の恋愛をした事など今まではただの一度も無く、流石に判断材料が乏しすぎて何とも答えようがない。

 ただ、遥が何でも形から入る性格なのは確かにその通りで、そこへ幼馴染という関係性まで論われてこのように問題提起されてしまうと、何やら賢治も不思議と「もしかしたら」と、ついそんな風に思えて来てしまう。

「そう…なの…か…?」

 確信が持てないながらも、賢治がうっかりとその可能性について半ば認めてしまえば、あとはもう人を丸め込む事に関しては他の追随を許さない亮介の独壇場だ。

「そもそもだな、人間本気の恋に落ちれば周囲のやっかみや多少の嫌がらせなんて物は何の問題にもならんのだ! そこに踏み切れなかった時点で遥の青羽少年に対する好意がまだほんのささやかなものである事はまず間違いない! しかも実際に付き合えていないというのは如何にも致命的だな! 例え両思いだろうがそんなどっちつかずの関係性はいずれ破綻してしまうだろう! そうなればそれこそ遥の幸せ等は望むべくも無いぞ? ならばお前が割り込んで行く事に一体何の問題が有ると言うのだ! 否、むしろそうしてやる事こそが遥の為であり、それこそが遥にとって本当の幸せですらある筈だ!」

 亮介は如何にもそれらしい事を聞き手の理解が追い付くよりも早く猛烈な勢いで一気呵成に捲し立て、そして最後には仕上げにとばかりにそれまでの悪い顔から一転、到底らしくも無い慈愛に満ち溢れた面持ちで賢治の肩をポンッと叩いた。

「賢治、遥を幸せにしてやれ、それが出来るのはお前だけだ」

 何やら良い事を言った風に話を締め括ってはいるものの、亮介がしてみせたここまでのやり口は完全に詐欺師がカモをやり込める時のそれである。唯一詐欺師と違う所があるとすれば、それは亮介が自身の利益の為では無く、友人としての思い遣りから賢治と遥の為に詭弁を弄していた事くらいだろうか。

「そう…か…、そう…だよ…な―ってなるかよ!」

 亮介の友人としての思い遣りが紛れも無く本物であったが為に、賢治は半ばその術中にはまりかけてはいたが、流石にそのままホイホイと丸め込まれてしまう程には間が抜けてはいなかった様だ。

「チッ…」

 うまく丸め込めなかった事に亮介があからさまな舌打ちをすれば、それに対して賢治は深々としたため息と苦笑いを返す。

「いくら何でも無理があるわ…ったく…」

 涼介に苦言を呈しながら今一度深々としたため息を漏らした賢治だったが、ふと、それまであった心のモヤモヤがなぜか綺麗さっぱり消えている事に気がついた。

「色々と言いはしたが、お前の手で遥を幸せにしてやれる可能性はまだ十分にあると俺は本気でそう思っているぞ」

 今度は至って真剣だった涼介のその言葉で、賢治は心のモヤモヤが消えていた理由について一つ得心がいく。

「…あぁ、そう…なのかもな」

 例えそれが詐欺師の詭弁でも、そんな可能性ももしかしたら在るのかもしれないと一瞬でも思えた事が、どうやら心のモヤモヤを払拭できた理由で間違いなさそうだった。

 亮介が示してくれた可能性は、これまで遥が定義した幸せと、その先に有った結末に到底共感できずにいた賢治にとっては一つの落としどころになり得たのだ。

 無論それは、賢治が既に想い合っている二人を引き裂いてまで、自身の手で遥を幸せにしてやろうという気になった訳では無い。

 賢治はただ、もし万が一に遥の定義した幸せが幸せ足り得なくなったその時には、自分がそれを再定義してやればいいと、そんな風に思えたのだ。

「よしっ…」

 どこかスッキリした面持ちで感嘆を洩らした賢治を見て、亮介はこれでようやく長話から解放されるだろう事を確信してひっそりと胸を出下ろす。

 因みに、ここまでが全て亮介の手の内ではあった事は、言わずもがなだ。

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