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4-21.最良の道

 賢治は先程、当人から話を聞いて何があったのかは知っていると言っていた。

 美乃梨の号泣と遥の事情に明確な因果関係を見出していた事から、それ自体は恐らく本当の事なのだろう。

 だがしかし、だからこそ沙穂は、楓は、そして美乃梨は、遥を青羽に任せると言った賢治の言葉を到底理解し得なかった。

「賢治…さん…、な、なに…、言ってるんで…すか…」

 美乃梨が混迷を極めながらも絞り出すようにして不理解をそのまま疑問として露わにすれば、続けて沙穂と楓もそれをより明確な苦言として賢治にぶつけてゆく。

「本当に何言ってるんですか! 早見はカナのこと受け止められなかったんですよ!?」

「そ、そうですよ! 大体、早見くんはカナちゃんを迎えに来てもくれなかったのに!」

 そんな青羽に今さら遥を任せる等という話しは、それこそが正しく正気の沙汰ではない。青羽に受け入れてもらえず悲しみに暮れていた遥を目の当たりにしたばかりだった女の子達三人は、皆一様に強くそう感じていた。

「まぁ…、それはそうなんだがなぁ…」

 渋々と言った感じではありつつも沙穂と楓が苦言として呈した事実関係を否定しない辺り、賢治はやはり遥と青羽の間に何があったのかは間違いなく把握している様だ。しかし、なればこそ、沙穂は、楓は、美乃梨は、青羽に遥を任せる等と言った賢治の意図が余計に分からない。

「だったらどうして早見なんかにカナを―」

 三人の中でも殊更に釈然としなかった沙穂は堪らず更なる異議を唱えようとしたが、先程から変わらずの渋い表情でいた賢治が深々とした溜息と共にそれを遮った。

「そうは言うが、キミは…キミらはどうだったんだ?」

 沙穂と楓がその唐突だった問い掛けの意味するところを掴めずに顔を見合わせてしまうと、賢治は言葉足らずだった事に気付いたのか、質問をより明確に言い換える。

「キミらは、ハルの『秘密』を知った時、それをすんなりと受け止められたか?」

 今度は質問の意味がハッキリと理解できた沙穂と楓は、それぞれにその時の記憶を蘇らせて二人同時にハッとなった。

「あっ…」

 当時、遥の秘密をちょっとした興味本位と偶然から独自に知り得ていた楓は、実の所それを受け入れるのにはさほどの苦悩や葛藤を経ていない。

 故に楓は、その時どうだったかという賢治の質問に対して、何の問題にもならなかったと、胸を張ってそう答える事が出来た。だが、楓は今ここで実際にそう答えてしまう訳には行かなかった。無論それは、直ぐ真横で沙穂があの当時の記憶に苛まれ、顔を真っ青にして小さく肩を震わせていたからだ。

「あ…あたし…あたしは…あの時…」

 沙穂を顔面蒼白へと追い込んだそれは、忘れもしない春の終り頃。当時はまだ素性知れずの「生徒会長」でしかなかった晃人の呼び出しに応じた遥に付き添って、楓も含めた三人で生徒会室へと赴いた在りし日の記憶。

 沙穂はあの日、楓の早とちりから期せずして暴かれてしまった遥の秘密を直ぐには受け止めきれず、混乱と動揺の余り一人その場を立ち去っている。

「ひ、ヒナちゃん…! だ、大丈夫だよ! あの時はワタシがややこしくしちゃっただけで、ヒナちゃんだって心の準備ができてれば、きっと大丈夫だったよ!」

 楓はそう言ってくれたが、果たして本当にそうだったのだろうか。沙穂にはそれを確かめる術はなく、今在るのは、あの日、あの時、遥の秘密を直ぐには受け止めてあげられなかったという紛れも無い事実だけだ。

「で、でも、あれは…! カナに無理をさせちゃってたのかもとか、何で気付いてあげられなかったんだろうとか…色々考えちゃったからで…!」

 蘇った当時の記憶に感情まで引っ張られ、珍しく取り乱した沙穂は、誰に対するでもなくあの日の事を必死に弁解しようとする。

「そ、それに…あたしは! カナが友達でいたいって言ってくれた時、すごく嬉しかった! だからあたしは、何があってもカナとはもう一生友達でいようって、そう決めてる! だから…、だからあたしは…早見なんかとは―ッ!」

 当時の感傷に引きずられるまま、思いの丈をもぶちまけた沙穂は、その勢いで「青羽とは違うと」とそう言いかけたが、その瞬間にハタと気が付いた。あの時の自分と、今回の青羽が何も違わないかもしれない事に。

「あっ…早見も…あの時のあたしと…同じだって…、そう言うんですか…?」

 まさかという思いで沙穂が恐る恐る問い掛けると、賢治は相変わらずの渋い表情ながらも、案の定首を縦に振ってそれを肯定する。

「多分、そうだろうな」

 その返答で、沙穂は全てを理解した。賢治が何故唐突に自分達の時はどうだったのか等と尋ねたかは元より、あれほど分かり得ないと思っていた青羽に遥を託さんとするその意図までをも。

「…キミらは、青羽がハルを好きになった理由、知ってるか?」

 沙穂は少々茫然となってしまいその問い掛けに反応できず、その代わりに楓が左右に首を振ると、賢治は苦々しい表情で溜息交じりにその「理由」とやらを明らかにした。

「ハルが女の子っぽくないから、だとよ」

 勿論それは外見の話などでは無く、青羽が実際に遥と接していく内に実感していった人間性の話しだ。

 遥は外見こそ如何にも可愛らしい女の子で、性格的にもある意味可愛らしくはあるものの、根本的な価値観や物の考え方はやはりまだ男の子が抜けきっていない。

 歳の近い二人の姉に普段から「可愛がれている」所為で女の子に苦手意識を持っている青羽が、そんな遥の「男の子」的な部分に惹かれた事を賢治は以前、本人から直接聞いて知っている。

「なんか早見くんらしい…かも…」

 楓は賢治が聞いている様な詳細な事情は分からないながらも、青羽が普段あまり女の子を寄せ付けない事を知っていただけにこれには大いに納得だった。

「そう…だったんだ…」

 青羽が遥に惹かれた理由に楓が妙に感心しているその横で、反応できずとも話は聞こえていた沙穂は、その事でいよいよもって確信する。青羽があの時の自分と同じである事と、そしてもう一つ、間違いなく青羽が遥への想いを未だ途切れさせていない事を。

「それなら…早見に…カナを…任せても…」

 青羽があの時の自分と同じであるならば、そして青羽が未だに遥を想い続けているのならば、沙穂はその先にはきっと遥が望んでいる筈の未来がある事を信じられる。

 少なくとも、自分たちの時にはそうだった。そして沙穂は、青羽が本来それを実現し得るだけの「善良さ」と「誠実さ」を持った人間である事を知っている。

「そ、そっか…、うん…そうだよね…!」

 沙穂ほど明瞭にではないにしろ、楓も一応の理解が追い付きさえすれば、実際にあの時あの場に居た事も助けになって、こちらももう賢治に異を唱える理由が無い。

「俺だってアイツにハルを任せるのは癪だが…、俺が今ハルの傍に居ても、出来るのは慰めてやることぐらいだ…」

 ほんの少し前までなら、沙穂や楓はそれで十分だと、そう思っていた。だが、今ではもうそれが最良であるとは思わない。

「もしそれでこのまま有耶無耶に終わらせたら、間違いなくハルには傷が残る…、それだけは絶対に駄目だ」

 賢治が無念を滲ませながら口にした「傷」という言葉で、沙穂と楓は自分達の時に遥が涙ながらに「ごめんなさい」と自責からの謝罪を繰り返していた事を思い返す。

「…そう…ですね…」

「…うん…そうかも…」

 これまでその特異な身の上の所為で沢山の悲しい思いをしてきた遥が、今回の事ではこれ以上傷付かなくても済むのならば、沙穂と楓がそれを願わない道理はどこにも無い。

「分かってくれて何よりだ…そういう訳だから―」

 沙穂と楓が承服した事によって、賢治は話をまとまめかけたがしかし、残念ながらまだ若干一名、全くもって納得のいっていない者が居た。

「ま、まって! あたしだってあの時の事は良く知ってるし、青羽が遥ちゃんを好きになった理由も分かったけど! でも今回の事で青羽が今どう思ってるかって、結局は全部が賢治さんの勝手な想像でしょ!?」

 すっかり気勢を無くしてしまった沙穂と楓に変わって、それまで溜め込んでいた疑念を一気呵成に捲し立てて来たのがそう、言わずもがなの美乃梨である。

「あぁ?」

 美乃梨の異議申し立ては、確かに言われてみればという感じで其れなりに一理あったがしかし、惜しくもそこには一つの重大な思い違いが存在していた。

 美乃梨は恐らく、先の沙穂や楓とのやり取りの中で、賢治が少々曖昧な答え方をしていた部分からその勘違いをしてしまったのだろう。ただそれは、言ってみればごく単純な言葉の行き違いというヤツで、つまるところ美乃梨の異議申し立てはその前提から成立してはおらず、賢治は当然の如くこれを意にも介さなかった。

「当人に話を聞いたってさっき言っただろ、青羽のヤツがどう思ってるかは直で裏が取れてるんだよ…」

 賢治は今さら何をと言わんばかりの怪訝な面持ちと口ぶりだったが、これに心底キョトンとしてしまったのが当然ながらの残念な美乃梨と、ある意味残念だった楓である。

「…ふぁっ!?」

「…えぇっ!?」

 若干の沈黙を経たのちに、美乃梨と楓が素っ頓狂な声を上げてしまったのは、少々残念ではありつつも半分くらいは無理からぬ話だったかもしれない。

 美乃梨と楓は、というよりも沙穂も含めた女の子たち三人は、つい今の今まで賢治が話を聞いたという「当人」は遥である事を一切疑っていなかったのだ。

 賢治の立場や、遥の家まで歩いて三十秒も掛からない真隣に住んでいるという実際的な条件から、女の子たち三人が揃ってそう思ってしまった事自体は別段間抜けな話しでも無いだろう。ただ、よくよく思い返してみれば、確かに賢治は話を聞いたというその「当人」が遥であるとは只の一言たりとも言ってはいなかった。

「も、もしかして…賢治さんが話を聞いた当人って…」

 美乃梨が眼をまん丸に見開きながらそれが誰の事を指していたのかに言及すれば、楓がそれをより具体的な驚愕として露わにする。

「早見くんだったんですか!?」

 美乃梨から始まり、楓が締め括ったその言及を、賢治は殊更怪訝そうな顔で頷きあっさりと肯定した。

「あぁ、じゃなきゃ俺はこんな処に来てないよ」

 賢治が街の玄関口である駅前を「こんな処」等と評したのは、普段の移動手段に車を用いている関係上、遥を迎えに来るでも無ければ訪れる機会が滅多に無い場所だからだ。

 とは言え、美乃梨や楓からすればそんな事はそもそも与り知らぬ上に全くもってどうでもいい話しである。

「要するに…さっきまで早見とこの辺で会ってたって事ですよね…?」

 途中から一足先に察しの付いていた沙穂が「こんな処」に居たその理由を念の為に確認すると、賢治はこれにも肯定の頷きを見せた。

「あぁ、ハルが帰って来るのを待ってたら、青羽に電話で『どうしても直接会って話さないといけない事がある』って呼び出されてなぁ…」

 些かうんざりした様子で沙穂の確認に応えた賢治は、今日何度目になるのか分からない深々とした溜息を洩らす。

「それで何かと思えばこれだ…思わずまた青羽をぶん殴りそうになったよ…」

 普段から遥に対して異常なくらいに過保護な賢治だ。その心中が相当に穏やかではないだろう事は沙穂や楓でも容易に想像がつく。それでも賢治が青羽を殴りもせず、逆にチャンスを与えるかのような選択をしたのは、おそらくそれが遥にとっての最も幸せな結末を得られる最良の道だと、そう判断したからに違いない。

「俺だって色々堪えてるんだ…、美乃梨、お前もちったぁ聞き分けろ…」

 他ならぬ賢治にそう言われては、流石の美乃梨も承服するしかない、と思いきや、そう一筋縄ではいかないところが美乃梨の美乃梨たる所以である。

「とりあえず話は分かりましたけど! 青羽は…、アイツは今どこにいるんですか!? 賢治さんさっきまで一緒だったんですよね!?」

 美乃梨がそれを聞き出して一体どうするつもりなのかは分からないが、青羽の居場所なら賢治がそれに応えるよりも早く沙穂と楓には見当がついた。

「そんなもん、決まってるだろ―」

 そう、青羽の行き先などはもうもう決まり切っている。これまでの話しを踏まえれば、それはたったの一つしかあり得ない。

 数刻前に賢治との対話を終えていた青羽が、夜になっても尚まとわりつく様な夏の熱気を全力疾走でかき分けて、遥の家にまで辿り着いたのは、正にその頃の事だった。

「ハァ…ハァ…!」

 青羽は肩で大きく息を切らしながら、吹き出す汗をぬぐいもせず、奏家の門前で遥の部屋がある三階を仰ぎ見る。

「奏…さん…」

 もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない。だがそれでも、どうしてもやり遂げたい事が有る。その為にここへ来たのだから、青羽はもう今さら躊躇わない。

「…奏さん!」

 青羽は大きく息を吸い込んで、途切れさせるどころかより一層に強く、より大きく編み上げていた想いを全速力で走らせる。

 届け、あの明かりが燈る窓を抜けて、真っ直ぐに、遥の元へ。そんな願いを込めて。

「俺は! 今でも変わらず君が好きだあぁぁぁ!」

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